どっちが勝っても
にゃんステップの最初の一音が、秋の境内にやさしく響いた。
ざわめいていた人の流れが、すうっと落ち着いていく。
さっきまで綱引きの受付の前で話していた人たちも、屋台の近くで足を止めていた子どもたちも、自然と特設スペースのほうへ顔を向けた。
そこに立っているのは、みことアリス。
追兎天神の巫女と、小さなお嬢様。
ふたりとも、少しだけ緊張しているように見えた。
けれど、その緊張ごと抱きしめるみたいに、歌声はやわらかく始まった。
明るくて、かわいくて、どこかまっすぐな歌。
華やかすぎるわけではない。
大きな会場で響かせるための歌でもない。
でも、それがこの収穫祭にはぴったりだった。
地域の人たちが集まって、秋の実りに感謝して、みんなで同じ時間を楽しんでいる。
その真ん中に、にゃんステップの歌がすっと溶け込んでいく。
「みこちゃーん!」
子どもの声が飛ぶ。
「金髪の子も、がんばれー!」
少し離れたところから、今度はそんな声が聞こえた。
その横で、マリーが負けないくらい大きな声を張る。
「アリスちゃん、がんばれー!」
「ねぇ、あの金髪の子、アリスって名前?」
「そうだよ。応援してあげて」
「わかった! アリスちゃん、がんばれー!」
それを聞いて、アリスはほんの少しだけ目を丸くしたあと、うれしそうに笑った。
みこも、歌いながらぱっと笑顔になる。
「……いいね」
うさぎの隣で、マリーが小さくつぶやいた。
「うん」
うさぎも、思わずうなずく。
「アリスちゃん、最初よりずっと自然になったね」
「みこちゃんがいるからでしょ」
「そうかも」
「それにさ」
マリーは腕を組みながら、いかにも感心したような顔で続けた。
「みーちゃんって、こういう時ほんとに強いよね」
「うん。いつも元気だけど、今日はそれだけじゃない感じがする」
「地元の祭りだからかな」
「たぶん」
うさぎがそう答えると、すぐ近くでしおんも静かに口を開いた。
「追兎天神の巫女であることが、みこさんの中でちゃんと力になっているのでしょう」
「……うん。そんな感じがする」
歌は二曲だけの、小さなライブだった。
けれど、終わったときの拍手は思っていたよりずっと大きかった。
にぎやかで、あたたかい拍手だった。
特設スペースから戻ってきたみこは、少し息を弾ませながらも、目をきらきらさせていた。
「うさ姉さまっ! どうでしたかっ?」
「すごくよかったよ」
「ほんとですかっ?」
「ほんと。みこちゃん、今日はいつもの何倍も巫女さんっぽかった」
「それ、褒めてますっ?」
「褒めてるよ」
みこはぱっと顔を輝かせた。
「よかったぁ……」
その横で、アリスもほっとしたように胸の前で手を合わせる。
「わたくし、ちゃんと歌えていましたかしら……」
「もちろんです、アリス様」
しおんがすぐに答える。
「とても立派でした」
「しおんがそう言うなら、ほんとうですわね」
「もちろんでございます」
そのやり取りがあまりにも自然で、うさぎもマリーも、つい笑ってしまった。
「じゃあ次はいよいよ、綱引きですっ!」
みこが元気よく言う。
境内の中央では、すでに大きな綱が置かれ、参加者たちが少しずつ集まり始めていた。
仮装と言っても、思った以上にいろいろだ。
農家らしい作業着の人。
店の前掛け姿の人。
秋の葉っぱを飾った帽子の子ども。
うさぎたちのように駅員制服のまま参加する者もいれば、みこのように巫女服のまま立つ者もいる。
見事にばらばらなのに、不思議とまとまりがあった。
「これ、けっこう壮観かも」
マリーがきょろきょろしながら言う。
「うん。なんか……思ってたよりずっと、いい感じ」
「でしょー?」
と、ここだけは自分の手柄だと言いたげな顔で、マリーがにっと笑う。
赤組と白組に分かれるため、参加者たちはそれぞれ札を受け取っていく。
うさぎたちも、自然な流れで列に加わった。
「うさちゃん、どっちにする?」
「えっ」
「赤組か白組」
「えっと……じゃあ、赤」
「じゃあアタシも赤」
「なんで合わせるの」
「なんとなく」
その会話を聞いていたしおんが、ほんの少しだけ口元をやわらげる。
「では私は白にいたしましょう」
「わたくしもしおんと同じにしますわ!」
「つむちゃんは?」
うさぎに聞かれて、つむぎは少し考えたあと、そっと白い札を取った。
「……白です」
「じゃあ赤と白で、きれいに分かれたね」
みこは赤組の列へ駆けていきながら、くるっと振り向いた。
「うさ姉さまと同じ組ですっ!」
「うん、がんばろう」
「はいっ!」
その返事だけで、みこの気合いが伝わってきた。
ほどなくして、宮司が綱の前に立つ。
「皆さん、本日は追兎天神の収穫祭へようこそお越しくださいました」
さっきまでにぎやかだった境内が、すっと静かになった。
「今年は久しぶりに、奉納綱引きを行うことができました。これも、集まってくださった皆さんのおかげです」
宮司は、赤組と白組の参加者たちをゆっくり見渡す。
「勝ち負けももちろん大切ですが、なによりも大切なのは、今年の実りに感謝し、来年の幸いを願って、心をひとつに綱を引くことです」
穏やかな声が、秋の境内にやわらかく広がっていく。
「どうか最後まで、笑顔で」
その一言に、参加者たちのあいだから小さな笑いがこぼれた。
綱の両端に、赤組と白組が並ぶ。
うさぎは綱を握りしめながら、こっそり隣を見た。
みこは、やる気に満ちた目をしている。
反対側では、しおんとアリス、それからつむぎの姿も見えた。
「負けないよー!」
マリーが声を張り上げる。
「こちらもですわ!」
アリスが負けじと返す。
「では、参ります」
宮司が声を上げた。
「奉納綱引き――はじめ!」
わあっと歓声が上がり、綱が一気に張る。
「うわっ」
最初の勢いに、うさぎは思わず踏ん張った。
「うさ姉さま、がんばってくださいっ!」
「みこちゃんも、もう少し後ろ!」
「はいっ!」
「赤組ー! 引けーっ!」
マリーの声がやたら大きい。
白組のほうからは、子どもたちの元気な声と、アリスの少し高めの応援が聞こえてくる。
「しおん、もっとですわーっ!」
「アリス様も、足元にお気をつけください」
「わかっておりますわ!」
そんなやり取りまで聞こえてきて、思わず笑いそうになる。
でも、綱引きは思ったより本気だった。
少し引かれては踏ん張り、少し戻してはまた引かれる。
子どもも大人も、みんな同じ綱を握っている。
境内じゅうに声が響き、笑い声がまじり、土を踏む音が重なった。
「うさちゃん、いまいける!」
「う、うんっ!」
マリーの声に押されるようにして、うさぎも思いきり力を込めた。
その瞬間、赤組の綱が、ぐっとこちらへ動く。
「やった、いけるっ!」
「赤組、そのままですっ!」
みこの声が飛ぶ。
白組も負けてはいない。
しおんが足元を安定させ、アリスも必死に綱を握っている。つむぎも無言のまま、しっかりと力を込めていた。
それでも最後に一歩、赤組が押しきった。
わああっ、と大きな歓声が境内に広がる。
「勝ったーっ!」
真っ先に叫んだのはマリーだった。
みこも、うれしそうにその場でぴょんと跳ねる。
「やりましたっ!」
うさぎは綱から手を離して、大きく息をついた。
勝ったこともうれしい。
けれど、それ以上に、ちゃんとできたことがうれしかった。
綱引きはただの競技ではなく、本当に祭りの真ん中にあった。
赤組も白組も、みんな笑っていた。
「そういえば」
息を整えながら、うさぎは宮司のほうを見た。
「赤組が勝ちましたけど、来年はどうなるんですか?」
近くにいたマリーが、はっとしたように顔を上げる。
「あっ、それ気になる」
宮司は、にこやかに答えた。
「赤組が勝ちましたから、来年は幸運が訪れる――そう言われております」
「えっ、よかったぁ」
マリーが胸をなで下ろす。
「じゃあ白組が勝ってたら、不幸だったってこと?」
「いえいえ」
宮司は穏やかに首を横に振った。
「白組が勝っても、幸運は訪れますよ」
「えっ」
「えっ?」
うさぎとマリーの声がきれいに重なる。
その様子に、近くにいた何人かがくすっと笑った。
宮司は、赤組と白組の参加者たちを見渡してから言った。
「神様の前で、皆さんが笑顔で綱を引いたのでしょう?」
秋のやわらかな光の中で、その声はどこまでも穏やかだった。
「ならば、どちらが勝っても、よい年になります」
一瞬だけ静かになって、それから境内に、ほうっとあたたかい空気が広がった。
「それって、すごく追兎天神らしいですわね」
「勝ち負けよりも、みんなで願うことのほうが大切……ということですね」
宮司はうなずく。
「今年の収穫に感謝し、来年の幸せを願う。それがこの綱引きの、いちばん大切なところです」
うさぎは、まわりを見た。
赤組も白組も、大人も子どもも、みんな少し汗をかいて、でも楽しそうに笑っている。
その顔を見ていると、宮司の言葉がすとんと胸に落ちた。
「……そっか」
うさぎは小さくつぶやく。
「じゃあ、赤組も白組も、ちゃんと大吉ですね」
「なーんだ」
マリーが大げさに肩の力を抜いた。
「じゃあ最初から、どっちが勝っても当たりじゃん」
「そういうことですね」
しおんが少しだけ笑う。
「それ、なんだかいいですね」
つむぎがぽつりと言った。
その声は小さいけれど、不思議とよく響いた。
****
祭りのあと片づけが始まるころには、空はもう少しだけ秋の色を深くしていた。
屋台の前では、まだ名残惜しそうに話している人たちがいる。
子どもたちは綱引きのまねをして遊び、大人たちは「今年はよかったな」と笑い合っていた。
「みこちゃん」
帰り支度をしながら、うさぎが声をかける。
「今年の収穫祭、ほんとによかったね」
「はいっ」
みこは、今日いちばんみこらしい笑顔でうなずいた。
「すっごく、すっごくよかったですっ」
その隣で、アリスも嬉しそうに両手を胸の前で組む。
「わたくし、また来年も出たいですわ」
「もちろんですっ!」
「その前に、まずは今日の片づけを終えませんと」
「しおんって、こういう時だけ急に現実に戻すよねー」
「こういう時も、です」
マリーの言葉に、しおんはさらりと返す。
そのやり取りを見て、みんながまた笑った。
今年の収穫祭は、たしかに昔より少し違っていたのかもしれない。
仮装も歓迎で、仕事着の人もそのまま参加して、駅員制服のまま綱を引いた。
にゃんステップの歌もあった。
昔とまったく同じではない。
でも、だからこそ今年の追兎天神には、今の追兎天神らしい笑顔が集まっていた。
神様の前で、みんなが笑えたこと。
きっとそれが、いちばん大切だったのだろう。
石段の向こうに広がる夕方の空を見上げながら、うさぎはそっと思った。
来年もまた、こんなふうにみんなで笑えたらいい。
その願いはきっと、今日この場所にいた誰の胸の中にも、同じように残っている気がした。




