39 癇癪
39
「あ、カルロ。起きた?」
「お兄ちゃん!」
目を覚ますと、自室のベッドの上。
アリア姉が顔を覗きこんできた。
続けてシャンテがベッド――というか、俺のお腹の上にダイブしてくる。
「ぐふっ!」
「もう、シャンテ。そんなにしちゃったらカルロが痛いよ?」
うーん。アリア姉が注意しているけど、聞こえてないな、これ。
シャンテはお腹の辺りに頭を押し付けて止まらない。
なんかマーキングでもされているみたいだ。
それはいいんだけど、ヘアバンド越しに角がゴリゴリして地味に痛い。
大きくなったら少しはブラコンも治るかなと思っていたけど、どんどん深刻になっている気がする。
嬉しいけど、気が重いな。
「……あれ? 俺、どうしたんだっけ?」
「覚えてないの? カルロを引きずってきたシスターに、部屋で寝かせとけって言われたんだけど」
あ、思い出した。
儂がティレアさんにラッキースケベ――じゃない、を装ったセクハラ――でもない、不慮の事故でやらかして、ロープをバラバラにされたんだった。
で、ストレンジが破壊されたショックで気絶したんだな。
見たところ外傷はない。
あの後、気絶したティレアさんに追加制裁を受けたりしなかったようだ。
「謝らないとなあ」
「あ、シスターから伝言ね。『今日は顔見せんな』だって。本当に何があったの?」
「………」
これはまずいぞ。
避けられているとかじゃない。
ティレアさんはそんな狭量な人じゃない。
二年前に胸を触ってもおおらかに許してくれたぐらい器が大きい。
そんなティレアさんでも、すぐに顔を合わせたら俺を殴ってしまかねない程に怒っているのだ。
まあ、あんな格好をさせられるのなんて一生に一度ないだろうからなあ。
儂の名誉のためにも断言するけど、あれは事故なんだ。
狙ってやったことじゃない。
いや、狙ってもいないのに、無意識の内にあんなことをやらかしてしまった方が問題かもしれないけど……。
これはもうティレアさんの儂に対する認識、覆らないだろうなあ。
「カルロ?」
「うん。なんでもない。例の件、許可が下りたんだよ」
家族はティレアさんから出された条件を知っているので、アリア姉はすぐに笑顔で祝福してくれた。
「あ、じゃあ、春からカルロは学習院に入るんだ。おめでとう」
びくっ!
俺のお腹の上でシャンテが跳ね起きた。
がーんとショックを受けて、俺の顔をじっと見つめてくる。
「シャンテ?」
呼びかけた途端にベッドから飛び降りて、失敗してべちゃりと転び、それでもころんころんと転がりながら部屋から出ていってしまった。
茫然と見送っていると、遠くから声が聞こえてくる。
「シャンテ? 毛布ひっぱんなよ。あ、カルロ? 起きた? じゃない? 止めてくれって言われてもなあ……。うわ、ひっぱんなって! ダメ! 今はダメなの! 明日、明日な? あん? 顔が赤い? 気のせいだ気にすんな気づかねえでいいんだよ! ほらほら、今日はもうそっとしてくれよ。ヴィオラに後は頼んだからさあ。なあ、マジで、頼むからよう」
ティレアさん……。
どうやら怒っているというより恥ずかしいらしい。
明日までというのは心の準備期間という事か。
不良シスターの言動だけど、乙女だからなあ。
何も言えずにいると、足音が近づいてきた。
「シャンテ? なんだい? 珍しく僕に、ってそんなに押しちゃ危ないよ。え? カルロ? カルロの部屋に行けばいいのかい?」
で、次のターゲットはロミオ兄だったようだ。
少し待っていると開けっ放しになっていたドアからシャンテにお尻を押されてロミオ兄がやってきた。
「ああ。カルロ、起きたのかい? お昼、食べられそうなら用意するけど」
そうか、もう昼過ぎなのか。
あんまり食欲はないな。
「ごめん。遠慮しとく」
まだちょっと衝撃が残っていて、体がだるいんだよ。
うん。一度、あれは実体験しておいて良かったかもしれない。
「それで、これは?」
見下ろす先ではシャンテがロミオ兄後ろに隠れて、こちらをじっと見つめている。
やわらかほっぺがまん丸にふくれていてかわいい。
「あのね、カルロがシスターから許可をもらえたから」
「ああ。そういう事か」
さすがは兄弟。一言で察してくれた。
「とりあえず、おめでとう。よく頑張ったね」
「んー!」
「痛い、痛いよ、シャンテ。叩いちゃダメじゃないか」
どうやらロミオ兄が自分を味方してくれないと理解して、後ろから太ももにポカポカパンチをお見舞いしているようだ。
「お兄ちゃん、やあっ!」
そして、再びベッドにダイブしてくると、コアラみたいに抱きついてきた。
さっきも言ったように俺が学習院進学を希望しているのは家族全員が知っている。
もちろん、シャンテもだ。
そして、一人だけで猛反対していた。
ブラコンを拗らせつつあるシャンテにとっては、俺がいなくなるのは耐えがたいのだろう。
そうでなくても、家族が遠くに行ってしまうというのはつらい。
ヴィオラが大聖堂に帰った時も泣き疲れて眠ってしまうまでずっと泣いていたし、しばらく落ち込んでいた。
シャンテにとって家族はずっといっしょにいるものなんだろう。
いなくなってしまうなんて考えもしなかったに違いない。
もちろん、俺だって、他の家族だってつらくないわけじゃない。
それでも、自分の夢を叶えられるのに諦めたりできないし、夢を応援してくれる。
大切な人の幸せを願っているから。
でも、それを九歳のシャンテに求めるのは酷だよな。
「シャンテ、お兄ちゃんと話をしよう」
「やっ!」
「ね、お願いだから」
「やあっ!」
がっちりしがみついたまま、シャンテは顔を上げてくれない。
泣いているのか、鼻をスンスン鳴らすのが聞こえる。
「……カルロ、カルロ、ちょっといいかい?」
どうしたものかと悩んでいるとロミオ兄が小声で呼びかけてくる。
今はそれどころじゃないんだけど、もしかしたら良案があるのかもしれない。
そんな甘い期待を持って振り返れば、ロミオ兄は笑顔をひきつらせていた。
アリア姉の肩を抱いたまま、青ざめてしまっている。
うん。無理ないよね。
部屋中の家具が空中浮遊してるんだから。
シャンテ、これは久しぶりに暴走しちゃったな。
最近はずいぶん落ち着いてきたから油断していた。
しゃくりあげるのに合わせて、机や本棚が揺れる揺れる。
竜卵のおかげで強くなっている俺はいいけど、エンプティのロミオ兄とアリア姉は危険だ。
「(出れる?)」
「(無理だね)」
囁き声でやり取り。
よく見ればアリア姉は座っている椅子ごと浮いてしまっている。
うーん。この状況で微笑んでいられるアリア姉はすごいな。
事態がよくわかっていないのか、それともロミオ兄が守ってくれると信じているのか、ちょっと判断できない。
「シャンテ?」
「やーあっ!」
うわあ!
俺の寝てるベッドまで浮いちゃったよ。
ヘタに声を掛けただけで事故が起きかねないぞ、これ。
なんとかシャンテを落ち着かせようと、そっと背中を撫でてみるが、はねのけられはしないものの、暴走も止まってくれない。
この状況にティレアさんが気付いてくれればいいけど、毛布を被ってるからなあ。
「お任せください」
そんな時、冷静な声が部屋に届いた。
同時に何かがシュッと部屋を横切り、シャンテの体を覆い隠す。
光沢を持った白い布地。
薄絹のショール、だろうか?
いや、待て。これは、どこかで見たような……。
「シェロカミン大聖堂の!」
シャンテが魔族として力を目覚めた時に纏っていたやつじゃないか!
確かに儂が竜卵で破壊したはずなのに、どうしてここに?
「ご安心ください、ご主人様」
ゆっくりと部屋に入ってきて、俺に一礼するヴィオラ。
昨日の孵化の後、大聖堂に帰っていたはずだけど、またこっちに来ていたんだ。
そういえば、ティレアさんが後は頼んだとか言っていたな。
「ヴィオラ? 安心しろって言われても……」
そこで気づく。
フワフワと浮いていた家具が全て元の位置に戻されている事に。
ロミオ兄が大きく溜息を吐いていて、アリア姉が額に浮かんだ汗をハンカチで拭いてあげている。
そして、シャンテを見下ろせば、ぼんやりと中空を見つめていた。
「いや、安心できないだろ。シャンテはどうなったんだ?」
「こちらは魔族の子供の能力を補助する道具です。僭越ながらシャンテの力を私の制御下に置かせていただきました」
「え? でも、二年前は……」
「あちらは緊急モードです。当時、シャンテは保護対象でしたので」
なるほど。
普段は能力の暴走を制御するための役割だけど、緊急時には持ち主に代わって能力を使って自衛するわけか。
「そんなのがあるならもっと早く使ってくれればいいのに」
「申し訳ありません。見る者が見れば、魔族の物とわかってしまいますので」
「シャンテが持ってたら、角とかまでいっしょにばれる、か」
それでも報告だけはしてほしかったけど、まあいいや。
何もできなかったんだから、助けてもらって文句は言えない。
「助かった。ありがとう」
「恐縮です。シャンテはお部屋に運びましょうか?」
能力を暴走させたせいか、シャンテの目はとろんとしている。
これは落ち着かせるためにも、このまま寝かせた方がいいだろう。
本当は俺が運んであげたいけど、まだ体調がよくない。
「お願い。そのまま今日はいっしょにいてあげて」
「承知いたしました」
さて、どうしたものかな。
九歳児を言葉で納得させるのは難しい。
かといって、シャンテの気持ちをないがしろにしたくない。
「ご主人様、僭越ながら私にお任せいただけませんでしょうか?」
「ヴィオラ?」
突然の申し出に驚く。
「私がシャンテを説得します」




