第一話 出会い
「……暑い」
六月下旬 夜
藍川伊織は、コンビニの駐車場の車止めブロックに座って途方に暮れていた。やはり近頃の暑さはおかしい。まだ6月なのにこの調子では、先が思いやられる。
そんな暑さの中、なぜ伊織は外にいるのか。答えはいたって単純。貯金が尽きて家賃を支払うことができず、今日の昼とうとう家を失ったからだ。
売れるものは売った。しかし元々物は大して持っていなかったので、食費だけでも何日持つか。
(これからどうしよう)
この先について考えているようで考えていない、ぼーっとした時間が過ぎていく。傍から見たら間抜けな顔をしていることだろう。
特に考えが浮かぶわけでもないが、なんとなく空を見上げる。梅雨で霞んだ夜空が今の自分を映しているように見えて、伊織は自嘲気味に笑う。
瞬きもせず乾ききった視界に、ガラの悪い見知らぬ男が入ってきた。男は他に、五人ほど連れている。
「なーに笑ってんの? お兄さん」
そういえば、この辺りは治安が悪いと聞いたことがある。一人でいると、金目的で襲ってくる輩が多いとか。
伊織はライトブラウンのマッシュヘアに薄鈍色の目をしている。ちょうど間抜けな顔をしていたのもあり、ちょろそうに見えたのかもしれない。いや、実際ちょろいので間違いではない。
ひきこもりが久しぶりに外に出たらこれだ。運が悪い。といっても、伊織は金なんて持っていないので相手も運が悪い。これでおあいこだ。
(何なんだ)
最高に気分が悪い。
金は無い、家も無い、目の前には面倒な輩。
自分はこれからどうなるのか。そもそも、何故こんな目に遭わなければならない。
不安と怒りがめちゃくちゃに混ざっていく。
——全部あいつのせいだ。
「見ろよ、こいつ目が光ってやがる」
「へぇ、洞観者か」
「あ……」
この世には特殊な能力を持つ「洞観者」とそれを持たない「否観者」がいる。
能力には、相手の感情が分かる感情感知、相手の真意が聞こえる真意読取、相手の記憶を視聴できる記憶採取と三種類存在する。洞観者が持っているのは、三種のうちどれか一つだ。
人の内面を知ることが出来るという性質であるが故に、洞観者は否観者に嫌われる存在だ。誰しも知られたくないことはある。プライバシーの侵害だというのも分かる。
問題はそこから洞観者がどういう扱いを受けるか。そう、この世は偏見社会だ。
能力は基本的に本人の意思で自由に使用できるが、それは完全にコントロールできる者の話であって無意識に使用してしまう「不意発動」を起こす洞観者も多い。
ひきこもりだった伊織には能力のコントロールなんて無縁な話だ。たった今、見事に不意発動したことがそれを証明している。
洞観者は能力を使用したら目が光るので、一目見ればすぐに分かる。つまりやらかした。
(紫、見慣れてる)
伊織は感情感知の洞観者だ。感知といっても実際は視覚情報であり、人を見れば背後に色のついた影が見える。そしてその色によって相手の感情が分かるといった感じだ。ちなみに紫は「嫌悪」を表している。
「おいお前ら、ついでにこいつ狩るぞ」
輩の一人が号令をかけると、六人一斉に襲い掛かってきた。
体力も筋力も捨てて生きてきた伊織に抵抗なんてできるはずもなく、集団に暴力を振るわれ続ける。
(どいつもこいつも洞観者ってうるさいな。俺はお前らに危害も何も加えてないだろ)
胸の前で握る手に力が入る。ふと、自分の中にある糸のようなものがプツッと切れる感覚がした。
「——何をしているんですか?」
今の感覚が何だったのか考える間もなく、突然この状況にそぐわない声が聞こえる。穏やかで優しい、心を委ねたくなるような柔らかい声。
閉じていた目を少しだけ開くと、輩の後ろに男が一人立っているのが見えた。
「あ? 何って、こいつが洞観者だから殺すんだよ」
「おっと、そうでしたか。ではちょっと失礼しますね」
急に現れたその男は口調を変えることなくそう言うと、片手に持っていたレジ袋をその場に置いた。
そしてどこからか出した刀を手にして輩を次々と斬り始め、無駄のない動きでその場に伏せていく。
視界から全員が消えるまで、ほんの数秒だった。
男は最後の一人に切先を突きつけて言う。
「お前らの直属の上司はどこへ行った? ……いや、どう見ても下っ端だし、上層部のことなんて知るわけないか」
「チッ、開花人かよ。それにお前、よく見たら『鷲』じゃねぇか。なんでこんなところに——」
「答えになってない。残念」
鷲と呼ばれた男は、まさに猛禽類のような鋭い目で睨みつけながら最後の一人を斬った。
男は頬についた返り血を雑に手で拭いながら歩き、伊織の前で立ち止まる。
一瞬何かに驚いたように見えたが、すぐに表情を戻して声をかけてきた。
「こんばんは。大丈夫かな?」
今の出来事が嘘だったかのように、男の鋭かった目は温かみを帯び、冷え切った声は最初の穏やかさを取り戻していた。いつの間にか刀も姿を消している。
初めて見た衝撃的な光景に伊織は呆然としていた。
「急に過激なものを見せてしまったね。とてもじゃないけど見過ごせなかったから。怪我は酷くない?」
「……大丈夫です」
「そっか、よかったぁ」
男は安堵したのか体の力を抜き、横のブロックにちょこんと腰掛けた。
「僕は鷲見京斗」
濁りのない透き通った淡黄蘗の目で見つめられて、思わず背筋が伸びる。
鷲見と名乗ったその男は、肩まである明るいホワイトベージュの髪をハーフアップにしており、少しタレ目で落ち着いた雰囲気を感じる。そしてよく見ると、とても綺麗な顔立ちをしている。
イケメンより美人という言葉の方が似合うタイプだ。
「……藍川伊織です」
「よろしくね。伊織くん、君は洞観者なんだよね」
正直この人のことを信用していいのか分からないので、返事に困る。そもそも伊織はもう人とまともに関わらないと決めている。
洞観者は、不意発動で不本意にその場にいる人の内面を知ってしまうことも多い。
人間はプラスなことよりマイナスなことに引っ張られる。数多くの嫌な出来事を、どれだけ昔のものでもはっきり覚えているように。
一度知ってしまったら戻るのは難しい。そこからどんどんマイナスな面ばかりに目が行くようになって、人間不信や対人恐怖に至る洞観者は後を絶たない。伊織もその一人だ。
鷲見はこちらの反応を静かに待っている。決して催促されているわけではないが、鷲見の独特なオーラに押されて口を開く。
「はい。洞観者です」
「感情感知かな」
「なんで分かるんですか」
「え、なんとなく?」
「は……?」




