【2】犬猫亀
「で、いつ柴村に告白するの?」
今までの話題を断ち切って、急に猫町が言った。犬塚は口に運ぶ途中だったハンバーガーをとりあえず食べて、一呼吸置いてから答えた。「いつまでもしねえよ」
「えー、なんでなんで? なんで好きなのに告白しないの?」
「そもそも好きじゃねえからだよ」
「なんで好きなのに好きじゃないって嘘つくの?」
「くどいぞ。その手のいじりは飽き飽きだ。余所見せず自分の食事と向き合え」
「あー、照れてる。口にケチャップついてる。かわいいー」
八月一日。夏期講習のカリキュラムが午前迄だったので、東町に唯一ある複合商業施設のフードコートに犬塚、猫町、亀田原は集まっていた。
灼熱の炎天下、這う這うの体でやっと辿り着いた巨大な冷蔵庫のような空間が心地良いからだろう、猫町は元気である。まったく、迷惑甚だしい。太陽に炙られて萎れている時の方が何倍も可愛げがあった。
「絶対に柴村はイヌちゃんのこと好きだよ。私そういうの敏感なんだ。だって柴村、他の女の子といる時とイヌちゃんといる時で全然態度違うもん。マジで露骨」
「態度違うのは当然だろう、付き合い長いんだから。良いか悪いかは別として」
「小中高一緒の男女の幼馴染なんて漫画の中でしか見たことないよ! もうーイヌちゃん達は恋愛の神様に愛されてるんだからワガママ言っちゃだめー」
「なんだよ恋愛の神様って。ふん、高校生に恋愛なんて必要ねえ」
「あーへそ曲がり。まあ、このくっつきそうでくっつかない感じがファンには堪らないわけなんですが」
「勝手にファンになるなよ」
「ふぁんだよー」
ねえーカメちゃんと猫町は斜向かいの亀田原に水を向けた。「みて、ピクルスがチョウチョの形みたい」と亀田原は自分のハンバーガーの断面を指し示す。会話になっていない。
「あー本当だ。モンシロチョウみたいだねー」猫町、適当に言ってないか?
犬塚は大きく息を吐いた。
これまで幾度となく柴村との関係を冷やかされてきた。家が隣同士とあって、同じ地域の小学校・中学校に通うまではまだマシだったのが、高校まで一緒になってからは常に好奇の視線を注がれ続けている。実に不名誉なことだ。勿論柴村のことは悪く思っていない。むしろ今時珍しい、律儀で、面倒見のいい奴だと思う。
だが、そういうのじゃない。
決して違う。
「ぶえっくしょん!」
四つ離れたテーブルで、スマホを睨んでいた親父が派手なくしゃみを放った。
ここは冷房が効きすぎている。
「とにかく、良い機会だからはっきり言っておこう。私は柴村とは何でもない。猫町。異性の幼馴染って関係性がドラマ大好き女子の琴線に触れることは理解できるが、あんなのはストーリーを盛り上げるお約束の図式の一つに過ぎない。現実の幼馴染っていうのは、もっとしみったれてる」
「やだーそんなこと言わないでー」
「考えてみろ。お互いに、黄色いランドセル背負って鼻水垂らしてるガキの頃から知ってるんだぞ。石に躓いて転んで、膝擦り剝いて、ぴいぴい泣いてる姿も知ってれば、母親に叱られてぐずぐず泣きべそ掻いてる姿も知ってる。そんな奴にどうやったら惚れるって言うんだよ」
「だからこそでしょー? 小さい頃はあんなに頼りなかったのに、ふと気付いたら、あら、何だか体つきが逞しくなって顔つきも精悍になって私の知ってるあいつじゃないみたい――どきんどきん」
「いやあ、ないない!」
「なくないー」
「絶対ない! いいか、恋愛っていうのは、まず間合いを詰めるところから始まるんだよ。所謂恋の駆け引きってやつ。そして相手のパーソナルな部分を徐々に攻略していった果てに成就するもんだ。その点、私と柴村は互いの手札を知り尽くし過ぎている。謎な部分なくして恋愛は生まれない」
「わあーそれっぽいこと言ってる。子犬ちゃんのくせに」
「黙ってても何考えてるか分かるんだ。まあ、この感覚は当人にしか分からんよ」
「なまいきー」
「食べないなら貰うぞ」
犬塚は山になったポテトに手を伸ばす。勝った。言い負かしてやった。
その時、「ふうふ」と亀田原が言った。
「ふうふ? ――あ、確かに! それってもう、恋人通り越して夫婦じゃん!」
猫町が矢庭に元気になる。
「はあ!?」
犬塚はポテトを取り落とした。「おい亀田原! 急に何を!」
「ふうふう。ポテトは熱いからふうふう」
「紛らわしい!」
「黙ってても何考えてるか分かるって、もはや晩年まで寄り添った夫婦じゃん! あー確かに、そりゃもう告白する云々の次元じゃないね。私ってば、イヌちゃんと柴村の仲を見くびってたわ。こりゃあ失礼」
「おい猫町、先走るな! さっきのはそういう意味じゃない」
「じゃあどういう意味?」
「だから、あの、以心伝心的な」
「熟年夫婦じゃん!」猫町は叫んだ。「仕上がってるじゃん!」
「だから違うって言ってるだろ!」
「そりゃあ十六年も連れ添ってたら仕上がりますか!」
「話を聞けええええ!」
「お客様! 周りのご迷惑になりますので大声はお控え下さい!」
店員のお姉さんが駆けつけて怒鳴った。「冷房が強い! 弱めろ!」離れた席で親父が勝手なことを言っている。「熟年夫婦の倦怠期!」「黙れえ!」喧騒に次ぐ喧騒。
「こうして日々は通り過ぎていく。さながら日めくりカレンダーのごとく――」
ずごご。
喧騒の外で、亀田原が紙パックのお茶を啜った。
○
「あームカつく! 猫町のやつ完全に楽しんでやがった!」
解散してからも犬塚の興奮は冷めやらなかった。猫町は高校に入学してから出来た友人だ。人をおちょくるのが好きらしく、猫町に言わせれば「お堅い」犬塚は絶好の鴨だった。これに亀田原を入れた三人で行動することが最近は多い。
堅物、軽薄、天然。
系統がバラバラの彼女らを繋ぐのは、情でもなければ利害でもない。
犬塚は適切な言葉を持たないが、フィーリングのような何かである。
まあ気が合わないわけではないのだろう。
それにしても――歩きながら犬塚は思う。
猫町に限らず、クラスメイトは自分と柴村の関係を邪推しすぎだ。柴村とは幼馴染というより、腐れ縁に近い。
腐れ縁。あるいは、奇縁。
物心がついた瞬間から横にいた家族以外の人。
それ以上でもなければ以下でもない。
男女の性差がない頃は二人きりで日が暮れるまで遊んだ気もするが、当然、最近はそれもなくなった。ん? ということは、自分は柴村を少なくとも「男」として認識しているということなのだろうか。一人の、独立した、男として。
いや――いやいやいや。
犬塚はぶんぶん首を振った。
猫町の言葉に毒されすぎだ。別に柴村がどうじゃなく、ノリが合わなければ遊ぶ時間は減るのが自然。猫町や亀田原に感じるフィーリングのような何かを柴村には感じないだけである。
そう、ノリが合わないだけだ、決定的に。
蝉がけたたましく鳴いている。
それか。
あるいは。
二人とは違う種類の何かを――柴村には感じて?
「ああああ何考えてんだ私は! 心頭滅却! 心頭滅却!」
犬塚は頭のもやもやを振り払うように、憤懣を足裏に込めて坂を上がった。
汗が頬を伝って舗装路に落ちる。
駅と自宅の中間にあるコンビニが見えた。(そうだ落ち着け、クールになれ……)冷たい飲み物を求めて自然とそちらに引き寄せられる。
その足がぴたりと止まった。
今一番会いたくない人間が、そこにいたからだ。
「あれ? 犬塚?」柴村が笑顔で手を挙げた。
「そっちも今帰りか。お疲れ!」
「何でお前がここにいるんだよ」
「え? いや、俺も帰る途中だからだけど」
「殴るぞ」「なんで!?」
紫村の自宅は犬塚家の隣だ。クラスメイトが二人の関係を邪推する最大の要因の一つである。反対に、同じ幼馴染の青葉とは噂にならない理由にもなっている。
それから二人は。
それぞれ飲み物とアイスを買ってコンビニの前に並んだ。
犬塚は雪見だいふくを、柴村はピノを買って半分を相手に渡す。
どちらから提案するでもなくそうした。
「また赤松が馬鹿なこと言っててさあ。昨日なんだけど。学校近くの公園で。マジで通報されるんじゃないかって思ってひやひやしたわ」
「付き合い方考えろよ。あいつ、その内とんでもないことしでかすぞ」
「まあなあ。でも一緒にいると面白いんだよなあ」
「お人好しめ」
「犬塚の方は? 最近どう?」
「猫町が鬱陶しい」
「鬱陶しい?」
「今日も騒ぎすぎてフードコートの店員に怒られた」
柴村は笑った。「やってんなあ」
犬塚は腕を組む。「あ、そうそう、そのフードコートにやばいクレームつけてる親父がいてさ。冷房強すぎだから弱くしろって店員にキレ散らかしてて」
「うわ、やば。自分を中心に世界が回ってると思ってるタイプだ」
「あんな大人にはなりたくねえな」「大丈夫だよ俺達なら。多分」
「多分かよ」
「真摯に生きてるからな」
「通報されかけてるし公共の場で怒られてるぞ」
「あ、やばい! ピノ溶けてる!」
「ほら、ティッシュ使え」
「サンキュー」
涼み終えると二人は連れ立って歩き出した。
すぐ横を大型トラックが唸りながら通り過ぎる。
ちらり、と柴村の横顔を盗み見た。結構整った顔をしている。こいつに言い募る女子はいるのだろうか。聞いたことないが、いないことはないのかもしれない。
「なあ」
「んー?」
「いや、やっぱなんでもねえ」
「なんだよ気になるじゃんか」
「夏休みの予定、講習以外あるの?」
「え? いや特にないけど」
「寂しいやつ」
「あ、馬鹿にしたな! そういう犬塚はどうなんだよ!」
「私は何かと忙しいんですーお前と違って」
「言ってくれるぜー」
「こうして相手してくれるだけ感謝しな」
「お嬢様かよ」
「犬塚様だぞ」
物心ついた瞬間から横にいた家族じゃない人。
それが今もこうして横にいる。
それって――ある意味地上で唯一人の存在なのかも?
まあ。
だからどうってわけじゃないんだけど。
家に着くころには、また体中が汗でびしょびしょだった。
「じゃあな」犬塚が手を振る。
「おう、また明日!」柴村が手を振り返す。
屈託のない笑顔だ。
悩みなんて何もないって感じ。
また、明日。
口の中で言って犬塚はさっさと玄関扉を閉めた。




