04 うるさい
今日から通常授業が始まる。
新品の教科書には、新しい知識がその中に詰まっている。
知的好奇心旺盛な者・渡良瀬愛依にとっては宝箱のようなものだ。
彼は教科書を一通りペラペラめくり、これからの授業に胸を膨らませる。
姿勢を正し、真面目な態度で授業を受け、意識的に発言を行う。
根は優等生なのが渡良瀬愛依であり、高校生になってもそれは変わらない。
「……んが」
変わらないはずだった。
しかし、三日連続の明晰夢が身体に重く伸し掛かった。
渡良瀬愛依は四時間目開始五分で早々に力尽き、一時間目から既に眠り続けている六斎堂愛忌に続くように、新品の教科書の上に突っ伏した。
「……また渡良瀬くんが出てきてしまった」
「……それはこっちのセリフじゃ~ん……」
いつの間にか、教室で席についているのは、後ろを振り返る六斎堂愛忌と渡良瀬愛依の二人になっていた。
言うまでもなく、夢の中である。
「……授業中の居眠りは良くない。さっさと起きるべき」
「本物の愛忌ちんは一時間目からずっと寝てるんだぜ~……。俺もちょっと眠くてさ~」
「僕は夢の中で勉強している。いわゆる睡眠学習」
「いや、教科書も何も無いじゃん……。も~」
渡良瀬愛依は、先程見ていた教科書をイメージし、頭の中で適当に念じる。
……すると、本物同様全てのページが再現された教科書が、机の上に現れる。
「! 凄い。……あれ? でも、どうしてこんなものが」
「俺にかかればこんなもん、余裕なんだよね~。でも、普通に授業受けたほうが効率いいっしょ!」
出てきてしまっては仕方がないので、六斎堂愛忌は渋々教科書を開く。
黙々と勉強を始める六斎堂愛忌をしばらく眺めていると、渡良瀬愛依は段々と暇になる。
「……ひぃっ!」
「脇腹ががら空きじゃん! ツンツンしちゃうよ~」
渡良瀬愛依は六斎堂愛忌の脇腹を、後ろから指で刺し始めた。
「あんっ……! ちょ、や、だめ……っ!」
渡良瀬愛依はいたずらさえも妥協しない。
指でツンツンするに留まらず、揉んでは押し込み、押し込んでは高速でツンツンし、徹底的な脇腹攻めを執拗に続けた。
言うまでもなく、このネチネチとしたイタズラのせいで、彼は友達を無くした過去がある。
「はぁっ……! も、もうだめ、渡良瀬……くんっ……! それ以上はっ……!」
「そのまま昇天ペガサス行っちゃうっしょ~~!」
「…………! んああっ!! やめて! ……渡良瀬くんっ……!」
六斎堂愛忌の期待通りの反応に気分を良くした渡良瀬愛依は、より一層の執拗攻めを行った。
六斎堂愛忌は今までに出したことのないような声色で喘ぎ、それは二人きりの教室内に大きく反響した。
そしてそれは、脳内と鼓膜の両方に、同時に音が響くような違和感があった。
「……んが」
渡良瀬愛依は、今のイタズラの高揚感が原因なのか、現実世界に引き戻された。
そして、教室内の空気に違和感があることに気が付く。
「ん? あっれ~……。も、もしかして、寝言とか言ってた感じ……?」
目を開けると、クラスは静まり返り、視線が渡良瀬愛依に集中していた。
寝言を言っていたのか、それとも教師が渡良瀬愛依に問題をあてたのか。
「え~と……? き、君さ、俺、なんか言ってた感じ~……?」
渡良瀬愛依は、勇気を振り絞り隣の席の男子生徒にぎこちなく話しかけた。
しかし返事が無く、どういうことだと動揺していると、この男子生徒は渡良瀬愛依のことを見ているのではなく、一つ前方の生徒、六斎堂愛忌の方を向いていることに気が付いた。
更に、他の生徒の視線を見ても、いくらかは渡良瀬愛依のことを見ている生徒もいるが、やはり目の前でうつらうつらしている六斎堂愛忌に視線が多く集中している。
「……今、"やめて、渡良瀬くん"、って言ったよね」
「……さっきからずっと変な声出してたし、それより、渡良瀬くんが言ってた"昇天ペガサス"って何……?」
教室内では、聞き覚えのある言葉が小さく囁かれていた。
(うっそ~……、昇天ペガサス聞かれちゃってんの、めちゃめちゃ恥ずかしいじゃ~ん……)
とは一瞬思ったが、渡良瀬愛依すぐに別の問題に気が付く。
(……なんで、愛忌ちんが言った言葉まで聞かれてんの?)
女子生徒が言っていた「やめて、渡良瀬くん」という言葉は、夢の中で、六斎堂愛忌が発した言葉だ。
まさか六斎堂愛忌の言葉まで、渡良瀬愛依は寝言として言ったのか。
しかし"六斎堂愛忌"という固有名詞が出てこない限り、視線は全て渡良瀬愛依に集まるはずである。
渡良瀬愛依は思考を巡らせるが、彼の思考回路はショート寸前だった。
「六斎堂さん、大丈夫……?」
「なにかされた? 一回保健室とか行ったほうがよくない?」
「……んが? ……え、な、なに、何が」
周りの生徒に初めて話しかけられた上に、自分がクラス中の視線を集めていることに気付いた六斎堂愛忌は、何が起こったか分からずに慌てふためいている。
後ろに座る渡良瀬愛依に助けを求めるような視線を送るが、渡良瀬愛依も状況が飲み込めていない。
「こら、渡良瀬くんっ! 授業中に何してんの~っ! 六斎堂さんを虐めるっていうなら、先生っ、許しませんよ……!」
「……よく分かんないけど、夢の内容ばれてんじゃん……」
六斎堂愛忌の寝言と渡良瀬愛依の寝言が奇跡的に噛み合ってしまったのかなんなのかは分からないが、ようやく、"夢での行いがバレている"ということを、渡良瀬愛依は確信した。
「…………! あっ、あ、ぼ、僕……」
六斎堂愛忌も何かに気が付く。慌てているのか急に立ち上がり、教室の中央に向かって、珍しく自発的に言葉を発した。
「わ、渡良瀬くんにやめてって言ったのは、た、ただの夢で……っ! べ、べつに何もされてない……」
六斎堂愛忌は尻すぼみになりながらも弁解する。
自分の寝言のせいで、渡良瀬愛依に何らかの冤罪の容疑がかけられていると解釈したらしい。
言い終えた彼の顔は、羞恥心で真っ赤に火照っていた。
「そ……、そうなの……? 先生、信じるからね? それならいいんだけど、あんまり大きな声だったから、みんなびっくりしちゃってた……じゃなくて、授業中に寝るのはダメですよっ」
「は……はい。……えっ、あ……あっ」
六斎堂愛忌は、直立し頭を下げ恐縮しつつも、後ろの渡良瀬愛依を気にかけている様子だった。
冤罪をかけてしまったことを申し訳なく感じているのだろう。
(愛忌ちん、まさか……。いや、まさか……まさか?)
渡良瀬愛依は思考する。
奇跡的に夢の内容が重なった。
……ではなく、同じ夢の中に二人共存在していた可能性がある。
渡良瀬愛依はこれまでの事を振り返る。
六斎堂愛忌が寝不足気味だとか、髪型が変だとか、行き覚えの無い職員室が正確に再現されていたことも、本物の六斎堂愛忌が同じ夢の中にいたと仮定すると辻褄が合ってしまう。
そして、渡良瀬愛依が思考をフル回転させる中、六斎堂愛忌に異変が起こる。
「……ぐ、ぐす、うええ」
六斎堂愛忌は自分の席に座り直したかと思うと、声を殺し、静かに泣き出した。
真剣な表情を崩さず思考していた渡良瀬愛依を見て、彼を怒らせてしまったと勘違いしたのだ。
嗚咽の声はだんだんと激しくなり、結局その姿はクラス全員が知ることとなった。
「えっ! ろ、六斎堂さん、どうしたの?」
ティッシュもハンカチも持たない六斎堂愛忌の顔面は、あっという間に涙と鼻水まみれになってしまった。
しかし誰も手を貸さない。
新学期早々の教室は、突然の出来事に凍りついてしまったのだ。
……ただ一人、渡良瀬愛依を除いて。
「…わっ。もごもご……」
「と、とりあえず、これで顔拭いちゃっていいよ~」
渡良瀬愛依は自分の体操着を取り出し、六斎堂愛忌にそれを着せるような形で、六斎堂愛忌の顔を体操着で覆った。
「このまま保健室まで行くよ~! ……先生、保健室~」
「先生は保健室じゃありませんっ! ……じゃなくて、渡良瀬愛依くんは教室に残りなさい! あなた、なんだか危険だわ……って、あら」
一連の流れから、渡良瀬愛依が泣かせたと判断した教師は、他の生徒に引率させようとした。
しかし、保健室に向かうのを先導していたのは、お化けのように顔を隠した六斎堂愛忌のほうだった。
「……え、いいの? 六斎堂さん。……うん。落ち着いたら、また戻ってらっしゃい……」
わけが分からなくなったこの教師は、この二人について考えるのを辞め、授業を再開した。




