3話
駅前の映画館で映画を見終えた後、感想を言い合う赤城先輩と車田の言葉をBGMにアーケードにある喫茶店へ来ていた。
興奮気味に話す二人に彼女は圧倒されているようだったが、私はそうではなかった。
我々が見ていた映画は「ロメロとジュリエッタ」。千六百年前後に作られたと言われている誰もが知っている戯曲を現代風にアレンジしていたのだが非常によくできていた。
貴族間のお家事情に起因する悲劇を描いた戯曲を、現代の企業間紛争に置き換え、コメディタッチの演出を用いながら愛する二人のハッピーエンドとして描いており、クリスマスに男女で見るのにふさわしい内容となっていた。
当然それを見越してこの映画を選んだのだから内容に文句などあるはずはない。
喫茶店につくまで感想を言わずに聞き側に回っていたのは他でもない、自身の悪癖を理解してのことだった。
我々の所属している映画研究会は「映画」を「研究」と言いつつも実態は、週に一度持ち回りで自分のおすすめする映画を紹介しあうだけの集まりである。
担当者が持ってきたDVDを安物のプロジェクターで再生し、互いに感想を言い合う。
「研究」などするつもりは一切なく、面白い映画を週に一回見ることを目的とするお遊びサークルなのである。
当然、映画オタの長すぎてまとまりのない、豆知識と偏見のつまった素人評論など、誰も聞きたくなどないのである。
ここまで書けば理解していただけると思うが、私は冗長で面白味のない映画評論をしてしまう癖があり、それによって何度か。いや、何度も研究会内で失敗しているのだ。
しかしそれも、一年生の頃の話。今では人と時を選んで発言するようにしており、研究会内でやらかすことはなくなった。
しかし、中途半端に我慢したのがよくなかったのだろう。喫茶店の席に着くなり、コーヒーに口をつけることなく、私の悪癖は発動してしまった。
「ルネッサンス末期に作られた原作を、上手に現代風にアレンジできていたなと感じたな。そもそも、ルネッサンスって言う時代自体が、中世的、純キリスト教的価値観の否定が……家と家っていう現代では失われつつある価値観を企業間紛争って言うイメージしやすい世界に置き換えて……ラストはハッピーエンドにしたことはちょっと好みではないんだけど……舞台っていう特殊空間だからこそ許されるセリフ回しを、手紙っていう直接言わないからこそくさい言い回しもしやすい……原作の戯曲自体が原典が複数あるって言われていて……散文的で詩的な言い回しの……みんなが知ってる物語だからこそ……コメディタッチなのも……」
気持ちよく話している私の足を車田が踏みつけようやく我に返った。
苦笑いをする赤城先輩の顔が目に入ると私の顔は真っ赤になり、彼女の顔を見ることもできない。
「赤城先輩としては久しぶりになりますかね。僕はこの前ノンストップで三十分以上話すのを聞いていまし
たから、想像の範囲内でしたけどね」
「明らかに盛りすぎだろ。その時間は」
十分……長くても二十分くらいだったはずだ。
「まあ、映画研究会の集まりだからね。いろんな意見を聞けるのは楽しいし。うん、悪くないと思ったよ」
「そうですよ。勉強になりました」
フォローの言葉に追い打ちをかけられ、ボロボロになった私は気分を入れ替えるため、トイレに行くと早口で言い、その場を離れた。
やってしまった。やってしまった。やってしまった。わかっていたはずだった。理解もしていた。
やってしまったことは仕方ないなどと、開き直れる精神力があるならそもそもこんな陰鬱な大学生活など送っていなかっただろう。
しかし、なぜ今日なのだろう。彼女の前であんな真似を。考えれば考えるほど思考は暗闇の中を漂い、先のない底を求めて落ちていく。
洗う必要のない手を冷水でごしごしと洗いながら、開き直りと後悔の往復を幾度か繰り返した時、誰もいないトイレから笑い声が聞こえてきた。
「きゃー、きゃっきゃっきゃ。お兄さん、もうそれくらいにしてくれよう。ボクそんなに鏡の前で百面相されたんじゃ、笑いをこらえるのなんて無理だよ」
「うわっ、誰だ!」
喫茶店のトイレは、喫茶店のシックな雰囲気をそのままトイレに閉じ込めたようなオシャレな内装で、洗面台の時点でカギをかけることのできる個室となっている。
人がいないことを確認したからこそ、自分のやらかしを全力で悔やむことができていたのだが、人がいるとなると話は別である。
鏡に背を向け個室内を見渡すのだが人の気配はない。
「おい、いるのなら出てきてくれ」
「きゃはは」
笑鏡しかないはずの後ろから笑い声が聞こえてきて、すぐさま振り返ると、羽の生えた手のひら大の小人がいた。
「うわっ!」
急いで距離を取るものの、狭いトイレでは十分な距離など取れず、すぐに背中が壁についてしまう。
「きゃはははは、あー、君はどこまで笑わせれば気が済むんだ」
「なんなんだ、お前は」
「ボク?ボクは妖精のパックだよ」
「羽虫のような見た目のくせして」
「なんてことを言うんだ!こんなにかわいい虫がいてたまるものか」
確かに、よくよく見てみると西洋風のかわいい男の子に見えなくもない。とうとう独り身をこじらせ、幻
覚を見だしたのかとも思ったが、飛び回るパックに毒気を抜かれ、逆に落ち着いてしまった。
「悪かった、怒るな怒るな。それで、その妖精がどうしてこんなところにいるんだ」
「まあ、わかればいいや……普段は青葉山の奥深くに籠っているんだけれど、この時期になると人が面白いからね、こうやって森から降りてくるんだよ」
「人が面白い?」
私が疑問を口にすると、食い気味にパックは話してきた。
「そうだよ、面白い。この時期になると人は忙しなく動き回って、体より心が寒いだの、永遠の愛を誓ってみたりだの、頭のわいたような言葉を話しながら、連れ合いを求めて動き出す。極めつけはあの光のトンネルだ。足元がおろそかになって馬鹿なことを言いだす二人組があまりに多いものだから、別れさせて回っていたんだよ」
「趣味の悪いことをする」
パックの話によると、光のページェントを二人で見るとその次の年に分かれる。なんて迷信じみた話も本当なのかもしれない。
……いけない、いけない。喫茶店のトイレで、妖精と話す男など危険人物に他ならない。適当に話を切り
上げて、席に戻らねば。
「趣味が悪いだなんて、オベロン様と同じことをいうんだから」
「オベロン様?」
「僕らの王様だよ。その王様にいたずらが過ぎると怒られちゃってね。数年前から縁結びなんてガラじゃないことをやらされているんだよ」
「縁結び?」
なんだかまあ、胡散臭い話だ。
「そうだよ。ピンク色の電飾の話を聞いたことはないかい?あれはボクが色をつけて回っているんだ。例年一つか二つつけたらそれでお役御免なんだけれど、今年はなぜだかつけた先から消されてしまってね。毎日いたちごっこを続ける日々だよ」
永遠の愛が約束されるという、伝説のピンク色の電飾。私にもそれさえあれば……
ああ、何を考えているんだ。そもそも、私はあの手のくだらない都市伝説というものには否定的なのだ。
吹いて消えてしまいそうなくだらない夢物語ではなく、恋愛とはこう、もっときれいで崇高なものなのではないだろうか。
性欲の名前を付け替えただけだと言う人もいるがそれでは何ともサミシイではないか。
くだらない、妄想はさておいて、私は自らの行動で彼女に私を好きだと感じてもらうことこそ常道というもの。
一時の気の迷いでよくわからない存在に頼り切るのは男として、いや漢としてどうなのだろうか。
「君にはたくさん笑わせてもらったからね。縁結びの一つや二つ手伝ってあげてもいいよ」
当然私の返しは決まっている。
「お願いします」
せめて、今日のマイナス分を取り返したいと思うことは男としても許されるのではないだろうか。
「話していた女の子のことが好きなんだよね。じゃあ、任せておいて」
それだけ言うと、パックは目の前から消えてしまった。
消えてしまうと、現実感のない話だった気がしてきた。
結局、独り身の苦しさから生み出した幻覚にすぎなかったのだろう。
冷水で顔を強めに洗いトイレから出ると、赤城先輩がトイレの前に立っていた。
「あれ、どうしました?」
私が声をかけると、赤城先輩が急に抱きついてきた。
突然のことに理解の及ばない私の耳元で、赤城先輩は囁いた。
「君のことが好きになっちゃった」