第九十六杯「炎上」
珍しく寝坊した朝だった。
いつもより遅い時間に自転車を自転車置き場に停め、昇降口に入る。
その時点で、異変に気づいた。
学校の中がザワザワと騒がしく、落ち着かない雰囲気。
「ねえ見た? SNSのアレ」
「見た見た。1年生の子のアレでしょ?」
「マジかよー。あの子可愛かったのに」
「まさかあんな事してたなんてなあ」
皆スマホを片手に、何やら話している。
何だかすごくイヤな空気だ。
コソコソと、誰かの足を引っ張る事を喜んでいる空気が校内を蔓延している。
「結衣菜がそんな事するわけないでしょ!」
突然、1年生の廊下からそんな空気をブチ壊すような大声が響く。
聞き覚えのある声だ。
確か、季日南祭の時に手伝いに来てくれた……
「す、すみれさん! 落ち着いて下さい! 私もそんな噂信じてません!」
「そ、そうだよ。騒いだら余計に結衣菜ちゃんを貶めようとしてる相手の思うつぼだよ」
いきり立つ背の高い女子を、小柄な女子と中くらいの女子2人がなだめている。
学園祭の時に茶道部の手伝いに来てくれた、西園寺さんと市ノ瀬さんと赤城さんの3人だ。
何が何やら分からない。
何が何やら分からないから、3人に声をかける。
「西園寺さん、市ノ瀬さん、赤城さん。おはよう。何? どうしたの?」
「あ、茶道部の……おはようございます」
「おはようございます!」
「挨拶してる場合じゃないでしょ!」
赤城さんと市ノ瀬さんが挨拶を返してきて、西園寺さんは憤慨している。
何をこんなに怒ってるんだ?
「さっき輝木さんの名前が聞こえてきたんだけど……、輝木さんがどうかしたの?」
「え? 先輩、SNS見てないんですか?」
「グループ○イン回ってきてないんですか?」
「うん……」
赤城さんと市ノ瀬さんの問いかけに答えると、2人が顔を見合わせる。
「これよこれ! 結衣菜の根も葉もない噂が出回ってるのよ!」
僕に向けて、西園寺さんがスマホの画面を見せてくる。
そこには目元が伏せられた輝木さんの中学時代とおぼしき写真と、彼女が中学時代に起こした暴力事件の投稿が流れていた。
「中学時代に、部活の先輩に暴力をふるって足を骨折させた……!?」
信じられないような話に、目を疑う。
名前も顔も伏せられてるけど、知ってる人なら輝木さんだと特定できる投稿に、悪意と嫌悪と寒気を感じる。
「か、輝木さんは? 学校に来てるの?」
「来てないわよ! 連絡しても返ってこないわ!」
「す、すみれさん! お、おおお、落ち着いて下さい!」
「そうだよ。少し頭を冷やして。相手は先輩だよ」
市ノ瀬さんと赤城さんになだめられ、西園寺さんがバツの悪そうな表情になり僕に頭を下げる。
「……旧校舎に行こう」
「「「え?」」」
「ここで話すと皆に聞かれる。現状どうなってるかって話と、これからどうするかって話は、旧校舎に行って話そう」
「「「……」」」
僕の提案に、3人が頷く。
僕はスマホのアプリを立ち上げ、瀬川さん達も呼ぶ事にした。
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「……つまり今、輝木さんが中学時代に暴力事件を起こしたという噂が流されていて、炎上しているという事ですね」
案の定というか、僕と同様にSNSもグループ○インも見ていなかったぼっちの瀬川さんが現状を把握し頷く。
SNSには彼女に対して「切腹すべき」とか「謝罪して退学しろ」といった心ない言葉が溢れている。
「まあSNSの方はそこまで広まってないし、どうせまたすぐ冷めるだろうけど……校内の方はかなり広まっちゃってるみたいだね……」
僕の言葉に、板野さんと寧音姉が頷く。
「2年生の教室でもこの話でもちきりでした」
「3年生の方はそれほどでもないけど……、話題にはなっているわ」
「それくらい、周到に用意されてたって訳か……」
噂の発信源は、時間をかけてウチの高校の生徒をフォローしてSNSでこの話題が校内に広まるようにしていたらしい。
「相手を特定する事はできないんですか?」
「ダメね。相手のアカウントは多分捨てアカよ」
それくらいもう調べていたらしい寧音姉が、肩を竦める。
「誰か、輝木さんに連絡は……」
「取れてたら苦労しないわよ! 心配してるのに……!」
西園寺さんがイライラとした様子で髪をかきむしる。
友達のためにこんなに怒ってくれる子が友達なのか。輝木さんがいい友達を持ってる事に少しだけ安心する。
「瀬川さんは? 瀬川さんからの連絡になら答えてくれるかも……」
「や、やってみます」
僕に促され、瀬川さんが意外と器用にスマホにメッセージを打ち込み輝木さんに送信する。
「……ダメです。既読になったけど返事が返ってきません」
瀬川さんの言葉に、皆が意気消沈する。
瀬川さんでダメなら、僕でもダメだろう。ましてや寧音姉なら、もっとダメそうだ。
「今どうしてるんでしょう、輝木さん……」
「さすがに今登校するのはできないだろうから、しばらく休むしかないんじゃないかな……」
「なんで結衣菜がコソコソ隠れないといけないのよ! こんなのでまかせか、でっちあげでしょ!」
「す、すみれさん! 落ち着いて下さい!」
「そうね、皆一旦落ち着きなさい」
静かな、けれども威圧感のある声が空き教室に響く。
寧音姉が、長い黒髪をいじりながらフウと息を吐いた。
「大鳥君の言うとおり、今の学校は彼女にとってよい状況にないわ。動画配信者とかが突撃してくるかもしれないし。休むのが正解よ」
「そんな……」
「この問題は、私に預けてもらえないかしら」
いきり立とうとした西園寺さんの機先を制し、寧音姉がセーラー服の豊かな胸に手を当てて言う。
「この学校に彼女が入学した時に、こうなる事は想定してたの。こうなった時の用意もね。ウチの学校の生徒は、私が守るわ。生徒会長として」
「……任せて、いいのかしら」
「ええ、任せなさい」
生徒会長の寧音姉の言葉に、さっきまで食ってかからんばかりだった西園寺さんも不精不精ながらも頷く。
「皆はいつも通りを心がけてちょうだい。噂に乗らない事、話に反応しない事。そして彼女が帰ってくる場所を守る事。いいわね?」
「「「「「……」」」」」
納得はしていないようだけど、皆頷く。
「いえ、それはできかねます」
しかし意外な所から異議が出た。
瀬川さんだ。
「輝木さんは私の部活の後輩です。私も茶道部の部長として、できる限りの事をしてあげたいです」
「例えば何を?」
「それは……噂を広めた輩に、塩を撒いたりとか」
物騒な事を言い出した瀬川さんに、寧音姉がハアとため息を吐いて肩に手を乗せる。
「気持ちは分かるけどやめてちょうだい。そんな事したら、卑劣な輩と同じ土俵に落ちちゃうわよ」
「ですが……」
「いいからこの問題の対処は私に任せて。瀬川さん達は文化祭の準備を変わらずする事。いいわね?」
「文化祭、ですか?」
「ええ、私の読みが正しければ、犯人は必ず文化祭に来るから」
「なるほど、そこで塩を撒けばいいわけですね」
「撒かなくていいから」
相変わらず塩を撒こうとする瀬川さんを、呆れた表情で寧音姉が止める。
西園寺さん達も毒気を抜かれたように呆れていた。
と、その瀬川さんのスマホからピロリン♪という音がする。
「あっ! 輝木さんから返事が来ました!」
スマホを見た瀬川さんが、声を上げる。
その画面に、皆が一斉に近寄る。
そこにはこの言葉だけが送られていた。
『迷惑かけて、ごめんなさい』と。




