第10話 平和島 ⑤
ミサキ・キリシマの手記
彼はこう言った。
『非侵襲型BMIには人の心を操作したり、ましてや人格を改変するような力はない』
あってイメージ映像を流したり、イメージを読み取ってアバターを動かすゲーム程度の影響しか与えないという。
しかし、私は知っている。
読書中に感情移入して感動するときがある。
たった一つの映画がその後の人生に影響を与えることがある。
漫画アニメゲーム体験がその人の人格を形成することだってある。
人徳や道徳を学ぶ機会のない発展途上国で、アニメや映画からそれらを学んだ若者がいることをわたしは知っている。
狂気の滲み出るあの男は、わたしの心の深くに植え付けることに成功した。
日本連邦へ行きたいという「動機」を植え付けたのだ。
――平和島カジノ、BMIルーム
わたしはまだBMIのゲーム酔いから覚めず、そのまま座っている。
拘束はすでに解かれていた。
部屋は最初よりも薄暗く明かりを落としていた。
ハオイーシェンは「元の感覚に慣れるまで暗い方がいい」と言っていた。
慣れるまでの間、彼はしゃべり続けた。
「あの日、日本連邦ネット社会に侵入していくつかわかったことがあります。一つはゲームシステムを基盤に新しいデジタル社会を構築していることですね。個々人の行動がブロックチェーンの履歴として紐づいていることから、完全実名公開制だと推測できます。同時にドリフターという生き方、あるいはイデオロギー勢力が会話に出てきていることから匿名性を重視した場所も用意されていることが伺えます」
ほかにはAI弁護士が即座にダウンロードされたことから高度専門職はAIに置き換わっている。
仮想世界の建設現場で監督ひとりに何百というAIが従事していたことからネット単純労働もAIに置き換わっている。
シチズン(市民)とドリフター(放浪者)というイデオロギー勢力が存在する。それでいて弾圧のような空気を感じないことから民主的な仕組みが存在するだろう。
管理者権限保有者である銀髪の美少女からキャラデザにこだわっているのか、それとも現実も美少女なのか。あるいは彼女こそ扶桑樹の麓に住まう仙人という設定なのか。
そういえば中国人って銀髪の美男美女とか仙人って好きよね。
いろいろ考察を述べてから一言
「実に面白い」
と笑いながら言った。
「わたしにそこに行けと…………いいわ。あんなの見せられたら、確かに行ってみたくなる」
正直、それもありだと思った。
だって帰る場所なんてもうないのだから。
ハオイーシェンはその答えに満足そうな笑みになる。
が、その瞳に狂気が宿っていることにすぐ知ることになった。
ハオイーシェンは頭を抱えた。
抱えてうずくまった。
「わたしは、わたしは見たいんです。この目で、まだ生きている内に。あの世界をあの社会の進化した先を。ああ~なんで見せてくれないんだ。わたしがどれほど日本に恋焦がれていると思っているんですか」
彼が頭を抱え、いや顔面に爪を立てながら顔を上げる。
とつぜん狂ったように。
それは怒りでも悲しみでもない、渇望の雄叫び。
「見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい」
感情の爆発。
あの冷静沈着、知的な男と同一人物とはとても思えない。
「ひぃ!?」
わたしは引きつってのけぞった。
「行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい」
反り返るほど天を仰ぐ。
わたしは怖くなり息を止める。
独白しながら一歩一歩近づいてきた。
「もっと見たい。もった歩きたい。もっと世界を。もっとあの国を、愛してる。AIが支配する世界なんて狂気の沙汰だ。人々がAIを従えている。その歪んで体系化された支配構造。知りたい。未来を仮想シミュレートし続けてどうやって政治を決める。それでは政治家などいらない最高効率で国家運営をするRTSゲームじゃないですかぁ」
それはまるでゲームを取り上げられた子供。
彼の30年分の積もりに積もった感情。
薄暗いが広いはずの部屋がとても狭く感じた。
彼がわたしの隣に立ちまた頭を抱える。
「なんて面白そうな国なんだ。なんて狂気じみた国なんだ。所詮人間の欲など脳内の報酬系の刺激、幸せなんて化学反応にしか過ぎない。仮想世界が人の脳と心を満たすのなら、物質社会はどうなるぅ。どうなる?」
頭を抱えながら彼はわたしの隣に立ち、わたしに訴えかける。
こちらを見てすらいない。
彼をよく見ると頭を抱えていなかった。
首のうなじに埋め込まれているインプラント端子を撫でていた。
侵襲型BMIの接続端子。
人の心を侵食する禁忌の技術。
チタン合金が鈍く光りを反射していた。
「ああ、この世界はつまらない。反AI主義が台頭してから物質主義へ回帰した。モノを溢れさせて心を満たす貧欲者たちの群れ。欲求不満を満たすために人を増やし続けて無駄に心をすり減らす。アメリカは人口5億人を越えたじゃないか。息ができないほど臭く醜い世界。吐き気がする!」
ぐるりとわたしの方に顔を向けた。
息が詰まった。
彼の目から血の涙が出ていた。
「脳がドーパミンを欲しているううぅ」
この男はいつから壊れていたのか?
BMIインプラント手術を受けて機械と融合したときから?
侵襲型BMIにつながり、精神に影響のあるプログラムを読み取ったとき?
日本連邦に魅了された日から?
それとも荒廃した渋谷で膨大なAI映像を駆使して消して得られないイメージを出力し続けて?
ああ、ハオイーシェン。あなたは老いてなお子供のように純粋なんだね。
「ガチャ――ボス、連絡が」
急に部屋全体の明かりが上がった。
血の涙。
いや照明の光加減でそう見えただけだった。
ハオイーシェンはハンカチで顔を拭いている。
「失礼。最近歳のせいか感情的になってね」
ハンカチで感情をふき取るといつもの笑みを張り付けた紳士に戻っていた。
彼は部下の話を聞きに入り口に向かった。
やはり何を話しているのかよく聞こえない。
そしてこちらにくるっと向き直った。
「喜んでください。どうやらスロットマシンの表示部分だけが大当たりになっていたようです。数億分の一の確率で、内部データは2ドル相当の当たりでした。しかし2ドルでは申し訳ないと言うことで、こちらカジノからのお詫びの食事券です」
ハオイーシェンの部下がステーキ無料券のチケットを渡してくれた。
「そのようですね」
外に待機していた部下たちを引き入れた。
「彼女を丁重にお送りしなさい。それから何かあればいつでもご連絡を」
受け取ったチケットとは別にハオイーシェンへの直通連絡先が書かれた紙を受け取った。
「ああ、そうそう」
部屋を出る直前、彼に呼び止められた。
振り返ると彼は愛おしそうにBMIを撫でていた。
わたしの方を見ずにBMIに向けて話し出した。
「日本連邦は三大禁忌をすべて踏み抜いて突き進む科学至上主義の国家です。それはあのイメージ映像から何となくわかるでしょう?」
「はい」
わたしは短く同意した。
「それでは最後の禁忌は何かお覚えですか?」
最後の禁忌。
第三世代AI、侵襲型BMI、そして――。
「……ゲノム編集の人間への適用」
「そうです。それこそが半世紀前に日本連邦が国際社会と激しく対立することになった最大の禁忌、デザイナーベビーの解禁になります。国際社会を見限って40年、いったいどれほどのDNAの編集と改造を繰り返しているのか想像もつきません。ニューヒューマンと呼べるぐらい進化しているかもしれません。だからもし日本人と会うことがあるのなら、彼らの見た目をよく観察してください。常識的に考えて外見至上主義ルッキズムを根絶するより美男美女の遺伝子を強化する。あるいは注入したいと考えるのが親心というものです」
「わかりました。もし日本連邦へ行くことがあったら調べてみます。どれぐらい美男美女なのか」
わたしは再び歩き出す。
ただ、何となく手で指先でうなじのあたりをさする。
そこにインプラントが無いのは知っている。
だけど、どうしても触ってしまう。
どうしようもないほど日本連邦へ行きたいと、思考を変えられた気がしたからだ。
――日本連邦 某所休息所
「はぁ~、食後の日本茶は体と心にしみますね~」
「ラムちゃんはまったりしすぎよ」
「いいじゃないですか。今は休憩時間なんですから」
事情聴取をしていてハオイーシェンとの会話を思い出した。
たまたま出会った職員が絶世の美女だった場合、それが偶然の可能性はある。
日本連邦の顔ともいえる職場なのだから顔で選ぶこともあるだろう。
しかし人懐っこい後輩職員も負けず劣らず顔の整った美女ならそれは作為的だ。
シャン。というドアが開く音と共に三人目の職員が入ってきた。
「ラムダスリー食器を片付けるように頼まれました。もっていくわ。よろしくて」
「あ、シータワン先輩、すみませんっ!」
シータワンと呼ばれる職員。
背が高い。
身長約200センチ、長身のすらっとしたモデル体型の女性だ。
やはりバイザーを付けているため素顔を伺い知ることはできない。
そう思った矢先、カシャンと音と共にバイザーが左右に分かれた。
入室時に帽子をとるような感覚だろうか?
そしてやはり、やはり顔の整った3人目の絶世の美女だ。
ああ、ハオイーシェン。
貴方の想像のとおりだ。
ここに来るまで、特殊部隊員、輸送船の乗組員、トラックの運転手、警備員、会う人会う人全員が美男美女だ。
だからわたしは確信を持って言える。
目の前の2人は日本連邦の”ごく一般的な国民”にして進化した人類だ。
ここは”ニューヒューマン”の国だ。
できるだけ文字数を削減する方針のためハオイーシェンは情報の爆弾を投下し続けます。




