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星願未遂 ふたりの長いものがたり リマスター版  作者: つくね


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11/52

―  変わった風向き  ―


(凜)

 いつからだろう。

 世界が、白と黒にしか見えなくなったのは。

 笑っても、怒っても、心は静まり返ったまま。

 何をしていても、胸の奥がぽっかりと空いていた。


 手を伸ばせば届きそうなほど私の近くにいたのに、気づいたときにはもう、勇真の心は遠くに行っていた。

 あの時もっと素直だったら。

 そんな言葉を何度繰り返しても、現実は変わらなかった。


 だけど、翔太くんは違った。

 隣で、黙って待ってくれていた。

 私が勇真を見ていた時も、気づかないふりをしてくれていた。

「辛いなら、無理しなくていい」って、私の気持ちを最優先にしてくれた。

 一週間前に告白されたとき、正直まだ答えは出せていなかった。

 好き、なのかどうか、自信がなかった。

 でも、翔太くんの言葉は、優しさで満ちていた。

「私を大切にしてくれる人がいる」その安心感に、心が傾いた。


「俺、凜ちゃんのことが好き。勇真のことは分かってる。でも、それでも凜ちゃんのとなりにいたいと思ってる」

 その言葉を聞いて、泣きそうになった。

 翔太くんは、私の過去も、迷いも、全部抱えてくれようとしてくれている。

「これから」の私を、信じてくれている。

 それだけで、十分だった。

 好きという言葉を、まだはっきりと言えなくても、「この人と一緒にいたい」と思ったのは、確かだったから。

 周りのみんなも、こんな気持ちでお付き合いが始まるのかな。

 もし、勇真にさえ出会っていなければ、私は翔太くんと何の迷いもなくお付き合いが始まっていたんだろうね。

 でも私は、過去を忘れるために翔太くんを選ぶんじゃない。

 未来を、少しだけ前向きに歩いていくために、彼の隣を選ぶんだ。


 たとえ、まだ色のない世界だとしても。

 翔太くんとなら、少しずつ、色が戻ってくるかもしれないと思った。

 それが正しい選択かどうかは、まだわからない。

 ただ、今の私には勇真の沈黙より、翔太の言葉が必要だった。



——

 放課後、校舎裏の静かな場所に向かう。

 胸が少しだけ苦しい。でも、自分で決めたことだ。


「翔太くん」

 声をかけると、彼は振り返った。

 いつもの笑顔ではなく、真剣な顔。

「来てくれて、ありがとう」

 私は小さくうなずいた。何かを言うには、まだ少し勇気が足りなかった。

 でも、一週間考えて、眠れない夜を越えてようやく、心が少しだけ動いた。


「私、まだ前の恋を引きずってるし、誰かを好きって感情が、よくわからないままなんだけど」

 翔太くんは黙って聞いてくれている。


 その沈黙が、今はありがたかった。

「でもそれでも、あなたの隣にいてみたいって、思った」

 彼の瞳が少しだけ見開かれる。


 深く息を吸い、彼の目をまっすぐ見つめる。

「まだ完璧じゃないし、不器用なままだと思う。でも」

 言葉が途切れないように、強く口にする。


「このあいだの返事……よろしくお願いします」


 静寂の中に、風の音だけが吹き抜けた。

 翔太は、驚いたように一瞬動きを止めたあと、ふっと表情をほころばせた。


「ありがとう!! よろしくお願いします、凜ちゃん」

 彼の手が、ゆっくりと差し出される。

 私は少し戸惑いながらも、その手を取った。

(あぁ……言ってしまった……)

 ほんの少しだけ、指先が震えていた。でも、それを翔太くんは何も言わなかった。

 その沈黙の優しさに、胸がほんの少し温かくなる。


 そして私は、ふと空を見上げた。

 灰色だった日々に、少しずつ彩りが戻ってくる気がした。

(もう決めた事だから、ちゃんとする……翔太くんとしっかり向き合ってみる)



——(翔太)

 今日、凜ちゃんが頷いた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。 ずっと見ていた横顔。ずっと想っていた気持ち。ようやく届いた。そのはずだった。


 けれど、凜ちゃんが微笑んだその表情に、ほんの少しだけ影が差していた気がした。


 ふと、頭に浮かんだのは勇真の姿だった。テニス部の練習で泥だらけになりながら、誰よりも遅くまで残っていたあいつ。凜ちゃんが勇真を見る目は、俺が見たことのない優しさを含んでいたように見えた。


「俺とはただの幼馴染だよ」 そう言った勇真の言葉が、なぜか胸に引っかかる。

 本当に、ただの幼馴染だったのか?


 勝ったはずなのに、どこかで負けている気がした。 恋のスタートラインに立ったはずなのに、すでに誰かの影が隣にいた。


――勇真。 お前は、凜の中でどれだけ大きな存在なんだ。



――(勇真)

 窓の外では虫の音だけが響いていた。天井の照明はつけず、机のライトだけが小さく光っている勇真の部屋。


 凜が翔太と付き合い始めたという話を、誰かの噂話で聞いた。本人たちの口からは何も聞いていない。

 けれど、教室はもう、そういう空気だった。それからの毎日は、少しずつ、けれど確かに変わっていった。

 翔太と登下校を共にするようになり、昼休みには教室で並んで弁当を食べていた。放課後も一緒に帰ることが増えた。周囲は祝福ムードだった。


「ばかみたいだな、俺」

 小さく呟いた声は、自分の耳にも頼りなく聞こえた。翔太が、凜に告白したと聞いた時。胸の奥が、ぐっと押しつぶされるようだった。

 でもそれ以上に、凜がうなずいたって知った時――

 その時の方が、ずっと重かった。


 そりゃそうだよな。翔太は、全部持ってるもんな。

 勉強も、運動もできて、性格もいい。 誰から見たって、翔太は正解だ。

 自分は?テニス部では補欠。勉強だって赤点ギリギリ。特別な何かなんて、ひとつもない。

 凜はそんな自分を、ずっと弟みたいって言ってたっけ。それが悔しかったのか、嬉しかったのかも、もう分からない。


 でも、ずっととなりにいたのは、俺だったんだよな。

 泣くほどのことじゃない。失恋したわけでもない。告白すらしてないんだ。でも、なぜか、胸の奥にぽっかり穴が開いたような気がしていた。


「頑張れよ、翔太」

 言ったあと、言わなきゃよかったと思った。

 だってそれは、誰にも渡したくないものを、自分から手放してしまったようなものだ。


 ベッドに横になると、天井の質感がやけに鮮明に見えた。

 目を閉じる。

 だけど、眠れそうにない夜だった。



――(翔太)

 店のドアを押し開けると、ひんやりとした空気が頬を包んだ。凜と待ち合わせた翔太は一足先に店内へ入り、窓際の席に腰を下ろす。


 凜と初めて二人で来たカフェ。

(ずっと見てきた。勇真のとなりにいる凜ちゃんを、何度も見てきた。

 でも、今は違う。その事実だけで、世界が輝いて見える。

 カップに注がれるコーヒーの香りが広がる。その香りさえ、今日だけは特別に感じる)


 ドアの鈴が鳴き、夕暮れの光と一緒に凜ちゃんが入ってきた。

「ごめん、遅くなっちゃって」

 カーディガンを羽織った姿が、少しだけ秋の気配をまとって見えた。


「さっき来たところだから全然。まだ夏っぽいけど、風がちょっと涼しいね」

「うん、歩いてたら、蝉の声がもう弱くなってて、なんか寂しかった」

 凜ちゃんはそう言って、少し遠くを見るような目をした。

「そうだね。夏、終わっちゃうんだな」

「でも、私こういう季節、好きかも」

「なんで?」

「なんか、切ない感じがするから」

 俺はその言葉に、胸の奥がざわつくのを感じた。

「何頼む?この店、カフェラテが美味しいんだって」

「うん、お願い」

 切ないって、誰を思ってるんだろう。俺? それとも



——(凜)

 カフェで学校での他愛ない出来事を話したあと、店を出ると涼しい風が頬を撫でた。


「肌寒くない?」

 翔太くんの声に、はっとして笑顔を作る。

「うん、大丈夫」

 私はカーディガンの裾を直しながら、隣を歩く翔太くんの横顔をちらりと見た。


 その時、翔太くんの手が私の手を探っているのが分かった。

 手、繋ぐんだ。覚悟は決めてきたはずなのに、迷う。

 指先が触れた瞬間、心臓が跳ねた。

 指先から伝わる温もりは、確かに優しい。

 でも、その優しさが、私の胸を締め付ける。

 翔太くんとちゃんと向き合うって決めたのに……


 翔太くんに自分の手を委ねる。

 それは、拒まないための行為。

 けれど、心の奥では別の声が囁いていた。

(この手を、握っていていいのかな……)


 翔太くんは何も知らない。彼の笑顔は、私を信じていそうに見える。その信頼が、重くのしかかる。

「凜ちゃん」

 翔太くんの声は優しい。その優しさに応えたい気持ちはある。翔太くんの手は優しい。


 翔太くんの優しさが、ふとあの時の手の優しさを思い出させた。

 昔、夕焼けの中、勇真が手を繋いでくれた事。

 子供たちが集まって遊んでいる時、私は体調が悪くて早く帰りたかったけれど、チーム人数の都合で抜ける事が出来ない。私は言い出せなかった。

 その時に勇真がみんなに声を掛けてくれた。

「凜は調子が悪そうだから早く帰るよ。人数が合わなくなるから俺も抜ける」と私の手を引いて、一緒に帰ってくれた。

 その声の優しさ。握ってくれた手のぬくもり。

 あの瞬間、私は守られていると感じた。

 その感覚が、今も胸に残っている。


 そんなこと、翔太くんは何も知らない。


 街の灯りが二人の影を重ねる。

 けれど、私の心は重ならない。

 翔太くんの手の温もりを感じながら、自分自身の心の揺れに戸惑っていた。



——(翔太)

 夕暮れの部室。 練習を終えた部員たちは帰り、残っていたのは翔太と勇真だけ。

 翔太はラケットを片づけながら、以前から気掛かりな勇真に声をかけた。

「なあ、勇真。最近、元気ないよな」

「そうか? いつも通りだと思うけど」

 勇真はタオルで汗を拭きながら、軽く笑ってみせた。 けれどその笑顔は、どこか空回りして見えた。


「凜のこと、気にしてる?」

その言葉に、勇真の手が止まった。しばらく沈黙が流れたあと、ぽつりと言葉がこぼれる。

「まあ、昔から一緒にいたしな。いろいろ思い出すことはあるけど、普通の事だよ」


 翔太はその言い方に、どこか引っかかるものを感じた。

「思い出すって、それだけ?」


「うん。今は翔太の隣にいるから、それでいいじゃん」

 勇真は、軽く言った。でも、その言葉の奥に、何かを押し込めたような響きがあったように感じた。


「でもさ、凜って、勇真の事まだ……」

「翔太!」

 勇真は、言葉を遮るように翔太の目を見た。


 翔太は言葉を失った。 勇真は、凜への気持ちを語らない。語らないけれど、語らないことがすでに答えになっているような気がした。


「そうだな」

 凜のとなりにいるのは自分のはずなのに、なぜかとなりという言葉が勇真に似合っている気がしてならなかった。


「そうだな」

 凜のとなりにいるのは自分のはずなのに、なぜかとなりという言葉が勇真に似合っている気がしてならなかった。


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