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夏三十 -ナツサンジュウ-  作者: 小林春実
1/2

【1】赤青紫


 夏期講習の帰り道。木陰でぼうっとしていると、

「高校生に恋愛なんて必要ない!」

 突然、赤松(あかまつ)が力強く言ったので、暑さでついにバグッたと柴村(しむら)は本気で思った。

 七月三十一日。記録的な猛暑日である。

 炙られるような日差しの中、公園の木々に潜んだ蝉達ですら、その声にはどこか覇気がない。

 元気なのは赤松だけだ。

「いや、高校生にどころか、人間に恋愛なんてものがそもそも必要ない。人間も所詮は動物だ。子どもをつくり、産み、育てることに存在する意味がある。しかし、その工程を踏まえる上で、恋愛は必ずしも必要なものではない。むしろ恋愛というステップを挟むことによって、その工程が阻害される場面も多々起こり得る。この上なく非合理だ」

「はあ」

「百歩譲って、子どもをつくり、産み、育てる――この工程に恋愛という油を差すことで、より潤滑にサイクルが回るものとする。だが、俺達は高校生。そう、大人達の庇護のもと、ギリギリ生かされているに過ぎない籠の中の高校二年生だ。そんな社会参画しているとは到底言い難いひよっこ共に、恋愛は不必要であると俺は確信している。不必要どころか、無用の長物だ。つまりお土産で貰ったスノードームみたいなもん。分かるな?」

「おう」

「ならばよし」

 満足気である。

 赤松は背が高く、痩せ型で、顔もまあまあ整っている。が、異性にまったくモテないのは、偏屈な性格と、この論説癖のせいだ。

 甲高い、サッカーボールを追いかける児童の声が響いていた。

 その母親らしき女性が、自分達にチラチラと視線を送っているのが分かる。

 まあ、見るからに馬鹿そうな高校生が大声で喚いていたら、警戒するのが当然か。

 柴村は、溜息を隠して、隣の青葉(あおば)と顔を見合わせた。スーパーカップのスプーンを口に咥えた青葉もまた、「何言ってんだこいつ」と、困惑気味の表情である。

「何か嫌なことでもあったのか?」

 青葉が何も言わないので、柴村は仕方なく赤松の話を広げることにした。

 どうせ話を聞いて貰いたいのだ。

「ふん、別に何も」

「何もなくていきなり辻説法始めたんだとしたらいよいよだぞ」

「失礼な。友人を狂人扱いするんじゃない。――今日の講習を終えた直後のことだ。別に俺は気にしていないが、桃田(ももた)が女子の前で俺を揶揄った。彼女のいない男の夏は寂しいぞお、というふうに。まあ、別にその発言自体、俺はまったく気にしていないのだが、それを聞いた女子達が蔑むように笑った。嘆かわしいと思った」

「しっかりと何かあるじゃんか。あと、なんだ、嘆かわしいって」

 桃田とは、同じクラスの男子で、所謂イケてるグループの一人だ。

「これを嘆かわしいと言わずして何と言おう!」

 赤松は腕を組んで上を向く。「桃田も女子も、男女が恋愛をすることが当たり前、のみならず、恋愛をする人間の方が、そうじゃない人間よりも格上だと信じている。あれは、そうした、驕慢の笑いだった。勘違いも甚だしい。高校生の本分とは、勉学に励み、或いは自分の進むべき道を模索して、社会に参画する準備を整えることだ。無論、桃田は俺ほど熱心に講習を受けていない。こっそり女子とメモ書きを回したり、SNSをチェックしたり、まったく呆れる。高校生の本分を蔑ろにしてまで、何が恋愛か」

「なるほどもっともだ」

「言っておくが、これを彼女のいない男のやっかみだと思うなよ。俺は彼女を、つくらないだけだ。勉学の邪魔になるからな」

「ふうん」

「本当だぞ」

「とはいえ、現実的なところ、大人の社会では恋愛を最優先ではないにしろ、尊重はするだろう。さっき赤松が自分で言ってた、子どもを育てる工程での潤滑油になるわけだ」

「だからなんだ」

「その練習だと思えば、高校生同士の恋愛も一概に無駄と言えないんじゃないか」

「まあ、そういう見方も出来なくはないな。尤も、そうした言わば模擬恋愛を、真の恋愛と錯覚するのが桃田のような連中だ。嘆かわしいことに変わりはない」

「すごい、詰将棋みたいな理論武装で逃げ場がねえ」

「俺は恋愛第一主義と徹底的に戦うぞ」

 赤松は腹立たし気に前髪を掻き上げた。その仕草ですら中々画になるのだから、本当に、黙っていれば女子が放っておかないのにと柴村は不憫に思えてならない。

 天は二物を与えずというやつか。

 それにしても。

 暑い。

 柴村も目元の汗を拭う。

 赤松とは高校の二学年に進学して初めて知り合った。知り合った直後から、こんな感じだった。意見が合わなければ、趣味も合わない。しかし、不思議と呼吸は合う。基本的に意見が一致しないので口論になることもしばしばだが、本気で険悪になることはまずない。それは赤松が、偏屈ではあるが、悪人ではないからだと柴村は思っている。

 では善人かと問われれば甚だ怪しいのだが。

 不器用なだけだとも思う。

 柴村にチョコモナカを、青葉にスーパーカップを押しつけるように奢ったのも、彼なりの気遣いだったのだろう。聞き役の手間賃というわけだ。

 食べ終わったチョコモナカの包装紙を弄んでいると、「回収する」と言って、赤松がビニール袋を差し出した。「さんきゅ」と言って、柴村は袋に包装紙を丸めて捨てた。

 その袋を、赤松が青葉にも差し出した時だった。

「俺は好きじゃないな」

 ずっと黙っていた青葉が言った。「赤松の主張」

「ん」赤松の手がぴたりと止まる。

 あ、やばい。

 柴村は矢庭に緊張した。

「確かに、赤松の言う通り、ただ生きていくだけだったら恋愛は不必要かもしれない。でも、そんなこと言ったら、この世界って本当は不必要なものだらけだろ。食べて寝て、子ども育てて社会奉仕するだけが生きる意味なら、余分な物の方が大多数ってことになる」

「そうだ。そして恋愛も、その余分な物の一つだ」

「その余剰な部分に人間が他の動物と一線を画す理由があるんじゃないの」

「知ったように言うんだな」

「お互い様でしょ」

「ロマンチストめ」

「これが普通。赤松のは、それ、言い訳」

 プライド高くて恋愛できない奴の言い訳。

 スーパーカップをスプーンで突っつきながら青葉は言った。

 平然と。

「ふううううん」赤松は凄い顔をしている。

 柴村は。

 ――はあ。

 内心溜息を吐いた。

 また、青葉の悪い癖が出た。

 幼稚園の頃からずっと一緒の青葉は、五つは年下に見えるほど童顔で、赤松とは別の意味で異性にモテそうな見た目をしている。が、とにかく無愛想で口が悪い。

 そのギャップが一部の女子にウケて、陰でアイドル的扱いを受けていると風の噂で聞いたが、その一方で不必要な反感を買うことも多かった。

 性悪なわけではない。

 むしろ顔色を窺って忖度できないあたり、心根は真っ直ぐである。ただ、白は白、黒は黒とはっきり言う性格なのだ。

 とはいえ、損得でいえば間違いなく損である。幼馴染として、なんとか周囲と円満な人間関係を築けるよう何度も口出ししているが、残念ながら今日まで実を結んでいなかった。

 因みに、何故か赤松に対してだけ特にあたりが強いことも、柴村の頭痛の種だったりする。

「はあああああプライド高いとか言い訳とかワケ分かんないんですけどおおおお」

 赤松は必死だ。「大人しくしてれば好き放題言いやがってチビ助! とにかく、そのスーパーカップは俺の金で買ったやつだから返してもらえますう!?」

「もう食べ終わっちゃったよ。ご馳走様。ゴミ袋ありがとう」

「自分で捨てろ! 恩知らず! 性の暴走機関車!」

「なにそれ」

「うるさい! 恋愛に現を抜かす奴はおしなべて性の暴走機関車だ! 理性という名のブレーキをぶっ壊し、石炭代わりに愛情と憎悪を一緒くたにして燃やして走る動く公害だ! 俺に近寄るな! 体が汚れる!」

「比喩がよく分からねえ」

「うるさいうるさい! 馬鹿にしやがって! お前、一学期の期末何位だ!」

「二位」

「威張るな!」「理不尽」「身長は!」「百六十七」

「勝った!」

「でも二位」

「チクショオどいつもこいつも馬鹿にしやがってえ! ジタバタジタバタ!!」

 赤松が長い手足を振り回して暴れ出した。高校生なのに。イケメンなのに。

 それと呼応するように蝉がギャンギャン鳴き始めた。

 公園を走っていた児童が「わあああああ」と四方八方に走り出す。

「きゃあああああ」母親らしき女性が血相を変えて叫ぶ。

「あああああああ」赤松が転がる。

 ギャンギャンギャンギャンギャンギャン蝉が鳴く。

 いや地獄。急に地獄。

 急転直下が凄い。

 眩暈がして、地面がぐらりと傾いた。ええい――。


 ええいままよ!


 次の瞬間――。

 柴村は。

 砂だらけの赤松を、背中から抱いた。

「え」何故か青葉が声を出した。

 赤松は木偶人形のように動かない。

「落ち着いて」そう言う柴村の声が一番落ち着いている。

「正直、俺には恋愛ってものがよく分からない。彼女いたことないし。多分、赤松の言うことにも、青葉の言うことにも、一理あるんだと思う。恋愛は非合理だ」

 でも。

「俺は、赤松を大切に感じてる。勿論、恋愛感情じゃない。ただ、人間の感情って、突き詰めると全部非合理だと思うんだ。だからって、この赤松に対する感情も無意味だと割り切るのは、寂しいから嫌だな」

 我ながら、何言ってるんだろうと思う。

 地獄を終わらせるための苦し紛れでしかない。

 しかし。

「――ふん。それで慰めてるつもりかよ」赤松の暴走は止まった。なんで?

「そんな甘言で俺は騙されないからな」

「騙すとかじゃないって。本心」

「ふん」

「これからも友達でいてくれよ。へい、ハイタッチ」

「いいだろう」

 手のひらが交差して、スパーンッと良い音が鳴った。

 一件落着だと思った。

 だが。

「………」

 やけに青葉が静かだった。

「あ!」

 突然。

 二人のやり取りを見ていた青葉が、脱兎のごとく駈け出した。

 あっという間に姿が小さくなる。

「なんで!?」

 その後ろ姿を柴村は追う。取り残された赤松が何か言っている。

 ギャンギャンギャンギャン。

 心なしか蝉が元気だ。


「待てよ青葉ァ!」


 木々は燃えるような緑で、

 体内の血が沸騰するほど気温は高く、

 空は隅々まで抜けるように青い。


 夏休みはまだ始まったばかりである。


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