雲の上
「悠真ー、お待たせ」
師匠が廃ビルから出てきた。
「あ、師匠! どうでしたか?」
「それがなぁ、行かなきゃならん場所ができてな」
師匠は言いづらそうに顔をそむけた。
「お前の故郷に行くの後回しでもいいか?」
「はい、それはいいですけど、次はどこ行くんですか?」
「目的地はちょっと遠いとこだな。名はユーフォビア」
「ユーフォビア?! あの宗教国家ユーフォビアですか?!」
「おー、なんだ。知ってんのか」
「この前ホテルに行ったときに図書館で読んでもらいましたから!」
悠真の声が弾む。
「戒律が厳しくて入国も厳しく管理されていて、入国までに正式な手続きを踏んで、飛行機や船を乗り継いで半年以上かかるんですよね!」
「あれだな。お前も知った知識をひけらかしたい年頃か」
「言い方ひどくないですか?!」
悠真は口を尖らせたが、すぐに次の楽しみを思い浮かべた。
「でも、どうやっていくんですか? やっぱり飛行機乗るんですか?! ずっと近くで見てみたかったんです!」
乗るところまでは、なかなか想像できなかった。
けれど、あんなに遠い国へ行くのなら、今度こそ師匠も飛行機に乗るのかもしれない。
「そうだな、今回は場所も場所だからな。せっかくだし少しゆっくり行くか」
悠真の顔がぱっと明るくなる。
師匠は続けた。
「到着まで1週間、走っていくぞ」
「…………え?」
「聞こえなかったか? 走っていく」
「だって今飛行機や船使って半年以上って……、そもそも走っていける場所じゃないですよ! どこ走るつもりですか!」
師匠は頭上を指さした。
「誰にも邪魔されねぇいい道があるだろ」
悠真が見上げた青空には、大きな雲が漂っている。意味が分からずぽかんとしていると、師匠が何かを放ってよこした。
「ほれ、プレゼント」
受け止めたのは、小さな手帳とペンだった。
「ちょっと臨時収入があってな。母ちゃんに思い出聞かせてやるんだろ。忘れねぇようにそこに書いときな」
「……師匠」
手帳を見つめてから、悠真は恐る恐る師匠の顔をうかがった。
「……これちゃんとお金払いましたよね?」
「ひでぇな! ちゃんと払ったわ。言っただろ、臨時収入って。この前の女から……」
「……お金、盗んだんですね?」
悠真が覗き込んでも、師匠は頑として顔をそむけたままだ。
「でも、ありがとうございます」
悠真が鞄に手帳とペンをしまい込むと、師匠は空へちらりと目を向けた。
「よし、今のうちだ。行くぞ」
「え? 今のうちって――」
師匠は鉄パイプを脇に挟み、悠真を横抱きにする。
「ちょっと急ぐぜ」
「え? ええ?? 師匠?!」
師匠が深くしゃがみ、一気に跳んだ。
跳び上がる勢いに、悠真の身体がその腕へ密着する。
厚い雲に包まれると、辺りが真っ白になって何も見えなかった。
確かなのは、自分を抱える師匠の腕だけだった。
雲を抜けると、まぶしい光が降り注ぐ。足元には果てしない白い雲海、頭上には雲一つない青空が広がっていた。
「はい、到着」
師匠は雲の上に平然と立った。
「えっと、師匠。これ、僕降りて大丈夫なやつですか?」
「空気の壁あるだろ。あれの応用だよ、体重支えられるだけの大きさで雲を固める。まぁやってみろ」
悠真は足元の雲へオーラをまとわせた。
師匠の腕から恐る恐る降り、雲へ足を乗せる。
「あ……、やった! やりましたよ師匠! 僕できましたよ!」
嬉しさのあまり、悠真はその場で跳ねた。
「おいおい、あんまはしゃいで落ちるなよ」
「大丈夫ですよ! 空気の壁なら得意分野ですから! それにしても雲の上って思ったより寒くないんです――」
はしゃいだ拍子に、足元へ集めていたオーラの制御が乱れた。
支えが抜け、悠真は雲の中へすぽっと落ちる。
師匠が鉄パイプの先を襟に引っかけ、落下を止めた。
「うぅ、師匠……」
雲から引き上げられた悠真は、涙目で鼻をすすっていた。
「やっぱりお前にはまだ早いか」
結局、悠真は来たときと同じように師匠の腕へ戻った。
「そんじゃ、出発といくぜ」
師匠が走り出すと、もこもことした雲の輪郭が流れ、白い光になって過ぎていく。
頬をなでる風が心地いい。
雲の上を旅している。
飛行機に乗らなければ見られないと思っていた景色が、今は目の前に広がっていた。
それでも、悠真には1つ心残りがあった。
(乗れなくても、近くで見るくらいはしたかったな……)
あの大きな翼が、本当に人を乗せて空を飛んでいるところを。
するとずっと黙って走っていた師匠が口を開いた。
「おい、悠真。ちょっと右の方見てろ」
「右、ですか?」
悠真は腕の中で首を右へ伸ばした。
師匠が少し身体を傾けてくれる。
雲の向こうから、大きな飛行機が現れた。
白い胴体から、長い翼が左右へ伸びている。
胴体には、小さな窓がいくつも並んでいた。
本で見た形が、すぐ目の前の空を飛んでいる。
「師匠……、これって」
「あぁ、お待ちかね飛行機だ」
ホテルのバルコニーから見たときは、点滅する小さな光でしかなかった。
いくら目で追っても見えなかった翼が、今はこんなにはっきり見える。
窓の向こうで、人影が動いた。
悠真は息をのむ。
あそこに座って、空を旅してみたかった。
けれど今、自分はその窓を、師匠の腕の中から見ている。
「……こんな近くで、見られるなんて」
悠真は師匠を見上げた。まぶたの端が少し潤む。
師匠はいつものように笑っていた。
「ほら、せっかくなんだ。笑って手でも振ってやりな」
――一方、機内は騒ぎになっていた。
「え、なになに?」
「人だよ! 人!」
「隣を人が走ってるんだって!」
乗客が、悠真たちの見える側の窓へ集まってくる。
「なにあれ! かわいい!」
「すごい、まじもんの天使じゃん!」
「どけって、見えないよ」
機内アナウンスが流れた。
『皆様、おそれいります! 客室乗務員よりご案内いたします。現在、安全上の理由および機体のバランス保持のため、皆様ただちにご自分の座席にお戻りくださ……、ちょっとあなたたちまで見に行かないの――』
アナウンスは途中で途切れた。操縦席でも、機長が無線へ身を乗り出していた。
「……センター! こちらBOK32! 応答せよ、緊急! 緊急事態発生だ!!」
『こちらコントロール。BOK32、緊急の理由をどうぞ。貴機のトランスポンダーに異常はないが……』
「計器じゃない! 外だ! 機体の外だ! 左翼のすぐ脇だ!!」
『BOK32、落ち着いてください。位置と状況を正確に――』
「落ち着けるかっ……! ここはフライト・レベル・230(高度23,000フィート)、外気温はマイナス・サーティー(-30℃)の極寒だぞ!? 空気だって地上の半分しかない、死の空間だ! ……なのに、なのにだ! 男が、男が子供を抱きかかえて走ってやがる!」
機長は左の窓から目を離せず、早口でまくし立てる。
「こっちは約400ノット(時速約740km)で巡航中だ!? なのに、あいつら……涼しげな顔で並走していやがるんだよ!!」
『……BOK32、今、何とおっしゃいましたか? 「人間」が並走していると?』
「幻覚じゃないっ、目の前にいる! 子供なんてこっちに向かってニコニコ手を振ってやがるんだ……おい、冗談じゃない、あれは人間じゃない……!!」
副操縦士が機長から無線を取り上げた。
「失礼、管制。機長は……連続でのフライトで錯乱している。これより私が機体を引き継ぎます」
『……了解した、BOK32。機長を休ませ、ただちに高度を下げて最寄りの空港へ――』
副操縦士が無線をパチンと切り、冷え切ったコックピットにスイッチの音が響く。
「おいおい何してるんだよ! お前にはあれが見えないのかっ……!」
機長の血走った問いかけに、副操縦士は前方を向いたまま、微動だにせず答えた。
「……見えますよ。私たち、疲れてるんです。このフライトが終わったらしばらく休日を取りましょう、お互いに」
窓に押し寄せた乗客の重みで、機体がわずかに傾く。
「おっと、ちょっと迷惑かけちまったようだな。ペースあげるぜ」
師匠が足を速めると、飛行機はたちまち背後へ消えた。
雲へ跳び上がったときから、師匠は悠真を寒さや薄い空気、激しい風から守り続けていた。
悠真は、自分の身体を守る必要があることにさえ気づいていない。
二人は雲の上を走り続けた。雲の切れ間から海を見下ろし、ときには師匠がわざと積乱雲へ突っ込んで悠真をからかう。
日が沈むと、空には次々と星が現れた。
やがて見渡す限りに広がり、白い雲の上で瞬き始める。
「師匠、見てますか? 星、すっごくきれいですよ」
師匠は笑った。
「あぁ見てるよ。俺はそこまで星空に興味ないと思われてんのか?」
「だって、師匠ずっと黙って走ってるから。もしかしたら見る余裕もないのかなって」
「お気遣いありがとよ。きれいだな」
「はい。いままでの旅で一番の絶景更新ですね」
悠真は師匠の腕の中から空を指さした。
「あ! あれたしか、なんていう星座でしたっけ……? 図書館で星座の本も読んでもらったんですけど」
「名前なんていいだろ。綺麗なんだ、それで十分じゃねぇか」
「……はい! とっても綺麗です」
星を眺めるうち、月が空の高みへ昇った。
「悠真、もう遅いが寝なくて大丈夫か?」
「まだ起きてますよ。だって師匠は寝ないんですよね?」
「さすがに俺は寝れねぇなぁ」
「それに、こんなに綺麗な景色見れるのに寝るなんてもったいないですよ」
悠真は師匠を見上げて微笑んだ。
「今夜は一緒に、ですよ。師匠」
悠真は抱きかかえられながらハッとする。
「あ、そうだ! ねぇ師匠、少しだけ休憩しませんか?」
「ん、どした? トイレ行きたくなったか?」
「そうじゃなくて、せっかくだしこの星空見ながら日記書こうかなって。なので鞄から手帳とペン取り出させてください!」
「今かよ」
「ダメですか?」
うるうるとした瞳を向けられ、師匠はどうしようもないといった様子で足を止めた。
「ったく、どこでそんなの覚えてきたんだよ。取り出すときに落っこちんじゃねぇぞ」
「えっへへー、ありがとうございます」
今度ははしゃぐことなく、足元の雲へオーラをまとわせる。
悠真は師匠の腕から降り、落ち着いて立った。
鞄を下ろし、手帳とペンを取り出して、再び背負う。
師匠に抱き上げてもらうと、ここが自分の定位置と言わんばかりに、その腕の中へ身体を収めた。
「おまたせです」
「行きながら書く気か?」
「この空を、この風を全部全部いま感じたまま書きたいんです」
「そうかい、なら好きにしな」
美しい星空に包まれて、悠真はこれまでのできごとをしたためる。
どこまでも続くよどみなき星の道が、悠真を優しく照らす。
書いては空を見上げ、ときには師匠へ話しかける。
そうして夜が過ぎ、月が沈むころには、星の光も薄れていた。
やがて東の空が、赤みを帯び始める。
ふと、悠真に疑問が浮かんだ。
「そういえば師匠。これどうやって降りるんですか?」
「ちょうどいいタイミングで聞いてきたな」
「ちょうどいい?」
「あぁ、着いたぜ、ユーフォビア」
悠真は驚いて師匠を見上げた。
「え? 確か1週間って」
「ユーフォビアまで一日、残り六日かけて目的地までゆっくり向かう」
悠真は穏やかに笑った。
「……よかった」
「ん?」
「今日起きててよかったなって」
師匠が思い出したように口を開いた。
「そういや悠真、お前いつかスカイダイビングしたいって言ってたよな」
「え? 僕そんなこと言って……」
悠真は慌てて師匠の顔を見た。
「嘘ですよね?! 嘘って――」
「日記落とすんじゃねぇぞ!」
師匠は悠真をしっかり抱えたまま、雲の縁から飛び降りた。
「ばかばかばかばかばかばか! 師匠のばかぁああああああ!!!!!!」
大空に響き渡る声。
瞳に映るは絶海の孤島。
悠真の旅は次の舞台へと進む。
お母さんへ
師匠に、500億もの賞金がかけられていたそうです。
世界中から、師匠を殺そうとする人が来て、それはもう大変でした。
僕までねらわれて、死んじゃうかと思いました。
でも、お母さん、心配しないでください。
僕は前よりずっと強くなりました。
師匠も、びっくりするくらい強いです。
旅の中で、大切なお友達もできました。
明るくて、いつもたくさんの人を笑顔にしようとがんばっている太陽みたいな人です。
いつかお母さんにも会ってほしいです。
きっと好きになると思います。
これまでの旅ではお母さんがびっくりするようなことがたくさんあったんですよ。
闘技場では、筋肉の塊みたいな人や刃物を持った危ない人と戦って、なんと僕が勝ったんです。
すごくたくさんのお金がもらえて、そのお金で大きくてきれいなホテルに泊まったり、おいしいお団子を食べたり。
結局、ホテルで全部のお金を使っちゃって、また野宿することになって。
毎日、初めてのことがいっぱいです。
今日は初めて、飛行機を近くで見ることができました。
村から見上げていたときは、あんなに小さかったのに。
近くで見ると本当に大きくて、窓の中の人たちまで見えたんです。
そして今は雲の上で、星を見ながら旅をしています。
お母さん、お母さんの教えてくれた通り、世界はどこまでも広いです。
ここには書ききれないので、村に帰ったら、たくさんお話ししますね。
できたら、お団子も持って帰ります。
ろくでもない師匠ですが、そんな師匠と一緒にいられて、僕はいま幸せです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました
『僕の師匠はろくでもない』は、もともと私が書きたいと考えている別の本編に登場する人物たちに焦点を当てた、スピンオフにあたる物語です
本編では脇役となる師匠と悠真ですが、今回は二人の旅を主役として描きました
師匠の名前を明かす前に、先に形にしたい作品がいくつかあるため、この旅の続きを書くのは、しばらく先になる予定です
次はゲーム制作に取り組みます
続きの時期はまだお約束できませんが、また二人の旅をお届けできたときには、お付き合いいただけると嬉しいです
好きな場面やキャラクターなど、一言でもご感想をいただけると励みになります
ここまで師匠と悠真の旅を見届けてくださり、本当にありがとうございました




