第1話 雨の夜の客
古い商店街の外れにある「西の魔女商店」
華やかな外観ではないが、少しアンティークな喫茶店を思わせる店構えだった。
そのドアにかかる少し古びた看板が雨に濡れて、街灯の光を少しだけ反射していた。
店内には古書、天然石、乾燥させたハ-ブ。
奥では店主・雨宮澪がランプを灯し、紅茶を淹れている。
黒のワンピースにオフホワイトのレ-スのショール、ゆるく結った少しウェーブのかかった黒髪は腰に届く。
澪の年齢を一目で言い当てられる人はあまりいない。
黙ってガラスペンを走らせている時に纏う、落ち着いた雰囲気は50代にも見え、ふいに目尻を下げて笑うと、その印象は40代にも見える。
華やかな容貌ではないが、それでも目を引くのは整った顔立ちよりも、相手を見る眼差しのせいかもしれない。
町の人々はそんな彼女を「西の魔女」と呼ぶ。
静かな雨の降る夜だった。
21時の閉店時間を少し過ぎたころ、店の扉のベルがカラン、と鳴った。
「あの、」
戸惑いを含んだ女性の声に、紅茶を淹れていた澪が顔を上げる。
ランプと間接照明の中、深い琥珀色の澪の瞳と声の主の視線が交わると、女性が一瞬息をのむような様子を見せた。
「・・・あの、まだお願いできますか?」
女性の言葉に、澪は壁に掛かったアンティークの時計へと視線を向ける。
時間は21時20分。
澪の口元が微かに笑みを作った。
「ようこそ、西の魔女商店へ」
少し緊張した雰囲気で椅子に座っている女性の前に、澪がテーブルにティーカップを置くとカチャリ、と小さな音を立てる。
ふわりとした湯気とともに紅茶の芳香が漂い、女性の表情が少し緩む。
その様子に一瞬視線を向けた後、澪が向かいの椅子に腰かけた。
少し俯きがちだった女性が顔を上げると、澪が軽く首を傾げた。
訪れたのは高瀬由紀、48歳。
七日前から夫・直人が帰ってこないという。
警察には失踪届を出している。
しかし、財布を持っている事、数日分の衣類がない事、常用薬も持ち出されている事、車もなくなっている事、自宅で争った形跡もない事から、自発的に家を出た可能性が高いと言われていた。
震える指先を落ち着けるように、紅茶のカップを両手で包み、由紀は言う。
「浮気なら、浮気でもいいんです」
澪が問うように首を軽く傾げる。
「いいんですか?」
「・・・よくありません。でも、生きているなら」
「生きているなら」
「・・・主人には持病があるんです。すぐに命に関わる訳ではないですが・・・」
「そうですか」
由紀の言葉に澪がゆっくりと瞬きをする。
由紀の表情には、突然いなくなった夫への怒りだけではなく、夫が死を選ぶのではないかという恐れも浮かんでいるように見えた。
「ご主人が『死を選ぶ』、その可能性があると」
「確信があるという訳では・・・でも、主人の様子が今思えば普段と違うような気がして」
そう呟くように由紀は言うと、少し冷めてしまった紅茶を一口飲んだ。
「こちらに来たのはご主人の行方を占うために?」
澪の問う声に、由紀は一瞬迷いを見せる。
そして由紀は、膝の上に置いた鞄から手帳を取り出すと、生成り色の古い紙を澪へと差し出す。
「これは?」
「夫の机にあったんです。その、夫がどうして居なくなったのか、何か手がかりがないかと家の中を探していて。夫の机にこれがあったんです」
「手に取っても?」
「はい。それで、そこに書いてある『西へ』の文字で、自宅から西を探していたら占ってくれるお店があると。こんなの現実的ではないのはわかっています、でも何かわかればと思って」
そう言うと、由紀は泣きそうな顔で笑う。
「主人は、何も言わずにいなくなるような人じゃないんです」
西の魔女商店には、恋や仕事、未来を知りたいという相談だけではなく、ときおり人探しの依頼も持ち込まれる。
澪はそっと手を伸ばし、由紀の前に置かれた紙を手にする。
生成り色の紙は、破片のように不自然な形だった。
澪の手元にあるランプの明かりに文字が浮かぶ。
表には、四段の点。
Carcer。
そして、裏には二文字。
「西へ」
それを見た澪の表情が、由紀にはわからない程度で一瞬だけ変わる。
澪には、その紙に見覚えがあった。
正確には――
その紙ではない。
その紙質と、インクと、図形の描き方に。




