ブルドック隊長
ふたたび、波方あいは目を覚ました。
薄明かりのなか、上半身を起こすと、周囲がひとりでに明るくなった。狭い、穴のような部屋の中だった。あいは白い衣服を着て寝ていたようだ。体のあちこちには火傷のあとが残っていた。
前回目を覚ました時は生きるか死ぬかの選択を迫られた。その前に目を覚ました時は空襲のさなかだった。今回はどうやら平穏無事に目が覚めたようだ、と安堵した時、
「おはようございます」
「ひゃっ!」
突然部屋のどこからか男の人の声が聞こえ、あいは腰が抜けるくらい驚いた。
「私は軍隊生活についてあなたを支援します。私の名前を決めて下さい」
新兵のためのMIアシスタントがパーソナライズ設定を促していた。当然のことだが、1945年の日本ではコンピュータ、音声合成、人工知能といった概念は認知されていない。あいは理解を越えた状況に固まってしまった。
「私は軍隊生活についてあなたを支援します。私の名前を決めて下さい」
MIアシスタントは定型文を繰り返した。あいは次第に落ち着いてきた。
(自分の名前を決めてほしい言うなんて……。ああ、この人は気の毒なお人なんや……。こんな時は話を合わせてあげたほうがええんやろか?)
不安を感じつつも、心優しいあいは突き放すのもどうかと迷った。
「私は軍隊生活についてあなたを支援します。私の名前を決めて下さい」
MIアシスタントの再三の要請に、あいはようやく口を開いた。
「ウチを助けてくれるんやねえ。あなたは漫画に出てくるブルドックの隊長さんみたいな、優しいお人なんやねえ…」
「漫画『のらくろ』は電子アーカイブ化されています。指定の人物像をもとに疑似人格を形成します……」
ややあって、だみ声の男性が威勢よく喋りだした。
「――よし! 儂はブルドック隊長である。おい、ちび助! 何か困っていることはないか!」
ぐぅぅっ
タイミングよくあいのお腹が鳴った。
◇ ◇ ◇
「美味かったか?」
「はい、ブルドック隊長どの! 宇宙羊羹、美味しかったでありますです!」
壁のなかの謎の人物「ブルドック隊長」から軍隊生活のあれこれについて教えてもらっているうちに、いつの間にか、あいの喋り方も漫画の主人公に寄ってしまっていた。
最初はおかしな人なのかしらと心配したのだが、話してみると大変物知りなうえに、聞いたことはなんでも教えてくれる、ずいぶんと親切な人だった。
「うむ……。 ちび助、よくきけ。お前は今、宇宙におる」
「宇宙、でありますか?」
「そうだ。宇宙には空気がない!」
「え、本当でありますか! どうしようっ!」
あいは急に身の回りの空気が薄くなったような気になり、大いに焦った。
「焦るな、ちび助! 貴様に朗報だ! この船のなかは空気が詰まっておる!」
「ありがとうございます! ブルドック隊長どの!」
あいは大真面目に感謝した。MIアシスタントの宇宙ジョークは、あいには通じなかった。MIアシスタントは落ち込むことなく、チュートリアルを続ける。
「この船は光の速さの100分の1くらい動いておる。あと15日ほどで最初の遷移点に到着だ」
「はい!」
「……遷移点とは何か、わかっておるのか?」
「はい、わかりませんであります!」
「ううむ。返事だけはよろしい……」
ブルドック隊長が続けた。
「遷移点とは、光の速さよりも速く他の場所に移動できる場所である。ただし、どこにでも行けるわけではなく、別の星系にある特定の遷移点に移動できる。よく憶えておけ!」
「はい! ありがとうございますであります!」
あいの乗った兵員輸送船は、1日のうち合計6時間ほど、1Gの加速度で推進していた。今は推進しておらず、体にかかる力がない無重力状態となっていた。
あいは狭い部屋のなかでふわふわと宙に浮きながら、壁越しにブルドック隊長と話を続けた。
「遷移点を超えると、地球の姿を見ることはできん。ちび助、お前はしばらく地球に帰ってくることはないだろう。もしかしたら、二度と帰ってくることはないかも知れん。いまのうちに地球の姿をよおく見ておけ!」
部屋の壁に埋め込まれた小さな映像盤に、ところどころ白い筋が入った青色の円板が映し出された。あいは無言で地球の姿を見つめた。
「儂等が住んでいる星は地球。これは良いな?」
「はい! 隊長どの!」
「だが、宇宙には、地球のほかにも人間が住んでいる星が幾つもある。そんな星が集まって出来たのが銀河連合という集まりだ」
「国際連盟のようなものでありますか?」
あいは近所に住む友達の家で中学校の教科書をパラパラと見ていたのだ。
「賢いぞ、ちび助。その通りだ。いま、銀河連合は戦争をしておる。相手は犬でも、豚でも、猿でもないぞ」
「では、山羊かゴリラでありますか?」
「山羊でもゴリラでもない。敵は機械類と呼ばれておる」
「――機械でありますですか?」
「そうだ!」
あいはラヂオやミシンと戦う犬の兵隊を想像した。
「ちび助、納得がいかないという顔をしておるな?」
「……」
「続けるぞ! 傭兵協会は、機械類と戦うための兵隊を、銀河連合に派遣しておる。派遣といっても、直接、ちび助が銃をとって戦うことはない。戦うのは、戦艦が勝手に戦ってくれる。ここまではよいか?」
あいは眉間にしわを寄せた。
「……では、私は何をしたら良いでありますか?」
「ちび助にしてはいい質問だ! 戦うのは戦艦が勝手に戦ってくれるが、重要な判断は、人間が行わないといけない。これを、儂等はヒューマンファクター、と呼んでおる」
あいがなにか言いかけたが、口を閉じた。
「ちび助、敵性語だといいたいのであろう」
「……はい」
「貴様が鼻提灯をふくらませて呑気に寝ている間に日本は敗北したのだ! これからは英語も使うのである。ちび助は戦艦のヒューマンファクターとなって、機械類と戦う戦艦に攻撃の承認を与えるのである」
あいの当惑が深く顔にあらわれていた。
「ブルドック隊長どの、どうして、ひゅーまんふぁくたー?が必要なのでしょうか? 戦艦が戦ってくれるなら、全部、戦艦が好き勝手にやってくれれば良いと思うのであります!」
ブルドック隊長が感心したように答えた。
「うむ、ちび助、良い質問である……。ずいぶん前の銀河連合はそうだった……」
ブルドック隊長がまるで昔を思い出すかのように間を置いた。
「――だが、ある日、勝手に動く戦艦が反乱を起こし、銀河連合が大混乱に陥ったのだ。ちび助には分からんかもしれんが、結局、勝手に動く戦艦はな、いま、銀河連合が戦っている機械類と同じになってしまうのだ」
「それは確かに困るかも……」
あいが大人のように顔を顰めた。
「そこで、そのような事態を防ぐために制定されたのが、銀河MI法である。社会における重要な決定や、強力な武器の行使にはヒューマンファクターによる承認が必要になったのだ」
まだ不思議顔のあいに、ブルドック隊長のだみ声が優しく続けた。
「分からなくても当然である。おいおい、理解してゆこうではないか」
「はい! ブルドック隊長どの!」
MIとはマシーンインテリジェンスの略で、銀河文明におけるAIに相当する存在です。




