ローレンツ家の断罪(2)――イザベラの視点
呆然としていた兄は、不意に床に拳を叩きつけます。
「くそっ!……聖剣さえ……聖剣さえ手に入れていれば……!!」
「はぁ?」
「『王の血を引く真の勇者が聖剣を掲げると光り輝き、王者の証を示し、民をひれ伏せさせる』……筈だったのに……くそっ……!」
突然の兄の世迷言に守護聖人の方々は呆れ気味です。
「何の話だ」
「大体、三つの秘宝は古代に上位存在より賜った、メシア降臨まで人類を守るための古代遺物。メシアの信徒でない者が手にしても意味はありませんよ」
「ほーんと、何なんでしょうね?その中途半端な謎情報。どこから仕入れましたか?」
「うるせぇよ!何なんだよ!お前ら!メシアメシアって!知らねーよ!うわぁあああぁぁ!!」
兄は万策尽きて泣き喚くだけとなりました。
誠に無様です。
ふと、父が、私が兄の醜態を冷たい眼差しで見ているのに、気付いたようです。
「どうして……お前……まさか……聖教会に……売ったのか……私を……ローレンツ家を……」
……この人は今更何を言っているのでしょう?
本気で娘の事を思い通りに動いて当然の操り人形だと思っていたのでしょうか。
「貴方達が、私の味方であった事なんて、一度もなかった」
そう……彼らは私を人間だと認めようとはしなかった、意思や感情がある存在とは絶対に認めず……これまで私の全てを踏みにじってきた……。
「何故だ!何故、家族に……こんな仕打ちを!!」
兄も血走った目で尚も世迷言を宣ってます。
この二人は、これまでの自分達の行いが、どれほどの罪か理解していないようです。
「何故と聞きたいのは私の方でございます。何故、家族も同然の彼女に……私のマーガレットに、あんな酷い事をしたのですか?」
私には、マーガレットという側近候補で子爵令嬢の親友が一人おりました。
乳母の娘で、私の乳姉妹です。
母親同士が仲が良かったのもあり、私はしっかり者の彼女を姉のように慕っておりました。
どれほど、辛い状況でも、厳しい王太子妃教育も……彼女が共にいれば乗り切れる……私にとって、掛け替えのない存在でした……。
なのに……兄は……この下劣な男は……彼女に暴力を振るって純潔を力ずくで散らし、その身に望まぬ命を宿したのです。
如何なる理由があっても、貴族女性が成人前に未婚のままで子を宿してしまっては、以後社交の表舞台に立つ事は絶望的でございます。
結局、彼女は父の命により、生まれた子供を取り上げられ、遠く離れた地方の修道院に入る事となったのです……。
「あんな女が何だってんだ!身分の低い女の癖に上から目線で説教しやがって!格の違いを分からせてやっただけだ!」
兄は、母の死以降、父と周囲に甘やかされて増長した結果、手の付けられない暴君へと変貌していきました。
そして、この事件以降、誰も彼に苦言を呈することは出来なくなったのです。
「清々しいまでの人間のクズだな……」
「気兼ねなく断罪出来ていいんじゃない?蝿は蝿らしく叩き潰せばいいだけ」
守護聖人の方々が仰る通り、兄が己の罪を悔いるフリすらしないのは、逆に助かりました。
彼が小賢しく罪を認めて償う姿勢を示せば、聖教会は教えにより、それに対応しなければならなかったのですから。
「それが……理由なのか?……小娘一人の復讐の為に……全てを投げ捨てるというのか……」
父はまだ納得しきれていない様子です。
「それが、王妃の座より大事だと言うのか!……お前は王妃になるのが夢ではなかったのか!何故だ!」
「いいえ、それは貴方の夢です。私は、そんな願いは一度も口にしていません」
私が素っ気なく言った言葉に、彼は虚を突かれます。
「私の夢は……貴方もご存知のはずです」
――あれは……幼い頃の、まだ母が生きていた頃の、思い出。
洗礼式で生まれて初めて聖教会に両親と共に行った思い出。
私はそこで会った、母の知り合いで遠縁にあたる清楚可憐な若い修道女に惹かれ憧れたのです。
そして、帰路、馬車の中で私は両親に無邪気に言いました。
『私も大きくなったらメシア様のお嫁さんになりたい』
父は私の言葉に非常に困った顔をしたのを今でも覚えています。
でも、母は笑って言いました。
『子供の夢じゃないですか。これから、この子が大きくなれば、もっと、たくさんの夢を見るんです。心配せずとも大丈夫ですよ』
どうやら、父はこの時の会話を辛うじて覚えていたようです。
「まさか、お前……それほどまでに……家族より信仰が大事だと……?」
「違います……違うんです。これは、どうしても叶えたかった夢じゃない……!」
最後に僅かに残った家族への情を断ち切るように私は胸の内を吐露します。
「私にだって、他に人並みな、ささやかな夢はいくつもあった……でも、母上が死に……貴方達に自由を、未来を、大事な人を奪われ続けた結果……」
私は自分の手をじっと見ます。
「この手には、子供時代の、無邪気な憧れしか……残らなかった……」
これを聞いて……父は力なく肩を落としました。
ようやく、彼は娘に望むものは何も与えず、人生の選択肢を一方的に押し付けた事を初めて理解したようでした。
……しかし、もう、遅いのです。
私は見つめていた手を握りしめます。
「そして、それだけが、私にとって最後の希望となりました……」
全てが、遅すぎたのです。
「さて、今、お前らには二つの選択肢がある」
ラルフ様は、父上に最後の宣告を突きつけます。
「一つはこの国を出ていく事だ。最も、烙印を押された破門者を受け入れてくれる国となると、連邦議会国の傘下しかないだろうな」
父が、散々議会制の導入を阻止してきた事から、明確に民権運動の敵であることは、あちらも把握していることでしょう。
彼の国に逃げたとしても肩身は狭く、針の筵の上に住む事は確実です。
「もう一つは……破門者の烙印を消す為に罪人として聖教会での奉仕活動に身を尽くす道だ」
「は、はぁーーっ?」
「わ、我々に、神殿奴隷になれと言うのか――!!」
一応、破門は取り消す事が可能です。
しかし、それには、聖教皇のお許しを得る事が絶対条件です。
過去、破門の身となった者は、その身分を問わず、自らの身命を聖教会に捧げる、通称“神殿奴隷”となって、厳しい戒律に支配された労働生活を、猊下のお許しが来る日を待ちながら何年も過ごさなければなりません。
なので、大抵の破門者は国外へと、聖教会の威光が届かない、未だ異教が支配する辺境へ逃亡するのです。
最も、近年高位貴族が破門される事は久しくありませんでした。
だからこそ、父達のように権力を濫用する愚者が増長する結果となったのです。
「選ぶのはそっちだ。だが、どちらも選ばないのであれば、この国の法に沿って処罰が決められるだけだ。まぁ、公開死刑は免れないだろうな」
そうです。
彼らは、何度処刑されても仕方がない程の多くの罪を重ねてきました。
しかし、聖教会は慈悲の精神を軸にした互助組織です。
彼らのような悪人に、苦行による更生という生存への選択肢を与えるなど……猊下の大いなる慈悲がなければ、到底ありえないのです。
二人は青い顔で座り込んでいます。
ここに来てようやく、自分の立ち位置を正しく理解してくれたようです。
これが、生死に分かれた道を決める絶対的な意思決定の機会だと。
彼らは長い時間、無言のまま、苦悩して……最後の決断をしました。
□
「ねぇ……いいの?スワちゃん?彼氏の事?」
「……いいのよ」
「でも、好きなんでしょ?もう会えなくなってもいいの?」
「だって、どうしようもないでしょ……『ねぇ、私の職場って入った新人の半分は殉職して半分は発狂する、治外法権で人外魔境の素敵な地獄なの。貴方も一緒に働かない?』って……そんな事言えないわよ……実際人格破綻者ばっかりだし……」
「ははは、確かに〜。うちって狂人と超人しかいないもんねー」
「あの人は……私達と違って真っ当な普通の人なのよ……こんな酷い環境に巻き込めないわ……」
「せつなーい。元気出して。帰ったら、お菓子あげるから」
「ありがと。ありがたく、やけ食いするわ」
「別にいいよ。私以外のみんなの分回すだけだしぃ……」
「さっきから黙って聞いていたらさぁ……君らちょっと酷くない?もう少し言い様ってもんが……」
「そうです、狂人はペプシとローリーでしょう。私は極めて正常です」
「はぁー?オメーは狂信者筆頭だろうが、レックス!」
「極めて正常ぉ?キマってる異常者の間違いでしょ……」
事が片付いて、去り際の守護聖人の方々の気の置けない会話を聞き、人知を超えた能力者でも人間関係はままならないと知りました。
ならば、人並みの小娘である私ごとき……辛うじてこの手に掴んだ細やかな幸せを大事にしなければならないのでしょう。
■
結局、兄は国外へと逃亡しました。
兄は謎に自信家なので、議会国で活動すれば、自分でも議員になれると、意気揚々と旅立って行きました。
最も、兄のような親の権力で甘やかされた前時代的価値観の人物が、族長を頂点とした縁故主義から議会制の民主主義に変わろうとする先進的な気風の社会で、上手くやっていけるとは到底思えません。
出世どころか、まともに人付き合いが出来るかも怪しいものです。
しかも、辺境の地は、進歩的とはいえ、未だ粗野な感性が尊ばれる荒々しい風土です。
兄のような謙ることのない、無礼者が無傷でいることはないでしょう。
◇
そして……父は意外なことに、神殿奴隷としてホライズンズ聖教国で奉仕活動をする道を選びました。
破門者の烙印を額に押された父は、簡素な衣に包まれ……以前よりも小さく見えます。
既に老年の域に差し掛かってはいましたが、破門の後、目に見えて老け込んだ父には、もう異国で一から新しい勢力を築く気概は残ってなかったようです。
他の一族の者も、ローレンツ家同様の選択を突きつけられ、処罰されたり、国外に逃亡しました。
そんな中、老年の側仕えの多くが父の後を追うように神殿奴隷となったのは意外な出来事でした。
父が若い頃から仕えていた方々でしたから、惰性に基づく判断かと思っていましたが……、
「ヘンリー様は多くを誤ったが、最後に正しい選択をなさった」
その一人が、呟くように言った一言に、私は貴族の矜持を感じました。
もしかしたら……どれほど時代が変わったとしても、信仰心……いえ、最低限の良心すら持たない貴族に、人の上に立つ資格はないのかもしれません。
何故なら、国外逃亡を選んだ兄に付き従った者は一人もいなかったからです。
◇
そして、私は……。
予てよりの望み通り、名前を変えてメシア信徒となり、地方の修道院にて、マーガレットと共に過ごす平穏の日々を手に入れたのです。
華やかさとは無縁ですが、無理難題を押し付けて圧迫を加えるだけの家族はおらず、規則正しい質素な生活は私の性に合っていたようです。
マーガレットも、すっかり立ち直っていて、生来の明るさを取り戻し、私は慣れない作業をフォローされた上に、逆に元気付けられてしまう程です。
さらに、父に奪われ里子に出されていた彼女の子供も修道院にやってきて、二人が泣きながら抱き合う姿に、思わず貰い泣きをしてしまいました。
ここには私が望んだ、小さな幸福がある。
私はメシア様と猊下の慈悲に感謝しつつ、その幸せに浸るのでした。




