81 グニラエフ立石群 三日目 3
今回もリィナの視点です。
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「かはっ!」
気が付けば空を見上げていた。
痛い。
吐血した血の生臭さが鼻につく。
痛い。
熱い体に振ってくる細かい雨が気持ちいい。
痛い。
何をしていたんだっけ?
痛い。
僕は第三皇子に向かって走っていたはずじゃなかったか?
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
五秒程の空白の後に、激痛が押し寄せてきた。
あまりの痛みに動けない。
涙に滲んだ視界。
僅かに見えた僕の腹部。
そこにあの穴ができていた。
右の脇腹が、なくなっているのだ。
強制治癒が働いているが、これだけの大怪我になると治るのにも時間が掛かるのだろう。
なかなか治らない。
「ふん。亡者になる様子はないか。余程、ここまでうまく道具を使ったようだな、平民」
声が聞こえる。
第三皇子。
キュイを道具と言われた怒りが痛みを越えた。
真っ赤に染まる視界。
けど、それも長く続かない。
出血が酷い。
体が冷たくなっていく感覚が、思考能力を取り戻させてくれた。
「俺の竜砲について、何か言っていたな」
第三皇子は見せびらかすように黒い竜砲を掲げた。
「ああ。その通りだ。平民にしては考えた方だろう。俺の竜砲は六発までしか一度に装填できない」
竜砲の中心部。
円柱のような装置が飛び出した。
第三皇子がそこに手を翳すと黒いわだかまりが集まっていく。
全ての穴が埋められるまで一分程だろうか。
「だが、十秒もあれば一発分ぐらいは補充できる」
白炎を切り開く前。
僕が挑発のために話していた間。
取り巻きが近づく最中。
いくらでも補充は可能だったわけか。
そうなるとヴィンセントが止めたのも、策略の内だったのかもしれない。
「さあ、好きに選べ。このまま死ぬか。亡者となるか。露払いの礼だ。選ばせてやる」
「殿下、遺跡内の事とあっても殺めてしまえば遺恨が残るやもしれません。それに貴重な幻獣のストレンジを持つ者です。ここは便利に使った方が……」
「黙れ、ヴィンセント。たとえ学生であろうと遺跡に挑む探索者は全てが自己責任。死んだのならそいつが無能なだけだ。それに平民を使うだと? 貴様がよく言ったものだな? 何より、こいつを殺したとして、誰がそれを訴え出る? なんだ? それはお前か?」
銃口がヴィンセントの眉間に向けられた。
これ以上の口答えをすれば、まずはお前からだと言葉にするまでもなく伝わってくる。
「きゅ!」
その僅かな隙にキュイが動いた。
第三皇子の視界の外から近づき、倒れた僕の襟首をくわえて逃げる。
最深部への扉へ向けて。
「足掻くだけ無駄というのがわからないか、愚か者め」
黒い砲撃が飛ぶ。
辺りの岩壁に何かが激突する音が響き渡った。
キュイは身をくねらせて、進行方向を何度も切り替えて、直撃を避けた。
だが、全てを躱せるはずもない。
砲撃が掠めて鱗が裂け、羽根が飛んでいく。
僕も衝撃に撃たれて意識が飛びそうだ。
「……道具でも獣か。貴様らは後ろを警戒しておけ! お前らもいつまで寝ている! それとも『予備軍』になったか!? 違うならば俺について来い!」
第三皇子が銃撃を続けながら指示を飛ばした。
途中で僕が倒した四人を護衛につけて、悠然とした歩みで追ってくる。
「キュイ、もういい」
「きゅ!」
だんだんと射撃の精度が上がってきた。
もうキュイは傷だらけで、見ていられない。
それでもキュイは僕の指示を無視して走り続けた。
「キュイ……」
命令無視。
ストレンジにありえない現象。
その頑なな態度が問いかけてくるようだった。
『諦めるの?』
ああ、情けない。
情けなくて涙が出そうだ。
キュイはまだ諦めていないというのに、主人の僕が先に諦めてどうする。
竜砲の攻略法は思い浮かばない。
それでも、最後の最後まで抗おう。
まずはあの扉を開けて、中で籠城だ。
「キュイ、あの扉まで頼む」
「きゅっ!」
その言葉を待っていた。
そう言わんばかりにキュイが身を躍らせる。
石の扉までもう少しだ。
そして、その胸の真ん中に穴が開いた。
石の扉が衝撃で揺れた。
黒い砲撃に穿たれたのだと遅れて気づく。
キュイの巨体が音を立てて倒れた。
「キュ、イ……」
僕も床に投げ出されて、痛みと衝撃に打ちのめされていた。
カルロの打撃を受けた時とは分けが違う。
手足がバラバラにされたような感覚だ。
途切れそうな意識を必死に繋ぎとめるが、指の先さえも動かせない。
「遺跡の中で狩りが楽しめるとは、なかなか粋な計らいだな。平民」
第三皇子の声が近いのか、遠いのかも判別できない。
わかるのはキュイが、それでも、まだ諦めていない事だけ。
普段の滑らかな動きが失われて、翼で這いながらも僕をくわえて、扉へ向かおうとする。
僕の指示を守ろうと。
あの扉まで辿り着けば何とかなると。
「そう、だよ、な……」
僕が諦めてないのだ。
僕だって諦めてたまるものか。
勝算なんてどこにもない。
でも、せめて。
石の扉。
その先にあるグニラエフ立石群の最深部。
せめて、それだけでも。
僕たちは間違いなんかじゃないと、
竜砲に劣った存在なんかじゃないと、
誰がわかってくれなかったとしても、
誰も知る事がなかったしても、
少なくとも僕たちだけは、僕たちを証明できるのだ。
しかし、僕らの手は届かない。
目の前に第三皇子が立ち塞がった。
キュイの羽根は取り巻きたちに取り押さえられて、もう這う事さえ許されない。
黒い銃口が僕の額に向けられた。
「死ねよ、名前も知らない平民」
「……ナだ」
キィン
「うん?」
「ヘレナだ」
キィィィイイイン
「僕はヘレナだと言ったんだ!」
「ヘレナだと? 貴様……」
キィィィィィィイイイイイイン
第三皇子の言葉が途中で遮られた。
遺跡群特効の発動音。
段々と大きくなるそれが僕たちの声をも掻き消そうとしている。
「なんだ? この音はどこからしている!?」
キィィィィィィィィィイイイイイイイイイン
まるで第三皇子の言葉に応えるように。
ますます大きくなる音の響き。
背後ではない。
僕たちが通ってきた通路は無人のまま。
空に見えるのも灰色の雨雲だけ。
地面の底だって違う。
その音が聞こえてくるのは……
「……最深部?」
キィィィィィィィィィィィィイイイイイイイイイイイインッ!
今度は僕の言葉に応えたようだった。
巨大な石の扉に亀裂が入る。
奥から何かが今にも飛び出そうとしているのだ。
「っらああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
キィィィィィィィィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイインッ!!
咆哮と発動音が遺跡に響き渡り、石扉が内側から弾け飛んだ。
岩の塊が飛んで、落ちて、倒れて、土埃が舞い上がる。
そんな中を歩み出てくる人影。
「待ちくたびれたよ、リィナ」
カルロ・メリヤがグニラエフ立石群の最深部から現れたのだった。
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