みこちゃん、教えて
その日の追兎天神駅のすみでは、また小さな歌声が響いていた。
「ふん、ふふーん」
「ふん、ふふーん♪」
アリスが歌って、みこがそのあとを追いかける。
少し前から始まった歌の練習は、思ったよりちゃんと続いていた。
「そこ、いまよかったわ」
「ほんと?」
「ええ。ちょっとだけ、みこちゃんアレンジが減った」
「それ、ほめてる?」
「半分くらいは」
「半分なんだ……」
みこはちょっとだけ口をとがらせたけれど、すぐにまた笑った。
歌うのは、やっぱり楽しい。
しかも、ちゃんと教えてくれる人がいる。
アリスは少しだけ先生ぶっていて、でもそれがなんだか似合っていた。
「でもね」
みこが、ふと思いついたように言う。
「せっかくだから、ちょっと動きながら歌ってみたいかも」
「動きながら?」
「うん。こう、ふわってして、くるってして、楽しそうなの!」
みこはその場で軽く一回転してみせる。
アリスはそれを見て、少しだけ目を丸くした。
「……歌いながら踊るの?」
「うん!」
「大変そうね」
「でも楽しいよ?」
「それは……そうかもしれないけど」
アリスは少し考えてから、小さくうなずいた。
「じゃあ、一度やってみようよ」
「ほんと、出来るかな?」
「うん。歌えるんだから、動けるはずだよ」
みこの言葉には、根拠があるのかないのかよくわからない。
でも、不思議と「まあ、なんとかなるかも」と思わせる力があった。
アリスは少しだけ息をついたあと、顎を上げる。
「……いいわ。やってみましょう」
「やった!」
みこはすっかり嬉しそうだ。
さっそく、みこが簡単な振りをつけてみせる。
「ここでね、こうやって手を上げて」
「こう?」
「うん。それから一歩前に出て」
「一歩」
「で、ちょっと跳ねる感じ!」
アリスは言われた通りにやってみた。
たしかに、動けてはいる。
全然できないわけじゃない。
姿勢もいいし、リズムも外していない。
でも――
なんだか違った。
みこが目をぱちぱちさせる。
「アリスちゃん……」
「なに?」
「なんか、ちがう」
「違う?」
アリスも自分の動きを見下ろしてみる。
「どこが?」
「えっと……きれいなんだけど」
「きれいなのね」
「うん。でも、なんていうか……」
みこは一生懸命に手を動かしながら言葉を探した。
「かわいい、じゃなくて、すごい、って感じ」
「それの何が問題なの?」
「問題ではないんだけど……ちょっとだけ、かたいかも」
「かたい?」
アリスはもう一度やってみる。
手を上げる。
一歩前に出る。
少しだけ体を動かす。
やっぱり変だった。
動きに無駄はない。
でも、かわいいというより、どこか“ちゃんとしている”。
みこがそっと言う。
「アリスちゃんって、踊れないわけじゃないんだよね」
「もちろんよ」
アリスはすぐに答えた。
「小さい頃から習っていたもの」
「そうなんだ!」
「社交ダンスだけど」
「しゃこうだんす?」
みこは首をかしげる。
「それって、どんなの?」
「こういうの」
アリスは少しだけ背筋を伸ばして、手先まで意識したきれいな動きで、くるりと回ってみせた。
たしかに上手だった。
形が整っていて、姿勢もぶれない。
動きもなめらかで、大人っぽい。
「わあ……」
みこが素直に感心する。
「すごい」
「でしょう」
アリスはちょっとだけ得意そうになる。
「だから踊れないわけじゃないの」
「うん。でも」
みこは少し困ったように笑った。
「いまやりたいのって、たぶんこれじゃない」
「……そうね」
アリスも、そこは素直に認めた。
今のはきれいだった。
でも、さっき二人で歌っていた空気とは少し違う。
「もっとこう、ぴょんってしたり」
「ぴょん」
「手をふわっとしたり」
「ふわっと」
「かわいくする感じ!」
「難しいわね……」
アリスは少しだけ眉をひそめた。
歌では自分が教える側だったのに、今は勝手が違う。
それが少しだけ悔しい。
みこはそんなアリスを見て、ぱっと顔を明るくした。
「じゃあ、今度はわたしが教えるよ」
「えっ」
「歌はアリスちゃんが教えてくれたでしょ?」
「そうね」
「だから、ダンスはわたしの番!」
アリスが少しだけ目を丸くする。
「みこちゃんが?」
「うん!」
みこは、すごくいい笑顔でうなずいた。
「だって、歌は教えてもらったもん」
「……」
「だから今度は、わたしが教える!」
その言い方がまっすぐで、アリスは少しだけ言葉に詰まった。
それから小さくそっぽを向く。
「……ま、まあ、教えられるなら聞いてあげてもいいけど」
「ほんと!?」
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるわ」
「やった……!」
みこは本当に嬉しそうだった。
その反応を見て、アリスもほんの少しだけ口元をゆるめる。
「ちゃんと教えるからね」
「お願いするわ」
「まず手!」
「手?」
「うん。アリスちゃん、きれいすぎるの」
「きれいすぎてなにが悪いの?」
「きれいすぎてもダメな時があるの!」
「そんなことあるの?」
「今日はあるの!」
みこは真剣だった。
アリスはその言い方に、思わず少しだけ笑ってしまう。
「なによ、それ」
「大事なことだよ」
「そうなの?」
「そうなの」
みこは、自分の手をひらひら動かして見せた。
「こう、もっとやわらかく」
「こう?」
「ちがう」
「早いわね」
「だってアリスちゃん、すぐきれいにしちゃうから」
「きれいなのは悪くないでしょう」
「悪くないけど、今日はかわいいのがいいの!」
その言い方がなんだか可笑しくて、アリスは少しだけ肩の力を抜いた。
「じゃあ、もう一回」
「……こう?」
「うん、さっきよりいい!」
「ほんと?」
「ほんと!」
今度はアリスが少しだけ嬉しそうな顔になる。
「じゃあ次、足!」
「忙しいわね」
「ダンスだから!」
みこは、ぴょん、と小さく跳ねてみせる。
「ここでね、ちょっと軽くするの」
「軽く?」
「アリスちゃん、そこできれいに着地しすぎるの」
「着地にきれいも何もあるの?」
「あるの!」
みこは断言した。
「もっとこう、ぽんっ、て感じ!」
「ぽんっ、ね……」
アリスは難しい顔でやってみる。
ぽんっ。
……のつもりが、やっぱりきれいだった。
みこがうーんと考え込む。
「やっぱりアリスちゃん、上手なんだけど変」
「失礼ね」
「褒めてるよ」
「たぶん褒められてないわ」
でも、少しだけ楽しかった。
歌では自分が教えていた。
今は、みこちゃんが一生懸命に教えてくれている。
それがちょっと不思議で、でも悪くない。
「もう一回!」
みこが言う。
「今度は、わたしといっしょにやってみよ?」
「いっしょに?」
「うん。見てるだけより、合わせたほうがわかりやすいから」
アリスは少しだけためらったあと、うなずく。
「……いいわ」
二人は並んで立った。
みこが歌って、軽く手を動かす。
アリスもそれに合わせる。
最初は少しずれていた。
でも、何度か繰り返すうちに、少しずつ揃っていく。
「あっ」
みこがぱっと顔を上げた。
「いま、よかった!」
「そう?」
「うん、さっきよりずっと!」
アリスも、自分の動きを思い返す。
たしかに、今のは少しだけ違った。
きれいにやろうとしすぎなかったぶん、少しだけ軽かった。
「……ほんとだ」
「でしょ!」
みこは自分のことみたいに嬉しそうだった。
アリスはそんなみこを見て、少しだけ目を細める。
「みこちゃん」
「なに?」
「教えるの、うまいのね」
「えっ」
みこがきょとんとした。
「そうかな?」
「ええ」
「えへへ……」
みこはちょっと照れたように笑う。
「だって、アリスちゃんがちゃんとやってくれるから」
「それはわたしが優秀だからよ」
「うん、それもあるかも」
「あるのよ」
アリスはすぐに言い返した。
でもその声は、さっきよりずっとやわらかい。
「じゃあ、もう一回やる?」
「やるわ」
「今度は歌いながら!」
「ええ」
静かな駅のすみで、二人はまた並ぶ。
歌って、少し動いて、またやり直して。
うまくいったり、いかなかったり。
でも、少しずつ揃っていく。
歌ではアリスちゃんが教えて、
ダンスではみこちゃんが教える。
そんなふうに、二人のあいだに新しいやり取りができ始めていた。
まだ名前なんてない。
まだ誰にも見つかっていない。
でもその時間は、たしかに少しずつ形になっていた。
歌のきれいな子と、
踊るのが楽しい子が、
今度は一緒に、動きを揃え始めただけだった。




