第1話:鉄と油の香るアトリエ
金属と魔力が擦れ合う、甲高い研磨音が室内に響き渡っていた。 薄暗い工房の空気には、煤と潤滑油、それからかすかなエーテル結晶の甘い匂いが混ざり合っている。
「……チッ、また公差がコンマ二ズレた。この街の魔導銀は粗悪品ばかりで嫌になるね」
無造作に束ねた琥珀色の髪を揺らし、カルラは手に持っていた真鍮製の精密ヤスリを作業台に放り投げた。 カルラ・エルンスト。王都の最果て、貧民街との境界線にひっそりと暖簾を掲げる『エルンスト魔導義肢工房』の店主であり、唯一の職人だ。
竹を割ったような、と言えば聞こえはいい。要するに、短気で無遠慮で、お世辞の一言も言えない女である。
「ねえカルラ、また溜め息? そんなにシワ寄せてたら、せっかくの綺麗な顔が台無しだよ」 「黙りな、老いぼれ。あんたが頼んできた高精度魔導ミキサーの試作品がうまく噛み合わないからイライラしてんだよ。これじゃ『ふかふかの極上パン』生地がコネられないだろ」 「ははは、相変わらず自分の生活を豊かにするためだけに全力を出すねぇ……」
工房の片隅にある椅子に腰掛け、苦笑しているのは白髪の老魔導師、バルトロメウスだ。宮廷魔導師団を隠退した名士であり、カルラにとっては数少ない「面倒くさいが金をちゃんと払う客」のひとりだった。
「当たり前だろ。あたしが昼夜を問わず魔導具を作るのはね、美味い肉を食べ、上等な酒を飲み、誰の指示も受けずにふかふかのベッドで眠るためだ。世のため人のためだの、お国のためだのという寝言は、宮廷の腹の出た貴族どもにでも言わせておきな」
カルラは鼻で笑うと、作業台の上の黒ビールを一気に煽った。 彼女の腕は確実だった。王都の義肢装具士組合からは「性格に難がありすぎるが、その魔導回路の構築精度と適合精度は国一番」と噂されている。だが、本人は名誉にも金持ちのパトロンにも興味がない。 ただ自分が快適に、自由に暮らすためだけに、己の天才的な技術を切り売りしているのだ。
その時。
ギィ……と、古い木製の扉が重々しい音を立てて開いた。 室内に入り込んできた夕闇の風に乗って、重苦しい静寂と、嫌に強い血と鉄の匂いが漂ってくる。
「……失礼する。ここが、バルトロメウス殿の仰っていた工房か」
低い、感情の起伏を押し殺した声だった。
そこに立っていたのは、一人の男だった。 深くかぶったフードの隙間から覗くのは、氷のように冷ややかな青い瞳と、彫刻のように整った凄絶なまでに整った顔立ち。だが、彼の着ている黒い騎士服はズタズタに引き裂かれ、右袖と左の裾が虚しく風に揺れている。
右腕が、肩の付け根から無い。 左脚が、膝の上から無い。
松葉杖をたった一 concentrated 本(右側は腕がないため、左の脇下にのみ松葉杖を挟み)、凄まじい体幹と執念だけで身体のバランスを保ち、そこに立ち尽くしていた。
「やあ、レオンハルト。無事に来られたか」
バルトロメウスが立ち上がり、痛々しい眼差しで男を迎え入れる。
「……レオンハルト・フォン・ヴァルデン。魔導騎士団第一部隊所属、中尉だ」
男――レオンハルトは、左手で松葉杖を握りしめたまま、カルラに向かってわずかに頭を下げた。
カルラは片眉をぴくりと跳ね上げ、男の体を足先から頭のてっぺんまで不躾に品定めした。 隣国との凄惨な国境戦。そこで敗走する味方の時間を稼ぐため、たった一人で殿を務め上げ、奇跡的に生還したという噂の「不屈の騎士」。なるほど、目の前にいるのはその生き証人というわけだ。
「で? そのボロボロの英雄様が、うちの汚い工房に何の用だい」
カルラは腕を組み、作業台に寄りかかったまま冷淡に言い放つ。
「単刀直入に言おう。……俺に、戦うための義手と義脚を作ってほしい」
レオンハルトの言葉に、カルラは「はあ?」とあからさまに嫌悪感を剥き出しにした顔をした。
「断る。帰りな」
「カルラ、少しは話を聞いてあげたらどうだね」とバルトロメウスが間に入ろうとするが、カルラはそれを手で制した。
「バルトロメウス、あんたの紹介だから追い出さないでいてやったんだ。だがね、あたしは一番嫌いなんだよ。そういう『自分を犠牲にして国を守りました』みたいなツラした奴が」
カルラはレオンハルトに歩み寄り、至近距離でその青い瞳を睨みつけた。
「あんた、騎士団から『名誉退職』を勧められたろ? 右腕と左脚を失った人間が戦場に戻れるわけがない。普通なら与えられた恩給で田舎に引っ込んで、静かに余生を過ごすもんだ。なのに、なんでわざわざ義肢なんてつけて泥沼に戻ろうとする?」
「……守らなければならないからだ」
レオンハルトの返答は、一瞬の迷いすらなかった。
「戦いは終わっていない。隣国との停戦協定はいつ破られるかわからない。……俺の部下たちも、街の民たちも、まだ脅威に晒されている。俺には、彼らを守る義務がある。ここで引くわけにはいかないんだ」
「反吐が出るね」
カルラは唾を吐き捨てるように言った。
「大義名分、義務、守る? くだらない! そんな綺麗事のために私の貴重な時間と技術を割けってのかい? いいかい、騎士様。あたしが義手を作るのはね、それをつけた人間が便利な生活を送って、あたしに山のような報酬を支払って、お互いにハッピーになるためなんだよ!」
カルラは指先でレオンハルトの胸元を強く突いた。
「あんたが私の義肢をつけて戦場に戻り、また別の場所でボロクソに壊されて死んだらどうする? 私の作った『作品』が、殺し合いの道具として泥に塗れて使い捨てられるなんて、想像しただけで虫唾が走るんだよ。私は、人を殺すためにも、あんたが勝手に英雄になって死ぬためにもモノを作っちゃいない!」
完璧な拒絶。 一分の隙もない、彼女の職人としてのプライドと価値観に基づいた拒絶だった。
普通なら、ここで折れる。プライドの高い貴族や騎士なら、激怒して立ち去るか、諦めて立ち尽くすかのどちらかだ。
だが――レオンハルトの瞳の奥にある蒼炎は、全く衰えていなかった。
「……お前の言う『生活を豊かにする』とは、そういうことか」
レオンハルトは視線を巡らせ、工房の隅に置かれたいくつかの試作品を見た。 全自動で薪を割る魔導斧。 一定の温度を保ち続ける魔導保温鍋。 どれも無骨で飾り気はないが、使う者の手間を極限まで省くために、信じられないほど精緻な魔導回路が組み込まれている。
「お前は、自分が快適に生きるために技術を使っている。……ならば、俺が民を守るのも同じだ。俺にとって『民が平穏に暮らすこと』こそが、俺の生きる意味であり、譲れない価値観だ」
「はっ、屁理屈を――」
「屁理屈ではない!」
レオンハルトの声が室内に響いた。いつも静かな男の内に秘められた、地響きのような熱量。
「お前が己の生活を譲れないように、俺も自分の生き方を譲るわけにはいかないんだ! 右腕がなかろうと、左脚がなかろうと……俺は最後まで騎士として生きる。お前の技術が必要だ。頼む、カルラ殿」
レオンハルトは、一本の松葉杖に体重を預けたまま、深く、深く頭を下げた。 姿勢が崩れ、失われた左脚の激痛が走っているはずなのに、彼の背筋は凍りつくほど真っ直ぐだった。
カルラは不機嫌そうに腕を組み、目の前の頑固すぎる男を睨みつけた。
(なんだコイツ……。威圧感ばかりで、愛想の一言もねえ。おまけに自分の命を何とも思ってねえ、一番関わりたくないタイプのカチカチの堅物だ)
心底、大嫌いなタイプだった。 だが同時に――その痛々しいまでの泥臭い執念に、職人としての『何か』がピリリと刺激されたのも確かだった。
「……ふん」
カルラは鼻を鳴らし、作業台の引き出しから一枚の羊皮紙とペンをひったくるように取り出した。
「おい、頑固中尉。頭を上げな」
レオンハルトがゆっくりと顔を上げる。
「あたしはあんたのそのバカげた『大義』には一ミリも共感しない。あんたのことも、死ぬほど大嫌いだ」
「……承知している」
「だが、そこまで言い切るなら条件がある。……一つ、義肢の製作費および調整費として、金貨五十枚を支払うこと。騎士団の恩給を全部叩き込んでも足りなきゃ、借金文書を書きな」
「構わない」
「二つ! これが一番重要だ」
カルラはレオンハルトの目元をビシッと指差し、意地の悪い笑みを浮かべた。
「あんたのその体、完全に筋肉が落ちててバランスもガタガタだ。義肢をつけたところで、まともに歩くことすらできやしない。だから今日からこの工房に住み込みで働いてもらう。雑用、掃除、薪割り、買い出し――片手と片脚で全部やりながら、あたしの過酷なリハビリに耐えてもらうよ」
それは、実質的に「奴隷のような同居生活」を強制する条件だった。 名誉ある魔導騎士団の中尉に対して突きつけるには、あまりにも侮辱的な要求だ。
バルトロメウスが「カルラ、それはさすがに……」と口を挟もうとしたが、レオンハルトは間髪入れずに答えた。
「――分かった。引き受けよう」
「……は?」
「雑用でも何でもやる。お前の指示に従おう。だから、俺に……もう一度、立つ術をくれ」
レオンハルトの瞳には、一切の屈辱の色はなかった。ただひたすらに、前だけを見つめる真っ直ぐな光。
カルラは一瞬毒気を抜かれたように目を見張ったが、すぐに不機嫌な顔に戻って苛立ちまぎれに髪をかきむしった。
「……チッ、面白くないねぇ! 少しは嫌そうな顔をしな!」
カルラは羊皮紙をレオンハルトの胸に叩きつけるように押し付けた。
「いいかい、勘違いするんじゃないよ! あんたを助けるわけじゃない。あたしの最高傑作を完成させて、あんたから搾り取れるだけの金を搾り取るためだ! 明日から地獄を見る覚悟をしな、頑固中尉!」
「望むところだ、不機嫌な装具士殿」
こうして、互いを「大嫌い」と吐き捨てる最悪の相性の二人の、過酷で不器用な同棲リハビリ生活が幕を開けたのだった。




