74 マルス・エント
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手続きを終えて、まずは図書館に向かった。
商店街で物資を補充する必要もあるけど、こちらの方が早く閉館してしまう。
リィナの事だから既にグニラエフ立石群に突入しているだろうし、ディアロスだってすぐに続こうとしているだろう。
一刻も早く俺も向かいたいものの、予備知識なしで突入すれば助けるどころか遭難しかねない。
前回の事で職員さんに睨まれつつ階段を下りると、地下二階で知った顔が俺を待っていた。
「マルス」
異形の巨漢を見間違えるわけがない。
マルスは見慣れないバッグを手に立ち尽くしていた。
「ふふ。やっぱり来たわね」
いつになく力のない笑みを浮かべるマルス。
口調こそいつも通りに繕っているけど、そこには今までの悠々とした雰囲気がなくなってしまっている。
「こんな所にいたんだ。でも……」
会いたいと思っていた相手だけど、時間がないのも事実だ。
そんな俺の逡巡を予想していたのか、マルスは後ろのテーブルを指しながら、すぐに用件に入った。
「大丈夫。カルロ君の知りたい事ならあたしが教えてあげるから、ちょっとだけ時間をちょうだい」
「わかった」
マルスが俺を足止めしたり、騙すとは考えない。
俺との関係が偽物だとか、リィナの臣下として意に従うとか、そういう疑いはしないと決めたのだ。
きっと、マルスだってリィナを心から心配している。
席について、真っ先にマルスはノートを出してきた。
「リィナが置いていったノートよ。あの子、勉強する時はノートにまとめるタイプだから。本を読みながら色々とまとめていたみたい」
早速、手を伸ばす。
リィナらしい奇麗な字が並んでいた。
内容はもちろんグニラエフ立石群について。
おそらく、俺を拒絶した後にここで調べた事をまとめたのだろう。
最初に箇条書きで特徴を書きだして、順序立ててそれらの詳細が並べられているのも、実にリィナらしい。
「読みながらでいいから聞いてもらえるかしら」
「それってリィナの出自とか、マルスとの関係とかの話?」
回りくどい事を省くためにこっちから切り出した。
マルスは驚かなかった。
「ふふ。マリアンヌ先輩から聞いたんだって? さっき寮に戻った時に謝られたわ。隠れて噂を話したって。マリアンヌ先輩、実はいい人よね」
じゃあ、寮でマリー先輩やカナンたちから俺が飛び出したのを聞いて、ここに先回りしたのかな。
まあ、今のマルスなら俺がどう動くか想像するのは簡単だっただろう。
事務棟に向かったら入れ違いになるかもしれないけど、図書館か商店街なら確実に会えるはずだと。
それにしても、マリー先輩、自分から話したんだ。
黙っていればわからないだろうに、本当に不器用な人だな。
「カルロ君はあたしをどう思ってるのかしら? リィナの護衛? 監視? それとも……」
「友達だろ」
試すような事はしなくていい。
そう示すためにマルスの言葉を遮って結論を告げる。
「それはもうカナンのおかげで決められた。俺は俺の知ってるマルスを信じるってね」
「……もう。かっこいいなあ、カルロ君」
今のやり取りで最後の決心がついたのか。
居住まいを正したマルスが話し始めた。
「まあ、カルロ君の思っている通りよ。リィナは特別な子なの」
特別、か。
それは皇族という意味でか。後続の異端児という意味でか。幻獣持ちという意味か。
いや、全部を指しているのかもしれない。
マルスは大きな体で項垂れて、溜息まじりに呟いた。
「だから、優しくて、だから、寂しい子」
「それは……」
なんとなく想像できる。
「自分と同じ想いをしてほしくないから、人に優しくできるのよね」
「優しいから自分の事情に人を巻き込みたくなくて、いざとなったら一人を選ぶ、か」
マルスの言葉を引き継ぐ。
否定の言葉はなかった。
結局のところ、リィナが俺を拒絶したのはそういう事だろう。
リィナに協力すれば第三皇子と、ひいては竜帝国皇族とトラブルになるのだから。
大切に思えば思う程、手放すのがリィナなのだ。
「マルスでもダメなの?」
「荷物持ちでもなんでもいいからあたしも一緒に連れてって欲しかったんだけどね。この通りよ」
でも、リィナは行ってしまって、マルスはここにいる。
それが何よりの答えだった。
やっぱり、俺と同じように拒絶されたのか。
それにしても無茶を言う。
遺跡の区画に入れるのは遺跡学科の生徒だけだ。
いくら主席でも魔導学科のマルスが入れるわけがない。
「あたしも巻き込めない、って」
「俺もそんな感じ」
俺とマルスは似たような想いを共有できている。
マルスは困ったように苦笑していた。
きっと俺も同じなんだろうな。
お互いに面倒な友達を持ったものだ。
複雑な生い立ちのせいで戦う道を選んだリィナ。
優しいから孤立を選んだリィナ。
それは彼自身が選んだ生き方なのだろう。
誰にだって否定する事はできない。
でも、一人は寂しいと心の中で叫んでいる。
じゃなければ、俺と友達になんかなってくれないし、別れ際にあんな顔をするもんか。
俺とカルロにはその声が聞こえているから、見て見ぬふりなんてできないのだ。
「カルロ君、あたしのぶんまで届けてくれないかしら?」
握り拳を突き出してくるマルス。
俺の答えは決まりきっている。
だから、その大きな拳に俺の拳をぶつけて笑う。
「引き受けた。たっぷり味あわせてやるよ」
丁度、俺もリィナのノートに目を通し終えた。
本当ならもっと多くの情報を集めて、精査して、あらゆる可能性を考慮して、何度もトライ&エラーを繰り返して挑むべきなのだろう。
だけど、リィナが無茶をするなら、こっちも無理を通してやるしかない。
「カルロ君、これを使って」
差し出されたバッグの中身を確かめると食料や水、ナイフにライター、救急キットまで。俺が揃えようとしていた物が一通り入っていた。
「あたしがついていこうと思って用意したんだけどね。それと、これもあげるわ」
わかっていたけど、本気でついていこうとしたんだな。
呆れと感心が半々の気持ちでいる俺に差し出されたのはゴーグル。
「あたしの作った魔導具。暗視と望遠機能が使えるわ」
「魔導具って、でも」
「心配しないで。試運転は問題なかったから。前から作ってたやつなの。今日の買い物でほしかった部品が手に入ったから、大急ぎで完成させたのよ。といっても、本当はもう少し機能拡張したかったんだけど、そこは妥協しちゃったのよねえ」
貴重な魔導具。
それも自分の作品を渡していいのか。
そう尋ねようとしてやめた。
俺はマルスを友達と信じた。
マルスもきっと同じなんだ。
なら、野暮な確認なんてするべきじゃない。
「ありがとう。どっちも使わせてもらう」
「リィナをお願い。あたしは寮で待ってるから」
そして、俺は夕暮れに染まるグニラエフ立石群に踏み込んだ。




