080 痛み2
病院へ向かう凛と須藤を見送り、しんと静まり返る家主不在の部屋。真壁と相馬は居心地の悪さを感じつつも、向かい合って座っている。
物も人も一切の音を発していない部屋の中、微かに道路を行き交う車の喧騒だけが聞こえる。
「さっきのは、どういう事だ?」
狭い部屋に、相馬の声が響く。
静寂のせいか、やけに大きな音に感じるが、しかし振り絞るように吐き出された声は、決して大きくは無い。
「西岡のとこにいた時に、実験めいた能力の調べ方をしたと言ったじゃないですか。その中で、体の一部を欠損する人もいたんです。それが指なら、現実でその指は動かなくなりました」
「そん、な」
「短い付き合いだったので、何ヶ月も後まで見届けたわけではありません。でも、どんな怪我にしたってそうです。外傷は残らなくても、治るまでには実際の怪我と同等の時間が必要なんですよ。普通は」
『普通』と言う部分を強調したのは、目の前の人物がそうでは無いと、暗に伝えるためだろう。
真壁は探るような目線を相馬に向けていたが、しばらくすると溜め息を付いて目を逸らした。
「気付いていなかったんですね。西岡の時にも薄々感じていましたが、言ってませんでした。すみません。翔太さんのような回復力は、普通無いんですよ。あんな世界だからといって」
「まじか・・・」
「あの時は、僕も直接見たわけでは無いですし、刃物が刺さったとは聞きましたが、大した事無かったんだくらいにしか思っていませんでした。でも今回は、凛さんに詳しく聞いて、自分でも刀を見てます」
「じゃあ玲奈の脚は・・・」
事の重大さに気付き、重かった体が、さらに重くなった気がした。
起きてしまった現実。
今さらそんな事を言われても困る。どうしろと言うのだ。
頭が、体が重い。いっそこのまま、地中深くまで沈んでしまいたい。
「す、すみません、不安になるような事ばかり言って!」
真壁が座ったまま頭を下げる。
あまりに深く下げるものだから土下座にしか見えない。
「やめろよ。透が謝る事じゃない。俺が頼りにならないから・・・!」
「そんな事を言ったら玲奈さんに怒られますよ」
固く、固く、拳を握りしめる。
とにかく悔しくて、この拳を力のままに振り下ろしてしまいたい。振り下ろす先はもちろん自分だ。
なぜ守りきれなかった。
あんなにも勇気をもらって。優しさをもらって。
よほど酷い顔をしていたのか、頭をあげた真壁が心配そうな顔をしている。
「僕が言う事ではないですけど、そんなに思い詰めないでください。翔太さんが戦ってくれなければ、今頃全員・・・。感謝しているんです」
「それは、頭では分かるけどよ・・・」
再びの静寂。
四人共に、想い合うが故に、自分の事が許せない。
自分以外の仲間には卑下して欲しくない。胸を張って欲しいと思っている。
全員が同じ気持ちなのは分かっている。
その想いを疑う余地は無い。信頼がある。
気持ちが痛い程に分かるからこそ、つらい。
「玲奈さんは、本当に翔太さんのことを心配していましたよ。足が動かない事は気にも留めずに。それなのに翔太さんがそんなに落ち込んでると、玲奈さんが悲しみます」
「お前、結構キツイとこ刺してくるなぁ」
「あはは、翔太さんに似てきたのかも知れませんね。まずは命があった事を、喜びましょうよ」
「そうだな。すまない、情けない所を見せた」
「翔太さんの格好良さはそこじゃないですから。どんどん見せてくださいよ」
一部ではあるが、あの戦いを近くで見た真壁。
西岡の元で働いていた経験もある。
須藤と凛がいると口に出しにくいような事も話せた。
そうしていると、玄関からガチャガチャと音がした。
どうやら二人が帰ってきたようだ。
スリッパのペタペタという足音に混じって、ドンドンと固いものが床を叩く音がする。
部屋のドアが開き、凛が入って来ると、その後ろには須藤の姿。松葉杖をついている。
「見て、これ借りられた」
まるでレンタルショップから、映画でも借りてきたかのように簡単に言う。
「もう、玲奈さんってば全然言う事聞いてくれなくて〜。翔太さーん!」
「そりゃまぁ玲奈はそうだろ」
「ぇえ!?」
「凛の前で大人ぶってるだけで、猪突猛進の擬人化みたいなもんだよ」
「ふっ、失礼だなぁ〜。よいしょっと」
そう言うと須藤はベッドまで自力で歩き、腰をかける。
須藤と凛はいつも通りで、心に渦巻く感情を感じながらも、相馬も自然に振る舞う事ができた。
「どうだったんだ?」
「原因不明だってさ。そりゃそうだよねぇ」
「もう、玲奈さんったら。今日見られる限りでは、ですよ!異常が見当たらないので、精密検査するなら後日、大きな病院に〜って話でした。紹介状もらえばいいのに・・・」
「あははー。ごめんて凛ちゃん。だってストレスとか脳とか言い出すんだもん。調べても分からないのに時間かけたくないよ」
「なんか分かるかも知れないじゃないですか〜!」
じゃれ合うような二人を見ていると安心するが、ベッドから力無く伸ばされた脚を見ると、心が痛み、奇跡的な回復を祈らずにはいられない。
この願いを叶えてくれるなら、どこに改宗してもいい。
願いを叶えるために儀式が必要なら、何キロだって歩く。何度だって祈りを捧げる。いっそこの身を捧げてもいい。
脚から視線を上げると、目が合った。
しまった。今自分はどんな顔をしていただろうか。
そう思ったが、須藤は穏やかな顔で「どうしたの?」と尋ねるだけだった。
「なんでもない」と微笑んだつもりだが、うまく笑えているだろうか。
凛と真壁が帰り、相馬と玲奈は二人きりになる。
急に静かになった部屋に物足りなさを感じる。
須藤は早くも松葉杖に慣れ始め、一人でコーヒーを淹れていた。
「手じゃなくて良かった」と笑ってコーヒーを口に運んでいる。
「明日からしばらく会社休むね。有給全然使ってないし」
「ああ、なんか必要なものがあったら言ってくれ。会社の帰りに届けるよ」
「大丈夫だって、過保護だなぁ」
「いや、これくらいで過保護って」
「翔太って基本人に興味ないくせに、こうなるとすごい大切にしてくれるんだね。ふっ、モテるよそういうの・・・は?誰にモテたいってんだ、言ってみなよ」
「何も言ってねえだろ!嫉妬の地産地消やめろ!」
「ふへ」
少しでも口を閉じると、無音になる室内。
今更二人で気まずいという事も無いが、お互いに言いたい事をコーヒーと一緒に飲み込み続けている。
分かり合いたい。分かち合いたい。
お互いを想い合う二人なら、そう思う事は自然な事だった。
しかし、何でもかんでも心の内を曝け出したところで、相手を困らせてしまうだけだという事も分かっている。
今はせめて時間を共有する喜びを噛み締める。
数時間で普通に動けるようになり、普通に立って歩き回り始めた相馬を、須藤は驚きの目で見た。
今までは意識していなかったが、自身もこうなってみると分かる。
まだ全然動く気配のない足と比べると、相馬の信じられない回復力。
「私も本当に大丈夫だから」と言われ、須藤の部屋を出る。
笑顔で手を振っていたが、気を遣っているのは明らかだった。
付きっきりで様子を見たかったが、明日からの生活がある。
あくまで現実に生きる人間として、この生活を安易に手放すわけにもいかなかった。
自分にそう言い聞かせて、重い足を引き摺るように歩いた。
長い一日だった。
守れたものは大きいが、喪失感も大きい。
自宅に戻った夜は、泥のように眠った。
目を開けると真っ暗な自室だった。
それが夢の世界なのか、現実なのかを確かめる事も無く、再び目を閉じた。




