5 『行ってくる』
深夜の飲食店の二階。
扉を叩く音が聞こえ、『ゴータス』の店主が目を覚ます。
「何だぁ、こんな時間に店の扉叩きやがって」
扉の上に付けられたベルがなり、煩わしいことこの上ないといった顔つきで店主は階段を下りていく。一階に到着し、店の方へ向かうと、入り口の先にチャーム=ナフィビエントの姿があった。
「テメェ、何時だと思ってんだ」
「急用ができてね。力を借りたい」
「ふざけんな、さっさと帰れ」
「今ちょうど貴族のどら息子に会ってきた」
突然のチャームの言葉に店主の顔つきが変わる。訝し気な視線を送るが、態度を変えないチャームを見て呆れたように鼻を鳴らした。
「維持隊の連中が躍起になって探しているガキを見つけたってか」
チャームは片眉を上げて笑って見せる。
「ちっ、お前はいつも厄介ごと運んできやがるな」
「もう慣れただろう」
「だいたい昨日の昼に言っただろう。これ以上は止めとけってな」
「そんな言葉で引き下がらないことくらい分かっているだろう」
「だからって人を巻き込むんじゃあねぇよ」
店主は扉を開け、チャームを招き入れた。
「カウンターでも座ってろ」
「飲み物でも出してくれるの」
「ふんっ、店に来た客に何も出さずに帰したら、この店の名に傷がついちまう」
カウンターの右端の席に着くと店主は厨房の奥に入り、少ししてコーヒーを運んできた。一口付けて、チャームはカップを置いた。
「それでどういう話になってんだ。とびっきりの情報だろうな」
「情報だけじゃない。手を貸してもらいたいの、昔みたいに」
「はぁ? ふざけんな、やなこった。そういう話なら帰んな。代金はいらねぇよ」
「話をそう急ぐものじゃないだろう。久方ぶりに家に帰ったら貴族のガキがいた。どうやら私の脱獄に一枚噛んでいたらしい」
「おいおい、元騎士様ともあろうお方が貴族のガキなんかに借りを作っちまったのか。こりゃぁ笑いもんだぜ」
「笑うのは勝手だけどね。そのガキが大切に思ってる女の子が危険な目に遭っている。もう時間が無いんだよ。その子は私の知り合いでもある」
店主の顔が徐々に真剣な表情へと変わっていく。
「女の子だと、人攫いにでもあったか」
チャームは何も言わずに頷いた。
「全く、物騒なご時世になったもんだなぁ。昔の方がまだマシだったぜ」
「この辺を活動拠点にしている連中だけでもいい。知っている情報を渡してほしい。金はないがその内」
「その程度の情報なら金は必要ねぇよ。東地区の人攫い集団とアジトは分かってる。ちょっと待ってな」
「ありがとうよ」
「これ以上の情報には金がいる。分かったな」
「そうなったら、また雇ってくれ。ただ働きでも何でもやってやる」
「冗談はよそでやってくれ」
店主は再び店の奥へと入っていく。コーヒーを飲み干し、チャームは席を立った。
夜が明け、陽が昇る。
バジルグ地区の隠れ家でたった一人となった夕凪は部屋のソファに横になって一夜を過ごした。疲れていたためか、寝付きはそれほど悪くはなく目覚めも早かった。
「寝ちまった」
身体を起こして部屋を見回す。まだ誰も帰っていない。微かな物音すら聞こえない部屋は、大学入学から始まった一人暮らしの朝を思い出させた。
ソファを降りてキッチンへと向かい、棚からお茶を取り出す。お茶を入れるとテーブルについた。
「静かだな。外からの音も聞こえないし」
窓の外へ目を向けると半壊したビルの壁が景色を遮っていた。悲惨なまでの戦闘の爪痕。この土地で生活していたであろう人々の営みの跡すらも吹き荒ぶ砂煙が覆ってしまう。
「改めてとんでもないところに来ちまったな。異世界に飛ばされたなんて誰も信じてくれないよな。チャームに聞いてもそんな奴は見たことないって言われるし。どうやったら帰れるんだよ」
背後で扉の開く音が鳴る。振り返ると入り口にチャームが立っており、部屋に入るなり一冊の本をテーブルの上に置いた。
「起きていたのか」
「さっき起きたばっかりだよ」
「ずっとここにいたのか」
「外なんて危険で歩けねぇだろ。それよりどこ行ってたんだ」
「ゴータスだ。夕凪も昨日行っただろう」
「ゴータス……」
昨日の自分の行動を頭の中で思い浮かべながら、名前に合う場所を検索する。
「あの飲食店か。店主と知り合いだって言ってた」
「そうだ。あの店主は昔、情報屋をしていたんだ。騎士団の頃はよく世話になった。辞めてからも働かせてもらったしね」
「へぇ、それで何かわかったのか」
「まぁね。話はミロナが帰って来てからしよう」
ドンと壁を叩く音が聞こえ、チャームの背後の扉が勢いよく開く。荒れた呼吸で入ってきたのは酷く顔色の悪いミロナだった。ミロナはチャームの方を見て直ぐに頭を下げた。
「申し訳ありません。トレイス家の少年を見失いました」
「どういう事だ」
「油断していて、それで眠り薬を誤って飲んでしまい……、本当に申し訳ありません」
「誤っている暇はない。今すぐに探し出さないと。ミロナ、夕凪……」
チャームが言い終わるより早く、夕凪はチャームの横を通り過ぎて扉の方へと走っていく。
「俺とミロナであの子を探す。チャームはいなくなったっていう女の子を助け出してくれ」
「わ、わかった」
夕凪の行動に驚きを隠せない様子で、ミロナとチャームは互いを見つめていた。
「どうしたの、急に」
怪訝そうな面持ちでミロナが言った。
「何となくこうなりそうな予感はしてたんだ。あいつはどうやっても止まらない。早くしないと何処までだって突き進んじまうんだ」
ミロナの表情は変わらない。チャームは楽し気な笑みを浮かべて夕凪を見ていた。
「行ってくる」
「待ちな。そんな恰好で出ていったら直ぐに捕まってしまう。これを着ていけ」
渡されたのは灰色のマント。体がすっぽりと入り、フードを被れば顔も見えない。夕凪はそれを羽織って隠れ家を飛び出した。
「ミロナ、バジルグを出るまでは一緒に行ってやってくれ」
「あの、チャーム様」
「どうかしたか」
「夕凪の奴は何をあんなに……」
「夕凪は恐らく私はミロナよりも貴族のガキの気持ちが分かるんだよ。抑えられない思いも全部、分かってやれるんだ。だからいなくなった貴族のガキを止められるのもあいつしかいない」
「私には……分かりません」
そう言い残してミロナも部屋を出た。
残ったチャームはテーブルに置いた本を手に取り、付箋の張られたページを開いた。記されていたのは東地区の大まかな地図。その地図の中には幾つかの黒い点が書かれており、それぞれの点の傍には組織を示すマークが描かれていた。
「虱潰しに回ってみるしかないな」




