転機
「波方少将、先日は大変申し訳なかった。我々の警備が不十分だった」
「……いえ、誰の責任でもありません。私自身の行動が招いたことですから」
あいが微笑むと、向かい側のソファに座ったロバーツ中将の沈んだ表情が少し軽くなった。
「彼らは逆上陸作戦が中止されたことの証人として呼ばれていたのじゃ。彼らがまさか波方少将を襲撃するとは、さすがのMIにも思いつきもしなかったんじゃろう。だが結果的に、この事件が貴官に有利に働くかもしれぬ」
ロバーツ中将がテーブルの上に置かれた果実水を口に含むと、背筋を伸ばした。
「先日の査問委員会で決定した貴官への暫定処分をお伝えします。委員会の最終報告書が提出されるまで、自宅待機を命じます」
「……了解しました。閣下」
あいがテーブルに目を伏せると、ロバーツ中将が低い声で話を続けた。
「波方少将、あまり気を落とさないで欲しいのですよ。査問委員会のメンバーは、貴官が攻撃を承認しなかったことは正しい判断だったと考えていますのじゃ」
「そう…なんですか?」
あいが驚いて顔を上げた。ロバーツ中将が軽く咳払いをして、続けた。
「ここからは、ひとりの人間としての意見として聞いてほしい」
「……はい」
「艦隊は今回の作戦失敗を非常に重く見ておるのでな、貴官への自宅待機命令は、傭兵協会は適切な処分を行っている、という態度を艦隊に示すためのものだと思って欲しい。
今回の地上攻撃作戦において、艦隊が波方少将のみを、ヒューマンファクターとして指定したのには理由があった、と儂は疑っておる。波方少将は階級は高いものの、銀河連合の実態をよく知らぬ子供じゃ。おっと、済まぬ、悪く思わないでくれ給えよ!」
ロバーツ中将のどこかおどけた口調に、あいの顔に思わず笑顔が浮かんだ。
「はい。仰ることは良く分かります。私、まだまだ子供ですから」
「そうじゃそうじゃ。波方少将は笑顔のほうが宜しい。それで、話の続きじゃ。
今回の作戦で、複数の大人をヒューマンファクターとして指定すると、承認を行わない権利を行使される恐れがあった。事情をよく知る複数の大人よりも、何も知らない子供1人から承認を得るほうが、はるかにリスクが小さいと艦隊上層部のMI達が判断したのであろう」
惑星ケイナリアは、銀河連合を構成する主要惑星の1つであり、大勢の人々が平和な生活を営んでいた。ところが、いつのころからか、瘴気と呼ばれる未知のエネルギー体に感染する人々が増え始め、そうした人々は魔物へと変化していった。
ひとりの人間が魔物化すると、周囲の人間も次々に魔物と化していった。この現象を、銀河連合ではアウトブレイクと呼び、銀河保健機関と呼ばれる銀河連合の下部組織が感染症として対策を行っていた。
魔物がもとの人間に戻ることは稀だ。今回のようにコミュニティレベルで複数の魔物が発生するケースは、GHOの区分ではフェーズ3のアウトブレイクとなり、ケイナリアの首都が殺処分の対象となっていた。だが殺処分については、人間からもMIからも根強い反対意見があり、銀河連合内において物議を醸していた。
「でも、どうして艦隊のMI達はそこまでして殺処分を行いたかったのでしょう?」
「……貴官が眠っている間に世界が変わってしまったのじゃよ。それも良くない方向にな」
ロバーツ中将はそれ以上のことは口にしようとしなかった。
◇ ◇ ◇
波方あい少将は、何もすることがなかった。多忙を極めていた頃は切実に自分の時間を欲していたが、いざ自分の時間が出来てみると、これほど辛いものもないのである。
その日は、自分に割り当てられた執務室でぼんやりと報告書を読んでいた。報告書は以前、自分が鹵獲した機械類の自動工場に関するものだった。
銀河連合は既に多くの技術を工場から学んだ、艦隊は小型核分裂リアクターの技術を自らの兵器体系に組み込んだ、老朽化により複数のラインが故障し、工場としても維持する価値がなくなった、次の資産棚卸しのタイミングで廃棄する、というものであった。
モニターから視線をあげて、あいはため息をついた。波方少尉(当時)が自動工場を鹵獲したのは、報告書によると79年前であった。
思えば、あの頃が華であった。
「老朽化か……」
すでに今治市を離れてから80年の歳月が過ぎていた。両親や妹もとうの昔に亡くなっているだろう。
ひとり、執務室で寂しさに沈んでいると、ドアにノックがあった。そういえば弁護士を名乗る人物と面会の予定を入れていたのを忘れていた。
「お入り下さい」
「失礼します」
丁寧にドアを開けて入ってきた弁護士は、初老の小柄な男性だった。あいは執務机から立ち上がり、男性をソファーへと促すと、自分もソファーへと腰を下ろした。
男性はテーブルの上に一通の書面を置いた。
「傭兵契約の契約解除通知書です。あなたのご親族が傭兵契約の解除金を全額支払うことに同意しました。ここにサインを頂ければ、傭兵契約を解除して、地球に帰ることができます」
まさに晴天の霹靂である。だが、あいは当惑し、弱々しく頭を振った。
「もう地球には私の知っている人はいませんよ」
あいがテーブルの上の契約解除通知書をそっと押し返すと、男性はこの返事を予想していたかのように、手持ち鞄から取り出したもう一通の書面をテーブルの上に置いた。
「クライアントから手紙を預かっております」
それは丁寧に三つ折りに折られた、色褪せた手紙だった。そこには女性の筆跡で、次のように書かれていた。
「お姉ちゃん、洋子です。
私の友達から、お姉ちゃんはまだ遠い場所で生きていると聞いて、この手紙を書いています。空襲の夜、泣いてばかりだった私を助けてくれてありがとう。お姉ちゃんのおかげで、私は元気で生きています。
この手紙がお姉ちゃんのもとに届くかどうかわからないけど、お姉ちゃんのことを待っている人がいることを忘れないで。絶対に、帰ってきて下さい。私はずっと待っています」
言葉もなく手紙を読むあいに、男性が静かに語りかけた。
「この方は、残念ですが、数年前に亡くなりました。ですが、この方のご親族から、この手紙をぜひあなたに届けて欲しいとのご要望があったのです」
◇ ◇ ◇
ロバーツ中将に相談すると、意外なことに中将は契約解除に賛成だった。査問委員会が「攻撃目標地域に多数の民間人が存在したため、少将の判断は適切だった。ヒューマンファクターによる承認は暴力抑制装置として、依然、有効である」という結論を出したタイミングで、あいは契約解除を行い、傭兵協会の本拠地である地球に身を隠すのがよいだろう、とロバーツ中将が勧めた。
「でも、どうして身を隠す必要があるのですか?」
あいが疑問を口にすると、ロバーツ中将が意外なほど鋭い視線で答えた。
「……あなたが暗殺される恐れがあるのじゃ」




