ヴェロニカという少女
ヴェロニカというキャラクターのおさらい。
僕の名前はジャスパー・ベンジャー。
小学校高学年の男子だ。
僕は今、クラスメイトに虐められていた。
「おい、ジャスパー」
時間は放課後。
もうみんな帰ってしまい、教室にはまばらにしか生徒が残っていない。
僕も自分の席で、カバンに教科書を詰め込んでいる所だった。
顔を上げて、僕を呼んだ人を見上げる。
威圧するようなきつい声で僕の名を呼んだのは、クラスメイトの女の子だった。
「ジンクス……」
彼女の名前はジンクス・チェダー。
ポニーテールで、気が強そうな女の子だ。
そして、僕を虐めている相手でもある。
彼女は僕を見下ろしていた。
「何?」
なかなか喋りだす気配がないので、目を見て訊ね返す。
彼女はムッと表情を険しくした。
そして、僕の耳に口を寄せた。
囁くように声を発する。
「……一発、殴らせろ」
彼女の言動は不可解で、とても理不尽だ。
彼女がその言葉を紡ぎだすまでに何があって、如何にしてこの状況へ到ったのか僕にはうかがい知る事ができない。
嫌な事があったのかもしれない。
むしゃくしゃする事は僕にもあるので、それは理解できる。
ただ単に、日課として僕を殴っているだけかもしれない。
だったら、殴りやすい顔をしている僕にも責任はあるのか?
実は彼女が僕達アメリカ人とは違って、人を殴るという行為を友愛の印としている国の人間なのかもしれない。
なら、毎日殴られている僕は彼女にとても愛されているって事になるね。
誰もこちらを見ていない事を確認して、彼女は手早く僕の頭を小突いた。
軽く殴っているように見えるのに、とてつもなく威力がのっていて痛い。
これが友愛だとして、でも僕はその痛みから友愛を感じられない。
「ジンクス、またね」
「うん、またね」
僕が殴られた頭を撫でていると、クラスメイトがジンクスへ挨拶して帰って行った。
ジンクスも笑顔で見送る。
僕に対する態度とえらい違いだ。
彼女は猫を被っている。
あんな険しい表情で、あんな硬い声色で接する相手は僕だけだ。
おもむろに、彼女は僕の頬をつねった。
徐々に捻り上げられていき、痛みが寸刻みで強さを増していく。
目尻に涙が滲んだ。
どうやら僕の目は蛇口だったらしい。
「ふんっ」
気が済んだのか、それとも興味を失ったのか、彼女は僕から離れていった。
挨拶はない。
彼女にとって僕は、そうした言葉を交わす対象ですらないのかもしれない。
人間として見られていないのかもしれない。
サンドバッグか何かだと思われているのかもしれない。
早く帰りたい。
人に傷付けられた痛みを一番安心できる場所で癒したかった。
ママに言いたくない程度には、僕も男のプライドがある。
だからベッドに寝転がって、本でも読んで嫌な事を忘れたかった。
帰り支度を済ませて校庭に出ると、サッカーをしているクラスメイト達の姿があった。
僕はそんな彼らから姿を隠すように通り過ぎようとした。
「おーい、ジャスパー!」
遠くから、大声で僕の名前が呼ばれる。
ビクリと体を震わせてから、そちらを見る。
一人の男子生徒がこっちに笑顔で手を振っていた。
「一緒にサッカーやろうぜ!」
行きたくない。
早く帰りたい。
そう思いながらも、僕は重い足取りで彼の方へ歩いていった。
彼らの楽しんでいる物はきっと、サッカーというスポーツじゃないのだろう。
僕が彼らの中に入り、手始めに行われたのはキーパー練習だ。
横一列で並んだ彼らが、ゴールへ向けてボールを蹴る。
そのゴールを守るのはキーパーに任じられた僕だ。
本来のサッカーならキーパーのいない所を狙うわけだけど、彼らが狙うのは僕だ。
次々に飛んでくるボールが、僕の体や顔にぶつかってくる。
すぐに立っていられなくなって、少しでも痛みから逃れられるようにうずくまって体を守る。
ボール籠が空になると、そんな情けない姿の僕を彼らは笑う。
「本当にダメだな、お前。そんなんじゃ、いつまで経っても上手くなれないぞ。俺達はお前がサッカー上手くなるように手伝ってやってるんだから、早く上手くなってくれよ。俺達だって、暇じゃないんだ」
そう言ったのは、オリバー・フィーネ。
最初に僕を見つけて、声をかけた男子だ。
スポーツ万能。とりわけ、サッカーが得意な少年だ。
将来はサッカー選手になるのが夢で、言うだけあって本当にサッカーが上手い。
他の人と比べても、飛び抜けた技術を持っている。
ただ、性格に関してはスポーツマン的な爽やかさを持っていない。上辺だけだ。
僕はそう思っている。
「次は体力を作る練習だな。校庭を五十週だ。少しでも遅くなったら、後ろからボールぶつけてやるよ」
それは間違いようのない虐めだ。
でも、それを咎める人は無い。
先生が僕の酷い様子に気付いても、オリバーが「練習です」と言えばそちらが信じられる。
オリバーはサッカーの才能があって、性格だって表面上は爽やかだ。
先生にだって気に入られていて、信頼されている。
そんな彼と比べられてしまえば、取り柄の無い僕なんて取るに足らない存在だ。
だから誰も、僕を助けてはくれない。
僕には、優遇してやろうと思われるだけの魅力がないから。
練習という名前の拷問が終わると、僕はもう心身共にボロボロになっていた。
辺りはもうすっかり夕陽の赤に染まっている。
じきに夜だ。
いつもの事だ。
帰ればママに「もっと早く帰ってきなさい」と怒られる。
きっとそうだ。
その後で、パパに慰められる。
何故か肯定的に「父さんにもそういう事があった。友達と遊んでいると、時間を忘れるよな」と的外れな言葉で。
二人とも僕の不徳であると、疑いもせず思っている。
否定的であるか肯定的であるかの違いだけだ。
僕を助け出そうと思ってくれる以前に、僕が助けを求めている事にも気付かない。
言わない僕も悪いのだろうけれど。
いや、言っても無駄な気がするから言わないんだ。
もし言ったとして……。
先生は「これからは仲良くするんですよ」と言って、心のこもらない友愛の握手を強要し、そしてその次の日には報復のためにいつもより激しい練習が待っているのだ。
きっと、僕の心は折れるだろう。
本当にいつもの事。
明日もそうだろう。
これからもずっとそうだろう。
もう嫌だ。
そう思うと、歩く足が止まった。
場所は、近道に使っている公園内の道だ。
手近なベンチに座る。
もう、このままここから動きたくない。
学校にも家にも行かず、ここにずっと居られたらどれだけ楽だろう。
そんな事を半ば本気で考える。
その時だった。
僕の隣に、誰かが座った。
見るとそこには、一人のお姉さんがいた。
息をするのも忘れた。
それほどに、そのお姉さんは綺麗だった。
髪も肌も、来ているパーカーだって全部白。それ以外の色は、パーカーにプリントされたハートの黒と瞳の赤だけだ。
盗み見たお姉さんの顔は、作り物みたいに綺麗だった。
「〜〜♪」
お姉さんは、おもむろに歌いだす。
とても綺麗な歌声だ。
その姿も相まって、まるで天使が歌っているみたいに見えた。
何なんだろう、この人? と僕は少し警戒する。
確かに綺麗だけれど、急に歌いだす人というのは怪しい。
それも僕みたいな他人がそばにいるのに、恥ずかしげを微塵も見せないのだ。
やっぱり怪しい。
ただ、クラスメイトに限らず、僕という人間が人間として見られていないだけかもしれないけれど。
そんな事あるはずないのに、そんな不安が心に広がった。
その歌声にアクセントをつけようとしたのか、お姉さんのお腹が鳴った。
でもその試みは失敗したらしい。
綺麗な歌声が止む。
ちょっと残念だ。
お姉さんのお腹が空いていなければ、もっと綺麗な歌が聴けたのに。
お腹が満たされれば、また歌ってくれるんだろうか?
僕はカバンの中を漁った。パイン味のキャンディーを見つける。
「どうぞ」
キャンディーをお姉さんに差し出す。
お姉さんは一度、手の平に乗るキャンディーを見ると、次に僕の目を覗き込んだ。
じっと遠くを見るように、まるで僕の中身を奥まで見通すように、お姉さんの目は僕の瞳の中を見ていた。
不意に、にっこりと笑う。
「ありがとう。君は良い子だな。彼よりも先に出会っていたら、半ズボンを着させて連れ歩きたいくらいに良い子だ」
関わらない方がよかったかな?
僕の見る前で、お姉さんはキャンディーの包みを両端から勢い良く引っ張った。張られた包み紙の反動でキャンディーが上に飛び、器用にそれを口でキャッチした。
「んふふ〜」
お姉さんは上機嫌でキャンディーを味わった。
しばらくして口の中が空になったのか、お姉さんは再び歌いだした。
「〜〜♪」
僕はその歌声に聞き惚れた。
その歌を耳にしている間は、嫌な事を忘れられた。
でも、歌はいつか終わる。
最後のフレーズが終わる。
同時に、お姉さんがこっちを向いた。
「美味しいキャンディーをありがとう。これはお礼をしなくちゃいけないかな?」
「歌が聞きたかっただけなんです。だから、別に……」
「そのようだな。可愛らしい下心だ」
お姉さんは笑う。
「でも、ジャパンでは色々な物を倍返しするのが常識らしい。お礼も報復も倍にして返すんだ。ここはステイツだが、同じ地球人としての思想だと思えばこの場だけそれに倣うのも悪くないと思うんだ」
「はぁ……」
「何かして欲しい事はないか? 困っている事とかでもいい。俺が何とかしてやる」
そう言われて、真っ先に思い浮かんだのは虐めの事だ。
僕をあの地獄から助け出して欲しい。
咄嗟にそんな事を言いそうになる。
言った所で、きっとこのお姉さんには何もできないだろうに……。
「……何も、ないです」
そう答える僕の目をお姉さんはじっと見ていた。
「そうか。じゃあ仕方ない。こっちで勝手に君の喜びそうな事をしてあげようじゃあないか。贈り物はサプライズの方が嬉しい物だしな。期待しないで待っていてくれよ、その方が貰った時に嬉しいもんだからな。あははっ! おっと、迎えだ」
そう言って、お姉さんは僕の後ろへ手を振った。
振り返ると、こっちに歩いてくる大柄の男の人がいた。
その威圧的な体格と黒いスーツだけでも迫力はあるけど、それ以上の迫力を生み出すのは右目に走る傷痕だ。
無表情で視線を向けられ、僕は体を縮こまらせた。
「ヘーイ! ハニー!」
「待った?」
男の人の訊ねる声は、人が出した物だとは思えない程に抑揚がなかった。
「いやいや、なかなか有意義な時間を過ごしたよ。VIP相手のワンマンライブなんてそうそうできるものじゃないからな。スターシンガーになった気分だ」
「?」
そのやり取りの後、お姉さんは立ち上がって僕に目を向けた。
「私の名前はヴェロニカだ。君は?」
「ジャスパーです」
「そうか。ジャスパー、また近い内に会おう。君の喜ぶ顔を見に来るよ。じゃあね」
小さく手を振って、ヴェロニカさんは歩き出す。男の人もそれに並んで歩く。
ヴェロニカさんは、絡みつくように男の人の腕を取った。
それから三日後の事だ。
相変わらず僕はジンクスに殴られ、オリバーから練習と称した拷問を受けている。
帰りが遅い事をママに叱られ、理解と寛容さをひけらかすパパから慰められる。
いつもと変わらない日々を僕は過ごしていた。
ただ、その日は違った。
そして、その日から僕の日常は変わった。
いつもより遅れて教室にやってきた先生は、その表情を痛ましさに歪めていた。
先生はクラスのみんなに向けて、声を発する。
「みなさん、悲しいお知らせがあります。この教室のクラスメイトであるオリバー・フィーネ君が、交通事故に巻き込まれて入院しました」
オリバーが教室に来ていない事には気付いていた。
風邪だろうか? 今日は虐められないで済むかな? 程度にしか思っていなかったけれど、事態は思いがけず大変な事になっていたらしい。
「オリバー君は足を複雑骨折しているらしく、もう……サッカーはできないそうです」
それは彼にとって、耐え難い不幸だろう。
思わず同情してしまう。
酷い目に合わされた相手ではあるけれど、そこまで酷い目にあってざまぁみろとは思えなかった。
彼はもう、一番好きな事ができなくなったのだ。
勉強もスポーツもそつなくこなせていたけれど、それでも一番に得意で好きだったのはサッカーだ。
それがもう二度とできなくなってしまって、今彼はどんな気持ちだろう?
そう思えばあまりにも哀れに思えた。
その日は、誰にも虐められる事がなかった。
ジンクスは友達と話をしていた。
どうやらジンクスの友達はオリバーの事が好きだったらしく、とても悲しんでいた。その子を慰めていたのだ。
オリバーと一緒に僕を虐めていた奴らは、オリバーのお見舞いに行ってしまった。
僕はいつもより早い時間に帰る事になった。
太陽が沈まない時間に帰るのは、久し振りの事だった。
でも、気分はあまり晴れない。
僕の今の幸せは、オリバーの不幸で成り立っている。
その事を喜ぶ自分という物が、とてもいけない事のような気がして素直に喜べなかった。
いつもの公園の近道を俯いてトボトボと歩いた。
「ヘロウ、ジャスパー」
僕を呼ぶ声があった。顔を上げる。
そこにはヴェロニカさんがいた。
ヴェロニカさんは前の時とは違う、白いスーツ姿だった。
「ヴェロニカさん……。こんにちは」
前に出会ったベンチに座り、こちらを向いていた。
ポンポンと自分の隣を叩く。
僕はヴェロニカさんが促すまま、ベンチに座った。
「元気そうで何よりだ。で、実際はどうだ? 元気か?」
「はい。元気な方です」
ヴェロニカさんは歌うような口調で言葉を紡ぎだす。
どういうわけか、その言葉はするりするりと心の中に入ってくるようだ。
聞き取りやすく、理解しやすい。
ヴェロニカさんという人間そのものにも、きっと魅力があるんだろう。
注意を向けるまでも無く自然と注目してしまうのだ。
不思議な人だ。怪しさは拭い去れないけど。
「ところで、俺の贈り物は喜んでくれたかな?」
「贈り物?」
思わず聞き返していた。
そんなものを貰った覚えがない。
にんまりと笑顔を向けられた。親愛が溢れるような、とても好意的な笑顔だ。
「オリバー君だったか? 彼はもう、君を虐めるどころじゃなくなっただろう?」
言葉の意図を僕はすぐに悟った。
「もしかして……」
「ああ、そうだ。君は虐められるのが嫌みたいだったからな。虐められないようにしてやったんだ」
冗談、だよね?
そんな事をして、平然とこんな笑顔を向けられるわけがない。
そんな笑顔で、その事を話して聞かせる事なんてできるわけがない。
もしできるとしたら、それは心のない人間だけだろう。
でも、どうして彼女は僕が虐められている事も、虐めている相手の名前も知っていたんだろう?
それはやっぱり、彼女の仕業だからじゃないのか?
「冗談じゃないぞ。証拠は……まぁ、こういう場合は残すわけがないな。綺麗に消し去ったから残っていない。証明できなくて残念だな」
「何でそんな事を?」
「言ったじゃないか。君へのお礼だ」
「そうじゃない! もし、ヴェロニカさんがやったんだとしても、何でそこまでしたのさ? オリバーは確かに僕を虐めていたし、嫌な奴だったけど、それでもやりすぎだ! オリバーはまだ、小学生なのに」
オリバーがああなったのは、自分のせいなのだ。
そう突きつけられた気がした。
きっと怒鳴ってしまったのはそのせいだ。
自分のした事の責任を声と一緒に、ヴェロニカさんへ転嫁してしまいたかったんだ。
僕が怒鳴りつけようと、ヴェロニカさんは笑顔を崩さない。
むしろ微笑ましい物を見るように、優しさをその表情へ加味した。
諭すような柔らかな口調で、答えを返す。
「いいかい? 人間っていうのは、子供の頃に固まってしまった人格を変える事ができないんだ。成長して性格が変わるって話もあるけど、結局の所、それは生きている上で経験を積み、それによって最適の方法を模索した結果でしかない。
根本は一緒だ。価値観や行動の幅が変わるだけだ。
だから、子供だろうと大人だろうと本質は変わらないものなんだよ。
オリバー君はきっと、これからも弱い者虐めをしただろう。それは君だけに留まらず、君が学校を卒業して、彼と離れて、虐めから解放された後にも君じゃない誰かが同じ目にあっただろう。
彼は終生、人を虐げながら生きていった事だろう。
経験を積むごとに虐める方法のバリエーションを増やし、それの誤魔化し方を狡猾にしていきながらな。
だったら、今の内からその芽を摘むのもいいと思わないか? その方が、犠牲者は減るだろう? そうならないようにしたんだ。
それは良い事だと思わないか? 君にとっても、これから彼に出会う誰かにとっても」
そうかもしれない。
一瞬だけ、僕は妙に納得してしまった。
でもそれで、人を傷付けていいというわけじゃないはずだ。
僕は、ヴェロニカさんを睨む。
「良い子だなぁ、君は。今からでも半ズボンを買ってこようかなぁ。まぁ、冗談だけどね」
「そんな事はいいんです。それより……」
「次は誰がいいかなぁ?」
言葉を遮られ、逆に訊ねられた。
「な、何を?」
「だから、次だよ。次。君を虐めているのは一人じゃないだろう?」
まだ、続けるつもりなんだ。
僕を虐めていた人間全員に報復するまで、ヴェロニカさんは止まらないのかもしれない。
「そんな事はしなくていいよ!」
「何が不満だ? 虐めから解放されるなら、君は嬉しいだろう?」
「それは……そうだけど」
「だったら問題ない。でも君は、その相手が事故にあった事をとても気にしているな。どうしてだ?」
「そ、それは……当然の事だと思うのですけど」
僕はすぐに答えられなかった。
その末に出した答えも、具体的じゃない。あやふやな物になってしまった。
どうしてオリバーを気にかけているのか、自分にもわからなかったから。
「君は、テレビをよく見る方か?」
「あ、はい。見ますけど……」
どうして今そんな事を聞くのだろう?
そう思っていると、ヴェロニカさんは続ける。
「まぁ、テレビじゃなくても本でもネットでも何でもいいんだが、創作物という物は見る人にモデルケースを与える物だと思うんだ」
「モデルケース?」
「そう、君が感じている哀れみは、何かの創作物で見たキャラクターの模倣じゃないか、と思えるわけだよ。俺としては。
アニメとかではよくあるだろう? 敵に対しても優しい対応をするヒーローとか。それこそが正しいモラルだというように、当然として相手を助けるんだ。
それが、今まで卑劣な手で自分を苦しめていた相手であっても。しかも、助けた後にすぐ相手の悪党はこっそりと隠していた武器で攻撃してきたりするんだ」
よくあるね、そういうの。
アニメを見る事は多いのでよくわかる。
「それで、だ。君もそういったキャラクターを知らずの内に演じているとは思わないか?」
「そんな事は……」
無いのだろうか?
彼を哀れに思う気持ちに説明がつかないのなら、ヴェロニカさんの言う通りだという事じゃないだろうか?
「それは悪い事じゃない。そういった物の型に自分を嵌める人間は少なくない。大それた言い方をすれば自分に対する条件付け、洗脳、自己啓発みたいなものだな。こういう人間になりたいから、憧れてそうなろうと努力するわけだよ」
「僕もそうだと?」
「それはわからないが、そんな理由から出た哀れみだったとしたら馬鹿らしい事じゃないか。自己を害する物を排斥する事は生物としての摂理だ。自分を傷付ける相手を哀れに思う事は、その摂理に反するだろう?」
そうなんだろうか。
よくわからない。
でも、違うと思いたいんだ。
僕はそんな無情な人間じゃないと。
思い悩んでいると、ヴェロニカさんは「ふふふ」と笑ってベンチから立ち上がった。
僕の頭に手を置いて、軽く撫でるとそのまま去って行った。
僕はそれから学校に戻った。
先生にオリバーが入院している病院を聞いて、会いに行こうと思った。
君がそうなったのは、僕のせいなんだ。
そう謝りたいと思った。
「うあああぁ……うっ、うう」
けれど、そんな彼の嗚咽が病室のドア越しに聞こえると、僕は中に入る事ができなくなった。
謝って許してもらえるなんて、そんな甘い妄想を懐いていたのかもしれない。彼の鳴き声は、僕をその妄想から現実へ引き戻した。
心の弱い僕には、引き戻された現実で告白する勇気が湧かなかった。
やっぱり僕には、哀れに思えてしまうよ。
これもまた、ヴェロニカさんの言う型に嵌った人間のあり方なのかもしれないけれど。
僕のせいだ。
僕のせいだ。
僕のせいだ。
自分を責めて、どれだけ辛い気持ちを懐いていても、日常は進んでいく。
「今日は、隣のクラスのサム・エリック君が事故にあって入院したそうです」
今日は、なんてまるで毎日の日課のように先生はクラスメイトのみんなへ告げる。
そんな口調になってしまうのも仕方が無い。
だって、ここ最近は毎日学校の誰かが不幸な事故に合って入院している。
きっと、他のクラスでも先生がみんなに話しているんだろう。
先生は少しの悲しさと多くの疲弊を溜息に乗せると、授業を始めた。
こうも生徒が事故にあってしまったら、その管理体制を問われてもおかしくない。
保護者を始め、子供が好き過ぎる保護団体や何にでも文句をつけたがる暇人から問い合わせが殺到しているのかもしれない。
でも、責任があるのは学校じゃない。
僕だ。
今日入院したサム君は、僕を虐めていた一人なんだから。
僕のせいだ。
僕のせいだ。
僕のせいだ。
授業中は、ふとした時に思い出すだけで済むけれど、授業が終わって休み時間になると、僕の思考は罪悪感でいっぱいになる。
その罪悪感を少しでも和らげたくて、僕は自分自身を責め苛んでいるのかもしれない。
ずっとずっと、僕は俯いたまま「僕のせいだ」と心の中で唱え続けている。
「なぁ、大丈夫か?」
気付けば放課後。夕陽が教室を赤く染める中、気遣わしげな声をかけられた。
顔を上げる。
すると、思わぬ事に声の主はジンクスだった。
「顔色悪いぞ」
とても心配そうに彼女は僕の顔を覗き込んでいた。
その表情が僕に向けられている。
それがとても不思議だった。
「どうして気遣ってくれるの?」
「クラスメイトを気遣うのがそんなにおかしい事かよ」
「でも君、僕の事が嫌いだろ?」
「ちょ、誰がそんな事言ったんだよ!」
ジンクスが僕を殴る。
いつもより痛かった。
「痛い」
「あ、ご、ごめん。……でも、そんなんじゃねぇよ! むしろ……」
「むしろ?」
彼女は言葉に詰まり、大きく息を吸った。
同じようにまた大きく息を吐き出す。
何? 過呼吸か何か?
かと思えば、意を決したようにキッと僕を睨みつける。
そのまま顔を真っ赤にして僕に詰め寄った。
「むしろ好きだよ。すっごい好きだよ!」
「えぇっ!」
唐突な告白に、僕は一瞬だけ嫌な事を全部忘れて驚いた。
自分の顔が火照るのを感じる。
「好きだから意地悪してたんだよ! 気付けよバカ!」
彼女はまくしたて、僕はまた殴られる。
「ごめんなさい!」
何だかよくわからないまま、僕は殴られながら謝った。
「そうだったんだ。知らなかった」
「そうだったんだよ。悪いかよ」
ジンクスが僕を好きだったなんて……。
全然信じられないけど。
好きだったなら殴らないでほしい。
「で?」
「え、何が?」
彼女に言葉を求められ、意図がわからずに訊ね返す。
また殴られた。
「告白の返事だよ! 付き合うかどうかだよ」
「ああ、その事か」
どうなんだろう?
嬉しいとは思うんだけどね。
でも、告白されるまでは全然ジンクスの事が好きだと思っていなかった。
むしろ苦手。それどころか嫌いだったかもしれない。
なのに、告白されて急に好きになるっていうのも何だか変な話だ。
今は、妙に可愛らしく見えるし。
それで意識しちゃうなんて、僕は単純だな。
そんなんでオッケーしちゃってもいいんだろうか?
「早く言えよ!」
殴られる。
「オッケー!」
その反動で咄嗟に答えてしまった。
「本当か?」
「うん」
僕が頷くと、ジンクスはとても可愛らしく笑った。
友達に向ける用の笑顔とも違う、頬っぺたをうっすらとピンクに染めた笑みだ。
ああ、可愛らしいな。
そうか、この子が僕の彼女なのか……へぇ……。
ふと、そこで思う。
彼女は実際、僕に気があったから殴っていた。
僕はそれを虐めだと思っていた。なら、他からもそう見られていたんじゃないだろうか?
彼女は周りを気にしていたけれど、他のクラスメイトは僕が殴られる様を知りながら無視していた。
その事を僕は知っている。
ヴェロニカさんがどうやって、僕を虐めた相手を探っているのかは知らないけれど、他の生徒達から話を聞いて調べている可能性もある。
他の人間に虐めだと思われているのなら、その話が伝わってしまうのではないだろうか?
甘く晴れやかな気分が、サッと消えた。
むしろ、酷く絶望的な気分になる。
「どうした? また難しい顔してる」
「ああ、うん。ちょっとね……」
言えるわけはない。
それは僕の罪であり、彼女が今危険につけ狙われているかもしれないという事だ。
彼女に対する罪の告白は、今までと意味合いが違う。
今は彼女に失望されたくないという気持ちが強くあった。
彼女は僕を軽蔑するんじゃないか、と怖かった。
だから言えない。
「そろそろ帰ろう。送っていくよ」
「え! おう!」
緊張しているからかな? 君は僕に対してだけはぶっきらぼうな口調になるよね。
僕は彼女を守ってあげたかった。
だから、その次の日から彼女の家へ迎えに行く事にした。
幸い、家は学校の通り道。同じく徒歩組なのでそれができた。
今日は、その初日だ。
ちょっと慣れない道順を僕は歩いた。
彼女の家が見える場所で足を止めた。
家の前にはジンクスがいた。
そして、彼女の前には真っ白なスーツを着たお姉さんの姿がある。
遠目でも見間違いようはない。
その人はヴェロニカさんだった。
心臓が止まるかと思った。
次の標的は、ジンクスなんだ。だから、ここへ会いに来たんだ。
僕の見る前で、ヴェロニカさんは懐へ手を伸ばす。
何をするつもりなんだ!
僕は走り出す。どうあっても守りたいと思った。
けれど、二人までの距離は無情なまでに遠かった。
ヴェロニカさんは懐から何かを取り出す。
そして……。
それをジンクスに渡した。
ジンクスもそれを素直に受け取る。
よく見ると若干顔が赤い。
ヴェロニカさんは一度笑顔でジンクスの頭を撫でる。
そこで僕に気付くと、手を振ってから去って行った。
僕はジンクスの前で立ち止まる。
「はぁはぁ……、あの人は?」
息を切らせながら訊ねる。
「え、お前の知り合いなんだろ?」
「そうだけど……。何、貰ったの?」
何故か顔を真っ赤にして殴られた。
「え、何で?」
「うるさいな! 何でもいいだろ!」
いや、まぁ、無事なのならいいけど……。
どうしてかわからないけれど、ジンクスは無事だった。
「ゴム渡されたんだよ……」
一緒に歩いている時に、彼女がぼそりと呟いた。
「ゴム? 何で? 何に使うの? 何でそんな物もらったの?」
ヴェロニカさんが何をしたのか心配だったので、詳しく聞きだそうとしたら殴られた。
ゴムなんて何に使うんだろう?
髪を留めるのかな?
それとも指鉄砲かな?
放課後。
ずっとそばで守ろうと思っていた矢先、ジンクスは今日女子グループで帰る事になった。
僕は一人で帰り道を歩いていた。
公園のベンチで、ヴェロニカさんを見つける。
僕はその隣に座った。
「どうして、彼女を見逃してくれたんですか?」
「見逃すも何も、あの子は君を虐めていないだろう」
「そうですけど。何でわかったんです?」
ヴェロニカさんは人差し指と親指で円を作り、その円越しに僕へ目を向けた。
「俺にはお見通しだ。実際会えば、どんな人間かわかるからな。君の事が好きで好きでたまらない相手を傷付けるなんて、俺がするわけないじゃないか。そんなのは恩知らずだろう?」
溜息が出た。
理屈はよくわからないけれど、つまりもう彼女は狙われないって事だ。
安心する。
「それで、君は君がどういう人間かわかったか?」
それは、前に話したモデルケースの話だろうか?
どうだろう。
でも、わかった事はある。
僕のジンクスに対する気持ちは強い。
ジンクスとオリバーでは、えらく心の持ち方が違う。
彼女を守りたいという気持ちと比べれば、オリバーを哀れに思う気持ちのなんと弱い事か。
所詮は上辺だけの哀れみだったのだ。
と、僕はそう気付いた。
結局それは、ヴェロニカさんの言う通り、モデルケースから得た考え方に過ぎなかったのかもしれない。
そう思っていると、ヴェロニカさんはにっこりと笑った。
僕は何も答えていないのに、まるで満足のいく回答を得たかのようだった。
「おっと、迎えが来た。またな、ジャスパー」
声を上げる。
見れば、ヴェロニカさんの視線の先には前に見た大柄の男の人がいた。
「ハーイ、ハニー」
ヴェロニカさんは彼の腕に自分の腕を絡める。
「待たせたか?」
「いいや、適正時刻だ。少しの退屈もなかったよ」
「そうか。今日は何が食べたい?」
「マーボー豆腐かな」
「テンメンジャンを買って帰ろうか」
そんな会話をしながら、二人は去って行った。
僕はジンクスが大事だ。
彼女が無事で安心した。
今も日ごとに、僕を虐めていた相手が何かしらの事故にあう。
なのに僕は、自分勝手にも彼女の無事をこれ以上無く嬉しく思っていた。
彼女さえ無事ならいいと今は思ってしまっている。
押し潰されるような罪悪感も段々と薄れて、今は無い。
先生の口から告げられる事故の被害者も、最後にはフラットな気持ちで名前を聞けた。
サッカーというスポーツは一人でできず、主に十一人のチームメイトと行われる。
オリバーのサッカー仲間は十人を超えていて、それでも二チーム作るまでには至っていない。
総人数を二で割って試合をしたり、円になってボール回しをしたり、僕の練習に付き合ってくれたり、という遊び方をしていた。
毎日一人が事故に合い、半月程度で事故の被害者はぴたりと止まった。
ヴェロニカさんは人の心を把握する事に長けているみたいだ。
まるで心を読んでいるみたいに、相手の事を判断する。
それは驚くほど正確で、だからジンクスは何もされなかった。
だからヴェロニカさんは、とても正しい判断を下す人なんじゃないかと思い、今の僕は彼女をとても信頼している。
ヴェロニカさんの起こした事の結果は、とても凄惨な物だったり、それほどたいした物でなかったり、まちまちだ。
オリバーみたいに走れなくなるほどの怪我を負う人間もいれば、次の日には手をギプスで固めて登校した人もいる。
きっとそれは、それが妥当だとヴェロニカさんが判断した範囲での罰だからだ。
どの程度なら彼らが虐めをやめるのか、それを推し量っての事なんだろう。
罪の軽重を反映しているようにすら思える。
だったら、問題ないんじゃないだろうか。
僕が悩む必要もないんじゃないだろうか。
ジンクスさえ無事なら、他なんてどうでもいいんじゃないだろうか。
僕はそう思うんだ。
そもそもなんで、自分を虐めていた相手を気遣わなければならないのだろう?
何故気遣おうと思ったんだろう?
ヴェロニカさんの言う通り、それは本当に馬鹿らしい事だ。
改めて考えれば簡単な事だ。悩む必要も無い事だ。
みんなの苦しみを自分の事のように悩んでしまったら、心なんて簡単に壊れてしまう。
人一人が心配できるのは家族や恋人、身近の大切な人だけ。
それだけでいいのだ。
だから僕はこれから、ジンクスを一番大切にしようと思うんだ。
きっとこれが、モデルケースの型に嵌らない人間の考え方なんだろう。
「性根の腐った奴も、ツンデレも、俺には全部お見通しだ」
反省点。
こんな小学生いねぇよ。
ヴェロニカのおさらいなのに、ヴェロニカについてあんまりまとまってない。
書いてる途中で、自分でも何が書きたかったのかわからなくなった。




