― 久しぶり ―
秋の週末、人混みの中。
制服姿のまま、カバンを片手に友達とショッピングモールに来ていたさくらは、偶然、二人の姿を見つけた。
「あれ?」
ふと、目に留まったのは、向かいのカフェテラス。テーブルを挟んで向かい合うのは、翔太と凜だった。翔太は穏やかな笑顔で、なにか楽しそうに話している。凜は、その話に頷いていたが。
(あれ、凜ちゃん……なんか、無理して笑ってる?)
声は聞こえない。でも、わかる。さくらの目は、そういうところだけは妙に鋭い。凜の口角は上がっているのに、目が笑っていなかった。時折、カップに手を添える仕草もどこかぎこちなくて、うなずき方も早すぎた。
こんなに緊張しているような固い顔、うちに来てくれてた時、見たことない。
凜ちゃんはいつも、うちに来たときは自然体だ。とくにお兄ちゃんの前では、無邪気に笑っていた。でも、今の凜ちゃんはちがう。翔太くんに気を使っているように見えた。きっと、いい子でいようとしている。嫌われないように。でもそれは、素顔の凜ちゃんじゃない。
人混みに紛れながら、さくらはそっとその場を後にした。
——
大学の講義が終わって帰る途中、駅ビルのガラス扉を押し開けると、温かい空気とコーヒーの香りが鼻をくすぐった。外の空気は、秋特有の澄んだ匂いを含んでいる。人々の足音とアナウンスが混ざり合う。
吹き抜けの天井から差し込む午後の光が、床に長い影を落としている。
エスカレーターの金属音、カートを押す音、そして人々の話し声が、重なり合ってひとつのざわめきになっていた。
ガラス張りの壁越しに見える空は、淡い灰色に染まり、雲がゆっくりと流れている。
ショーウィンドウには、赤や茶色のコートが並び、秋の色彩がガラスに映り込んでいた。
そんな雑踏の中、勇真と凜は偶然すれ違った。
一瞬、時間が止まったように感じる。心臓が、ひときわ強く脈打った。
二人の視線がふと交わった。お互いに気づいたけれど、すぐにそらしてしまう。照れくささと、何でもない日常の一部のような感覚。
俺はひさしぶりだし話したいと思った。でもふたりは昔と違ってもう別々の道を歩き始めているし、何を話せばいいんだろうと声を掛けずに歩いた。
すれ違ったあと、俺は少しだけ振り返ってみたが、凜はもう見えなくなっていた。でも、なぜか少し安心したような気持ちで、歩みを進めた。
——
凜もまた「なんて声をかけよう」と思いながら、少し微笑みを浮かべた。
二人の間には、特別な言葉はなくても、穏やかな親しみが流れていた。
「どうにもできないけど、ただ好きな人」そんな気持ちが、そっと心を渦巻いていた。
しかし、ただすれ違う。
その一歩ごとに、過去が遠ざかっていく。
私は小さな笑みを浮かべて、心の中でつぶやいた。
(また、普通に話せたらいいな)
私にとってはたった数秒のすれ違い、それだけで、いつもの日常が少しだけ輝いて見えた。
二人の間を、冷たい風が通り抜ける。
駅ビルのガラスに映る自分の顔は、どこか遠い他人のようだった。
かつて並んで歩いた道。その記憶が、秋の空気に溶けて消えていく。
——
ショッピングモールの休日。
翔太と凜はデート中だった。
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」
そう言って凜は席を立つ。
私はその途中、通路脇のベンチで高齢の男性が突然倒れる姿を目撃した。
周囲は騒然。
家族らしき女性が取り乱して「お父さん、しっかりして!」と叫ぶ。
私は反射的に駆け寄った。
医学部の学生として学んだことを思い出しながら、
意識確認・呼吸確認・心拍確認、
そして、AEDの準備と救急要請を周囲の人へ指示をおこなった。
もちろん落ち着いてなんかなかったけど、無意識に覚えたばかりの行動を取っていた。
患者は無事に救急隊へ引き継ぐことが出来た。
——
一方その頃。戻ってこない凜を翔太は探していた。
十分、二十分が経ち、電話もつながらなかった。
俺は人だかりを見つけ、その中心にいる凜をようやく見つけた。
俺は不安な気持ちで駆け寄った。その場の状況は人命救助が行われていると分かったが、凜は大丈夫なのか、心配が先によぎった。
凜はその場にへたり込んでいた。
俺は取り乱していたまま、声を掛けた。
「凜は、大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫……」
「でも、何やってたんだよ」
凜が固まった。
「ずっと探してたんだぞ!」
「電話も出ないし!」
「倒れた人がいたとしても、周りに任せることだってできただろ!」
周囲が静かになってしまった。
俺自身も感情的になっていると分かった。言い過ぎてしまった。
凜は小さく謝った。
「ごめん……でも目の前で倒れた人がいて夢中だったの」
「分かってるよ」
「分かってるけどさ」
そして、ずっと飲み込んできた本音が出てしまった。
「俺ばっかり必死じゃん」
「俺は凜を探して」
「凜は知らない誰かのために一生懸命で」
「なんかさ……」
「いつも俺ばっかり必死じゃん」
その言葉に凜は何も応えなかった。
——
私はその出来事を境に気付いてしまった。
あの日、人を助けることを考えてしまって、翔太くんの事は意識の中には無かった……
そして翔太くんは、そんな自分を理解しようとしてくれている。
それなのに、私の方がその気持ちに応えられていない。
私はずっと、翔太くんの優しさに甘えていたのかもしれない。
一番私の心に突き刺さったのは、
「いつも俺ばっかり必死じゃん」
という言葉。頭から離れない。
翔太くんをそこまで追い詰めていたのは、私だと悟った。
——
もう春だというのに、白い息がふわりと宙に溶けていく。勇真は神社の石段を踏みしめていた。
ここへ来るのは久しぶりだった。大学生活にも慣れ、もう二年になった。バイクに乗るようになり、日々は目まぐるしく変わっていった。麗華との交際には、相変わらず振り回され続けてはいるものの心地よい時間だった。
アルバイトの帰りに久しぶりにバイクで神社へ来てみた。昔から何かを悩んだとき、何かを思い出したとき、不思議と足が向いてしまう。
参道に出て、ふと境内を見ると、そこにいたのは凜だった。
凜も俺に気づいたようだったが、やはり何も言わず、小さく会釈をして帰ろうとした。
「久しぶりだな」
俺が声をかけたのは、凜が立ち去ろうとし、もう背中が半分向いていたときだった。
半年ほど前に駅ビルの通路で凜とすれ違ったが、その時には声を掛けられなかった。でも今日は思い切って声を掛けてみた。
凜は立ち止まり、振り返った。
その表情は、どこか困ったようで、でも少しだけ、嬉しそうだった。
「うん、ほんと、久しぶり。元気だった?私は最近お父さんの容態が思わしくなくて、ここへお参りに来ることが増えていたんだ」
「でも何とかやってる。そっちは?」
「まあまあかな。大学って、案外、忙しいね」
俺は続かない会話の糸口を探り、昔の話をたどるように――
「凜は、きゅうりが嫌いだったけど、食べられるようになったのか?」
「うん、何度か挑戦してやっぱりだめだったよ、でもピクルスなら食べられるようになったよ」
「あれね、ハンバーガーに入ってるやつだ」
ほんの短い会話。
けれど、その間ずっと、俺の胸は揺れ動いていた。
(なにしてるんだ、俺は)
俺には麗華がいるのに、心が揺れる。でも、凜の目が、あの頃のままだったことに気づいてしまった。
「翔太とは、うまくやってる?」
ふいに出た言葉。言ったあと、しまったと思った。今のふたりの関係に、触れる資格なんてないはずだったのに。
凜は少しだけ目を伏せて、口元を歪めた。
「そんなの、言うまでもないでしょ。大きなお世話よ」
「大きなお世話は分かってるけど、凜もちゃんと笑ってろよ。素直に笑って、泣いて、はしゃいで、優しくして」
「それが、大きなお世話なの!」
「ところで、そっちは麗華ちゃんとはうまくいっているの?」
「よく分からないけど、どうなのかな。簡単に言うと、間違いなく引っ張りまわされている。テンションが上がってるなと思ったら泣きだしてみたり。あのバイクだって麗華の一言で乗ることになったんだ」
その後も他愛のない会話を続けた俺たち。
「じゃあね」凜は神社をあとにした。
俺は思わず苦笑した。
「じゃあまたね、じゃないんだ……当たり前か」
空には夕焼けが滲み、境内の鈴が風に揺れて、カラリと音を立てた。
あのとき、気づいてしまった凜の寂しそうな目に。
でも、今の俺にはどうすることもできない。
——凜
久しぶりに勇真と言葉を交わした。
この日、凜にとっては久しぶりの勇真との会話で昔の温かくて幸せな二人の世界。
鍵をかけていたはずの、昔の記憶を呼び起こされてしまった。




