1:三上という女
短い話です
とある高校。
その二学年の教室の昼休み。
仲のいい友人と群れて食べる訳でもなく。
かといって、教室を離れて、孤独を求めて食堂や中庭へ赴く訳でもなく。
その少年は黙々と、自分の席で昼食の弁当に集中していた。
昼休みの開始のチャイムが鳴ったと同時に、机の上の筆記用具を片付け、一切の無駄な行動がなく、弁当箱を広げる。
小さな声でいただきますと言い、手を合わせる少年の名前は、更科 旭郎。
彼は決して友人やかかわりのある人がいないわけではない。
現にこうして黙々と食べている間も、同じクラスの友人が通りすがりに気安く喋りかけてきている。
友人と席を合わせたりしないのは、彼がそういう風に育ってきたから。
少し頭の固い彼は、食事の時は無駄にしゃべらず食べる。そういう風に教えられてきたことを、淡々と実行しているだけだ。
そんな彼の右隣の席は、昼休みになると決まって空き家になる。
旭郎はそんな隣の空席を気にすることもなく、今日も親が作ったいつものメニュー《ハンバーグ》をおかずに、ご飯をかき込んでいた。
彼の両親は共働きだ。少ない時間を使ってわざわざお弁当を作ってくれている。
(ローテーションもなく毎日同じ弁当だ。だが、俺はこの弁当を嫌いになれない)
その感謝も込めて、彼は毎日同じメニューを同じペースで、綺麗に平らげていた。
ただ、彼は食事の時は一歩引いた立ち位置を取ることが多いのだ。
食べ方が汚いから自粛している訳でもない。自慢ではないが、親の教育が良かったのか彼は箸を綺麗に持つ。
そうして、一人黙々と食事を進めていた彼は、ふと教室の前方に視線を向けた。
そこには、男二人、女三人のグループができている。
今年初めて同じクラスになったため、まだ全員の名前は覚えていないが、その中の女子二人は度々噂で耳にすることが多かった。
比較的美人が多いと言われるこの高校。
旭郎自身に、他人に美醜を求めるような感性はないが、その中でも一際目立つ……いや、一人は別の意味でも目立っていると感じることはある。
一人は、肩のあたりで切りそろえられた茶髪と落ち着いた表情と雰囲気の少女。
名前を金山 芽生
クラスの副委員長を務める彼女は、水泳部としてなかなかの好成績を残しているらしい。
県下ではもちろん、全国大会レベルの優秀な成績を納めているとのこと。
……纏う雰囲気に対して、茶髪である理由は、それだけプールに長くいたせいだ。
旭郎は、足りない野菜を補うためにいつも飲んでいる野菜ジュースで喉を潤す。
ちなみにこの学校にプールはない。
水泳部とは名ばかりで、実際は外部のスイミングスクールに通っている生徒が、大会に出場するためだけに籍を置く『幽霊部』と言ってもいい。
(俺はそう考えると黒髪のままだったな。まぁ……泳いだ時間が違うせいか)
旭郎自身も昔から水泳をやっており、それなりに泳ぐのは速い。
しかし、部活として機能していない以上、そこに所属する意味はないと冷めた見方をしている。
そして次に目立つのが、金山とは違う意味で明るい髪色とイメージ通りの元気な少女。
いつも隣の席を空っぽにして、あっちのグループに入り浸っている張本人だ。
「あははっ! 芽生、それ一口ちょーだい!」
彼女は今も、茶髪の金山に嬉しそうに抱きつきながらじゃれついている。
まるで飼い主に懐く犬のようだ。
(あの髪、染めている訳じゃないんだっけ。名前は……三上さんか)
旭郎は又聞きではあるが、彼女が不良でわざと染髪をしているわけではないと知っている。
三上は、北欧とのハーフなのだ。
ミドルネームなどは無いため度々勘違いされがちだが、本人は特に気にしていないらしい。
観察していると、三上はグループにいる男子の一人……人の良さそうな笑顔を浮かべる山崎という少年に話しかける時だけ、少し声のトーンが跳ね上がっている気がした。
けれど、当の山崎の視線は別の方向を向いているような……
(……なんだか、面倒くさそうな関係性だな)
他人の色恋沙汰に関わる気など微塵もない旭郎は、飲み終えた野菜ジュースのパックを持って、立ち上がった。
グループのせいでやや喧騒に包まれた教室から抜け出し、そのまま人が少なくて静かな、お気に入りのゴミ箱へと向かった。
ゴミ箱にそのまま捨てるのではなく、近くにある洗面台で中身が入っていないことを確認したうえで、潰して捨てる。
ふと、捨てる前にごみ箱の中を覗き込むと、ティッシュ以外はすべて自分が捨てた紙パックだった。
(これだけ飲んだのか……学校の怪談になりそうだな)
少し口角を上げつつ、いつものルーティン通り、歯磨きを始めた。
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次の日も、その次の日も。
昼休みが始まるチャイムが鳴ると、筆記用具を片付け、弁当箱を取り出す旭郎。
いつものグループへ合流するために机の上をそのままにして、席を立つ三上。
三上のグループはその日も盛り上がりに陰りはなく、毎日楽しそうに、それはもう眩しいくらいに笑い合っていた。
(よく話題が尽きないものだ……いいね)
今日も旭郎は同じルーティンをとる。
ゴミ箱が空になっているのを見て、少し凹みつつも、掃除をしてくれている人へ感謝をして再びゴミ箱に、紙パックを捨てた。
────────────
そんなこんなで一週間が終わろうとしている、金曜の放課後。
旭郎は用事で、いつもより長く学校に残っていた。
普段ならダッシュで帰宅している時間帯。
おまけに今日は、学校側の用事の兼ね合いで学校全体が早く帰れる日だった。
比較的真面目な旭郎だが、早く帰れることに越したことはない。
居残りなど絶対にしたくなかったのだが、馴染みの教師に呼び出しをもらった。
内容としては簡単な備品の整備。
教師が言うには、他にも生徒は呼び出してるので帰りたかったら帰っても問題ないらしい。
旭郎は少しの逡巡ののち、備品の整備を請け負うことにした。
自分がわざわざ残らなくても、一人二人いれば足りる作業ではあった。
だが、ここで言葉通り帰宅をして教師からの評価が下がるより、上がらないかもしれないが下がらない方を選択してしまった。
教師から先んじて報酬代わりの感謝の言葉だけを受け取って、美術室に手伝いとして呼び出された。
水泳で無駄に発達した広い肩幅と体力をあてにされ、授業で使うという重い道具の運搬と開封作業に勤しむ。
今日の作業は授業で使うというデザインナイフの準備と、粘土の仕分け。
デザインナイフは段ボールから取り出し、一つ一つ小箱を開封してラベルを張り付ける。
粘土については袋に入ったものをいくつかのバスケットに振り分けるというもの。
(ピラミッドの建設だったらビールの支給がされてるレベルだぞ……何か差し入れがあってもいいだろが!)
心の中で思わず悪態をつきつつ、粘土が入った段ボールの運搬をこなしている。
少し頭に血が上っているが、腰を痛めてしまわないように、作業自体は慎重に行った。
──────
……案の定、他に誘ったという生徒たちは影も形も現れず、そのまま一人で作業を完了した。
強制ではなかったとはいえ、釈然としない気持ちを旭郎は抱いていた。
断るのが上手い、もしくはもう少し責任を感じすぎない性格であれば、家にそのまま帰って悠々自適な休日へ入れたのだろう。
二時間ほど経過して、ようやく解放された旭郎。
疲れた肩を回しながら美術室を退出した。
彼は二つの解放感で足取りがどんどん軽くなっていくのを感じていた。
一つは、一週間頑張ったことで明日から休日であるという学校生活からの解放感。
二つ目は、苦行ともいえる労働を終えた、労働からの解放感。
(他のやつらはこの解放感を一つしか味わえないが、今の俺はほかのやつらより休日がうれしい……最高の休日の始まりかもしれないな)
ワーカーズ・ハイだ。
旭郎は思わず歌いだしそうな解放感と共に帰ろうとしたところで、自分が教室に忘れ物をしたことに気がついた。
忘れ物自体はただのハンカチである。
あこがれの人から貰ったものでも旅行先でお土産として購入したものでもない、百均ショップのハンカチ。
特段お気に入りでもないのでそのまま放っておいてもいいのだが、親に見つかると「だらしがない」と小言を言われてしまう。
気が付いていなければよかったのだが、気が付いてしまえばそれは後悔の種になる。
家から学校まで近いので、帰ってすぐに親にばれれば、改めて学校へ取りに行くように言われてしまう。
二度手間ではあるし、労働をして疲労が溜まっている。
ならば、今から遠回りではあるが教室へ行ったほうが合理的だろう。
旭郎は帰りたい自分の心を何とか説得し、教室へ向けて足を向けた。
オレンジ色に染まった夕暮れの廊下を歩く。
遠くから微かに吹奏楽部の練習音が聞こえるだけで、校舎はひっそりと静まり返っていた。
そうして、誰もいないはずの教室のドアを、ガラリと開ける。
「……あ?」
教室の扉を開けたのはいいものの、次の一歩が踏み出せず、旭郎の足が止まった。
西日が差し込む教室。自分の右隣の席――いつも昼休みには空っぽだったはずのその席で、金髪の少女が腕を枕にして、顔を伏せていたのだ。
三上だった。
すーすーと微かな寝息が聞こえる。どうやら寝ているらしい。
……夕日を浴びてオレンジ色に透けるその髪は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
(なんでこんな時間に……まあいい。足音を立てないように入るのもキモいし、少し過剰に音を出すか。こんな時間に寝てるほうが悪いしな)
旭郎は驚かさないように、わざと『コツコツ』と足音を立てて自分の席に近づいていく。
本当ならば足音を一切立てずに、回収することも可能だが、近づいて起きられたら最悪だ。
そこまで彼女の性格は悪くはないだろうが、もし明日話す内容がなかったら、昼休みの話題にされかねない。
(他人からの評価はどうでもいいが、自分の食事中に名前を出されるのは居心地が悪くなってしまうからな)
机の中からハンカチを引き抜こうとした、その時だった。
「……んっ」
物音に反応したのか、三上がゆっくりと顔を上げた。
寝ぼけ眼のまま、ぼんやりと辺りを見回す。
夕焼けに染まった誰もいない教室と、立ち尽くす旭郎の姿。
その瞬間、彼女の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
「……え、あ……れ……?」
自分の頬を伝う涙に、三上自身が一番驚いているようだった。
自分が置かれた『惨めな状況』――誰もいない教室で一人、時間が過ぎるのを待って泣き疲れていた己の姿を、客観視してしまったのだろう。
彼女は両手で顔を覆い、しゃくり上げるように泣き始めてしまった。
「すんっ……ひぐっ……」
普段の、あの太陽みたいに騒がしい駄犬のような姿からは想像もつかない、あまりにも弱々しい泣き声。
先ほどまでのワーカーズ・ハイでの高揚感は一瞬でどこかへ消え失せてしまった。
(……何だこの感情)
ただ親の小言を避けるためだけに取りに戻った、どうでもいい百円のハンカチ。
それを強く握りしめたまま、旭郎は完全にフリーズしていた。
他人の色恋沙汰も、面倒事も大嫌いなはずなのに。
どうして自分は今、ひどく無防備に泣きじゃくるこの『面白い生き物』から、目を離せずにいるのだろうか――




