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星願未遂 ふたりの長いものがたり リマスター版  作者: つくね


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9/52

―  告白  ―

 校庭へ一歩踏み出した瞬間、世界が蝉に乗っ取られたかのような喧しさが耳を打つ、高校二年生の放課後。テニス部の練習が終わり、コートの端で荷物を片付けていると、翔太の視線がふとある場所へ向いた。部室の前、ベンチに座る二人の姿。勇真と凜。


「また二人でいるんだな」

 そう思ったのは、今日が初めてじゃない。凜はいつもと変わらない淡い表情で、勇真の話にゆっくり頷いていた。笑った顔はとても自然で、そしてほかの誰に見せるでもない凜の素顔だった。俺は、たまらず視線を逸らした。喉が渇いているわけでもないのに、水筒を手に取る。

(俺、好きなんだ。あの子のことが)



——

 部活の帰り、靴紐が切れてしまった勇真。

「ちぇっ、急いで帰りたい時に限って」

 俺が切れた靴紐を結び直していた時、翔太は声を掛けてきた。


「望月。少し、いいか?」

「ん? どうした、翔太」

 苗字で呼ばれるのは久しぶりだ。部活では名前で呼び合っているのに、今日は少しだけ距離を感じてしまった。


「凜ちゃんのことなんだけど」

 その名前が出た瞬間、俺は一瞬だけ立ち止まった。だがすぐに、いつもの軽い笑みを取り繕った。

「凜がどうかした?」

「俺、凜ちゃんのこと、好きなんだ。告白する」

 俺は目を見開いた。翔太の口からは、いちばん耳にしたくなかった言葉だった。自分の肩に、どすんと錘を載せられた感触だった。一瞬、時間が止まったように感じた。不意を突かれた。何か言わなきゃ。でも、言葉が出ない。

 しかしそれも一瞬、俺はすぐに平静を装いいつも通りの調子で返そうとした。


「そっか。凜はいい子だよ。しっかりしてるし、優しいし」

 言葉はなんとか流暢に出すことが出来たが、頭はフリーズしたままだった。

「なあ、聞いてもいいか? お前……凜ちゃんのこと、どう思ってる?」

 心臓が飛び出しそうに激しく跳ねた。


 俺は少しだけ空を仰ぎ自分を落ち着かせ、これから何が起ころうとしているのかを察知し覚悟を決めた。それから目線を落として小さく笑った。

「俺と凜は、おやじ同士が仲良くてさ、小さい頃から一緒にいるだけ。兄妹みたいなもんだ。ただの幼馴染だよ。好きにすればいい」

 嘘じゃなかった。だけど、本当でもなかった。


 その言葉に、翔太の緊張した顔がほぐれたようだった。

「そっか、ありがとう」

 それを聞いた俺は胸に重く沈むものを感じた。そして、何かが崩れ落ちた。

 俺は翔太に見せるいつもの表情を作る事が出来なかった。



——

 スマホをベッドの上に投げ出し、仰向けに寝転がる。

 天井を見つめながら、心の声だけが静かに巡る。


 言ってしまった、「凜はただの幼馴染だ」って。

 翔太が「凜のこと、気になってる」って言ってきた時、真っ先に浮かんだのは、「なんで俺に言うんだよ」って気持ちだった。

 でも、そんなの顔に出せるわけなくて。俺は笑って返した。

 口に出した瞬間、自分でも思った。

 (今のは、ウソだ)

 あの瞬間の自分を、何度も頭の中で責め続けている。けどもう引き返せない。言っちゃったんだから。


 本当は違う。本当は、凜の笑顔に励まされてきた日々がどれほど大切だったか。

 小さい頃から一緒にいて、笑って、泣いて、過ごしてきた。

 なのに、どうして言えなかった?

 翔太の真剣な目を見たとき、心臓が跳ねて、息が詰まった。

 その一瞬、俺の中の弱さが出た。

 ただの幼馴染か、そう話せば自分が楽になれると思ったんだ。なんてばかなんだろう。


 翔太は、俺の言葉を信じていた。少しだけ笑って「じゃあ、明日告白してくる」って。

 ほんと、ばかだな。俺。


 俺があんなこと言ったのは、翔太が大事だったから。「親友を裏切りたくない」そんな綺麗事で、自分の本音を押し殺した。

 あいつは、俺の親友で、たぶんずっとこれからも一緒にいるって、どこかで決めつけてた。

 だから、俺が譲れば丸く収まるって、思ったんだ。


 でも、ただの幼馴染って、何だよ。

 俺は昔から、凜の心の綺麗なところに、惹かれていたはず。妹・さくらや家族を愛する優しさに。

 俺の事だけは「勇真!」って呼び捨てにして、それって特別だったんじゃないのか?

 他の人と接している時の凜は、いつもの凜じゃない事は、高校に入ってから気づくようになった。

 それって俺にだけ、自然体の凜を見せてくれていたんじゃないか。


 それは、全部「幼馴染だから」で片付けられるのか?

 ずっと俺の、一方的な凜への片思いだったと言えるのか。

 小学校の頃から、か弱く、いじめにあったり、口数少なく自己表現が下手で怒ったりできない。隙だらけで放っておけない奴。でも翔太に譲ってしまった。


 胸の奥でずっと温めてきた気持ちを、譲るような形で手放してしまった自分が情けない。

 本当は、誰よりも凜の笑顔を近くで見ていたかったのに。

 勇真に「告白していいか」と聞かれたとき、心臓が痛いほど鳴っていたのに、今さらになって、ようやく自覚し始めた。

 ばかみたいだ。あんなこと言わなきゃよかった。

 でも、言っちゃった。「俺も凜の事が好きなんだ」なんて言えるわけもなかった。

 もう、翔太は明日、告白するって決めた。

 俺には、止める理由なんてない。

 というか、すべてを持っている親友の翔太だから、俺には止める資格がない。

「凜はただの幼馴染」って、お墨付き出したのはこの俺なんだから。

 後悔は、こんなにも重く、こんなにも遅れて押し寄せるものなのか。


 翔太が凜に告白する姿を想像するだけで、息が苦しい。

 もし時間を巻き戻せるなら、あの言葉を飲み込んで、

「やめてくれないか、俺は昔から好きなんだ」って言えたら。

 でも、もう遅い。

 凜の笑顔が誰かのものになる事を、ただ見守るだけなんて。


 でも、心のどっかで、願ってる。

 うまくいかないでくれって。

 凜が、断ってくれって。

 最低だ。最低だけど、それが今の、俺の本音だ。

 そんな事を思い浮かべながら、眠れない夜を過ごす勇真だった。



——

 言葉は無くとも、小学生時代の俺と凛は、静けさを共有できる間柄でもあった。


 午後の陽がカーテン越しに柔らかく差し込み、部屋の中に淡い光の帯を作っていた。俺の部屋には、床に広げられた漫画本がいくつも並んでいる。これは、二人にとっていつもの光景だった。学校が終わると、しばしば凜は当たり前のように俺の家に来て、二人で好きな漫画を読む。それだけの時間。


 俺は冒険ものを開き、凜は少女漫画をめくっていた。ページをめくる音だけが、静けさを切り取るように響く。凜は時折、髪が頬にかかると指先でそっと払う。その仕草が視界の端に映るが、俺はただ「また髪が邪魔そうだな」とぼんやり思うだけだった。


 凜は膝を抱え込むように座り直す。俺はちらりと見て、すぐに視線を漫画に戻す。俺にとって、これは当たり前でいつもの事。


 これが、いつもの午後。俺にとって、特別な意味なんてない。ただ、静けさを分け合う自然で居られる時間。それがどれだけ大切な時間だったか、その時は気づいていなかった。



——

 凜は自分の部屋のベッドに腰掛け、勇真が持っているものと同じ星を見つめていた。


 今日夕方、友達と一緒に家路へと向かう途中、翔太くんに呼び止められて「明日、話があるから」と言われたことが、頭から離れない。

 話の内容は言葉にされていないのに、何かを予感してしまう。

「たぶん、告白される」

 昨日、翔太くんの目を見た瞬間、わかった。


 手に取ったペンダントが、どんよりと鈍く光っている気がした。



——

 季節は秋の終わり。冷たい風が、商店街をすり抜けていく。

 凜の母・沙耶は買い物の帰り道、ふと小さな雑貨屋のウィンドウに目を留めた、凜が小学四年の時。


「あら」

 沙耶は指を伸ばし、ペンダントを指す。

「少し前に、娘が似たものを買ったんです。普段はそんなに物を欲しがる娘じゃないんだけど。最近になって、その時のペンダントを大切な男の子に贈ったんです。あの子、きっとその気持ちを言葉にはできなかったんだろうけど。

 でもね、自分の宝物だったのに、その男の子に渡すって言いだしたんですよ」


 店主は静かに頷いた。「そういう贈り方をされたのならペンダントも幸せですね」


 沙耶はペンダントをそっと手に取った。

「この娘に、もうひとつ贈ってあげようと思うんです」

「願いが、叶うといいわね」

 風が強くなり、沙耶のコートの裾がふわりと揺れた。

 そしてその手には、もう一つの想いのかたちが、しっかりと握られていた。



——

「凜!」

 沙耶の声がして、小学四年生の私はふと顔を上げる。

 沙耶は、小さな包みを手にしてソファーの私のとなりに腰を下ろした。


「これ、あなたに。今日ね、街で見つけたのよ」

 私は胸を躍らせながら包みを開けた。

 中には、見覚えのある星のモチーフのペンダント。

 まるで——勇真に渡したものと、そっくりだった。


「これ……」

「そう、あなたが勇真くんに渡したのと、同じデザイン。お店で見たとき、すぐにわかったの。すごく、大事そうに選んでたでしょ?あの時」

 私は息を飲んだ。


「ありがとう、おかあさん」

 もう一度ペンダントを見つめる。

 不思議だった。

 自分と同じものを持っているはずの誰かの顔が、頭に浮かぶだけで、胸の奥がほんのり熱くなる。


 (このペンダントは、おそろいなんだ)

 そう思った瞬間、心の中に、小さな灯がともったような気がした。


 私は同じペンダントを持っていること。それは自分だけの秘密にしようと決めた。



——

 グラウンドにセミの声が遠ざかっていく頃。夏の夕立が通り過ぎたばかりの校舎は、じっとりとした湿気に包まれていた。廊下の窓をすべて開け放っても、風はあまり吹かない。

 凜は、少しだけ汗ばんだ前髪を手で払って、鞄を持った。教室を出ようとしたそのとき――

「凜ちゃん、ちょっとだけいい?」

 ドアの外に立っていたのは翔太くんだった。

 制服のシャツの袖を肘までまくり上げ、胸元には部活帰りの汗の跡がうっすらと残っている。


「うん、どうしたの?昨日言ってたお話しの事?」


「屋上、行こう」

 翔太くんの声はいつも通り穏やかだけど、少しだけ硬さがあった。


 私は覚悟を決めて「いいよ」と返した。

 二人で歩く廊下。

 床がきしむ音と、遠くの部活の声だけが響いていた。

 扉を開けると、そこには夏の夕焼け。湿った空気の中に、沈みかけた太陽の光が照り返している。フェンス際に立った凜は、目を細めて空を見た。翔太くんは、となりに立っていた。


「あのさ」

 翔太くんはポケットに入れていた手を、ぎゅっと握った。

「ちょっと前から、凜ちゃんのこと、本当に好きなんだって思うようになって」

「こうやって二人きりで話すと、うまく言えないんだけど」


 私が振り返ると、翔太くんは真剣な表情でこちらを見ていた。日が差して、目の奥に光が入っていた。

「凜ちゃんといると、落ち着く。優しいところも、ちゃんとしてるところも好きだ」

「夏が終わる前に、言っておきたかったんだ。付き合ってほしい」


 しばらく風が止まなかった。汗のにじんだシャツの背中を、ひやりと撫でていく。私は何か話さなきゃと少し口を開きかけたが言葉が出なかった。そして、視線を空に戻したまま、ぽつりとつぶやいた。


「ごめん……すぐには答えられない。ちゃんと考えたいから」絞り出すのがやっとの小さな声。

 翔太くんは一瞬、肩を落としたように見えたが、すぐに首を振った。

「ううん。大丈夫。そう言うと思ってた。

 ちゃんと凜ちゃんの気持ちで決めてほしいから待つよ。

 実は少し前に勇真にはことわりを入れていたんだ。今日凜ちゃんに俺の気持ちを伝える事を……」


 最後の一言は私の全身を貫く衝撃だった。


 その後の私は翔太くんにどんな事がを返したのか、どうやって家に辿り着いたかさえ、記憶に留める事が出来ていなかった。


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