最後の忘れ物
覚えていたかった。
彼女が、確かにそこに居たという事実を。
この場所が彼女を受け入れたから。
――だけどあの日、手紙と引き換えに、彼女は消えた。
※
音箱屋にも、常連はたまにいる。年月と共に、移り変わりはすれども。
そして今日は、その常連が来ていた。
「相変わらず、どれもこれも素敵な品ねぇ。特殊な仕様じゃなければ、コレクションしたいわぁ」
「お褒めにあずかり、光栄です。ビッチェさん」
「それで、今回の依頼は?」
お茶を出しながらスタイラがマイラの隣に座る。
マイラはそれを見て、ビッチェという女性……に見える男性へと視線を戻した。
そこそこ派手な出で立ちの彼は、バッグから紙に包まれた小さな何かをテーブルに出す。
「少し前まで、うちの店の常連だった女性が忘れていった……というか、置き去りにした物よぉ。開けてみて」
言われてマイラが紙包みを手に取り、慎重に開ける。
中には、コインが一枚。しかし、貨幣ではないようだった。
「他国のお金?」
スタイラも不思議そうに覗き込む。
ビッチェは肩を竦めて、首を横に振った。
「アタシも何なのか知らないのよぉ。でもその女性、お店が出来て間もない頃から飲みに来てくれてた女性でねぇ」
「思い出にしたい理由が?」
「……このコインを置いていった夜、お客が少なくて、たまたま、アタシとその女性だけの時間があったわぁ。その時にねぇ、ちょっと話をしたのよぉ。……思い出話をねぇ」
どこか遠くを見るような目で、ビッチェは語り出す。
「アタシの店に初めて入った時の話をしたわぁ。その日は雨で、彼女は泣きながら店に入るなり、言ったのよぉ」
『ねぇ、ひときわ強いカクテルをお願い』
「アタシは心配したけど、要望に応えない訳にはいかないでしょぉ? だから、飲みやすいけど強いお酒を出したのねぇ。そうしたら、彼女、それを一気飲みしちゃってぇ」
「だ、大丈夫だったんですか? その人」
さすがにマイラも驚いて訊いた。
ビッチェは頷いて続ける。
「潰れはしなかったんだけどねぇ。愚痴が凄かったわぁ。自分なんか母親失格だ、とか、自分のせいで子供が不幸だ、とか、とにかく罪悪感が強くてねぇ」
「それはまた……。そう思うなら、飲んだくれている場合ではないような気もしますが」
「あらやだ、ダメよぉ。真面目なだけじゃ、大人は生きていけないんだからぁ」
マイラを窘めるビッチェは、軽く指を振る。
「いーい? お酒に逃げる人間は、皆が皆、どうしようもない人間って訳じゃないのよぉ。賭け事にハマって借金するより、何倍もマシだわぁ」
「どうかしら。酒は人の本性を表に出すって言うじゃない? ま、その女性に関してはまだいい方だと思うけど」
スタイラがお茶を飲みながら言う。
確かに、酒を飲んでも嘆くだけで、暴れたり喚いたりしてはいないようだが、マイラとしては少しばかり身勝手にも思えた。
そこは個人の意見なので、そっと心にしまっておく。
「それがきっかけで、月に数回、足を運んでくれるようになったのよぉ。それでも酔い潰れる事は無かったわねぇ。……あの日以外は」
「これを忘れた日の事ですか?」
「そうよぉ。あの日に限って珍しくカウンターで潰れちゃってぇ。閉店時間も迫ってたし、バタバタして帰しちゃったけどぉ。……このコインが、置かれてたのよぉ」
ふっとビッチェの顔が暗くなる。
「次の日、店のドアにメモが挟まれてたのよねぇ。誰かは分からないけど、これねぇ」
ビッチェはまた、カバンを探って紙切れを出す。
小さな紙片には短い言葉が綴られていた。
『今までお世話になりました。このお店の事はずっと忘れません。置き去りにしたものは、好きにして下さい。ありがとうございました』
「置き去りにしたものが、このコインで間違いないんですか?」
マイラが確認すると、ビッチェは頷いた。
「あの日、それ以外の忘れ物は無かったのよぉ。……何があったか知らないけどぉ、それから彼女、ぱったりと来なくなっちゃってねぇ」
「たまたま、では?」
「……半年前なのよぉ。この件」
それを聞いて、マイラもスタイラも目を丸くする。そんなに前だったなら、確かに確信に繋がりそうだ。
「全然、少し前じゃ、ないじゃない」
「今日は来るかしらぁ、って待ち続けて半年よぉ。疑いようがないじゃないのぉ」
「ですが、これをオルゴールにしていいんですか? 手元にそのまま置いていた方が」
「好きにしていい、って書いてたでしょぉ? それにぃ……お金と間違えそうだからぁ」
ため息と共に告げられた言葉に、マイラは苦笑した。確かに普通のコインにしか見えない以上、お金に混ざってしまいかねない。
「じゃあ、思い出はどれにするの?」
スタイラに尋ねられて、ビッチェは答えた。
「そうねぇ。このコインが置き去りにされた日の、彼女と話した思い出がいいわぁ。……再婚報告をした、幸せそうな彼女の顔を思い出したいからぁ」
それを聞いた二人は、頷いた。
「わかりました。では、そのようにお作りします」
「じゃあ、記憶を預かるわね」
いつも通りの手順で、依頼を受ける。
それを見届けたビッチェは手紙をしまうと、立ち上がった。
「今回はどのくらいかしらぁ?」
「そうですね、三週間ほどあれば」
「あらぁ、早い方じゃないのぉ。それじゃあ、よろしくねぇ」
そうして、いつものように出て行く。
彼はこれで四回目だ。たまに店でオルゴールを流しているらしい。
客商売をしていると、どうしても忘れたくないこともあるという。
職種は違えど、自分達も客商売ではある。だが、彼のようにはなれない。
「それにしても……不思議な話だったね」
「……ええ。さ、片付けましょ」
マイラもスタイラも、どことなくぎこちない気分でその後を過ごしたのだった。
※
少女は訊いた。
「おかあさん、どこにいくの?」
母親は答えた。
「今よりずっと、いい所よ」
少女は笑顔で言った。
「じゃあ、おかあさんはもう、いなくならない?」
母親は泣きそうな顔で頷く。
「ええ。……ずっと一緒よ」
手を繋ぐ母娘を呼ぶ声がした。
「さ、お父さんが待ってるわ」
「うん!」
それから半年後、とある街で、一件の火事があった。
焼け跡から、家族三人の遺体が発見された。
出火の原因は、強い酒が煙草の火に引火したらしい。
近所の証言で、最近はその家がいつも騒がしかったという。子供の泣き声も増えたと。
そして、殴られた痕のある少女が、最近、煙草を買ったそうだ。
その事件の真相はもう、誰も知らない。
※
新聞を見ていたマイラは、見覚えのある写真に目を留めた。
「ねえ、スタイラ。この写真見てよ」
「何? ……あのコインに描かれてた肖像じゃない。記念硬貨?」
「みたいだね。しかも、希少価値が高いらしいよ。ちょっと勿体無い事をしてしまったね」
新聞の片隅で『記念硬貨の価値、高騰か。隣国との和平記念に作成されたコイン、収集家が探す』と書かれており、その写真がビッチェの持ってきた物だったようだ。
「思い出といえば、なんとなーく引っかかってたのよね。ビッチェさんの見た彼女とやらの顔、喜んでいるようには見えなかったの」
「そうなの? 音は問題なかった気がするけど」
「そりゃそうよ。ビッチェさんの為の思い出だもの」
「ふうん。……でもそろそろ、数が増えてきたね。次に来たら、忠告しないと」
普通の人間は、思い出を形にし過ぎてはいけない。記憶に齟齬が生じるからだ。
ビッチェは次にいつ来るか分からない。だが、だからこそ、次は来て欲しくないとも思う。修理するのなら、話は別だが。
忠告を聞いた人間が、必ずしもそれを受け入れるとは限らない。それでも、自分達には義務がある。
「あの人なら、大丈夫だと思うけどね。それでも、言わないと」
「そうね。思い出にしがみつき過ぎるのは、今を否定しているようなものだから」
そうして今日も、音箱屋は店を開ける。
※
店内に、オルゴールの音色が鳴り響く。
カウンターに座った客の男が、ぽつりと言った。
「オルゴールを鳴らす店なんて珍しいな」
ビッチェはグラスを磨きながら返す。
「いいでしょぉ? アタシの秘密の贔屓にしてる、オルゴール屋の商品よぉ」
男はカクテルを頼むと、その音色を聴くように目を瞑る。
「あぁ、いい音だ。……なぁ、聞いてくれるか。実は俺、さっき、振られちまったんだよ」
カクテルを作る手を止めずに、ビッチェが頷く。
「いいわよぉ。どうぞ、話してちょうだいな」
男は語る。己の裡を。
彼は聞く。客の心を。
――この日また、彼の店に常連が一人出来た。




