第二十一話 信じるのは誰ですか?
「魔王様におかれましてはますますご活躍のことと、喜び申し上げます」
黒く長い髪が床につきそうなほど、頭を下げその男は言ったのだった。
ただ、その張り付いた笑顔によって少しも喜んでいるようには感じれなかった。
「大神官殿も元気そうでなりよりだ」
答えるルクスの方も、少しも相手の健康を喜んではいなかった。
謁見の間の王座に座るルクスの視線の先には、細身の白い顔をした男がいる。フードはない黒い光沢のあるローブを着こなす。どこかの黒い影から染み出して来たかのようだ。白い顔が余計に白く見える。
一見その笑顔からは優男のように見えるが、彼が主張するものはそれとはかけ離れていた。
『世界を魔で満たせ』
そう声高に述べるこの男こそ、今の『魔神教』の大神官ベネディクト・ゼイルストラだった。
「遠路はるばる、このウェルロルドに来るとはな」
「魔王様のご尊顔を拝したく参った次第です」
『魔神教』。その総本山は魔王国西方の島にある。大陸が聖界が大きく広がった時代、魔王国では干期と呼ばれる魔力が薄くなった時代でも、まだ魔力が濃かった場所。そして魔族の生き残りが住んでいた場所。ヴァルグリンド。
海峡を挟んだ大陸の西端まで人族の侵攻は及んだが、何とかこのヴァルグリンド島で魔族は生き延びることができた。
そこを拠点とした宗教。それが『魔神教』だ。
字面を見るとあれだが、人の生贄が必要とか何かを召喚するとかそう言った宗教ではない。
ただ単に魔神を奉る魔族の宗教だ。
そう魔神。この世界には神がいるとされている。それも二柱。魔族の神と人族の神。魔神と人神。
この魔王国ではその一柱である魔神が信仰されている。
特にヴァルグリンド島では干期にも魔力の濃度が変わらなかったのは魔神の加護の所為だとし多大な信仰が今もある。
西方はイスロルド領になるが、この島だけは『魔神教』の管轄となっている。そして、その場所を牛耳っているのがこの大神官ベネディクトだ。
「俺の顔などを見ても面白くはないだろうに」
「滅相もない。魔神様のお力をお示しになられる魔王様の御顔を拝するは魔神様の御顔を拝するも同じでございます」
「神の代わりだと言うのか?」
「はい。その通りでございます」
にこやかな笑顔ままベネディクトは言う。まるで本心からそう思っているかのように。
しかし、そんなこと一欠けらもこの男が思っていないことをルクスは知っている。そして、この男の望みも。
「すまないが神の代わりになるつもりはない。魔王としてこの国を統治するので精一杯だ」
「ご謙遜を。そのお力がおありになることこそ、魔神様の代行者のお印かと」
魔王には魔王たるゆえんがある。
その昔、干期になって千年ほど経って、魔力が濃くなる満期と呼ばれる時代に移ろうとする遷移期に幼くして魔力の高い子が生まれた。そして、その子は誰よりも魔力高くなり魔族を率いて荒らされた土地を人族から取り戻した。それが本物の魔王だ。その強さは今とは比べようがない程強かったと言われている。
そんな魔王を人は魔神に選ばれし者だと言ったのだ。魔神の代行者だと。
しかし、≪制定王≫ジベルタが世界を制定してから、本物の魔王は生まれなくなった。今いるルクスはジベルタの血を受け継いでいるだけだ。そう言う意味ではルクスは魔王ではなかった。
それでも、血によるものか魔力が高い者が王族から生まれ、人々からは魔王と言われ続けてきた。そしてジベルタ王から続く王たちもそれに応え、今がある。そう言う意味ではルクスは魔王だった。
そのことはルクスはもちろんベネディクトもよく知っていた。知っているからこそ、この大神官は言ってくるのだろう。ルクスが魔王だと。そして、魔王の責務を果たせと。
魔王の責務。それは魔族の先兵となり人族に攻め入ること。そして、魔族の領域を広げること。そう、魔族だけの世界を造ることだ。
つまり、それは今もあるジベルタ王が刺した勇者の剣を抜き、昔の状態へ世界を戻せと言っているのだ。その上で人族に攻めろと。
ルクスには容認できる内容ではなかった。
今の魔王国の繁栄は世界が安定しているからだ。それを崩壊させる選択を取ることはできない。
「神の代行者とやらは他の者を探せ。
……ただし、ジベルタ王の遺志を無に帰するならば、俺がお前たちを無に帰してやる。それをゆめゆめ忘れるな」
「……魔王様は何やら勘違いされているご様子。私どもにそのような意思はございません」
「それならいいのだがな」
「私どもは魔神様のお声をお伝えするのみです」
「そうか。なら、お前は神の声を聞いたのか?」
「……」
張り付いた笑顔に一瞬ひびが入る。それは果して怒りだろうか、それとも悔しさだろうか。それはルクスには分からなかった。
「いいえ。未だに。まだまだ私どもが未熟なる者だからでしょう」
「それは俺も同じだな。
だが、ジベルタ王は違う。かの王は神の声を聞いたと言う。それ故強かったのだと。
だから、かの王の遺志を継がねばならない。分かったか?」
「……仰せの通りに」
そうベネディクトは頭を下げて言う。その真意はどこにあるのか。張り直した笑顔からは窺うことはできなかった。
「……それで、ただ俺の顔を見に来ただけか?」
「いえ、幸いなことに王都にある支部から説教の要請を受けまして招かれた次第です」
「そうか。なら俺からは以上だ」
「それでは失礼いたします。
……ああ、ところで変な噂をお聞きしたのですが……何やら変わったペットをお飼いになっているとか」
さも、今思い出したかのようにベネディクトは問う。その笑顔とは対称にその目はとても冷たいものだった。そして、それはルクスに対してではなく、そのペットに対してだろう。害虫か何かの姿を思い出したかのように嫌悪感も混じっていた。
「ペットなど飼ってはいないな。その噂が間違っているのだろう」
「そうですか。黒い毛のペットとお聞きしたのですが?」
「いいや。これでも趣味はいい。毛並は黒以外を選ぶ」
ベネディクトの黒髪を見てルクスは言う。自分も含めて黒髪は嫌いだと、その言葉に含ませる。ついでにミレイユたちを飼っているわけではないと言うことも。
「そうですか……。これは変なことをお聞きしました。お許しを」
「構わん。巷ではどうでもいい噂で満ち溢れているからな。お前も変な噂に惑わされぬように気を付けた方がいいぞ」
「ご忠告痛み入ります」
ベネディクトは改めて退場の礼をするとその場を立ち去る。その黒い後姿にルクスは思い出したかのように忠告を投げかけた。
「そう言えば近頃黒い野良猫に手を出して噛まれた者たちがいるようだぞ。お前たちも余計な物に手を出さぬようにな」
「……度々のご忠告ありがとうございます」
音もなく滑るように去って行くその大神官の姿は、這い出した影が元の場所に戻って行きそうで、それでいてそのままどこかに彷徨い出るようでもあった。
ルクスにはそれが神の恨み言が服を着て歩いているようにしか見えなかった。




