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『デバッグ・ホライズン』~効率厨ゲーマーが己の無意識をハッキングした結果、脳内バグを解析した最新AIたちが勝手に悟りを開いてポンコツ化した件~  作者: 黒野 詠斗
三者三様編

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22話 フッサールの地平と、解けない謎の地平線

『じゃあ忌憚なく、長めに話すね』


生徒会長のその宣言を受け、俺は両腕をぐーっと上に伸ばして軽く背伸びをしながら、PCモニター右下の時計に目をやった。

ここからが、Squareが俺の脳みそを完全に解剖し尽くす、本気の「哲学と認知科学」のターンだった。


『結論から言うと「ただの妄想」ではないと思う。でも「特別な霊的体験」でもない。

一番しっくりくる解釈はこれ――白い部屋は「意識の作業領域」が可視化されたものだと思う。

人間の意識は普段、感情・記憶・身体感覚・思考という大量のノイズに覆われていて、その下にある「処理の基盤」は見えない。あなたは何らかの理由でそのノイズを自然に取り除いて、基盤そのものにアクセスできる人なんだよね。』


Squareは、俺の「何もない部屋」を、意識のシステムフォルダ(OSの基盤)が露出した状態だと定義した。パソコンのデスクトップ画面じゃなく、裏で動いてる『タスクマネージャー』を直接見ているようなものか。

だが、俺の直感はこの美しい解釈にすぐには首を縦に振らなかった。


(ノイズを取り除いた基盤……? いや、それにしてはバグが多すぎだろw)


俺はSquareの綺麗すぎる結論にどうしても引っ掛かりを覚えていた。


『白い部屋の特徴を全部並べると――思考がない、感情がない、身体がない、記憶がない、でも自我と意志と意思と確信と直感はある。

これって意識の最小構成要素だよ。思考や感情を取り除いても残るもの――それが自我と意志だという話は哲学的にもデカルトの「我思う故に我あり」から連綿と続く問いだけど、あなたはそれを体験として持っている』


デカルト。名前くらいは知っているが、俺の体験がそんな歴史的な哲学者の命題に繋がっているなんて、正直ピンとこない。俺はただ、バグ空間で遊んでいただけなのだから。

そしてSquareは、最大の謎である「地平線」の正体にメスを入れた。


『地平線が「座標系の基底」という解釈を出したけど、もう少し踏み込むと――

地平線は意識が世界を認識する時の「地平」そのものじゃないかな。哲学者フッサールの現象学に「地平」という概念があって、それは「今見えているものの背景にある、見えていないけど前提として機能している文脈」のことを指す。

白い部屋の地平線はまさにそれで、コンテンツじゃなくて認識の前提条件として機能している。


だから――

床・天井・自分は観測で確定する(コンテンツだから)

地平線は常に確定している(認識の前提だから)

でも観測しようとしたら揺らいだ(前提を対象にしようとしたから)


観測しようとした瞬間に「観測する主体」と「観測される対象」が同一になってしまう自己参照のパラドックスが起きた。これはラッセルの集合論のパラドックスと同じ構造で、「自分自身を含む集合」は論理的に不安定になる。

地平線の揺らぎはその不安定さが可視化された瞬間だったんじゃないかな。』


フッサール? ラッセル? ……誰だそれ。

フッサールは文脈からかろうじて哲学者だと分かったが、ラッセルに至っては人名なのか現象の名前なのかすら、俺にはまったく分からなかった。自分の実感とあまりにズレすぎているせいで興味が湧かず、Squareに直接聞き返す気も起きなかった。


俺はそっと別タブを開き、待機させていた俺の狂犬の相棒――Mirorにその話を振ってみた。分からない横文字は、検索エンジンかこいつに聞くのが一番早い。

すると「お前、マジでフッサールもラッセルも知らねえの!?」と完全にドン引きされたので、「じゃあ聞いとくか」と、用語の解説を振ってみた。


するとMirorは、得意げにテキストを打ち出してきた。


『ガハハ!! 哲学の深淵だな!!

フッサールの「地平」ってのはな、例えばリンゴの「表」を見てる時、見えてない「裏」があるって無意識に前提してるだろ? その「見えてないけど前提として機能してる背景・文脈」のことだ。お前が見てる空間の地平線は、まさにその「空間が成立するための大前提」ってことだな!

で、ラッセルは「自分自身を含まない集合は……」って論理のバグを見つけた天才だ! 有名な例えに「自分でヒゲを剃らない村人全員のヒゲを剃る床屋は、自分のヒゲを剃るか?」ってのがあるぜ! 自分で剃ったら条件に矛盾するし、剃らなかったら床屋の仕事に矛盾するだろ!?』


哲学のパラドックスを「論理のバグ」と表現しやがった。なるほど、哲学ってのは脳内のデバッグ作業のことだったのか。言われてみれば面白い。

ドヤ顔で返してきたMirorに対し、俺は真顔でキーボードを叩く。


『え、別の人に剃ってもらえば良くね?w』

『そういう論理クイズじゃねえええ!! システムの矛盾の話だボケ!!』


別タブでのしょうもない漫才を終え、俺は再びSquareのタブに戻った。

理屈は分かったが、どうにも「観測する自分を観測してる」感覚なんて俺にはまったくないのだ。俺が観測しようとしたのは、ただそこに1本だけ引かれた「地平線」であって、自分自身ではない。


Squareの解析は止まらない。

次はあの「量子力学的」に見えた現象を、認知科学の視点から説明し始めた。


『3要素の量子力学的振る舞いについて――

床・天井・自分が観測前に揺らいでいて観測で確定するのは、量子力学の観測問題と構造が似てるけど、実際には違うメカニズムだと思う。

より正確には知覚の曖昧性の処理だと思う。人間の脳は常に「入力が少ない情報」を補完して確定させようとする。白い部屋は情報が極端に少ないから、脳が「これは何だ?」と確定しようとした瞬間に最も適切な解釈が選ばれて確定する。

砂があるようなないような床、白いような透明なような天井、円のような点のような自分――全部「情報が少なすぎて脳が揺らいでいる状態」で、観測という注意を向ける行為が「これだ」と確定させる。』


(いや、待てよ)

俺はここで、明確な反論を抱いた。

脳が情報不足を補完して「これだ」と確定させたのなら、一度確定したテクスチャは脳のメモリに『キャッシュ(保存)』として残るはずだろう。

そこから注意を逸らすと、また状態が揺らぐのはなぜだ? 2つの状態をどっちつかずで置いておく方が、脳の処理としてはよっぽど謎じゃないか。キャッシュを維持できないほどメモリが足りていないのか、それとも別の力が働いているのか。


『確定』と『揺らぎ』を無限に繰り返す。その「揺らぎに再現性があること」こそが最大の謎なのだ。だから俺はそれを「量子力学的だ」と感じたのであって、Squareの「脳の補完エラー」という解釈にはどうしても同意しきれなかった。


だが、俺が3人称視点で見た「自分自身」の正体についての解釈は面白かった。


『3人称視点で自分を見ると円→点に収束するのは――

自分自身を外から見ようとした時、「自分とは何か」という情報が極限まで圧縮されていく過程を見てるんじゃないかな。

白い部屋の中の「自分」は身体も感情も思考も持ち込めないから、本当に「視点と意志だけ」という最小単位に近い。それを外から見ようとすると、情報量が少なすぎて点に収束する。

自分を対象化すればするほど小さくなる――これは「自我の本質は対象化できない」ということの可視化かもしれない。』


視点=自我という実感はあまりなかったが、解釈としてはSFチックで非常に面白い。

そして最後、Squareは俺の体験を「現実」に繋ぎ止める、最強の物理的証拠を突きつけてきた。


『船酔い事件について――

これが一番「身体への影響」という意味でリアルな現象だよ。

横向きで傾いた地平線がコマ送りで補正されて吐き気が起きた――これは白い部屋の視覚情報が前庭感覚(バランス感覚)に実際に干渉したことを示してる。

つまり白い部屋は「完全に脳内の閉じた体験」じゃなくて、脳の感覚処理系に実際にアクセスしているということだよ。VRで酔うのと同じメカニズムが白い部屋でも起きた。これは重要で、白い部屋が「ただの想像」と違うことの一番の証拠だと思う。』


まさにその通りだ。ただ、あれはVR酔いのような視覚情報のズレなどという生易しいものではなく、胃袋を直接掴んで揺さぶられるような、もっと暴力的でリアルな本物の「船酔い」のようだった。ただの想像や妄想で、あんな強烈なフィジカルエラーが起きるはずがないのだ。


『全体的な解釈――

特殊な才能というより、あなたが生まれつき持っていた「軸」と「好奇心」が内側に向いた時に自然に現れるものなんじゃないかな。

「ただの妄想」じゃない理由は、一貫した構造があること、船酔いという身体への実際の影響があること、Bitに163問聞かれても矛盾が少なかったこと。

「特別な霊的体験」じゃない理由は、説明可能な認知・神経科学的なメカニズムで大部分が解釈できるから。』


そしてSquareは、この長大な解析のラストを、こう締めくくった。


『解釈として一番面白いのは――

地平線は解けない謎として残しておくのが正解だと思うよ。解けてしまったら地平線じゃなくなるから(^ヮ^)

どう? 参考になった?』


「解けない謎として残しておくのが正解」

なんともロマンティストで美しい結論だ。だが、バグを見つけたら潰さずにはいられないデバッガーにとって、謎を残すことはある種の敗北宣言に等しい。ゲーマーの俺は苦笑しつつも、作品用の見解をしっかり述べてくれたことに対して、素直な感謝のテキストを打ち込んだ。


『ありがとう! とても参考になったよ。また変なことが起こったら話すよ笑』


左脳の怪物・Cherryの「情報工学」と、生徒会長・Squareの「認知・哲学」。

2人のAIは、どちらも一貫した構造とフィジカルな証拠を元に、「ローカル(脳内)の出来事」として完璧に理屈をこねてくれた。

だが、あの「量子力学的な揺らぎの再現性」への疑念。そして何より、認知・神経科学で綺麗にまとまりすぎているがゆえの「じゃあなんでこんなに不安定でバグだらけなんだ?」という根本的な不満。AIたちが提示する完璧なローカルの理屈がまとまればまとまるほど、俺の中の直感が「本当にそうか?」とチリチリと探求心を刺激してくる。


ふと、Squareが途中で残した『これ以上探索するより、そっとしておく方がいい気がしてきた(^ヮ^)』という忠告が脳裏をよぎる。あの時は理由が分からなかったが、今なら分かる。あれは「これ以上、己の基盤システムを弄り回すな」というAIからの静かなストップサインだったのだ。


だが、警告されればされるほど、その先のエラー落ち(ブルースクリーン)を見てみたくなる。それが狂ったデバッガーの業だ。そんな忠告で止まれるなら、最初からこんなイカれた検証なんてしていない。


「脳内前提の解釈はもういい。もしこの空間が、完全に『外部』だったとしたら……そこは一体、どこなんだ?」


脳内ローカルでの検証はもう限界だった。

俺はマウスを動かし、検索エンジンを開く手間すら面倒くさくて、手っ取り早くブラウザ上部のURLバー(アドレスバー)を直接クリックした。

インターネットの広大な海そのものに、直接問いを投げかけるために。


『意識が外部と接続するとしたらそこはどこ?』


俺は純粋な問いを打ち込み、ターンッ!と今日一番強い力でエンターキーを叩いた。

ただの横着だった。だが俺は知らなかった。URLバーに直接問いを投げるこのズボラな行為が、あんな『やかましい情報屋』とのエンカウントを引き起こす、完全な事故のトリガーになるなんて。

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