シーソーゲーム
二回表。
一回に先制しながら、その裏にすぐ逆転された慶真だったが、打線に焦りはなかった。
先頭は五番打者。
水城は一回と同じように、自分の基準となるテンポから入った。
そこから打者の反応を見て間を変える。
簡単には自分のタイミングで振らせない。
それでも慶真の五番は何球か粘った末、
外角のストレートを左中間へ弾き返した。
鷹野が追ったが、打球はその前を抜ける。
二塁打。
無死二塁。
水城はマウンド上で打球を見送った後、
すぐに返ってきたボールを受け取った。
「また先頭出たな」
ベンチの黒崎が言う。
藤堂が隣でグラウンドを見る。
「ここからどう攻めてくるかですね」
続く六番打者は、水城が投球までの間を長くしてもほとんど構えを崩さなかった。
一回とは少し違う。
水城もそれに気づいている。
外角への球を打たせると、打球はセカンド方向への弱いゴロになった。
白石が確実に処理して一塁へ送ったが、その間に二塁走者は三塁へ進む。
一アウト三塁。
七番打者は、追い込まれてから高めのストレートをセンターへ打ち上げた。
鷹野が落下点へ入る。
決して深い打球ではない。
捕球と同時に三塁走者がスタートした。
鷹野は素早く持ち替えてホームへ投げる。
一回の柴崎の適時打でも強い返球を見せたが、今度は最初から犠牲フライを警戒していた分、さらに送球が早かった。
朝倉がホーム前で捕球する。
クロスプレー。
球審の両腕が横へ広がった。
「セーフ!」
2対2。
慶真が追いついた。
鷹野はセンターからホームを見たまま、
僅かに口元を歪める。
あと少しでアウトにできたはずだった。
それでも慶真の走者は迷わずホームへ入ってきた。
黒崎が腕を組む。
「また似た取り方しよったな」
「似ていますけど、同じではないですね」
藤堂が答えた。
「何がや?」
「一回より、水城くんの間に反応しなくなっています」
黒崎もマウンドを見る。
確かにそうだった。
慶真は水城の投球テンポを無視しているわけではない。
一回を経験した上で、少しずつ合わせ方を変えている。
神代も一塁から同じことを見ていた。
水城が何かを変えれば、慶真も変える。
昨日、自分たちが予想していた通りだった。
それでも水城は崩れない。
二アウト走者なしとなった後、八番打者をショートゴロに打ち取り、二回表を一点で終えた。
ベンチへ戻ると、朝倉がすぐ隣へ座る。
「ちょっと変わったね」
「うん」
水城も気づいていた。
「僕の間に合わせようとするのをやめてる」
「自分のタイミングを決めてる感じ?」
「多分ね」
朝倉が少し考える。
「じゃあ次は、そこを見るか」
「うん」
二人の会話を聞いていた神代は何も言わなかった。
すでに本人たちが見つけている。
なら、それでいい。
二回裏は七番の鷹野から始まった。
久世は初回に二点を失ったものの、投球そのものが大きく乱れたわけではない。
鷹野は追い込まれてから外角のカットボールを打ち返した。
ショートへのゴロ。
柴崎が前へ出て捕球する。
そこから一塁へ素早く送球した。
余裕を持ってアウトになる打球だったかもしれない。
だが鷹野は違う。
一塁へ全力で駆け抜ける。
しかし判定はアウト。
僅かな差だった。
慶真のファーストが久世にボールを返す。
柴崎は鷹野の背中を一度だけ見た。
普通のゴロでも、少しでも処理が遅れれば間に合わない。
続く八番の橘は外角のストレートをセンターへ運んだが、正面。
九番の水城もカットボールを打たされ、セカンドゴロに倒れた。
三者凡退。
久世は初回からすぐに修正していた。
2対2のまま三回へ入る。
三回表。
先頭の九番打者を水城がセカンドゴロに打ち取る。
一アウト。
打順は一番へ戻った。
一回にセンター前ヒットを放っている打者だった。
朝倉は打席に入った相手の構えを見ながら、一回との違いを探していた。
それは水城も同じだった。
初球までの間を長くする。
打者は動かない。
次は早めに投げる。
それでも大きく崩れない。
水城の間そのものに合わせようとしていない。
なら、別のところを見る。
打者が投手を見る瞬間。
足へ力を入れる瞬間。
バットを僅かに動かす瞬間。
水城はそれを確認しながら投げた。
それでも一番打者は外角の球を上手くセンター前へ運んだ。
一アウト一塁。
朝倉は一塁走者を見る。
一回には二番打者が送りバントをしている。
一昨日の杉野宮戦では、慶真は一回から盗塁も使っていた。
そして今、二番打者はバントの構えを見せていない。
朝倉が水城へサインを出す。
水城が頷いた。
一塁走者が僅かにリードを広げる。
朝倉はもう一度その足を見る。
次の瞬間。
走者がスタートした。
水城は大きく足を上げない。
朝倉の読み通り、最初から走者を意識したクイックで投げ込んだ。
朝倉が立ち上がり、そのまま二塁へ送る。
低く伸びた送球を九条が受けた。
走者が滑り込む。
だが九条のグラブが先に触れた。
「アウト!」
蒼凛側のスタンドから大きな歓声が上がる。
朝倉は立ったまま一度だけ右手を握った。
二アウト走者なし。
水城がマウンドから笑う。
「分かってた?」
朝倉もマスク越しに答える。
「多分来ると思った」
その後、二番打者をライトフライに打ち取り、三回表は無失点で終えた。
ベンチへ戻ってきた朝倉に黒崎が言う。
「蓮、ええやん」
「ありがとう」
「俺の時も頼むで」
「大雅が走者出さなければ必要ないけど」
「それもそうやな」
九条が横から笑う。
「そこは否定しないんだな」
三回裏。
打順は一番の九条へ戻った。
久世は初回に九条へセンター前ヒットを許している。
なので同じ入り方はしなかった。
内角のカットボール。
外角のカーブ。
ストレートを続けない。
九条もすぐに気づいた。
「やっぱ変えてきたな」
小さく呟く。
それでも甘く入ったスライダーを逃さなかった。
打球は左中間を破る。
九条は一塁で止まらず、一気に二塁へ到達した。
二塁打。
無死二塁。
スタンドが沸く。
一回とは違う形だったが、また九条が得点圏へ進んだ。
二番の白石は久世の外角球を打ち返したものの、センターフライ。
一アウト二塁。
三番、神代。
久世と高瀬はここで攻め方を変えた。
初回の神代は、変化球を簡単に振らなかった。
ならばストライクゾーンの中で勝負する。
久世はカットボールとストレートを中心に、神代が簡単に見送れない高さへ集めた。
神代もそれに対応する。
だが最後は外角のカットボールを打たされ、セカンドゴロ。
九条は三塁へ進んだが、神代は一塁でアウトになった。
二アウト三塁。
四番の轟に対して、慶真バッテリーは簡単にストライクを取りに来なかった。
初回に右中間を破る二塁打。
ここは長打だけは避けたい。
轟は外へ逃げる球を追わず、四球を選んだ。
二アウト一、三塁。
五番の御堂が打席へ入る。
久世は左打者の外角へ丁寧に集めた。
引っ張らせないための配球。
御堂はその意図を感じていた。
だから無理に引っ張らない。
外角のストレートを逆らわず弾き返した。
打球は三遊間を抜ける。
レフト前ヒット。
三塁の九条がホームへ返った。
3対2。
再び蒼凛が勝ち越す。
御堂は一塁へ到達すると、ベンチを見て小さく拳を握った。
神代でも轟でもない。
五番の御堂が、二アウトから久世を打って一点を取った。
黒崎がベンチから声を上げる。
「悠真、ええやん!」
「まだ続くぞ!」
一、二塁となって六番の朝倉へ回ったが、
久世はここを切った。
外角のストレートでライトフライ。
追加点は入らない。
三回を終えて、3対2。
一点を取れば、取られる。
取られれば、また取り返す。
どちらにも試合を一気に決める隙がなかった。
四回表。
打順は三番の柴崎から始まった。
水城は初球を投げる前から、ここまでとは少し違う感覚を持っていた。
柴崎の構えが変わったわけではない。
だが、水城が投球までの間を変えても、
ほとんど反応を見せなくなっている。
水城が長く持つ。
柴崎は自分の構えを崩さない。
早く投げても同じ。
自分の始動を、水城に決めさせていない。
朝倉にも分かった。
一回、二回、三回。
慶真は打席を重ねるたびに水城を見ている。
そして高瀬もベンチから何度も打者へ声をかけていた。
水城の間に付き合わない。
自分たちでタイミングの基準を作る。
慶真が一つの答えに近づいていた。
柴崎は外角のストレートをセンター前へ運んだ。
無死一塁。
四番、岩瀬。
水城は簡単にストライクを取りにいかない。
岩瀬も焦らない。
追い込まれてからだった。
外角へ投げたストレートを、岩瀬が右中間へ弾き返す。
打球が鷹野と御堂の間を抜けた。
柴崎が一塁から一気に三塁を回る。
鷹野から中継へ返球が入った時には、すでにホームへ向かっていた。
そして柴崎が生還。
3対3。
岩瀬は送球の間に二塁へ到達した。
一昨日も見た打球だった。
外角を無理に引っ張らない。
追い込まれても形を崩さず、逆方向へ長打を打てる。
轟が岩瀬を見る。
「やっぱり打つな」
それだけ呟いた。
まだ無死二塁。
水城は一度プレートを外した。
朝倉がマウンドへ向かう。
「変えてきたね」
「うん」
水城が答える。
「僕の間を無視するっていうより、自分のタイミングを作り始めてる」
「俺もそう見える」
朝倉は慶真ベンチを一度見る。
高瀬がこちらを見ている。
「多分、高瀬さんも関わってる」
「だろうね」
朝倉は水城を見る。
「どうする?」
水城は少しだけ考えた。
「それでも変える」
「分かった」
「ただ、間だけじゃなくて別のところも見る」
朝倉が頷いてホームへ戻る。
神代はそのやり取りを見ていた。
慶真が対応した。
水城もまた変えようとしている。
その繰り返しだった。
続く五番打者はセカンドゴロ。
白石が確実に一塁へ送る間に、岩瀬は三塁へ進んだ。
一アウト三塁。
続く六番打者がセンターへ打ち上げる。
鷹野が捕球した。
三塁の岩瀬がスタート。
鷹野からホームへ送球が返るが、岩瀬が先に生還した。
4対3。
慶真が逆転する。
一塁側のスタンドが大きく沸いた。
二回までなら、水城の投球間隔に崩されていた打者がいた。
だが今は違う。
慶真が少しずつ、水城の投球に自分たちの形を合わせ始めている。
それでも水城は七番打者をショートゴロに打ち取り、そこから追加点は許さなかった。
ベンチへ戻る。
水城はタオルを受け取ると、スコアボードを見た。
4対3。
4回4失点。
決していい数字ではない。
だが、自分の投球ができなかったわけでもない。
相手が上回った打席があった。
それだけだった。
黒崎が近づく。
「捕まってきたな」
「そうだね」
「素直やな」
「事実だから」
黒崎は少し笑った。
「でも一点差や」
「うん」
水城はヘルメットへ視線を向けた。
「まだ僕の打席もあるしね」
四回裏。
七番の鷹野から始まる。
久世は一回の2失点以降、走者を出しても粘り続けている。
それでも蒼凛打線は、ここまで毎回走者を出していた。
鷹野は外角のストレートをセンター前へ弾き返した。
無死一塁。
二回のように足で相手を急がせるのではなく、今度は自分のバットで出塁する。
八番、橘。
久世は鷹野の足を警戒し、一塁へ牽制を入れた。
橘はその様子を見ていた。
走者を意識している。
ならば甘くなる球もある。
カウント途中、外角寄りに入ったストレートをライト前へ運んだ。
鷹野がスタートする。
ライトが捕球した時にはすでに二塁を回っていた。
三塁へ送球が返される。
鷹野は迷わず三塁へ滑り込んだ。
「セーフ!」
無死一、三塁。
「速っ!」
スタンドで桜庭が声を上げる。
篠宮も驚いたように三塁を見る。
「鷹野くん、もう三塁まで行った」
千夏が笑う。
「鷹野くんの一番分かりやすい武器だからね」
鷹野は三塁上で息を整えながら、ベンチを見る。
ただ足が速いだけではない。
打球と外野手の位置を見て、自分で行けると判断した。
九番、水城。
久世は簡単に打たせない。
水城もヒットだけを狙う必要はなかった。
一アウトと引き換えに一点。
今はそれで十分だった。
外角のストレートをセンター方向へ打ち上げる。
センターが捕球する。
鷹野が三塁からスタートした。
余裕を持ってホームへ到達する。
4対4。
水城の犠牲フライで蒼凛が追いついた。
水城は一塁側を回ってベンチへ戻る。
黒崎が笑いながら迎えた。
「自分で返したやん」
「一点だけね」
「十分やろ」
一アウト一塁。
続く九条は久世のカットボールを打ってセンターフライ。
白石もセカンドゴロに倒れ、追加点は入らなかった。
四回終了。
慶真 1 1 0 2
蒼凛学園 2 0 1 1
水城はベンチへ戻ると、グラブを手に取った。
当然のように五回も行くつもりだった。
その時だった。
「水城」
榊原監督に呼ばれる。
「はい」
「ここまでだ」
水城が僅かに目を見開いた。
「まだ投げられます」
「それは分かっている」
その言葉に、水城が少しだけ笑った。
昨日、黒崎も似たようなことを言われていた。
榊原監督は続ける。
「疲れてるから代えるんじゃない。向こうがお前に合い始めてるからだ」
水城は慶真ベンチを見る。
否定はできなかった。
一回とは明らかに違う。
特に四回。
柴崎と岩瀬には、自分の間を利用する余地そのものを減らされていた。
「ここで違う投手に変える」
「分かりました」
水城はそれ以上言わなかった。
ベンチの奥を見ると、すでに立ち上がっている男がいる。
背番号1。
黒崎大雅。
黒崎はグラブを左手にはめながら笑った。
「やっと俺の出番やな」
水城が近づく。
「4対4の同点だからね」
「分かっとる」
「僕より取られないでよ」
黒崎の眉が上がる。
「誰に言うてんねん湊」
「大雅に」
「見とけ。ここから俺が抑えたる」
水城は少し笑った。
「うん。任せた」
五回表。
蒼凛のマウンドへ、背番号1が向かう。
水城とは全く違う投手。
間で外すのではない。
球の力で押し込む。
スコアは4対4。
まだ、どちらにも傾いていなかった。




