ハロウィンの衣装あわせ
ハロウィンまで、あと少し。
その日の追兎天神駅の休憩室には、前よりもずっとわかりやすく“準備中”の空気があった。
椅子の背には服がかかり、机の上には紙袋や箱が並んでいる。
前の会議で決めた役に合わせて、それぞれが家にあるものを持ってくることになっていた。
今日は、そのお披露目の日だった。
「じゃあ順番に見せていこうよ!」
マリーが楽しそうに言う。
「でも今日は、完成じゃなくて途中経過だからね」
「途中経過でも楽しみですっ」
みこはもう、すっかりその気だった。
「わたくしもですわ」
アリスも嬉しそうに頷く。
「どうせなら、一人ずつちゃんと見たいではありませんか」
「なんだか発表会みたいですね」
「ファッションショーですっ!」
「そこまではいってないと思うけど……」
うさぎが苦笑すると、つむぎが小さく口元をゆるめた。
まだ本番ではない。
でも、役を決めて、家から衣装になりそうなものを持ってきた。それだけでも、ハロウィンが少し近づいた気がする。
「では、わたくしからですわ!」
最初に名乗り出たのは、やっぱりアリスだった。
隣の部屋で着替えて戻ってきたアリスを見て、みこがすぐに声を上げる。
「わぁっ……!」
アリスが持ってきたのは、淡い色合いの可愛らしいドレスだった。
まだ帽子もないし、杖もない。
けれど、たしかにアリスらしい一着だった。
「どうですの?」
くるりと一回転してみせるアリスに、うさぎは自然に笑う。
「すごく似合ってる」
「お姫様ですもの」
アリスは満足そうに胸を張った。
「シンデレラではありませんけれど、これはこれで悪くありませんわ」
「うん、悪くないっていうか、かなりいいですっ」
「でも、まだハロウィンって感じは少し薄いかもですね」
「たしかに」
マリーも腕を組んだ。
「可愛いし、アリスっぽいけど、今のままだと“ちょっとおめかししたアリスちゃん”って感じ」
「えーっ」
アリスは少しだけ不満そうにする。
「十分可愛いのに?」
「可愛いのは間違いないです」
しおんが静かに言った。
「ですが、ハロウィンらしさを足す余地はありそうですね」
それを聞いたうさぎが、少しだけ考えるような顔をする。
帽子。
杖。
それから、少しだけ魔法っぽい小物。
頭の中で、もう少し先の姿が自然に組み上がり始めていた。
「次はしおんちゃんっ」
みこが楽しそうに呼ぶ。
しおんが持ってきたのは、黒い猫耳カチューシャだった。
服装はいつも通りのメイド服にエプロンのままである。
「……あれ?」
マリーが首をかしげる。
「しおんちゃん、それ黒くしただけじゃん」
「これはまったく別のものです」
しおんは真顔で言った。
「いや、どう見ても“いつもの猫耳の黒バージョン”だよね?」
「違います」
「違うんだ」
「黒い猫耳カチューシャです」
「説明がそのまんまだよ」
マリーが笑うと、みこも楽しそうに頷く。
「でも、しおんちゃんっぽいですっ」
「うん、似合う」
うさぎも素直にそう思った。
ただ、そこで少し気になったのも事実だった。
「しおんちゃん、黒猫なのにメイドエプロンは……ちょっと」
「これは外せません」
しおんは迷いなく答えた。
「そんなに大事なの?」
「もちろん大事です」
その返事には一切の揺らぎがなかった。
みこが、こっそりうさぎの袖を引く。
「しおんちゃん、強いですっ」
「うん……強いね」
アリスはそんなふたりを見て、むしろ満足そうだった。
「しおんは、それでいいんですの」
「アリス様がそうおっしゃるなら、それでいい気がしてきました」
うさぎがそう言うと、マリーが吹き出す。
「いやでも、黒猫なのにメイドエプロンって、かなり情報量多いよ?」
「使い魔ですから」
しおんは今日も涼しい顔だった。
でも、そんな黒猫メイドのしおんは、やっぱり妙にしっくりきていた。
「つむちゃんは?」
うさぎがやさしく呼ぶと、つむぎは少しだけ緊張したように前へ出た。
持ってきたのは、白と黒を基調にしたシスター服だった。
華やかではない。
でも、静かで、きれいだった。
「……あ」
うさぎは、思わず小さく声を漏らした。
「どうしたの?」
マリーが聞くと、うさぎは少しだけ首を振る。
「ううん。似合うなって思って」
「うん」
マリーも珍しく素直に頷く。
「つむちゃん、これすごくいい」
「つむちゃん、きれいですっ」
「……そうかな」
つむぎは少しだけ視線を落とす。
「そうだよ」
うさぎはつむぎの袖や襟元を見ながら、少し考え込むような顔になる。
このままでも、十分に綺麗だ。
でも、このままだからこそ、少しだけ何かを足したくなる。
「次、わたしですっ!」
元気よく前に出たみこは、にゃんステップの衣装を広げてみせた。
そしてその横には、肉球手袋も並んでいる。
「これですっ!」
「うん、可愛い」
うさぎはすぐに頷いた。
「かなりいいと思う」
「ほんとですかっ?」
「うん。でも、このままだと“可愛いみーちゃん”が強いかな」
「えへへ……」
みこは嬉しそうに笑う。
「だから、ちょっとだけ目元をアイシャドウで強調させて、ほっぺはそのままにして……」
うさぎは、みこの顔を見ながら指先で軽く位置を示した。
「目の横に少しだけ影を入れて、いつもの可愛さを残したまま、少しだけオオカミっぽく寄せたいの」
「おおーっ」
みこがきらきらした目を向ける。
「うさ姉さま、何か思いついたんですかっ?」
「ちょっとだけ」
うさぎはそう言いながらも、すでに頭の中でみこの姿を組み立て始めていた。
耳の感じ。
目元。
いつもの可愛さを残したまま、少しだけオオカミに寄せる方法。
「うさちゃんがお化粧してるの、見たことないんだけど……」
そこでようやく、マリーが不思議そうに言う。
「うん、マリーちゃんにはあんまり見せたことないかも」
「なのに、なんでそんなに詳しいの?」
「そういう時の化粧なら、少しだけできるの」
「必要な時って、いつ?」
「いろいろあるの」
「怪しいなあ」
「怪しくないよ」
うさぎは言い張ったが、マリーの顔はあまり納得していなかった。
それでも、みこはもうすっかりその気である。
「うさ姉さまにしてもらえるなら安心ですっ!」
「うん、任せて」
うさぎがそう言うと、みこは幸せそうに肉球手袋を握った。
「じゃあ最後、アタシね」
マリーが立ち上がる。
持ってきたのは、黒っぽいシンプルなワンピースだった。
「どう?」
少しだけ不安そうに聞く。
「うん」
うさぎはまっすぐ見て答えた。
「すごくいい」
「ほんと?」
「うん。でも――」
そこでうさぎは止まった。
「やっぱり何かあるんじゃん」
「だって、小悪魔ならもう少しだけフリルとか、小物とか足したくなるし」
「ほらね」
マリーが笑う。
「うさちゃん、もう完全に“着る人”じゃなくて“作る人”だよね」
「……そうかも」
うさぎは否定しきれなかった。
「で、うさちゃんは?」
マリーがそう聞くと、みこの目がぱっと輝いた。
「たしかにですっ! うさ姉さまの衣装、まだ見てないですっ」
うさぎは少しだけ視線をそらした。
「わたしは、その……前に作ったのがあるから……見せなくても」
「前に作った?」
マリーがすぐに反応する。
「でも、うさちゃんだけ見せないってのはズルいよ」
「そうです、うさ姉さま」
みこも、今日はすっかりマリー側だった。
「見せるつもりがないなら、そこにある袋は何かなぁ、うさちゃん」
「……これは……」
うさぎは観念したみたいに、小さく息をついてから、自分の袋を机の上に置いた。
中から取り出したのは、真っ白な衣装だった。
まだ広げただけなのに、ふわっと軽くて、どこか特別な感じがある。
「わぁ……」
みこが思わず声を漏らす。
「天使ですっ」
「……うん」
うさぎは少し照れたように頷く。
「これは、手直ししなくても大丈夫だと思う」
「そりゃそうでしょ」
マリーが半分笑いながら言う。
「うさちゃん、自分のは最初から本気じゃん」
「そ、そんなことないよ」
「ありますっ」
みこはきっぱり言った。
「でも、うさ姉さまにすごく似合いそうですっ」
アリスも満足そうに頷く。
「白がとても綺麗ですわ」
うさぎはそれ以上広げるのは少し恥ずかしかったのか、すぐにそっとたたみ直した。
「だから、わたしのはそのままでいいの」
「なるほどね」
マリーがにやっと笑う。
「じゃあ、手直しが必要なのはアタシたちってことだ」
それどころか、今ではそれぞれの衣装の“足りないところ”が見え始めていた。
アリスには帽子と杖が欲しい。
しおんにはもう少し黒猫らしい要素が欲しい。
つむぎには、シスターの雰囲気を壊さない小さな飾りが欲しい。
みこには、少しだけワイルドさが欲しい。
マリーには、もっとそれらしいラインや飾りが欲しい。
そして、みんなにそれぞれ似合う形が、もう頭の中に見えてしまっている。
休憩室の中は、しばらくわいわいした空気のままだった。
「こうして見ると、みんな似合ってるね」
うさぎがそう言うと、みこがすぐに頷いた。
「はいっ! でも、うさ姉さま、なんだかまだ考えてますよね?」
「う」
「考えてる顔してるですっ」
「してるね」
マリーも笑う。
「うさちゃん、言いたいことあるでしょ?」
うさぎは少しだけ迷ってから、机の上の衣装たちを見た。
それから、一人ずつの顔を見る。
「……これ、手直ししていい?」
一瞬、休憩室が静かになった。
最初に反応したのはアリスだった。
「手直し、ですの?」
「うん。ほんの少しだけ。もっとそれぞれに似合うようにしたくて」
うさぎは少しだけ早口になっていた。
「アリスちゃんには帽子とか杖みたいな小物を足したいし、しおんちゃんには黒猫っぽい何かをもう少し。つむちゃんには、シスターの感じを壊さないくらいの飾りを入れて、みーちゃんはオオカミむすめに寄せて、マリーちゃんには――」
「待って待って」
マリーが笑いながら止める。
「それ、もう頭の中で全部できてるよね?」
「……ちょっとだけ」
「ちょっとじゃないですっ」
みこが楽しそうに言う。
でも、誰も嫌そうな顔はしていなかった。
むしろ、アリスは少し楽しそうに目を輝かせているし、マリーは面白がっているし、つむぎも静かにうさぎを見ていた。
「わたくしは大歓迎ですわ」
アリスが胸を張る。
「うさぎちゃんがそうしたいなら、お願いしたいですわ」
「アタシもいいよ」
マリーが言う。
「どうせならちゃんと小悪魔っぽくなりたいし」
「みこもですっ!」
みこもすぐに手を挙げた。
「うさ姉さまにお任せしますっ!」
「私も構いません」
しおんも静かに続けた。
「ただし、エプロンは外しません」
「そこはぶれないんだ」
「もちろんです」
最後に、つむぎが小さく頷いた。
「……うん。わたしも、いい」
その返事を聞いたうさぎは、思わずほっとしたように笑った。
「じゃあ、少しだけ預からせて。ちゃんと可愛くするから」
「ほんとに楽しそうだね、うさちゃん」
マリーがそう言うと、うさぎは少し照れたように目をそらした。
「だって……せっかくなんだもん」
その日の帰りぎわ。
みんながそれぞれの荷物をまとめて、少しずつ帰る準備を始めていた。
机の上には、うさぎが預かった衣装や小物がきれいに並べられている。
アリスのドレス。
しおんの黒い猫耳カチューシャ。
つむぎのシスター服。
みこのにゃんステップ衣装と肉球手袋。
マリーの黒いワンピース。
「ひとりで大丈夫?」
マリーが何気なく聞いた。
「たぶん」
うさぎはそう答えたけれど、机の上に並んだ量を見て、内心では少しだけ不安になっていた。
細かいところを整えるだけのつもりでも、五人分となるとそれなりに多い。
しかも、どれも手を抜きたくない。
「うさ姉さま、がんばってくださいっ!」
みこは元気よく手を振って帰っていく。
「無理はしないでくださいませ」
アリスもそう言って、しおんと一緒に出ていった。
やがて休憩室には、うさぎとつむぎのふたりだけが残った。
つむぎは少しだけ机の上の衣装を見て、それからうさぎの顔を見る。
「……多いね」
「うん、ちょっと、預かりすぎたかも」
うさぎは少しだけ黙ってから、小さく口を開く。
「……つむちゃん、少しだけ手伝ってもらえるかな」
つむぎは目を瞬いた。
「えっ」
「簡単なところだけでいいの。ほら、リボン付けたり、飾り選んだり……みたいな」
「わたしにできる……なら」
その言い方がつむぎらしくて、うさぎは思わず笑ってしまった。
「ほんと?」
「……うん。ほんとにできるところだけ」
「それでもいいよ。手伝ってくれたら助かる」
「……うん」
少しだけ間があってから、つむぎはまた机の上を見る。
「だって、みんなに言ったら、完成前に見に来そう」
「それは、ちょっとあるかも」
ふたりで小さく笑う。
それから、うさぎは机の上の衣装を見て、もう一度つむぎのほうを見た。
「じゃあ……一緒にやってくれる?」
「……うん」
つむぎは静かに頷いた。
その返事だけで、うさぎの肩の力が少し抜ける。
「ありがとう、つむちゃん」
「……うん」
夕方の休憩室には、秋の光がやわらかく差し込んでいた。
まだ本番じゃない。
でも、その前の準備がこんなふうに少しずつ積み重なっていくのも、きっと大事な時間なのだと思う。
机の上に並んだ衣装たちを見ながら、うさぎはそっと息を吸った。
もう少しだけ。
みんなにもっと似合うように。
そんな気持ちで手を伸ばせることが、なんだかうれしかった。




