― 願いが叶う星 ―
放課後の校舎には、クラブ活動の掛け声やボールの弾む音がかすかに響いていた。
薄いオレンジ色に染まった廊下を歩くと、磨かれた床に夕陽が反射して長い影が伸びる。
テニスコートの方角から吹いてくる風は、汗ばんだ肌に心地よい。
指導を終えた勇真は、部室棟の脇にある水道で手を洗いながら、ふう、と息をついた。
今日もミスで落ち込んでいた一年を励ましたり、ダブルスの動きを修正したり、
気づけばいつも以上に声を出していた。
そんな自分が少し嬉しくて、少し誇らしい。
(教師って、案外悪くないのかもしれないな……)
蛇口をひねると、水面に当たった夕陽が細かく揺れて、あたりにきらめく反射を散らした。
指先からこぼれた雫は、夕焼け色の空気の中でひとつ、またひとつと細い光の筋を描きながら消えていく。
そのとき――
「監督!」
振り返ると、テニス部マネージャーの美咲が話しかけてきた。
美咲は面倒見がよく、陰で支える立場のマネージャーだが、リーダー的存在だ。
腕を組んで、少しだけ首をかしげながら、じっとこちらを見ている。
「ずっと聞こうと思ってたんだけど。そのペンダント、何か意味あるの?」
勇真は思わず胸元に手をやった。
シャツの隙間から少し覗いていた、星のペンダント。
美咲は続けた。
「悪い意味じゃないけどさ、女子の間ではちょっと話題になってたよ。『なんかあれ気になる』とか、『ちょっと中二っぽくない?』とか『キモイ』とか。女子はすごく見てるんだよ。そういうところ」
言葉は柔らかいが、痛いところを突かれたように感じた。
勇真は少し笑って、ペンダントを手に取る。
「気になってたんだね。ごめん、見えてたのか」
「へんな噂が立つのも嫌だったから、ちゃんと見えなくしといたほうが良いと思っての忠告だよ」
美咲の視線は、ペンダントに注がれている。
飾り気のない銀の星。その形は小さくても、存在感があった。
「でもこれはあまり人に話してないんだけど……これね、小学生のとき、幼馴染の凜っていう子からもらったんだ」
勇真は静かに言ったあと、少しだけ間を置いて、続きを語り始めた。
「ある日、家族で川へ遊びに出かけて、凜が流されたんだ。足を滑らせて、俺咄嗟に飛び込んで手をつかんだ。でも、一緒に流された」
美咲の目がわずかに見開かれる。
「最後に助けてくれたのは、凜のお父さん。俺たちを引き上げてくれて、助かった」
「そんなことがあったんだ」
「うん。そのあと凜が、このペンダントをくれた。『あのとき、手をつかんでくれてありがとう』って」
勇真はペンダントの星の部分を親指でなぞった。
「『願いがかなうペンダントなんだよ』って。そんなふうに言ってくれた」
それからも、彼女とは色んなことがあってね……
「その子が、今の彼女……」
「えっ……」 美咲はしばらく黙っていた。
でも、何かを感じ取ったように話し始めた。
「そっか。すごく素敵な話だった。私たちの世代でも、充分に感動する。みんなにも教えちゃう!」
「ありがとう。そう言ってもらえると、うれしいよ。でも今日の先生は少ししゃべりすぎたかもしれないから控えめにな」
美咲は少し笑って、だけどまだ目線をそらさずに言う。
「ただそういう大事なものなら、もっと大事にしてあげて」
「え?」
「見せびらかすとかじゃなくてさ。見えてることで誤解されるの、もったいないと思う。先生がどんな思いで着けてても、見てる側が勝手に決めつけちゃうこと、あるから」
勇真は、その言葉にハッとした。
「そうだね。美咲、ありがとう。ちゃんと、気をつけるよ」
「うん。じゃ、今日はそれだけ。さようなら、先生」
そう言って、美咲は笑いながらふわっと部室に向かって行った。
(美咲ね……ズバッと言ってくるね、今どきの子は)と、ホッと肩の力を抜く。でも、なんとなく気分は悪くない勇真だった。
——
後日秋の夕暮れ。河川敷にて。
ゆっくりと陽が落ちていく。
風がやわらかく吹き、川面をさらさらと撫でている。
勇真と凜はベンチに座って、コンビニで買ったコーヒーを手にしていた。
並んで過ごすその時間は、特別な会話がなくても心地よい。
そんな中、勇真がふと口を開く。
「そういえばさ、学校でちょっと面白いことがあったんだ」
「ん?どんな事が?」
凜が横目で勇真を見る。
勇真は少し笑いながら、胸元のシャツに手を伸ばした。
「このペンダントのこと、女子生徒から『ちょっとキモイって言ってる子もいる』って言われたんだよ。」
「えっ、うそでしょ!?あれを!?誰がそんなこと!」
凜の顔が思いのほか真剣になって、勇真は慌てて手を振った。
「ちがうちがう、怒るとこじゃないって」
「言ってきた子も、悪気があったわけじゃないんだ。なんか、学校の女子たちの間で『あの先生ペンダントなんか着けてて、ちょっと変わってる』って話題になってたらしい」
「うーん、まあ確かに、若い先生が星のペンダントしてたら、なんか意味あるのかなって思うかも。」
「だろ?で、テニス部のマネージャーが素直に聞いてきたんだよ。」
勇真は、夕陽のほうを見ながら語り始めた。
美咲との会話。
ペンダントの由来。
川で助けた子の話を。
凜は黙って聞いていた。
やがて、勇真が少し照れながら続ける。
「でさ、その助けた子が今、俺の彼女なんだって言ったら、めっちゃ驚いててさ」
「ふふっ、そりゃそうでしょ。まさか子供の頃に助けた女の子と今になって付き合っているなんて」
凜はうれしそうに笑ったあと、そっと視線を川へ向ける。
少しだけ、瞳が潤んでいた。
「私が勇真の彼女になるまでに、どんなに苦労があったことか」
「それを全部その子に話したら、日が暮れただろうな」
「翌朝まで続いたかもね!」
「でも、その子達にも私たちに起こった事が、少しだけ響いてくれたとしたらすごく嬉しい。私にとって勇真は、命を救ってくれた王子さまだったんだから」
「いざというときに必ず現れる王子さま」
「だけど、私の気持ちをまったく分かってくれない、鈍感な王子さま」
「なんか喜んでいいのか、良くないのか」
凜と勇真は笑みを浮かべ、見つめ合った。
「正直、教師って仕事はまだまだ分からないことだらけだけど。誰かのために動ける自分ではいたいなって思う。
たとえそれが、変だとか、キモいとか言われてもさ」
凜は勇真の手を、そっと握った。
「ううん、変じゃない。むしろ、そんな勇真だから、私は好きになったんだよ」
沈みゆく陽の中で、二人はしばらく黙って手を繋いだまま座っていた。
——
後日の勇真の家。
廊下から駆け込んでくるさくら。
バタン!
「お兄ちゃん!」
廊下を勢いよく駆けてきたさくらが、リビングのドアを勢いよく開けて飛び込んできた。
テレビをぼんやり眺めていた勇真は、思わず姿勢を正す。
「どうした? 赤点でも取ったか」
「ちがう!」
「ねぇ、学校でキモイって言われたって本当?」
「うわ、なんでそれ知ってんだよ」
「マネージャーの美咲は私の中学校からの友達だよ」
勇真は、思わず苦笑した。
(そうだったんだ。美咲ね。どうりで、まとっているオーラが、さくらと同じ物だと思っていたんだ)
「まあ、キモイって言われても仕方ないよな。男性教師が私物のアクセなんて普通つけないし」
「でもね」
さくらが、勇真の前のローテーブルに手をつきながら、顔を近づけた。
「そのあと美咲、こう言ってた。でも、めっちゃ素敵な話だったって
『子供のころ、川で溺れた幼馴染を助けて、そのお礼にもらったペンダントらしいよ。しかも、その子が今の彼女なんだって』って」
勇真はさくらが興奮気味に話している言葉に耳を傾けた。
「めっちゃ素敵じゃん、それ。私、美咲から聞いて、そのペンダントの意味を初めて知ったんだよ」
「キモイって言われてたけど、美咲がみんなに話したら、今の時代でも充分に素敵って言われたって。ちゃんと」
さくらの言葉に、勇真はそっと目を伏せる。
「馬鹿にされてもいいよ。俺にとっては、大事なもんだから」
——
買い物袋を両手に提げて、陽子がキッチンに入ってきた。
ビニール袋の中には、今夜の夕飯の食材が揺れている。
「ただいまー。さくら、手伝ってくれる?」
いつもの穏やかな声。
けれどその声が聞こえるや否や、リビングの奥からさくらが勢いよく立ち上がった。
「ねえ」
怒りと戸惑いが入り混じったような瞳で、陽子を睨む。
「なんで、これまでお兄ちゃんのペンダントのこと、教えてくれなかったの?」
陽子は袋をテーブルに置きながら、少しだけ驚いた顔をした。
「ペンダント?」
「凜ちゃんを助けたお礼に、お兄ちゃんがもらった物だって、そんな大事な意味があったなんて知らなかった。
おかあさんは知ってたんでしょ? だったら、どうして私に何も言ってくれなかったの? 私は凜ちゃんを助けに行ったけどお兄ちゃんも流されたって事だけしか教えてもらってなかったよ」
陽子は表情を曇らせた。
一瞬、言葉を選ぶように口を閉ざし、それから小さくため息をついた。
「今のさくらなら理解できるだろうけど、まだ小さかったから、ペンダントに込められた凜ちゃんの気持ちなんて、伝わらないだろうなと思ってね」
「あーあ、もっと早く知ってれば、お兄ちゃんの事も凜ちゃんの事も、もっともっと好きになってたのにな」
「何言ってるの、今からでも好きになればいい事でしょ」
夕焼けの光がキッチンの窓から差し込んで、温かい言い争いをしている二人の影を長く伸ばした。




