第13話:素顔の朝と、不器用なパン作り
本義肢の鍛造という過酷な一夜が明けてから、二日が過ぎた。
地下鍛冶場で打ち出された魔導銀の骨組みは、カルラの精緻な手によって繊細な魔導回路の刻印と組み上げ作業の真っ只中にあった。その間、過酷な作業で身体を痛めたカルラに対し、レオンハルトは当然のように「工房の維持」と「カルラの世話」を買い出ていた。
「……カルラ殿。朝食ができた。起ちられるか」
薄明るい朝の光が差し込む厨房。 エプロン代わりの作業用布を腰に巻いたレオンハルトが、二階から降りてきたカルラに声をかけた。
無造作に髪を解いたカルラは、まだ半分眠たげな目を擦りながら、テーブルの上に並べられた光景を見て思わず目を丸くした。
「……なにこれ」
テーブルの上に置かれていたのは、こんがりと焼き色のついた手作りパンと、湯気を立てる野菜スープ。そして、丁寧に淹れられた薬草茶だ。 不揃いで少し形がいびつなパンだが、表面は香ばしく焼き上がっている。
「片手でパン生地をこねるのは少々苦戦したが……お前が前に『ふかふかのパン生地をこねたい』と言っていたのを思い出してな。試作品の魔導ミキサーを活用させてもらった」
「あ……あの試作品かい!?」
カルラは驚いて作業台の隅を見た。 第一話でカルラが「公差がズレてうまく動かない」と愚痴り、放り投げていた高精度魔導ミキサー。レオンハルトは左手だけでそのギアの不具合を観察し、カルラが以前教えてくれた「微調整のコツ」を応用して、見事に可動させていたのだ。
「あんた……私が適当に教えた調整の知識、覚えてたのかい……?」
「お前の手元と言葉は、すべて覚えている」
事もなげに言い放つレオンハルト。
カルラは顔を熱くしながら椅子に腰掛け、不揃いなパンを一口かじった。 外はサクッと香ばしく、中は驚くほどふんわりと柔らかい。小麦のほのかな甘みが口いっぱいに広がる。
「……ふん。見た目は歪だけど、味は……まあ、悪くないじゃないか」
「本当か。よかった」
レオンハルトの口元に、どこかホッとしたような柔らかい笑みが浮かぶ。
氷の騎士と呼ばれ、いつ殺されるかも分からない戦場で泥と血に塗れていた男。 そんな彼が今、目の前で一枚のパンがうまく焼けたかどうかで、まるで子どものように安堵した表情を見せている。
(……この男にも、こんな普通の顔があるんだな)
カルラは温かいスープを啜りながら、胸の奥がくすぐったくなるような感覚を覚えていた。 雑用係として雇ったはずの男。最初は反発し合い、最悪の第一印象から始まった同居生活。だが、日常の何気ない作業を通じて見えてきたのは、頑固で不器用だが、どこまでも誠実で優しい「一人の人間としてのレオンハルト」の素顔だった。
「……ねえ、頑固中尉」
「なんだ、カルラ殿」
「あんた、なんでそんなに頑固になって『民を守る』なんて言ってるんだい?」
カルラはスープカップを両手で包み込みながら、ふと長年抱いていた疑問を口にした。
「名誉や爵位のためじゃないのは分かった。でも、右腕と左脚を失って、騎士団から『退職しろ』って言われて……そこまでして現場に戻ろうとする理由は何なんだい? あんたにとって『民』ってのは、一体何なのさ」
唐突な問いかけに、レオンハルトは一瞬だけ手元を止め、静かに視線を窓の外へと向けた。 王都の街並み。朝の煙突から煙が上り、行商人が声を掛け合い、子どもたちが元気に走り回る、当たり前の日常。
「……俺の故郷は、隣国との国境近くにある小さな農村だった」
レオンハルトは、低く穏やかな声で語り始めた。
「貧しい村だったが、人々は毎朝畑に出て、夕方には家族でテーブルを囲み、貧しいながらも笑顔でパンを分かち合っていた。俺の父も母も、ただその一日を穏やかに終えることを幸せとしていた」
「……」
「だが、俺が十二歳の時、隣国の境界侵犯によって村は一夜にして焼き払われた。……煙の中に消えていく父や母の悲鳴、焼き尽くされた畑。俺は何もできず、ただ物陰で震えていることしか出来なかった」
レオンハルトの握りしめた左手に、ぎゅっと力が入る。
「その時、俺は誓ったのだ。二度と、あのようなささやかで尊い『当たり前の日常』を踏みにじらせはしないと。……俺にとって守るべき『民』とは、国家という大層な概念ではない。今日を生き、笑い合い、穏やかに温かい飯を食う……お前が言うような『豊かな生活』を送る一人ひとりの人間のことなのだ」
レオンハルトはゆっくりと視線を戻し、カルラを見つめた。
「俺が戦場に立つのは、戦いたいからではない。彼らのその小さな幸せを、誰かが盾となって守らねばならないからだ。……だから俺は、腕を失おうと脚を失おうと、諦めるわけにはいかない」
静かな、しかし魂の底からの告白。
カルラは息をのんだ。
(……同じだ)
カルラの胸の奥で、カチリと何かが噛み合わさる音がした。
カルラがこれまで「自分が美味いものを喰い、ふかふかのベッドで寝るため」と叫び続けてきた理由。 権力者の道具にならず、誰にも縛られず、便利で豊かな生活を追い求めてきた理由。 それは――戦争や理不尽によって奪われない、平和で幸せな「日常の暮らし」そのものを愛していたからだ。
「……なんだよ」
カルラは視線を落とし、小さく呟いた。
「なにが『大義』だよ。……結局、あんたが命がけで守ろうとしてたものと、私がこの工房で作ろうとしてたものは……同じじゃないか」
「……カルラ殿?」
「言ったろ! 私は美味い酒を飲み、ふかふかのベッドで寝るためにモノを作ってるって! それはね……理不尽に脅かされない、平和で温かい『生活』が一番尊いって知ってるからだよ!」
カルラは顔を上げ、少し目元を潤ませながらレオンハルトを睨みつけた。
「あんたはそれを剣で守ろうとして、私は技術で作ろうとしてた……ただそれだけじゃないか! なのにカッコつけて『自分を犠牲にする』みたいな顔しやがって……バカ中尉!」
「……そうか」
レオンハルトは一瞬驚いたように目を見開いたが、やがて――今まで見せたことのない、心からの透明な笑みを浮かべた。
「ああ……お前の言う通りだな。俺たちは、最初から同じものを目指していたのだな」
互いの譲れない信念の根底にあった、本当の理由。 「大義」と「自己満足」という真逆に見えた二人の原動力は、どちらも「人の穏やかな生活を守りたい」という一つの灯火から生まれていたのだ。
カルラは胸が痛いほど熱くなり、真っ赤になってそっぽを向いた。
「ふ、ふん! 分かったならさっさとそのスープ飲み干しな! 今日から本義肢の微調整と組み上げの最終段階に入るんだからね!」
「ああ。よろしく頼む、俺の装具士殿」
お互いの「素顔」と「本心」を知った二人の絆は、もはや誰も引き裂くことのできない、深遠な信頼へと昇華し始めていた。




