表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/30

最後の忘れ物

 覚えていたかった。

 彼女が、確かにそこに居たという事実を。

 この場所が彼女を受け入れたから。

 ――だけどあの日、手紙と引き換えに、彼女は消えた。



 音箱屋にも、常連はたまにいる。年月と共に、移り変わりはすれども。

 そして今日は、その常連が来ていた。

「相変わらず、どれもこれも素敵な品ねぇ。特殊な仕様じゃなければ、コレクションしたいわぁ」

「お褒めにあずかり、光栄です。ビッチェさん」

「それで、今回の依頼は?」

 お茶を出しながらスタイラがマイラの隣に座る。

 マイラはそれを見て、ビッチェという女性……に見える男性へと視線を戻した。

 そこそこ派手な出で立ちの彼は、バッグから紙に包まれた小さな何かをテーブルに出す。

「少し前まで、うちの店の常連だった女性が忘れていった……というか、置き去りにした物よぉ。開けてみて」

 言われてマイラが紙包みを手に取り、慎重に開ける。

 中には、コインが一枚。しかし、貨幣ではないようだった。

「他国のお金?」

 スタイラも不思議そうに覗き込む。

 ビッチェは肩を竦めて、首を横に振った。

「アタシも何なのか知らないのよぉ。でもその女性、お店が出来て間もない頃から飲みに来てくれてた女性でねぇ」

「思い出にしたい理由が?」

「……このコインを置いていった夜、お客が少なくて、たまたま、アタシとその女性だけの時間があったわぁ。その時にねぇ、ちょっと話をしたのよぉ。……思い出話をねぇ」

 どこか遠くを見るような目で、ビッチェは語り出す。

「アタシの店に初めて入った時の話をしたわぁ。その日は雨で、彼女は泣きながら店に入るなり、言ったのよぉ」


『ねぇ、ひときわ強いカクテルをお願い』


「アタシは心配したけど、要望に応えない訳にはいかないでしょぉ? だから、飲みやすいけど強いお酒を出したのねぇ。そうしたら、彼女、それを一気飲みしちゃってぇ」

「だ、大丈夫だったんですか? その人」

 さすがにマイラも驚いて訊いた。

 ビッチェは頷いて続ける。

「潰れはしなかったんだけどねぇ。愚痴が凄かったわぁ。自分なんか母親失格だ、とか、自分のせいで子供が不幸だ、とか、とにかく罪悪感が強くてねぇ」

「それはまた……。そう思うなら、飲んだくれている場合ではないような気もしますが」

「あらやだ、ダメよぉ。真面目なだけじゃ、大人は生きていけないんだからぁ」

 マイラを窘めるビッチェは、軽く指を振る。

「いーい? お酒に逃げる人間は、皆が皆、どうしようもない人間って訳じゃないのよぉ。賭け事にハマって借金するより、何倍もマシだわぁ」

「どうかしら。酒は人の本性を表に出すって言うじゃない? ま、その女性に関してはまだいい方だと思うけど」

 スタイラがお茶を飲みながら言う。

 確かに、酒を飲んでも嘆くだけで、暴れたり喚いたりしてはいないようだが、マイラとしては少しばかり身勝手にも思えた。

 そこは個人の意見なので、そっと心にしまっておく。

「それがきっかけで、月に数回、足を運んでくれるようになったのよぉ。それでも酔い潰れる事は無かったわねぇ。……あの日以外は」

「これを忘れた日の事ですか?」

「そうよぉ。あの日に限って珍しくカウンターで潰れちゃってぇ。閉店時間も迫ってたし、バタバタして帰しちゃったけどぉ。……このコインが、置かれてたのよぉ」

 ふっとビッチェの顔が暗くなる。

「次の日、店のドアにメモが挟まれてたのよねぇ。誰かは分からないけど、これねぇ」

 ビッチェはまた、カバンを探って紙切れを出す。

 小さな紙片には短い言葉が綴られていた。


『今までお世話になりました。このお店の事はずっと忘れません。置き去りにしたものは、好きにして下さい。ありがとうございました』


「置き去りにしたものが、このコインで間違いないんですか?」

 マイラが確認すると、ビッチェは頷いた。

「あの日、それ以外の忘れ物は無かったのよぉ。……何があったか知らないけどぉ、それから彼女、ぱったりと来なくなっちゃってねぇ」

「たまたま、では?」

「……半年前なのよぉ。この件」

 それを聞いて、マイラもスタイラも目を丸くする。そんなに前だったなら、確かに確信に繋がりそうだ。

「全然、少し前じゃ、ないじゃない」

「今日は来るかしらぁ、って待ち続けて半年よぉ。疑いようがないじゃないのぉ」

「ですが、これをオルゴールにしていいんですか? 手元にそのまま置いていた方が」

「好きにしていい、って書いてたでしょぉ? それにぃ……お金と間違えそうだからぁ」

 ため息と共に告げられた言葉に、マイラは苦笑した。確かに普通のコインにしか見えない以上、お金に混ざってしまいかねない。

「じゃあ、思い出はどれにするの?」

 スタイラに尋ねられて、ビッチェは答えた。

「そうねぇ。このコインが置き去りにされた日の、彼女と話した思い出がいいわぁ。……再婚報告をした、幸せそうな彼女の顔を思い出したいからぁ」

 それを聞いた二人は、頷いた。

「わかりました。では、そのようにお作りします」

「じゃあ、記憶を預かるわね」

 いつも通りの手順で、依頼を受ける。

 それを見届けたビッチェは手紙をしまうと、立ち上がった。

「今回はどのくらいかしらぁ?」

「そうですね、三週間ほどあれば」

「あらぁ、早い方じゃないのぉ。それじゃあ、よろしくねぇ」

 そうして、いつものように出て行く。

 彼はこれで四回目だ。たまに店でオルゴールを流しているらしい。

 客商売をしていると、どうしても忘れたくないこともあるという。

 職種は違えど、自分達も客商売ではある。だが、彼のようにはなれない。

「それにしても……不思議な話だったね」

「……ええ。さ、片付けましょ」

 マイラもスタイラも、どことなくぎこちない気分でその後を過ごしたのだった。



 少女は訊いた。

「おかあさん、どこにいくの?」

 母親は答えた。

「今よりずっと、いい所よ」

 少女は笑顔で言った。

「じゃあ、おかあさんはもう、いなくならない?」

 母親は泣きそうな顔で頷く。

「ええ。……ずっと一緒よ」

 手を繋ぐ母娘を呼ぶ声がした。

「さ、お父さんが待ってるわ」

「うん!」


 それから半年後、とある街で、一件の火事があった。

 焼け跡から、家族三人の遺体が発見された。

 出火の原因は、強い酒が煙草の火に引火したらしい。

 近所の証言で、最近はその家がいつも騒がしかったという。子供の泣き声も増えたと。

 そして、殴られた痕のある少女が、最近、煙草を買ったそうだ。

 その事件の真相はもう、誰も知らない。



 新聞を見ていたマイラは、見覚えのある写真に目を留めた。

「ねえ、スタイラ。この写真見てよ」

「何? ……あのコインに描かれてた肖像じゃない。記念硬貨?」

「みたいだね。しかも、希少価値が高いらしいよ。ちょっと勿体無い事をしてしまったね」

 新聞の片隅で『記念硬貨の価値、高騰か。隣国との和平記念に作成されたコイン、収集家が探す』と書かれており、その写真がビッチェの持ってきた物だったようだ。

「思い出といえば、なんとなーく引っかかってたのよね。ビッチェさんの見た彼女とやらの顔、喜んでいるようには見えなかったの」

「そうなの? 音は問題なかった気がするけど」

「そりゃそうよ。ビッチェさんの為の思い出だもの」

「ふうん。……でもそろそろ、数が増えてきたね。次に来たら、忠告しないと」

 普通の人間は、思い出を形にし過ぎてはいけない。記憶に齟齬が生じるからだ。

 ビッチェは次にいつ来るか分からない。だが、だからこそ、次は来て欲しくないとも思う。修理するのなら、話は別だが。

 忠告を聞いた人間が、必ずしもそれを受け入れるとは限らない。それでも、自分達には義務がある。

「あの人なら、大丈夫だと思うけどね。それでも、言わないと」

「そうね。思い出にしがみつき過ぎるのは、今を否定しているようなものだから」

 そうして今日も、音箱屋は店を開ける。



 店内に、オルゴールの音色が鳴り響く。

 カウンターに座った客の男が、ぽつりと言った。

「オルゴールを鳴らす店なんて珍しいな」

 ビッチェはグラスを磨きながら返す。

「いいでしょぉ? アタシの秘密の贔屓にしてる、オルゴール屋の商品よぉ」

 男はカクテルを頼むと、その音色を聴くように目を瞑る。

「あぁ、いい音だ。……なぁ、聞いてくれるか。実は俺、さっき、振られちまったんだよ」

 カクテルを作る手を止めずに、ビッチェが頷く。

「いいわよぉ。どうぞ、話してちょうだいな」

 男は語る。己の裡を。

 彼は聞く。客の心を。


 ――この日また、彼の店に常連が一人出来た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ