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25時の音楽  作者: 倉木元貴


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卒業式(第37話)

 卒業式の朝、目が覚めた瞬間、胸の奥がざわついた。

 布団の中の温度と、外の空気の冷たさの差が、妙に鋭く感じられる。

 緊張なのか、不安なのか、それとも期待なのか。

 どれも少しずつ当てはまる気がして、でもどれも決定的ではなかった。

 ただ、胸の奥で何かが“動いている”のだけは確かだった。


 制服のリボンがうまく結べない。

 鏡の前で何度もやり直すたび、指先が自分のものじゃないみたいにぎこちなく震える。

 焦れば焦るほど、呼吸が浅くなる。

 ——落ち着け。

 そう思うほど、胸の奥のざわつきは増していった。


 机の上には、昨夜書いた“最後の歌詞”。

 紙の端が少し折れていて、そこに触れると、昨日の自分の迷いや決意が指先に残っているような気がした。

 折りたたんでポケットに入れると、胸の奥が少しだけ温かくなった。

 ——これだけは、今日の私を裏切らない。

 そんな確信が、かすかに灯った。


「……行ってきます」


 小さく呟いて家を出ると、朝の空気が頬を刺した。

 その冷たさが、逆に心を少しだけ整えてくれた。


 ♢♢♢


 体育館に入ると、ワックスの匂いと人の気配が混ざり合い、空気が重く感じられた。

 在校生の列が整然と並び、その規則正しさが、逆に自分の心の乱れを際立たせる。

 保護者席の色とりどりのコートが、冬の終わりと春の始まりを同時に主張していた。

 天井から吊るされた横断幕の《卒業おめでとう》の文字が、少し揺れて見えたのは、風のせいか、自分の心のせいか。


 私は無意識に、在校生席の方を見てしまった。


 ——いない。


 わかっていた。

 わかっていたのに、胸がきゅっと締めつけられた。

 “いない”という事実が、思っていた以上に重かった。


「玲那」


 心愛がそっと手を握ってくれた。

 その温度が、胸の奥のざわつきを少しだけ吸い取ってくれる。

 ——大丈夫。

 そう言われた瞬間、涙が出そうになったのは、安心したからか、弱さが顔を出したからか。


「大丈夫。玲那なら歌えるよ」


「……うん」


 声が少し震えた。

 でも、心愛は気づかないふりをしてくれた。


 ♢♢♢


 卒業証書授与が始まった。

 名前を呼ばれるたび、体育館に拍手が反響し、胸の奥に波紋のように広がる。

 その音が、今日という日の重さを刻みつけてくる。


「近藤玲那」


 自分の名前が呼ばれた瞬間、胸の奥が熱くなった。

 足が自然と前に出るのに、心だけが少し遅れてついてくるような感覚。


 ——鳴沢がいたら、どう思っただろう。


 その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥が痛んだ。

 期待なのか、後悔なのか、未練なのか。

 自分でも判別できない感情が、胸の奥で絡まり合う。


 壇上に上がり、証書を受け取る。

 校長先生の声が遠くに聞こえ、照明の光が少し眩しい。

 笑顔を作ったけれど、心はまだ揺れていた。


 ♢♢♢


 そして、いよいよ合唱の時間が来た。


 園田先生がピアノの前に座る。

 椅子の軋む音が、やけに大きく響いた。

 前奏が流れた瞬間、胸の奥が震えた。


 ——鳴沢の音じゃない。


 でも、脳内では鳴沢の音が重なる。

 あの日の化学室の空気、夕日の色、鳴沢の横顔。

 全部が一瞬で蘇り、胸の奥が熱くなる。


 私は深呼吸をして、歌い始めた。




 “旅立ちの唄”。


 光差す朝日に胸焦がれて

 待ちきれない気持ちで踏みしめる

 新しい世界の光は

 どこかへ連れて行ってくれる気がした


 何気ない毎日の雑音が

 今日だけは特別に聞こえたんだ

 新しい扉を開ける音は

 どこか懐かしく聞こえた気がした


 今日が旅立ちの日

 未来へと進む1日

 小さな一歩が大きな歩幅へ変わってゆく

 恥ずかしがらずに胸張って

 前を向いて生きてゆく



 花びらを撒き散らす通り風は

 新しい気持ちを植え付ける

 大きく手を振った姿に

 どこかに重ねたりしてみて


 今日が旅立ちの日

 夢へと進む1日

 小さな夢でも大きな夢へと変わってゆく

 恥ずかしがらずに胸張って

 明日の世界を生きてゆく


 一度きりの人生 後悔もするけれど

 恥ずかしがらずに胸張って

 希望の明日を生きてゆく


 未来の世界へ歩んでゆく




 歌いながら、心の奥に溜め込んでいたものが少しずつ溶けていくのを感じた。

 声が震えるたび、胸の奥の痛みが形を変えて、涙になって溢れそうになる。


 心愛の声が横で支えてくれる。

 莉里の声が後ろから包んでくれる。

 その重なりが、私の弱さをそっと受け止めてくれた。


 視界が滲む。

 涙が頬を伝い、制服の襟に落ちる。

 でも、歌うほどに、胸の奥のざわつきが静かに整っていく。


 歌い終わった瞬間、私は天井を見上げた。

 光が滲んで揺れて見えた。


「……届いたよね」


 その言葉は、願いであり、祈りであり、答え合わせでもあった。


 ♢♢♢


 その頃、東京の小さなアパートで——。


 薄いカーテン越しに差し込む午後の光が、部屋の埃をゆっくりと浮かび上がらせていた。

 俺は、スマホの画面に映る近藤さんの歌詞ノートの写真を、何度もスクロールしては戻していた。


 ページの端の折れ方。

 文字の強弱。

 書き直した跡。

 その全部に、近藤さんの呼吸や迷いが滲んでいる気がした。


 胸の奥がじんわり熱くなる。

 ——なんで、今なんだよ。

 そう思った瞬間、喉の奥がきゅっと詰まった。


 遠くで電車が通る音がした。

 その低い振動が、床を伝って足元に届く。

 静かな部屋の中で、その音だけがやけに大きく感じられた。


 ふと、耳の奥で“声”がした気がした。


 近藤さんの声。

 泣きそうで、でも強い声。

 あの化学室で聴いた声より、少しだけ大人びていた。


 俺は、ゆっくりと目を閉じた。

 胸の奥が、じわりと熱くなる。


「……届いた」


 声に出した瞬間、自分でも驚くほど静かな音だった。

 誰にも聞こえない。

 でも、確かにそこにあった。


 スマホの画面が、微かに光を反射して揺れた。

 その光が、近藤さんの文字を照らしていた。


 ♢♢♢


 式が終わると、心愛と莉里が駆け寄ってきた。

 体育館の扉から吹き込む風が、三人の髪を揺らした。


「玲那、すごかったよ!」


「泣きそうになった……いや、泣いた」


 二人に抱きしめられた瞬間、胸の奥の緊張がふっとほどけた。

 涙が自然と溢れ、笑いながら泣いた。


「……ありがとう」


 その言葉には、今日一日の全部が詰まっていた。


 ふと、在校生席の方を見る。

 鳴沢の席は、やっぱり空のままだった。


 でも、不思議と胸は温かかった。

 ——もう、空っぽじゃない。


 ♢♢♢


 校門を出る瞬間、私は立ち止まった。

 夕日に染まった校舎が、静かに佇んでいる。

 風が頬を撫で、髪を揺らした。


「……鳴沢、ありがとう」


 その言葉は、過去への別れでもあり、未来への一歩でもあった。


 スマホが震えた。

 画面には《鳴沢健助》の名前。


 未読のままのトーク画面が開く。

 胸の奥が、静かに、でも確かに熱くなる。


「……またね」


 そう言って、校門をくぐった。

 春の風が、そっと背中を押した。

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