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真実を求めて

 おれの事務所の入っているテナントビルの一階部分は小さな生花店と理髪店で、花屋は朝早くから店を開けている。店主のおばさんに軽く挨拶を交わして、おれはビルの脇にある階段をのぼる。古ぼけたコンクリートの壁が、一見さんには入りにくい印象はぬぐえないのだが、ひとつ階段をあがった途端に目の前に現れる南欧風の明るい店構えと、大きな天然のウッドドア。マコトの経営するカフェあしびばはこのあたりでは知る人ぞ知る、隠れ家的な人気店だ。店内の雰囲気も良く落ち着けるし、なにより店主のマコトの気立てがいいからな。もしあんたもこの島に来ることがあればぜひとも立ち寄ってもらいたい店だが、この日は朝から「臨時休業」を知らせる札がかかったままだった。

 おれはそのドアの前にたち、ゆっくりと三度扉をノックする。そしてそっと耳をすまして、中の様子をうかがう。物音はしない。おれの考えは間違っていたのだろうか?

 もう一度、今度はすこし強めにドアをたたいて、扉口の前でいう。


「アキオだ。マコト、中にいるなら返事をしてくれないか?」


 数秒まつ。かすかに物音がした気がするが、返事はなかった。


「マコト、もしいるなら聞いてほしい。いま、会場のほうではみんなが協力してなんとかうまくやっている。汚れた写真については、問題なく取り換えができると思う。元通りとはいかないかもしれないけれど、きっと展示に支障は出ない」


 おれがいうと扉のむこうで小さく「え」という声が聞こえた気がした。マコトはいる。そう確信したおれは、そっと扉に背を預けると煙草を一本抜いて火をつける。その紫煙で少しだけ気持ちを落ち着かせると、おれは続けた。


「マコト。おれはリョウコからこの展示会が無事終了できるよう依頼を受けた。それを遂行する必要がある。できない依頼は受けない代わりに、受けた依頼はなにがなんでもやり遂げなきゃいけないと思っている。そのためにはマコトの本当の気持ちを知りたい」

「……でも、写真展が無事に開催できるなら、私の気持ちは必要ないと思います」


 マコトの声は悲しみに沈んでいるようにも聞こえるし、どこかいいようのない憤りをはらんでいるかのようにも聞こえて、おれの胸がぎゅっと締め付けられる。


「じゃあ、どうしてマコトはリョウコの写真を汚したりしたんだ? リョウコの個展が開催されることをあんなにも喜んでいたのは、あれは嘘だったっていうのか?」

「嘘なんかじゃありません!」


 扉口から荒々しい声が返ってくる。


「マコトが理由もなくリョウコの個展を妨害するとは思えないし、自分勝手な目的のためにあんなことをするとも思えない。おれは、この島に来て、他のだれよりも長くマコトと顔を合わせている。だから、マコトのことはよく知っているつもりだ。それでも、やっぱり他人の心の中まではおれにはわからない。おれは人の心を推し量れるほど器用な人間じゃない。だから、教えてほしい。マコトをそこまでさせた理由を」


 ふたたび長い沈黙。普段は明るい店構えも、照明が消えているだけで雨の降っているこの島の空気ように重く湿っていて、おれの体ごとこのコンクリートタイルの床に飲み込まれてしまいそうなほどだ。


「マコト、おれは警察でも探偵でもない。ただのなんでも屋だ。困っていることがあるなら、おれに助けを求めてくれないか。おれは、マコトの味方だ」


 短くなった煙草を靴の裏でもみ消したところで、ゆっくりと店の扉が開いて、その隙間からマコトが顔をのぞかせた。目元にひいたアイラインが黒くにじんでいた。


「こんな顔、アキオさんに見せたくなかったな」


 おれは小さく首を振る。マコトはたとえ化粧が崩れてもすっぴんだったとしても、その美しさは変わらないさ。

 足を踏み入れた店内の照明はすべて消えていて、いつも流れているはずの音楽もこの日は流れていなかった。そして、店内の窓側、いつもなら女子高生たちに人気のソファ席のところにリョウコがいた。彼女はソファに横たわっており、その上に毛布が掛けられていた。

 そして、彼女のむかいの席にはマコトの妹、ハルナが座っていた。


「どうして、ここだとわかったんですか?」

「店を臨時休業にしていたから会場にマコトがいるものと思っていた。マコトはおれとの約束を破るような人じゃないからな。でも、会場にマコトはいなかった。だとしたらなぜ店が臨時休業になっていたのだろうと思った。本当なら今日はヒメコの出勤日だったはずだ。いつもなら一人で彼女に店を任せることだってあったのに、今日は予定を変更してまで休業にしていた。だから、もしかしたら逆に、人に来られると困る理由があるんじゃないかと思ったんだ」


 手近な椅子を引いておれは腰を掛けた。マコトは立ったまま、おれのほうをじっと見つめていた。


「じゃあ、どうして私が写真を汚したとわかったんですか?」

「いくつか理由はあるけれど、管理室で昨日おれたちが出た後、忘れ物を取りに戻った髪の長い女性がいたと聞いて、おれはマコトが写真を汚したんだろうと考えた。リョウコはあのホールのスタッフとは面識があるはずだから、リョウコが戻ってくれば髪の長い女性なんていわないはずだからな。忘れ物だといわれて、特に疑問に思わなかったのは、昨日あの場にいたことを知っていたからだ。マコトは昨日、おれたちとロビーの管理室前のソファで一緒にいたから、職員がマコトのことを覚えていれば、忘れ物だといわれれば鍵を開けてくれるだろうと考えた」


 マコトは小さくため息をついた。


「やっぱり裏口から入るべきだったのかな」

「でも、マコトは文化ホールとはいえ、こっそり裏口から侵入することに気が引けたんだろう? マコトらしいな」


 おれが笑ってみせると、マコトもつられて小さく一度だけ肩を揺らした。


「シミ汚れについては調べればすぐにわかるだろうけれど、多分マコトがいつも持ち歩いているコーヒーだろう。まあ、おれへの依頼は無事に写真展を終えることだから、それを調べるつもりもないけれどな。それよりも、どうしてマコトがあの五枚の写真を汚したのかわからなかった。一見、どれも関連性がなさそうだったからな」


 マコトは目を伏せてかすかに表情を曇らせた。そのまま、おれはマコトが口を開くまでの時間をただじっと待った。


「あの中に、できれば人に見せたくなかった写真があったんです。それで写真が汚れていたら、展示ができなくなるんじゃないかと思って、衝動的にその写真を汚していました。でもその一枚だけを汚せば、そこに写っている人から逆に犯人探しにつながってしまうような気がして、全く関係のない写真を四枚も汚してしまいました」

「そうだったのか……あれ、だとしたらあの脅迫状。あれを出したのはマコトじゃなかったってことか? だって、マコトは運動会の写真が出ていることにあのときはじめて気づいたんだろう?」

「はい……ただ、それに乗じてしまった、というのは事実です」


 マコトは消え入りそうな声でいった。だとしたら、あの脅迫状の犯人はまだほかにいるというのか。この一連の事件、まだほかにおれが知らない事実が隠されている。だとしたら、ここで時間をくっているわけにはいかないのではないか。

 考えがまとまらず気持ちばかりが逸っていると、店内に「お姉ちゃん」という無感情な声が響いた。ハルナだ。彼女に目をやると、ハルナの前に横たわっていたリョウコが目を覚ましたようで、まぶたをこすりながらゆっくりと上半身を持ち上げていた。


「ん……」

「リョウコちゃん……?」

「あれ、マコトさん……と、アキオさん? わたし、いったい……」


 店内を見まわしたリョウコは自分があしびばにいるとぼんやりと認識したようで「わたし、昨日の夜……」とつぶやいた後にはっとして毛布を蹴り飛ばして立ち上がった。


「マコトさん! いま……いま何時ですか!?」

「九時四十五分だ」


 マコトの代わりにおれが答えると、リョウコは「どうして! わたし、展示会が!」と彼女らしくないヒステリックな声をあげて店を出ようとした。その彼女の腕をつかんで制すると、おれはいった。


「大丈夫。いま会場はおれたちの仲間がなんとかしてくれている。それよりも、今このまま展示会を始めれば、リョウコもマコトもお互い傷ついたままになってしまう」

「傷ついたまま?」

「マコトがリョウコの写真を汚したんだ」


 え? と驚愕に目を大きく見開いてリョウコはマコトを見遣った。


「リョウコ。あの運動会の写真。あれは、以前に新聞に載ったことがあったといっていたけれど、そのときになにか反響みたいなのはあったのか?」

「反響、ですか? 面白い写真だ、といわれたりとか、すごい瞬間だとか、そういった声をもらったりはしたけれど……」


 リョウコの答えをきいたマコトは小さく首を振った。


「ごめんなさい。ちゃんと話をしようと思ってリョウコちゃんをこの店に呼んだの。でも、どうしてもリョウコちゃんに本当のことをいえないままだった」

「本当のこと?」


 リョウコはじっとマコトを見つめたまま、ゆっくりとマコトのほうへむきなおった。


「リョウコちゃんの撮った運動会の写真が原因で、ハルちゃんの駅伝大会の出場が取り消されたらどうしようって怖くなって、それであの写真をなんとか取り下げてもらいたかった。でも、昨日の会場でもリョウコちゃんがとてもあの写真を気に入っていることを話してくれたし、新聞に掲載されたこともとても喜んでいた。だから、どうしてもそれを取り下げてってお願いできなくて」

「それで、汚れていれば取り下げざるを得ないと思ったというわけか」

「でも、どうしてマコトさんはあの写真でハルちゃんの駅伝の出場が取り消されるなんて……」


 リョウコがそういうと、ソファに座っていたハルナが「それ、私のせい」とぽつりとつぶやくような声でいった。


「あの運動会のムカデ競争の転倒のせいで、先頭にいたマリカは足を怪我した。それだけだったら、別によくある話。でも、新聞であの写真を見た海晴北かいせいきたの陸上部の人たちが、私が突き倒しているように見えるとツイッターで広めた」

「いくらライバル校のエースだとはいえ、ハルちゃんはそんな卑怯なことをしてまで大会で勝とうとする子じゃないわ。でも、SNSで広まった噂の影響力というのはハルちゃんに秋の選手権大会の出場を「自粛」という形で取り消すには十分だった。ハルちゃんがそのせいでどれだけつらい思いをしたか……そのことを知っている私からすれば、今度の写真展の影響力だって怖かった。もし、また同じことでハルちゃんの今度の駅伝大会のレギュラーが取り消されたりしたら……そう思ったら、もうあれこれと考えるよりも先に……」


 マコトが告白した事件の真相をきいたリョウコはショックを隠し切れずに、薄暗い店内のどこを見るでもなくただ呆然としてつぶやいた。


「そんな、私の写真が……」

「リョウコちゃんが悪いわけじゃない、それはわかっている。でも、写真の中の真実というのはだれにも等しく伝わるわけじゃなくて、見る人によっていくらでもゆがめられることがある。でも、それでさえ、私の立場を勝手に主張して、自分の都合を押し付けているだけなのかもしれない」


 ふたたび店内を沈黙が支配する。胸を押しつぶすほどの重苦しい空気を破ったのはハルナだった。


「お姉ちゃん。私、大丈夫だから、リョウコさんを会場に連れていってあげて。リョウコさんの成功を私たちが喜んであげられないなら、なんのための友達? 私はもし、マリカが陸上で入賞したらきっと一緒に喜ぶ。お姉ちゃんはリョウコさんがこの島に来たときからずっと応援してきた、仲間でしょ? だったらリョウコさんの成功をだれよりも喜んであげて」

「ハルちゃん……」


 マコトはふたたび目元をにじませた。すっかりメイクが崩れて、たれ目がちな目元がますます強調されてしまっている。マコトはハルナをぎゅっと抱きしめると、「ごめん、そうだね。お姉ちゃん、間違ってるね」と声を震わせた。


「ハルナ、よくいったな。あとはおれにまかせておけ。リョウコをちゃんと会場に送り届ける。それに、すこし考えついたこともあるんだ。マコト、気持ちの整理がついたら会場にハルナと一緒に会場に来てくれないか。どうなるか、おれにも予想はつかないけれど、できるだけのことはするからおれを信じてくれ」


 おれの言葉をきいたハルナは、その眠そうなまぶたにほんの少し力を込めたようにしてうなずいた。彼女の決意を見て取ったおれは、リョウコとともに店を出て階段を大急ぎで駆け下りる。おれの車を使えばギリギリ開場には間に合うはず。そう思いテナントビルの裏手にある駐車場に回るとそこにはリョウコの軽ワゴン車が置いてあった。なんてこった、最初から彼女がおれのそばにいたことを知るきっかけはあったのに、寝坊してタクシーを使ったことで、おれはそのチャンスをひとつつぶしてしまっていた。

 リョウコとともに車に乗り込むと、彼女の車はおれの愛車とはまるで比べ物にならないほど、ご機嫌な様子で軽やかなエンジン音を轟かせた。リョウコとともに展示会場にむかう途中、彼女はひとことだけおれにいった。


「写真って、難しいものですね」


 おれは否定も肯定もなかった。プロカメラマンのリョウコがそういうんだから、そうなのだろう。おれにとっては広い海のずっとずっとむこうの知らない世界で語られる、わからない話のひとつでしかない。ただ、「だからこそ面白いんだろう」といったおれの言葉に微笑んだリョウコに、どことなく安堵をしたんだ。

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