44話 『メイドってどの作品でも強いですよねって話』
この章が暗いので、それを吹き飛ばすぐらい明るい子を目指しました。
「魔術結界か……」
神鬼家の門前に立ち、俺は目の前に広がる光景を眺めていた。
門の先には広大な敷地が広がっている。
しかし、今の俺にはその中へ足を踏み入れることができない。
俺と門との間を隔てるように、一枚の白い札が宙に浮かんでいた。
札には見たことのない古代文字がびっしりと刻まれており、淡い光を放ちながらゆっくりと宙を漂っている。
そして、その札を中心として無数の魔力が周囲へと流れ出し、巨大なドーム状の結界を形作っていた。
透明な壁にも見えるその結界は、神鬼家の広大な敷地全体をすっぽりと覆っている。
門を越えるどころか、結界の内側へ一歩でも踏み込めば、何かしらの反応が起こるだろう。
「かなり厄介だな。相当の魔術師が作ったか」
俺は改めて、目の前の札を見つめた。
これまでにも様々な結界術を見てきた。
侵入者を弾き飛ばすもの。
外部からの視線を遮断するもの。
内部の魔力を外へ漏らさないもの。
結界術にも様々な種類がある。
だが、ここまで強大な魔力を一枚の札に凝縮したものを見るのは初めてだった。
「でもどうするか……これじゃ中に入れねぇな」
俺は頭を掻きながら、神鬼家の門を見上げる。
届け物があるだけだというのに、まさか門前で立ち往生する羽目になるとは思わなかった。
俺は少し考えたあと、声を張り上げる。
「おーい!誰かいないのかぁ!アンタんとこの御党首様にお届けなんだがー!」
声が広い敷地へと響き渡る。
……だが。
返事はない。
風が木々を揺らす音だけが、妙に大きく聞こえた。
「うーん……誰もこねぇなら無理やり入るか?」
俺は結界の中心に浮かぶ白い札へと視線を戻した。
強力な結界といえど、所詮は魔術だ。
結界を維持している札には、必ず許容量が存在する。
ならば、その許容量を上回るだけの魔力を叩き込んでやればいい。
単純な話だ。
俺の持つ力なら、それほど難しいことではない。
吸血鬼の中でも、あらゆるものを凌駕する力を持つ俺ならば、この程度の結界を力ずくで破ることなど造作もない。
俺はそう判断し、札へ向かって手を伸ばした。
――その瞬間。
「--!?」
指先が札に触れる寸前、俺は反射的に手を引っ込めた。
「防犯機能もバッチリってわけか--」
思わず苦笑する。
ただの結界ではない。
俺は目を細め、宙に浮かぶ札を凝視した。
すると、それまで見えていなかったものが浮かび上がってくる。
札の表面から、無数の魔力の線が伸びていた。
一本、二本――そんな数ではない。
幾億もの魔力の線が、札から四方八方へと伸び、まるで巨大な蜘蛛の巣のように空間を覆っている。
しかも、その一本一本がどこかへ繋がっている。
その先に何があるのかまでは分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
この札に触れた瞬間、結界への干渉を示す情報が、この無数の繋がりを通じて一斉に伝達される。
つまり――
俺がここへ侵入しようとしたことが、瞬く間に大勢の人間へ知られるということだ。
「……なるほどな」
俺は伸ばしかけた手を完全に引っ込める。
力ずくで突破すること自体はできる。
だが、それをやった瞬間、俺はただの届け物をする男から、一気に不法侵入者へと格上げされてしまう。
「そういうのは勘弁してくれよ……」
俺は小さくため息を吐き、再び門へ向かって声を張り上げた。
「おーい!神鬼角無に届け物なんだが!」
返事はない。
「…………」
やはり、返事はない。
広大な神鬼家の敷地を覆う結界だけが、何事もなかったかのように静かに佇んでいた。
叫ぶが、返ってくるのはもちろん静寂だけ。
「ま、入間先生もここまでやったんだし許してくれるだろ」
俺はそう言って、神鬼宛の書類が入ったファイルを置く。
「じゃあここ置いておくんで!ちゃんと届けましたから!届いてないとか学校に通報するのはやめてくださいね!俺がヤバいんで!」
最後に保身の言葉を置き、俺は立ち去る。
最後に保身の言葉を残し、俺は神鬼家を後にしようと踵を返す。
「さて、帰ってベコーラの配信アーカイブでも見るか」
そう呟き、俺が一歩踏み出した――その時だった。
「----!?」
ズドドドドッッッ!!
突如として、何度も地面を踏み鳴らすような音が響き渡った。
地面が揺れる。いや、違う。
地面だけじゃない。
足元から伝わってくる振動は空気にまで及び、周囲の木々を揺らし、空間そのものが震えているかのようだった。
「な、なんだ……!?」
俺が振り返る。
すると、地震のような振動に少し遅れて――
「ちょーーーーーっと待ってくださーーーーーーーーいッッッッッ!」
雷鳴にも似た、凄まじい声が轟いた。
その爆音に驚いたのか、周囲の木々に止まっていたハーピィ種の小鳥たちが一斉に羽ばたき、我先にと空の彼方へ逃げていった。
「な、何が起こってる--!?」
俺の理解が追いつくよりも早く――
「えいやーーーーーーッッ!!!!」
ドォォォォンッッ!!!
凄まじい衝撃音が轟いた。
次の瞬間。
神鬼家を囲っていた巨大な門壁が、まるで紙細工のように吹き飛んだ。
数十メートルはあろうかという門の一部が崩れ落ち、大小様々な瓦礫が一斉にこちらへと降り注いでくる。
「痛てッ!? 痛ッ!? な、なんだよ!」
頭や肩に瓦礫が次々とぶつかり、俺は慌てて両腕で頭を庇う。
やがて粉塵が舞い上がり、視界が白く染まっていく。
「ったく……なんなんだよ……」
パラパラと落ちてくる瓦礫に苛立ちながら、俺は上を見上げた。
崩壊した門の屋根。
その瓦礫の上に――一人の女性が立っていた。
「ま……待ってぐだざ……い……お客……人…………」
女性は肩を大きく上下させ、今にも倒れそうなほど息を切らしている。
どうやら、さっきの爆音の正体も、この門を破壊した犯人も、こいつらしい。
頭には白い頭巾を被り、服装は白と黒を基調とした簡素なものだがフリルのついた可愛らしい装い--その出で立ちには見覚えがあった。
「……メイド、か?」
一目見ただけでそう思わせる、いかにも使用人といった格好だった。
「角無様へのお届け物なら……私が……案内……じばす(します)…………」
途切れ途切れの声でそう告げる女性。
その姿を見て、俺は一瞬だけ呆気に取られた。
『……大丈夫か、こいつ』
「ぁ……でも、疲れたから、やっぱ帰っていいです…………さようなら、お客人……ばたり」
「いや諦めんなよ!ここまで来たならスライムぐらい粘れよ!」
俺が思わずツッコむと――
「ハッ! そうですね! 確かに過ぎますッ!」
女性は何かに気づいたように目を見開いた。
そして次の瞬間。
まるで今までの疲労が嘘だったかのように、女性は空中で何度も宙返りを繰り返し、そのまま軽やかに地面へと着地した。
「ご、ごめんなさいお客人。お、お恥ずかしい姿をお見せしました」
そう言いながら、女性は服についた埃を手で払う。
……と思った次の瞬間。
彼女の周囲に小さな風が巻き起こり、衣服や髪に付着していた埃だけが器用に吹き飛ばされていった。
「……へぇ」
俺は思わず目を細める。
詠唱を一切挟まず、それも周囲にほとんど影響を与えないほど微細な風魔法を正確に操っている。
かなりの熟練者らしい。
少なくとも、さっき門を粉砕した馬鹿力だけが取り柄というわけではなさそうだ。
もしかしたらさっきの魔術結界を作ったのもコイツなのかもしれない。
「私はこの神鬼家のメイド。名を――」
そこで、女性の言葉が止まった。
「名を--名を--」
彼女は眉間に皺を寄せながら、何やら必死に考え始める。
「えぇと、名を……」
……。
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………?」
女性は黙ったまま、首を傾げる。
(え……何この人、自分の名前忘れたの……。もしかしてさっき突進した時頭でも打ったか?)
「あ!お、思い出しました!ナヲ!私の名前はナヲと言います!」
「名前って思い出すものだったか……?」
というか、なんかその場で捻り出したような名前だな……。
そんな俺の疑念など気にも留めず、ナヲはぱっと顔を上げた。
「それでお客人!この神鬼家に何のご用ですか⁉︎」
先ほどまで死にそうなほど息を切らしていたとは思えないほどの勢いで、ナヲが俺に詰め寄ってくる。
その表情は実に生き生きとしている。
その表情は実に生き生きとしている。
なんというか……まるで、ケルベロスの子犬のような愛らしさだ。
……いや、違う。
もっとこう……愛らしさはあるのに、妙に生命力が強くて、放っておいたらそのまま街を駆け回りそうな怪物。
そうだな。
グリフォンの幼体――いや、それよりも元気すぎる。
……どちらにせよ、俺の知っているメイド像とはかけ離れていた。
「さっきの発言を聞くに、神鬼角無様に御用ですよね!?ですよね!ね!?」
ぐいぐいと顔を近づけてくる。
もう顔同士が触れ合うんじゃないかというほどの距離だ。
しかも、こうして間近で見ると意外と背が高い。
俺の身長は183.782cmあるが、その俺よりも高い女なんて中々いない。
なんだか、あのヴォルガとかいう奴に詰め寄られているような気分になってきた。
「ま、まぁそうだが……何故わかった」
「わかりますよ!その制服は怪妖学園の制服ですし、この夕暮れ時の時間帯!それに角無様は学校を休んでる!差し詰め角無様に学校での届け物をしに来たというところでしょう!どうですかお客人!私、名探偵ですよね!!」
「むっふっふー!」とナヲは得意げに笑った。
本当に体だけがでかい子供のような奴だ。
「この時を10年待ってたんです!むふふー遂に時は来たれり!果報はスフィンクスぐらい寝て待て、待てばポセイドンの日和ありですね!いぇいいぇい!!」
「…………」
なんかすごい笑顔だ。
俺の中にあったメイドという存在に対する「お淑やかで礼儀正しい使用人」というイメージは、今この瞬間、跡形もなく打ち砕かれた。
「ふっふっふー。本当ならこの神鬼家には数多のボディガードと武装したメイドがいて特別な要人でなければ中に入れることには出来ないのですが--」
ナヲはそこで一度言葉を切ると、得意げに胸を張った。
「えっへん!」
そして自分の胸を叩く。
「パンパカパーン!なんと今日は、この神鬼家のメイドの長である私が、お客人を角無様の元までご案内いたしましょう!」
「いや、別にいい……アンタが来てくれたっていうならアンタに渡すわ。それじゃ」
俺は持っていた書類をナヲへと預け、そのまま立ち去ろうとする。
しかし、すぐに腕を掴まれた。
「ま、待っでぐだざいーー!!!!」
「なんだよ!?別に良いだろ。お前に預ければ!メイドなら神鬼に届けといてくれ!」
「ダメなんでず!!それじゃダメなんでずうぅぅうう!!」
突然、ナヲの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「な、なんでだめなんだよ!てか何で泣いてんのアンタ!?」
「お客人がいないと、わだじ、あの部屋に入らないんでず!!」
「あの部屋?」
「角無様の部屋でず!!」
そこまで言われて、俺は少し考える。
理由はよく分からない。
だが、ここまで必死になっているところを見る限り、どうやら嘘をついているわけではなさそうだ。
俺は抵抗するのをやめ、再び体を門の方へと向けた。
「わかったよ……一緒に行けば良いんだろ……」
理由を理解したというより、大の大人が目の前で急に泣き始めたことに、俺は正直完全に引いていた。
これ以上泣かれるのも面倒だ。
「い、いいんでずが!?お客人!?」
「拒否権ないだろ、そんなに泣かれたら……」
「あ、ありがどうございばす!!あ……鼻水が」
ナヲは涙を拭いながら、ポケットからティッシュを取り出した。
そして――
「ふんっ!」
勢いよく鼻をかんだ。
次の瞬間。
俺の目の前を、猛烈な風が吹き抜けた。
「うぁ--!?」
強烈な風魔法がナヲの鼻から放たれ、そのまま彼女の正面へと一直線に突き抜けていく。
風の通り道にあった建物が、まるで何か巨大な力に薙ぎ払われたかのように崩れ、瓦礫が彼方へと吹き飛んでいった。




