051 コロッセウム3
「翔太!逃げて!」
「玲奈さんだめっ!!」
相馬の元に駆けつけようとした須藤の腕を、凛が必死に引っ張って引き戻す。
その直後、須藤が踏み出そうとした地面に突き刺さるナイフ。
西岡が自身で投げたナイフを拾い、投げつけていた。
「チッ。君達は後でゆっくり相手をしてやる。そこで見ておけ。私の勇姿を見て、もう一度忠誠を誓うというなら、遊び道具くらいにはしてやる」
「おい!何やってんだお前!女に平気で暴力とは小せえ野郎だな。モテねえだろあんた」
「ぁあ!?なんと言った!?」
あえて怒りを煽り注目を向けさせる。
跳びかかる事ができず、姑息な手段になってしまったが効果はあったようだ。
見るからにこちらに敵意を向け、血走った目を向けてくる。
「小せえ男って言ったんだよ」
西岡は地面を踏み締めながら近付いてくる。
自分の手の届く範囲まで来ると、技術も何も無い乱暴な横殴り。
「つっ!」
腕で受け止めるも、予想以上の衝撃と痛み。
数メートル飛ばされて再び地面に転がる。
伊藤が「コートの男と戦えるのは社長くらいだ」と言っていた事を思い出す。大袈裟だと気にも留めていなかったが、今の一撃を喰らった瞬間、脳裏にあの男がよぎった。
(くそっ、マジであれと同レベルってことか!?)
急いで立ち上がり、近付いてくる敵に備えて構えを取る。
大きく息を吐き、呼吸を整える。
得意の機動力は使い物にならない。血が流れ、足を伝って落ちて行くのが分かる。
西岡は相馬の構えを警戒せずに近付いてきて、拳を大きく振りかぶって叩きつけてくる。
カウンター狙いの構えだったはずだったが、危険を察知してガードに切り替える。
再び腕に衝撃が走り、地面に倒れていた。
(カウンターはダメだ。あれをノーガードで食らったら俺が先に倒れる!)
急いで立ち上がると、再び歩み寄って来る西岡。
そして同じ事の繰り返し。
殴る。
倒れる。
殴る。
倒れる。
「がはっ・・・はぁ、はぁ」
足が勝手に震え、大して体を動かしているわけでもないのに息が上がる。
何度も敵の拳を防いだ腕は感覚が無くなり、持ち上げるのも辛い。
呼吸を整えようと息を吸うと、口の中いっぱいに血の味が広がって気分が悪い。
「呆れたぞ相馬。貴様はその程度で、私に歯向かって来たのか。雑魚が」
「はっ、もう勝った気か?あんなせこい真似して、よくそんなに勝ち誇れるもんだなぁ」
「お前はいちいち勘に障る。負け惜しみは結構だが状況は分かっているか?」
大きく拳を振りかぶる西岡。もう何度目だろうか、とっさに頭を守るようガードを上げた。
しかし、衝撃が訪れたのは下半身、傷口に西岡の蹴りがめり込んでいた。
「―――――!!」
もはや声にもならない激痛。呼吸が難しい。
思わずその場に膝をつく。
「翔太ぁ!!」
遠くから須藤の声が聞こえる。
心配ばかりかけて申し訳ないが、名前を呼ばれる度に、飛びかけた意識が戻って来るのでありがたい。
飛び出してこないように手で制止すると、凛が須藤を後から抱くように、引き留めてくれているのが見えた。
「本当に君は愛されているようだな。君を失った後、彼女を屈服させるのが楽しみで仕方がないよ」
「くそがっ・・・」
悔しい。悔しい。悔しい。
地面に着いた手に無意識に力がこもる。指は爪が剥がれそうになるほど地面に食い込んでいく。
「いや待てよ。君の前で屈服させる方が私の溜飲も下がるというものか。はっは!待っていたまえ!」
くるりと背中を見せ、須藤達の方へ歩いて行く。
「待て!おい!西岡ぁ!」
力の限り張り上げた声も無視される。手を伸ばしても届かない。
表情は見えないが、きっと嗜虐的な笑みを浮かべているだろう。
早く、早く動けと自分の脚に祈るが、さっき蹴られてから痺れ以外の感覚が無い。
(逃げろ!逃げろ!逃げてくれ!)
祈るような気持ちで顔を上げると須藤と目が合った気がした。
そこそこある距離、ぼやけた視界。本当に目が合っているかは分からないが、そんな気になった。
いつもなら数秒で届く距離、今は随分と遠く感じる。
そこではっと気付く。
(そうだー、本当はすぐ隣にいる)
思い出した瞬間、背中に温もりを感じた。
目を閉じて、意識を集中させる。
(錯覚・・・じゃない。これは現実の感覚?そうだ、本当の体はここにはない。傷付いていない。それどころかー)
体が少し軽くなった気がした。
この前も、夢で負った痛みは現実にも引きずったが、外傷は無かった。
脳が痛みを引き継いだが、体は傷を引き継がなかった。
息を深く吸って更に集中する。
今いるはずの現実の感覚。本当の自分の体を意識する。
背中に感じる体温と柔らかな感触。後ろから回された細い腕の感触と自分以外の匂い。
信頼できる人と共有している体温。
(そうだ、こんなにも温かい)
目を開き、立ち上がる。今度は難なく体が動いた。
そのまま駆け、跳んだ。
あと数歩で、目的にたどり着いたはずの西岡の体が大きく歪んで、倒れた。
相馬が後ろから蹴りを入れたのだ。刺されたはずの方の脚で。
「きっ、さまっ・・・!」
恨み言を吐いているが無視をして、ダグアウトの中の須藤に微笑みかける。
「マジ助かった。ありがとうな」
「大丈夫なの!?ありがとうって何が・・・」
「それは戻ったら話すよ。とりあえずもう大丈夫だから、待ってて」
西岡が立ち上がったのを確認し、途中で会話を打ち切って拳を向けて構える。
「相馬ァ!なんで復活してんだよっ!黙ってやられとけよ!」
「悪いな。元気いっぱいだ」
「お前なんぞぶっ壊してやる!」
大きく腕を開き、掴みかかって来る横をすり抜け、背後に回る。
太い腕を両手で掴み、力の限り客席めがけて投げ飛ばした。
座席は大きな体を叩きつけられ、硬いものが割れる音と共に、砕け散った破片を撒き散らした。
クッション性の無い座席は、容赦のないダメージを与えたようで、なかなか起き上がれず苦悶の声を漏らしている。
追うように客席に跳び上がり、西岡の前に立つ。
「さぁ、攻守交代だな」
「くっ、俺を見下すなぁぁぁぁ!!」
西岡は勢いよく立ち上がり、拳を振るうが、相馬は難なく躱わす。
傷は痛々しく残って見えるが、痛みはない。
軽く後ろに跳んで十分な距離を取って構える。
ふいに下のグラウンドから声をかけられる。ダグアウトから二人が出て来ていた。
「長谷川さんに気を付けてください!何か色々と用意していました!」
「刃物もまだあると思う!」
「おいおいマジかよ、お前らも気を付けて!」
ぐるりと客席を見るが、階段状になっている万を越える椅子。死角はそこらじゅうにある。西岡を相手にしながら見つけるのは難しい。
「お前らはグラウンドに!客席から離れておいて!」
「わかった!」
走り去って行く二人を見て少し安心する。意味が通じたようだ。
グラウンドの中央まで行けば、客席から何か投げられても届かないはず。長谷川が機会を伺っているとしたら、逃げ場の無いダグアウトに戻すわけにはいかない。
(あの女も大概外道だな!)
客席は足場が狭く、立ち回りが難しい。しかも死角だらけで2対1となるとかなり分が悪い。長谷川に戦闘能力が無いとしても、さっきと同じように刃物を使われたら脅威だ。
(今はとにかく、西岡にできるだけ近付いておく!)
近くに仲間がいれば下手に刃物は使えないだろうという判断。怪力自慢に接近戦なんて仕掛けたくは無いが、仕方がない。
一歩踏み出し懐に潜り込む。




