第8話 藤本結月という女
―日曜日。
半ば強引に結ばされた約束に従い、私は午前中の早い時間から藤本さんと顔を突き合わせる破目になっていた。前回の日曜に続き2週連続で貴重な休日が潰されるという事態については遺憾の念に尽きないが、どちらも私がはっきり断れなかったのが原因であるため誰を責めるわけにもいかない。しかしだ。だからと言って藤本さんに対する文句が全くないというわけじゃないぞ。2人きりで過ごすというのは事前にわかっていたことだが、よりにもよってこの場所はないんじゃないか。なあ、藤本さんよ。
「ささ、ど遠慮せずにどうぞあがって。」
もったいぶっても仕方がないので先に明かしておくと、私がいるのはとある住宅街に存在する一軒家。というか、藤本さんの自宅であった。わざわざ休日を指定してきたことから、てっきりカフェとかカラオケとか女子高生が好みそうな場所で過ごすのかと思っていたが…。
「お、お邪魔します。」
大して仲良くもないクラスメイトをいきなり自宅に招くなんて私にはちっとも理解できない価値観だ。家に到着した際も今日は夜まで親は帰ってこないからとかよくわからん宣言をしてきやがったし、ひょっとしてあれか?藤本さんも私のことが好きってことなのか?まさかとは思うが、何かよからぬことでもしようって腹積もりじゃないだろうな?
…っていかんいかん。最近色々あったせいでよくない勘違い癖が付いてしまっているな。こういう勘違いで傷つくのは自分自身だってことを、私はつい先日この藤本さんから思い知らされたばかりじゃないか。そもそもの話、私は藤本さんから好意を向けられるほど親密な関係を築いちゃいないしな。まあそれなら国分さんはどうなんだって問題が出てくるが、この場にいない人のことを考えても仕方がないので今日のところは一旦忘れておくとしよう。
「……あはは。どうかな?私の部屋…。正直結構ひいたんじゃない?」
ひかれると思うような部屋に人を招くなと言いたい気持ちをぐっとこらえ、とりあえず藤本さんの自室一通り見回してみる。なるほど、確かに学校でのあんたからは想像できない内装ではある。しかし、生憎とそれ以上の感想は特に浮かんでこないな。
「…学校では隠してるんだけどさ。実は私って所謂二次元オタクってやつなんだよね。」
わざわざ口にしなくてもこの部屋に入ってすぐ察したよ。壁中に張り巡らされた萌えキャラのポスター。大きめの棚にぎっちりと詰め込まれた漫画やアニメのDVD。テレビ台の上やパソコン机などいたるところに飾られているフィギュア。ベッドの上にはキャラクターがでかでかと印刷された抱き枕まである。何と言うか、二次元オタクの部屋ってこんな感じなのかなって偏見塗れのイメージをそのまま具現化したような部屋だ。
「へぇ、そうだったんだ。いいじゃん。私も漫画とかアニメとかはまあまあ好きだよ。」
別に隠す必要ないじゃんとか言った方がいいかとも思ったが、一先ず当たり障りのないセリフを述べておくだけにする。こういう趣味を人に知られたくない気持ちはなんとなく理解できるからな。
「…そ、そっか。」
っておい。それだけかよ。せっかく人が話しを合わせたんだからもうちょっと乗ってくれてもいいんじゃないか。前々からマイペースな奴だとは感じていたが、ひょっとしてあんたもこっち側の人間か?コミュ障なんか?ソフトボール部のレギュラーで鈴木さんたちとも友人って肩書から勝手にスクールカースト上位勢だと思っていたが、もしかすると彼女に対する評価も改める必要があるじゃなかろうか。
「あ、あのさ。家に呼んでもらったのは嬉しいんだけど、この後私は何をすればいいのかな?」
ぶっちゃけもう家に帰りたいんだが、それだと2人で一緒に過ごすって約束を果たしたことにならないので一応は聞いてやることにする。学校の連中に秘密にしていることを明かしてまで私を自宅に招いたのも、何かしらの事情や目的があるんだろうしな。
「うーん。何しようか考えてなかった。」
そっかそっか。それじゃあ仕方がないな。あ、そういうことなら私から提案があるぞ。ここはひとつ、2人で夕方くらいまで昼寝大会をするって言うのはどうだ。自慢じゃないが私はどんな場所や姿勢でも寝られる特技を持っていてね。私は床であんたはベッドってことでも構わないからそうしようじゃないか。そうすれば一応は一緒に過ごしたってことになるんじゃないかな。
「そうだなぁ。それじゃあ取り敢えずゲームでもして遊ぼっか。」
……なんだか本気で疲れてきた。国分さんや清水さんも中々に私を振り回してくれたが、藤本さんとの会話は別ベクトルで心労に絶えない。けどまあ、ゲームをするだけで満足してくれるって言うなら私としても悪い話じゃない。正直ゲームの類はあまり嗜まないので少しだけ不安だが、私のへたくそプレーに藤本さんが興醒めして早々に解散って流れになるかもしれないしな。さ、そうと決まれば早速始めようじゃないか。そんでもってさっさと私を家に帰してくれよ。お願いだからさ。
―。
「あーん、悔しい!また負けちゃった。ねえ、もう一回やろ。」
藤本さん宅を訪れてから約2時間。早く家に帰りたいという私の願いは一向にかなう気配がなく、巷で人気だとかいう格闘対戦ゲームにかれこれ40戦以上も付き合わされるという状況に陥っていた。と言うのも、どういうわけか初心者の私が大幅に勝ち越してしまうという謎の事態が発生しており、ムキになった藤本さんがいつまでたっても開放してくれないのだ。それならわざと負けてやればいいんじゃないかって話になるのだが、如何せんゲームは本気で初心者なので何をどうすれば手加減になるのかわからず。かといって露骨な手抜きは余計に反感を買ってしまうこと必至。今の私にできるのは藤本さんの勝利を祈りながらひたすらキャラコンに徹することだけであった。とは言え、そろそろいろんな意味で限界だ…。
「…いったん休憩にしない?もうだいぶ時間もたってるしさ。」
てかもういい加減諦めてくれないか。勝ち越し中で天狗になっているわけじゃないが、このまま続けてもあんたが私に勝つ未来が全く想像できない。そうだな。40年後くらいにリベンジの機会をやるからそれまで修行に励んでみてはどうだろう。そのころにはあんたも私が手も足も出ないくらい強くなっているだろうさ。そういうわけだから今日のところは一旦お開きにしよう。その方がお互いのためってもんだ。
「もう、仕方ないなぁ。それじゃあ休憩挟んでもう一戦ね。勝ち逃げなんて絶対許さないから。」
マイペースでのんびりした人だと思っていたが、結構負けず嫌いな一面もあるんだな。こういうところはやっぱり運動部らしい…。ってそうじゃなくてだな。頼むから本当にもう勘弁してくれないか。
「あーあ。視聴者相手だと結構勝てるから自信あったんだけどなぁ。ねえ、ゲーム初心者って話も実は嘘だったの?」
『も』ってなんだ『も』って。それだと私がほかにも嘘を付いてるみたいじゃないか。そりゃあ私だって生まれてから1度も嘘を付いたことがないって断言することはできないが、少なくともあんたに対して偽りの言葉を吐いたことはない。というか、そこまで会話を交わしちゃいないだろう。それなのに人を嘘付き扱いなんて喧嘩でも売っていやがるのか。
……それとあんた、何やら少し気になることを口走ったな。
「…視聴者ってなんのこと?」
好奇心に抗うことができずに思わず質問してしまったが、すぐに私は後悔に苛まれることになる。なぜなら、その内容が学校の連中には秘密だという彼女のオタク趣味に絡んでくる可能性に気が付いたためだ。藤本さんはどういうわけか私にその秘密をカミングアウトしてきたわけだが、『視聴者』という言葉に関連付けられる内容についてはここまで一切話してきていない。ならば、先ほどの発言は私にも知られたくない禁忌中の禁忌をうっかり口走ってしまったという風にとらえることもできる。触れられたくない話題を深堀されれば誰だって面白くないだろうし、私だって隠し事を無理やり聞き出す趣味は持ち合わせていない。そう考えるとやはり、先の質問をするべきではなかったと言わざるを得ないだろう。
「あははっ。やっぱりそう来るよね。これもみんなには秘密なんだけどさ。実は私、オタク趣味が高じてVTuberやってるんだよね。」
こっちの心配など余所に、嬉しそうな笑顔で質問に対する回答を述べてきた藤本さん。その様を見て私は確信する。どういう目的なのかは知らないが、彼女は最初からこの話をするために私を家に招いたのだと。オタク趣味の告白もゲームでの対戦もすべてそのための下準備。いや、余興と言うべきだろうか。ともかく、ここまでの展開はすべて彼女の掌の上だったというわけだ。
もちろん藤本さんがそう明言したわけではなく、現時点では私が抱いた確信が全くの見当違いだって可能性も十分にあるだろう。だが、ニヤニヤとした表情を浮かべている藤本さんの顔が私の確信をより強固なモノにする。マイペースで負けず嫌いで、そのうえ計算高い…。なるほど、確かに藤本さんはタレント向きな性格をしているのかもしれないな。私のプロファイリングがどこまで正確なのかはわからないけど…。ってそうじゃないだろ、私。
「ふ、ふーん。そうなんだ、すごいね…。」
言いたいことや聞きたいことは山ほどあるが、とりあえずは適当な返事でお茶を濁しておくのが無難だろう。これ以上藤本さんの良いように踊らされるのはなんだか癪だしな。まあ、今更手遅れだろって気もするが…。
「VTuberが何かは当然知ってるよね?二次元キャラの姿を借りて、性格や言葉遣いもそのキャラクターになりきって。ゲームをしたり歌ったり企画をしたりして視聴者を楽しませるお仕事…。一応私は個人勢って枠組みでやってて、この前ようやく登録者数が10万人を超えたんだよ。どう?私って結構すごいでしょ。」
いや、なんと言うか本当にすごいな。何がすごいって、そういう活動を学校に通いながらやっているってところがとんでもない。勉強はもちろん藤本さんにはソフトボール部での活動もあるわけで、その合間を見つけながら10万人ものファンを獲得してきたってことだろ?語彙が乏しくて申し訳ないが、本気ですごい以外の言葉が見つからない。正直あんたのことを完全に見誤っていたよ。
「…けど、このことは親以外の誰も知らない。VTuberがその正体を明かすのはタブーっていうのもあるけど、単純にオタ活を学校のみんなに知られるのが恥ずかしくてさ。だからこうやって他人に話すのはあなたが初めてなんだよね。」
そう、そこがよくわからない。オタクであることもVTuberであることも私はちっとも恥ずかしいなんて思わないし、むしろ何かに全力で打ち込める姿勢に感嘆の念すら抱いている。しかし、そういう趣味や活動を頭ごなしに罵倒する奴らが世の中に存在していることもまた事実なのだ。昔に比べてオタクに対する偏見もだいぶ減ってきているとは思うが、それでも他人の趣味を馬鹿にする愚鈍な連中が完全に消え去ることはなく。学校のみんなに知られたくないという藤本さんの心情も十分理解できるものだと言えるだろう。
ではなぜその秘密を私に話した?鈴木さんや国分さん、清水さんといった友人にすら明かしていない隠し事をどうして私なんぞに伝えてきたんだ?
「…わざわざ聞かなくてもわかるよ。どうして私がそんな秘密をあなたに明かしたのか気になっているはずだよね。ううん、ひょっとしたらもうなんとなく察しがついているのかな?」
つくづく不愉快な奴だな。けどまあ、この状況で変に取り繕っても意味ないか。ああ、そうさ。白状してやるよ。ここまで自分をごまかし続けてきたが、本当はあんたにオタク趣味を明かされた段階で気が付いていた。あんたが私に対して同族意識のようなものを抱いているんじゃないかってな。
それでも私がそのことに気が付かないふりをした。適当に話を合わせることで事実から目を逸らし、深く考えないよう必死に努めてきた。藤本さんの自分語りが私にとって触れられたくない禁忌につながると、本能的に理解したがために…。
「…私とあなたは同じ穴の狢。本当の自分を分厚い化粧で覆い隠して生きている悲しい道化師……。そのことを知ったからこそ私はあなたに秘密を打ち明けたんだよ。同じ業を背負っているもの同士で分かり合えるんじゃないかって思ってさ。」
……くっそ…まただ…。清水さんと言葉を交わしていた時と同じ…。頭が割れるように痛い。心臓が馬鹿みたいに鼓動を刻んでいる。息苦しく、靄がかかったように視界が歪んでいく…。
…ダメだ。落ち着け、私。深呼吸をしろ。会話しているだけで気絶するなんて醜態を晒すのは一回きりで十分だろう。そもそもこいつのセリフは事実と異なるただの戯言だ。私は自分を偽ってなどいない。嘘なんかついちゃいない。隠し事なんて微塵もない。そのことは私自身が一番よくわかっていることだろうが。だからこそはっきり言ってやればいい。意識を手放さず。目の前の相手から逃げることなく。自信をもって宣言するんだ。
「…私はあなたと…。あなたたちとは違う……。全部…。何もかも……。」
我ながらなんと弱々しく無様な姿であろうか。だが、これこそが八島希美という人間の本性なのだから仕方がない。もういい加減藤本さんも理解出来ただろう。私にはあんたみたいに全力で打ち込める趣味がない。人に認められる活動もしていない。取り繕うべき人間関係も存在しない。真っ白で空っぽな透明人間。取るに足らないただのモブキャラ。道端の雑草にも劣る醜いゴミ屑。
藤本結月さんに国分紗綾さん。清水琴音さんに鈴木美玲さん。……そして、谷口瑠花。個性豊かで才能溢れるお前らとは生きる世界がまるで違う。あんたらの輝かしい物語に割り込む資格なんて私にはないんだ。だから頼むよ。お願いだからこれ以上私に関わらないでくれ。私のことなんかもう放っておいてよ……。
「…そっか。それは残念。けど、このままだと私ばかりが話し損だよね。それってすっごく不公平だとは思わない?」
頭痛と耳鳴りが収まらず、藤本さんの話が全く脳みそに入ってこない。どれだけ深呼吸をしても呼吸が苦しく、身体の震えも一向に収まる気配がない。それでも私はかろうじて意識を保ち続けている。ぼんやりと歪む視界の中にその姿をしっかり捉えている。こちらを見つめながら不敵に微笑む藤本結月さんの姿を…。
「…今度はあなたの番だよ、八島さん。あなたが自分のすべてを話してくれるまで、絶対に逃がしてあげないんだから……。」