第一話 地獄の底②
この地獄の底へと落とされてから、もうどれだけ時が経っただろうか。
そう雅は、己が手で後頭部を叩き割り殺した鬼の巨体に腰掛け、懐へ入れていた握り飯にかぶり付きながら思った。
此処は地獄の最下層、『無間地獄』。
人よりも獣に近い精神性を持った極悪人共が放り込まれた、生物の感じ有るあらゆる苦しみの詰め合わせが如き場所。
野にも山にも川にも海にも異形の怪物『獄卒』達が歩き回り、言葉など通じぬ奴らは人の形をした物を見ると問答無用で殺しにくる。
環境は過酷、土は痩せ 日が登れば水を残さず干上がらせ かと思えば一度雨が降れば全てが洗い流される。満足に食べ物を得る事もままならず、限られた食料を奪い合うことが強要されていた。
しかし、それら以上にこの地獄の地獄たる由縁と成っているのが、此処に放り込まれている人間同士の殺し合いであった。
現世で罪を犯し無間地獄へと落とされた者達は、皆とある知識を閻魔大王により頭へ埋め込まれた状態でこの世界へとやって来る。
その知識とは 『獄門衆を百人殺す事が出来れば罪を許され、再び輪廻の輪へと戻り人生をやり直せる』 という物。
『獄門衆』とは現世から落ちてきた人間の呼び名。この世界では生きる事それ自体が苦痛に満ちた罰であり、獄門衆は何度死のうとも蘇って苦しみ続ける事を定められている。
だがその苦しみから抜け出し輪廻の輪へと戻る唯一の希望こそが、この 同じ獄門衆を百人殺す事なのだ。
生き返るとは言え、殺されればその度に精神が壊れかける極限の恐怖と苦しみを味わう事となる。そのため獄門衆はこの世界において片時も心が休まる事は無く、常に他人に命を狙われている恐怖に怯えながら生きてゆくしかない。
更に殺した獄門衆の人数というのは一度死ぬとリセットされ、また一からやり直し。
故にこの地獄から抜け出せる可能性は限りなく低く、終わりの見えぬ戦いの日々は精神崩壊するまで延々と続いてゆく。
正しく地獄の底に相応しい、手の届かぬ光へと血塗れになりながら手を伸ばし続けるという残酷な刑罰であった。
「ふわああ~……」
しかし、そんな地獄の底にて、呑気に欠伸が出来る人間が獄門衆には稀に居た。
特にこの雅という男にとって、不特定多数の人間に命を狙われるなど罰どころか寧ろ褒美だったのである。
雅は現世において数え切れぬ程の人間を殺した辻斬り。しかもその動機は、己の腕前を試しさらに鍛える為という自分本意以外の何物でもない物。
同情の余地無き、地獄に落ちて当然の極悪人である。
だがしかし幸か不幸か、その常人には大凡理解できぬ彼の価値観に、この血生臭い世界は恐ろしい程ぴったりと重なったのであった。
不条理が道理なこの地獄で人殺しが罪になる筈は無い。いくら殺そうとお咎め無しで、殺された方の自己責任。
好きなだけ自分の腕を試し、人の血肉で剣を磨き、戦いの中で死に続ける事が出来る。
「 何やら大きな音がして来てみれば、娘子とは心が痛みますな」
更に加えて、この地獄では髑髏の方から寄って来てくれる。わざわざ獲物を探し歩く必要もない。
痒い所に手が届いた、ここは人斬りの天国であった。
「安心せい、ワシは男じゃ。 ほれ」
雅はそう言って、いつの間にか音も無く赤鬼の足元へと現れていた男に上体の衣を半分肌蹴させてみせる。
そして顕となった顔に似合わぬその屈強な肉体には、夥しい量の刀傷が刻まれていた。
「おお、これは失敬した。ならば心置きなく顔に風穴開ける事が出来ますな。いや結構結構ッ」
「ハハッ、此処まで落ちて男も女も無いじゃろう。胸が有ろうが無かろうが、又に有ろうが無かろうが、腹ん中はどれも一緒じゃと知っておろう?」
「仰る通りで。親しくなれそうですな、私達」
片方は血の付いた刀、もう片方は血の付いた槍をその手に持ちながら、二人は初対面にも関わらず何とも親しげに行くところまで行った人間特有の会話を交わす。
此処で会う人間には気の合う者が多いのだ。皆現世は愚か、上の生温い地獄からさえ弾かれた逸れ者の優等生である。
親近感を覚えるなという方が無理であろう。
まあ唯一の欠点を上げるとすれば、数分もすると何故か皆物言わぬ骸と成ってしまう点は困り物だが。
「よっ、と…。まあ精々仲良くしようや、短い付き合いに成りそうじゃが」
「ええ、お手柔らかにお願いしますね」
鬼の体から雅が飛び降り構えを作ると、相手も同じくその得物の切っ先を真っ直ぐに敵へと向けて構えた。
雅は他人を殺す事も、自分が殺される事も何とも思っていない。
彼の中に有るのはただ1つ。己を鍛え、自らの武を少しでも高く 届き難い領域へと到達させる事のみ。
その為には、一人でも多くの人間と本気で殺し合い、そしてその末に勝利するのが一番の近道。
ダ″ンッ!!
死闘の火蓋を切って落とす。その雅の足取りは、鼻歌でも奏でそうな程に軽かった。
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