第二話「僻みきったゲンジツ世界」
夢の中でまたあの光景が映る。
残酷な血の匂いと暴走する自動車。大好きだったあの人の、悲惨な最期の光景だ。
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夢の中、大きな金属にその影が吸い込まれるのを防ごうと、急いで駆け寄って手を伸ばした。
が、掴む前にそれはぐちゃりと沈んだ。
潰れた果物の甘い匂いが漂う。倒れる女性に駆け寄る妹。
その姿は紛れもなく俺の母親であった。
右手に異様な力が入って皮膚に爪が食い込み、ポタポタと血が滴り落ちる。
視界の隅で聞こえるモーターの駆動音と踏切の金切り声。
全てが次第に大きくなって立ちすくむ俺の耳を壊す。金属の寂れたツンとした匂いが鼻腔をくすぐる。
目の前で血を吐いて倒れた母は、ぐったりとしてぴくりとも動かない。
嘆きか絶叫か自分でもわからないような声で「お母さん!」と叫ぶ妹。
果物の入ったビニール袋は手のひらから離れて、この指は何も掴んでいない。空をきっていた。
妹が肩をさする振動も、俺の視線も、彼女には届かない。
数分前まで妹と楽しそうに会話していた彼女は、俺の母親は。
…すでに死んでいた。
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現実に引き戻される感覚。果物を潰した懐かしい香りが俺をここに戻す。
ゆらゆらと青白く光る電灯が視界に映った。
またあの夢を見たようだ。身体中が汗でびっしょり濡れている。
ガタガタと床が揺れ蛍光灯は左右に揺れた。近くの高速道路を走行するトラックのせいだろう。
ガソリンのツンとした匂いが鼻を突き刺す。布団からヨボヨボの老犬のようにゆっくりと這い出て、うとうと船を漕ぎながら部屋を出た。
ポタポタと水滴が滴り落ちる律動的な音が聞こえる。蛇口の栓を閉め忘れたのだろうか。
埃を被った紺色の座椅子に、割れた液晶テレビ。過去の断片を横切って、分厚い藍色の遮光カーテンで閉ざされたすりガラスの窓へと向かう。
ジリリリと音を立てて開かれたカーテンの奥、すりガラスの窓を勢いよく開いた。
そこには見えるは、澄み切った高い空で燦々と輝く太陽の光。
ギギギと数多の自動車が通り抜ける高速道路を照射している。
眼下には、はしゃぎ回る小学生はなく、トボトボ歩く小学生達に、俯いて通勤するスーツを羽織る成人男性。
世界は確かにそこにあるのに、何かが失われてしまったように変革していた。
捨ててはけない思いを消失した、ガソリン臭い黒煙が立ちこむ灰色の都市街。
太陽が照らすその街には光が灯っていなかった。