スナイパー
【前作のご案内】
前作『僕の師匠はろくでもない』は、全4話で完結しています
悠真が師匠に連れられ、初めて実戦に挑む物語です
読んでいただくと、二人の関係や、本作で再会する人物とのやり取りを、より楽しんでいただけます
本作だけでもお読みいただけますので、気になった方はぜひ前作もご覧ください
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遮るもののない30階建てビルの屋上。
フルフェイスヘルメットを被った人物と、ライフルを構える男が、冷たい風の中で息を潜めていた。
ヘルメットのシールドは、内側から外が見えるのか疑わしいほど黒い。
そこに押し当てられた双眼鏡は、接眼部がシールドの曲面に隙間なく沿うよう改造されていた。
「見つけたわ。茶色の革ジャケットに金色のオールバック、ゴーグル、そして手に鉄パイプ。間違いない、ターゲットよ。距離30,034.67メートル。目印からだいたい……75m……」
手すりをトントンと指で叩くとすぐに続けた。
「上に0.05ミル、右に2.5ミル修正。情報通り子供を一人連れて例の道を歩いてる。ダリ、準備はいいかい」
双眼鏡を覗いたまま、相棒の返事を待つ。
もう一人は横で、重厚なライフルを三脚に固定しながら不敵に笑った。
「ああ、構わないさ。俺の改造ライフルは射程3.5キロ、オーラを込めれば30キロ先の標的だって射程圏内だ。それに今回は額も額だ、本気でオーラ込めて最高速度でブチ抜く。着弾まで0.2秒、反応すらさせない」
構えられた銃に静かにオーラが凝縮されていく。
「あとは角度の指定を頼むぜ。君こそこの距離は初めてだろ、大丈夫かい? ソフィー」
「あたいに能力の説明を2度もさせないでちょうだい。遮るものさえ無ければどれだけ離れていても、空気の揺らぎすら関係なくくっきり見えてる。さすがにこの距離だけあって、こんな高いところを確保しなくちゃ地球の曲率で見えないけどね」
その言葉通り、ソフィーの目には、30キロ先を歩く男の姿が鮮明に映っていた。
ただし、見えたものを処理するのは、ソフィー自身の脳だ。
双眼鏡は視野を絞り、流れ込む情報を減らすために使っている。
視界を覆うヘルメットは、万が一、双眼鏡が目から外れたときの備えである。
「そりゃあ心強い。ヘルメットでのぼせる前に終わらせちまおう。今日も頼むぜ、相棒」
「まあね。でもまどろっこしいわ。なんでこんなに距離を取らなきゃいけないのさ」
「仕方ないだろ。情報屋からの話じゃ『20キロ以内に入ると気配でバレる』ってよ。安全を取っての30キロ。これならどれだけ勘が良くたって問題ないさ」
「バカバカしい。そんなのバレるわけないじゃない、30キロよ? 普通なら地平線の先よ?」
「いいじゃないか、こんな楽な仕事で大金が入るんだ。儲けもんだな」
ソフィーの動きが一瞬止まると、抑え込んでいた不満を吐き出すように口を開いた。
「どこが楽な仕事よ。この距離を見るのに、どれだけ負担がかかると思ってんの。視野を絞って、こんな暑苦しいヘルメットまで被ってんのよ? あたいは場所探しから計算までやってるってのに。言われたところを撃つだけのあんたにしちゃ、楽でしょうけどね」
「悪かったって、ソフィー。君に負担をかけてるのは分かってるよ。だから機嫌直してくれよ」
「はいはい。ターゲットが立ち止まったわ。上に0.003ミル、右に1.12ミル修正よ」
「あいよ」
そう言うと、ダリはライフルのダイヤルを修正した。そして息を吐ききり、指先の圧力だけで、ダイヤルの目盛りには存在しない極小のズレの修正を始めた。
「ちょっと待って、何か取り出したわ。小さいわね……手帳……? 何か書いてる……」
――そこからはるか30キロ先、田舎道。
歩いていた男は、おもむろに懐から手帳を取り出し、フィンガーレスの黒い革グローブの手でペンを走らせていた。
「師匠、日記ですか? 昼からなんて珍しい」
「いーや、ラブコールさ。30キロ先で熱心に見てくれてる嬢ちゃんにね」
「またまたー、さすがにそんな嘘じゃ騙されませんよ」
隣で足を止めた少年・悠真が、呆れた顔で師匠を見上げる。
「悠真、これ持ってろ」
そう言うと師匠は背中にぶら下げていた大きな巾着袋を悠真に投げ渡した。
「うわっとっと……!」
自身の上半身ほどもあるカバンを、悠真は落とさずにどうにか両腕でキャッチしたものの、ずっしりとした重さに足取りがふらつく。
中からカチャカチャと金属の擦れ合う音が響いた。
悠真が袋を抱え直すのを横目に、師匠はニヤリと笑った。
そして、30キロ先で自分を覗く双眼鏡へ、手帳のページをぴたりと向けた。
そこには、極太の文字でこう書かれていた。
バレてるよ♡
――30キロ離れたビル屋上で、ソフィーは顔から血が引いていくことをはっきりと感じ取った。
「おいおい、嘘だろ……」
初めて実感する、身の毛がよだつとはこういうことなのか、と。
「まずいよダリ、バレた。今回の件からは手を引くよ」
「いきなりどうしたソフィー。落ち着いて、君らしくない。きっと勘違いさ。なにせ30キロ先だ」
「勘違いじゃない! あれは関わっちゃダメなタイプだ。……待って、何か口パクで言って……。『ま』……『あ』……『い』……?」
首筋に、鉄パイプが触れた。
さっきまで吹きつけていた風が、ぴたりと止んでいた。
「俺の間合いだぜ、嬢ちゃん。どうするよ」
背後に立つ男は、髪一本揺らしていなかった。
駆けつけた勢いも、足を止めた気配もない。
初めから、そこに立っていたかのようだった。
――その直前。
悠真は、目の前の師匠から目を離していなかった。
それなのに、気づけば姿がない。
「あれ……師匠? また消えた、いつの間に……」
動いたところも、消えた瞬間も分からない。
ついさっきまでそこにいたはずなのに、悠真には、ただ戻ってくるのを待つことしかできなかった。
――風の止んだ屋上で、ヘルメットの内側に熱がこもる。
ソフィーの首筋を汗が伝った。
(後ろを取られた……。いつの間に……)
「さーて、教えてもらおうか。誰の依頼だ? 恨みは山ほど買ってるが、こういうことしてくる相手に覚えがなくてね」
ダリは動けず、何もできない現実に、ただ焦燥に駆られている。
(声がするまでまるで気が付かなかった。まずい、動けるか。いや、無理だ。動けば先にソフィーが殺られる……!)
ソフィーはダリのいる方へわずかに目を動かし、ひと呼吸をした。
そして師匠に対し、まるで煽るように強気に答え始めた。
「さぁね、あたいらは知らないよ。ネットであんたの首に賞金がかかってんのさ。500億、知らなかったの?」
ライフルを構えたまま動けないダリは声を張り上げることしかできなかった。
「やめろ! ソフィー! 挑発するな!」
ダリの張り上げた声を気にもとめず、二人は会話を続ける。
「へぇ、そんな大金よく信じたな。普通に考えりゃ嘘って思うもんだが」
ソフィーの声は少しだけ震えていた。
だが、それでも力強く答え続ける。
「それは無いわね。裏でも最大手のサイトよ。先に入金しないと依頼すらできない信用に値するところ。まさに早い者勝ち、我先にと500億を狙って、これから多くの殺し屋があんたのとこへやってくるわ。あんたのその呑気もどこまで続くかしらね」
「やめるんだ! ソフィー!」
その言葉を聞いて背後の男は嬉しそうに答えた。
「500億……か。嬉しいねぇ、いつぶりだろうか。俺にこんな舐めた真似してくれるなんて」
そう言い残すと、また気が付けば男は消えている。
ダリが下を向いて小刻みに震えるソフィーに声をかけた。
「大丈夫かソフィー!」
「ふふ……」
「ソフィー……?」
ソフィーが大きく頭を振り上げて笑い始めた。
「あーーはははははっは!」
ソフィーが笑い疲れると、そのまま楽しそうな声で話し始めた。
「あーやめやめ。スナイパーが後ろ取られたらおしまいだよ。しばらく休業だね、こりゃ」
そう言ってヘルメットを外すと、汗で湿った長く明るい赤髪が風に煽られてなびいた。
「俺はべつにそれで構わないけど……。なんであんな無茶したんだ、ソフィー」
ソフィーはすっと真顔になると横目でダリを見つめた。
(あのとき、あたいが助けてって言ったら、あんた……動けばどうなるか、分かってても来るでしょ)
フッと笑うと振り返って出入口へ歩き始めた。
「知ってんでしょ、あたいは負けず嫌いなんだ。さぁ、こんなとこに用はもうないんだから、とっとと行くよ」
――地上に取り残された悠真は、投げ渡された大きな巾着袋を抱え直しながら、いまだに周囲をキョロキョロと見回していた。
「もう師匠、僕一人置いて今度はどこ行ったんだか……」
すると後ろから大きな声とともに、すっぽりと頭ごと目を塞がれた。
「わっ!」
「うわぁ!」
声変わりもまだな悠真の甲高い声が鳴り響く。
「師匠! やめてくださいよそういうの! 心臓に悪いですよ……!」
「ヘヘ、お前は相変わらず警戒心がねぇなぁ」
目隠しを外した師匠は、何事もなかったかのようにヘラヘラと笑っている。
悠真が「もう!」と呆れてため息をつくのを横目に、ニヤリと口元を歪めた。
(この際だ、こいつにいろいろ経験させてやるか)
「よし、美味いもんでも食いに行くか!」
「えっ、本当ですか!?」
さっきまでの不満も忘れ、ぱっと目を輝かせる悠真のふわふわした頭を、使い込まれた革グローブでガシガシと乱暴に撫で回しながら、師匠は歩き出す。
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