舞踏会の長い夜④
ドラクロワが手にしたのは、全身黒尽くめのその姿にふさわしい漆黒の剣だった。丈はそれほど長くなく、刃もとても細い。得物としては、ジャスティンの大剣の方がはるかに分があるように見えた。
そして、実際ドラクロワが剣を構える姿に、それほど覇気はなく。そもそも、根っからの魔導師である彼が、外見だけ多少武装したところで、違和感が拭えないのは当たり前のことだった。外観の様相だけをとれば、ドラクロワは、この会場でジャスティンと決闘したどの男たちよりも、剣が似合わなかった。
しかし、それはあくまで風体や印象の話であり、実際の強さとはまた別問題だった。
「剣を使ってやろう。感謝するがいい」
不気味に黒光りする鋭い刃に酔いしれるようにして、ドラクロワは黒剣を眼前にかざした。
「アルジェントの娘。お前が主役を務めたさきほどの余興は、それなりに楽しめたぞ。連戦続きでさぞや疲れていることだろう。私からのささやかな礼として、戦う前に体力を回復してやってもいいぞ」
「いらん。そのような気遣いは無用だ」
ドラクロワの言葉をぴしゃりと跳ね付けるジャスティンだが、ドラクロワはそんなことなどお構いなしだった。
「これから戦う相手からの施しは受けたくないか? しかし、これは施しではない。お前が万全の状態でないと、こちらとしても戦う意味がないのでな。ハンデを負っていたから負けたのだと、後になって言い訳をされるのも癪だ」
「そんなこと誰が……っ」
「ならば素直に従え。人の好意は受け取っておくべきだと、子供の頃に教わらなかったか?」
ジャスティンが言い返す間もなく、ドラクロワは彼女に魔法をかけ、彼女の体力や傷を完全に癒してみせた。
不本意だと言わんばかりにジャスティンが唇をかみしめる。
「ドラクロワ、たしかにお前は強いのだろう。ただし、その驕りがある限り、お前の勝利は決して確実ではないということを、私が証明してみせる」
「ほう。たしかに、負けん気だけは人一倍備わっているようだ。それも、ひどく無駄に」
「無駄かどうかは、自分で決めるっ」
動いたのは、お互いほぼ同時だった。
先ほどまで繰り広げられていた決闘が一時中断されて、しばらく止んでいたはずの金属のぶつかり合う音が、再びこのただっ広いホールに冴えわたり始めていた。
甲高く響く、空気を切り裂くような音。それは楽を奏でるようでもあり、またあるいは人の叫び声のようにも聞こえた。
ジャスティンの動きにはその一瞬一瞬にも隙がなく、相変わらず見事なものであったが、着目すべきはドラクロワのほうだった。ジャスティンが攻めの態勢に入っているにも関わらず、ドラクロワはその攻撃を毎回すれすれの位置でかわしきっている。はた目から見れば互角に見えるような戦い方を、彼はわざとしていた。それを感じ取ったジャスティンが、奮怒の声をあげるのは至極当然のことだった。
「ドラクロワ! 真面目にやれっ」
「やっているが?」
「嘘をつけ! お前が本気を出せば、こんなものではないはずだ!」
「おいおい。それは騎士が魔導師をつかまえて言う台詞か? だいたい、私は剣を握るのも今日が初めてだというのに」
「……戯言を」
「本当だとも」
ジャスティンの攻撃をかわしながら、ドラクロワはうすく笑みを浮かべて言った。
「そうだな。ついでに言うと、私は今一切の魔力を使ってはいないぞ。―――と言っても、魔力の見えないお前に話してもわからないだろうが。疑うのなら、そこの低級魔導師に聞いてみるといい」
ふいにドラクロワが、この戦いを観衆に混じって見守っていたウィーズを見やる。ウィーズは唐突に話を振られて驚いた様子を見せたものの、ジャスティンと目が合うと、やがてためらいがちに小さく頷いていた。
「―――ああ。ベソの言うとおりだ。今、そいつは一切の魔力を絶っている。それに、ドーピング系その他の魔薬を飲んでるような気も全く感じられない。言ってしまえば、そいつは今ただの人間同然。つまり、ただのインドア系根暗もやしでしかない」
「……もやし? まあ、つまりはそういうことだ」
そう言ったドラクロワを、信じられないものを見るような目でジャスティンは見つめた。
いくら剣を使うと宣言したとはいえ、ドラクロワのことだ。必ず何らかの形で魔力を用いた戦いを仕掛けてくるだろうと思っていた。でなければ、彼があれだけ自信たっぷりに自分の勝利を確信することなど出来るはずがないのだ。
それなのに、実際はどうか。ドラクロワは、細い一本の黒剣と自分の肉体のみをより所として、騎士であるジャスティン―――本来なら、剣技で確実に上であるはずの彼女と、ほぼ互角のやりとりをしている。しかも、ドラクロワにはまだ余裕がありそうな分、もしかすると互角以上の力を隠しているのかもしれなかった。
剣を握るのが初めてだという彼の言葉が、本当かどうか定かではないにしろ、まさか純粋な剣の勝負でこのような状況になるとは、全く想定外のことだとジャスティンは思った。その疑問は焦燥感となって、自然と彼女の口を衝いて出る。
「どういう、ことだ。ドラクロワ、お前は剣士としての修行もしたことがあるのか?」
「……だから、剣を握るのも今日が初めてだと言ったろう。魔導師の修行ですら、家事に追われてろくにさせてもらえなかったというのに、どうして剣などという見当違いなものまで習えると思う?」
ドラクロワはあっさりとジャスティンの言葉を否定した。
彼の言に信憑性があるのかないのかは別にしても、今、この場で見る彼の実力こそが、そのすべての答えである他なかった。
「じゃあ、どうしてお前は……お前は、いったい……?」
その呟きとともに、ジャスティンの剣撃が次第に緩やかなものとなっていく。そして、ついには剣そのものの動きを完全に停止させていた。軍神のような強さを誇っていた彼女も、戦う意思をなくしてしまえば、それはただの人と同じだった。
そんな彼女の気持ちに呼応するように、ドラクロワもまた、相手に剣を向けることを止めていた。
「そんなに不思議か? 私が魔力なしで、お前と剣で互角に張り合えることが。……まあ、そうだろうな。実際、私自身も、このような身体になって、当初はひどく困惑したものだ」
どこまでも続く深い闇のような瞳を伏せて、ドラクロワは言った。
「簡単なことだ。極論から言えば、私はどんなことだろうと、自分の『望み』を叶えることが出来るのだ。強くなりたいと望めば強くなれるし、剣を使えるようになりたいと望めば、やはりそのとおりになる。たったそれだけのこと。それが、『ドラクロワ』というものなのだ」
ジャスティンは目をしばたかせた。実際、彼の言っていることの半分も理解出来はしなかった。
しかし、そんな彼女の追いつかない思考などは無視して、ドラクロワは再び彼女に剣を突き付けなおす。
「さあ、どうした? 来ないのなら、次はこちらからゆくぞ」
その言葉を機に、今度はドラクロワからの反撃が開始された。その大胆かつ鋭い動きは、やはり、剣を握ったことがないとは到底思えないような技量だった。これで素人だと本人は言い張るのだから、詐欺以外の何ものでもない。
しかし、もう一度ドラクロワを問いただして真相を確かめようにも、ジャスティンもそれほど余裕があるわけではなく、もはや彼女の方が、ドラクロワの攻撃を防ぎきるのに手一杯といった様子だった。
それくらい必死なジャスティンを見て、ドラクロワが笑う。
「大変そうだな。手加減してやろうか」
「! 結構だっ」
一瞬ジャスティンの太刀筋に力が入って、ドラクロワがふっとのけ反った。
「―――おっと。別に馬鹿にしているわけではないのだぞ。お前は充分強い。女の身で、それだけの力を身につけるには、さぞかし血のにじむような努力をしてきたのだろう。その高潔さは称賛に値する。私だけではなく、きっと誰もが、お前に対してそういった気持ちを抱いていることだろう」
急に褒められたので、ジャスティンはわけがわからずに、目を白黒させるしかなかった。ドラクロワの意図が全く見えない。
そのまま、彼は話を続けた。
「しかし。しかしな。実際、私と戦ってみてどうだ。今まで、剣を触ったことのないような私を相手に、お前はこれだけ苦戦を強いられている。この現象は何だ。さて、何だと思う? 世の中には、努力だけではどうしようもない、何をしてもどうにもならないことがある。何をしても、どんなに足掻いても、耐え忍んでも、その苦しみをあざ笑うかのように、天は……」
ドラクロワの声音に、わずかに怒りが混じっていることを感じ取り、ジャスティンは不可解に思って彼を見た。
ドラクロワの剣撃が止むことはない。そればかりか、彼の一振りはどんどん重く激しくなる一方だった。彼は、まるで剣に言葉を持たせるかのように、自分の感情をそのままジャスティンにぶつけていた。
「だから、どうしようもない荒波に、ねじ伏せられるしかないのだ、人は。命は。その無力さを、そのやるせなさを、その絶望でさえも、だ。残るのは、戦ったあとの痛みと、消えない傷跡だけだというのに。天に住まう神々とやらには、その叫びすらも、届きはしないのだから!」
そのとき、耳をつんざくような、ひときわ鋭い金属音が鳴り響き、ドラクロワの手から黒剣がすり抜けていた。
はじかれた黒い刃の切っ先が、ジャスティンめがけてものすごい勢いで疾速した。観衆の面々は思わず目を覆った。鋭い刃先が彼女ののど元に突き刺さるのは、もはや時間の問題……。誰もがそう絶望しかけたころ。
ジャスティンの前に誰かが立ちはだかった。それはまるで風のような速さで。その人物がどんな風にしてその場に立ったのか、周囲の人も解せなければ、本人自身もまたわからなかった。それくらい、無我夢中の出来事だった。飛んできた黒い刃を間一髪ではじいた人物のその背中を見て、ジャスティンは呆然としながら呟いた。
「カイン……」
「ジャスティン、もうこんなことはやめよう! もう、見ていられない……っ」
カインが泣きそうな顔をして彼女を振り返った。
ジャスティンは、その見慣れた情けない顔を見て、ふっと身体の力が抜けてしまい、ついにはその場に膝をついていた。慌ててカインも共に膝をつき、彼女に自身の肩を貸してやる。場内はしんと静まり返っていた。
すっかり気の抜けたようなジャスティンの様子を見て、カインはドラクロワに涙目になって訴えた。
「ペソ、いや、ドラクロワ。お願いだから、もうこんなことはやめてくれ。気に入らないことがあるのなら、僕の命でもなんでも差し出す。だから、頼むから、もうジャスティンを解放してあげてほしい」
そう懇願するカインに、ドラクロワは何も言うことはなかった。寄り添うようにして床にしゃがみ込む二人の前に、ただ頑然として立っているだけだった。
そんな折、ふいにジャスティンが小さく口を開く。
「……私の負け、だな。ドラクロワ」
彼女は床に視線を落としたままそう言った。
「私の反則負けだ。他者に助けてもらったのだから」
それにはカインが何か言おうとして、しかし、彼もまた何も言えずに言葉を飲み込むしかなかった。
うつむくジャスティンに視線をやり、ずっと黙ったままのドラクロワだったが、やがて、いつもの冷静な、何の感情もこもっていないような声音で話し始めていた。
「ジャスティン。お前は以前、自分を変性の術で男にしてくれるのなら、なんでも言うことを聞くと、そう言ったな」
「え……? あ、ああ」
突然、突拍子もない話をされて、ジャスティンはおぼろげな頭の中でそう答えた。当然、ドラクロワの言わんとしていることなど考えもつかない。
ドラクロワは、あくまで自分のペースでのみ話し始めた。
「ならば、そのときの約束を、今この場で果たせ。お前はそこの、カイン・ミッシェル・ド・ファブリスと結婚し、アルジェント家を継ぐのだ」
「え……?」




