恐怖の蘇生実験
クララが煉瓦塀をグルリと廻り、呪文詠唱をして、警備魔法がかかってないか調べる。荒れた庭に魔法の石塔が幾つか立っていた。
「あれは不可視の光線をだすマジックアイテムね……一時間だけ無効化するわ……」
クララが魔法無効化呪文を唱え、石塔の警備システムを落した。二人は破損した塀から中に侵入する。鍵のかかってない窓から中に潜入した。そこは廊下で、あちこちに木箱がつまれ、消毒液や薬品に混じって、すえた臭いが漂う。雨で暗くなった室内で、遠くに灯りがもれる部屋を見つけた。倉庫を改造した実験室のようだった。
二人は扉の影から中をうかがう。棚と机にはビーカーやフラスコ、各種薬品の瓶や箱が並び、大きな機械類には真空管やコイル、メーターがあり、ランプが点滅していた。机上にある大きな試験管のなかには、濁った液体のなかで不気味に蠢く肉塊も見えた。
わずかに開いた扉から覗くと、室内は角灯ではなく、電気による照明がついていた。実験室にフランケンフェルド教授はいた。傍らに助手のイゴールがいる。バークとヘアが届けた肉体の部位を、大きな実験台に置かれた、包帯だらけの死体に移植手術をしているようだ。
「ねえ、クララ……あの解剖台の検体……大きすぎないかしら?」
「そうね……少なくとも2メートル半、それ以上あるわ……ボルガン以上のなにか、邪悪な実験をしているに違いないわ……」
教授とそしてもう一人、シルクハットを被った上等な三つ揃いを着た紳士がいた。美髯をたくわえ生気にあふれている。二人の大学生探偵はドアの物陰からのぞいた。宮葉みぞれは紳士に既視感があった。
「あのシルクハットの人物はどこかで見た事あるわ……」
「それは本の著者紹介欄じゃない?」
「本……そうだわ……ベストセラーとなった『知恵袋』の作者、クニッゲ男爵だわ……」
アドルフ・クニッゲ男爵はベルデンリンク帝国出身の著作家で評論家である。彼の書いた『人間交際術』はロングセラーとなり、ベルデンリンクの一家庭に一冊はあると云われるほど売れた。
扶桑国では、石見国津和野藩の御典医の家に生まれた森林太郎が、伊達幕府の海外派遣留学生としてベルデンリンク大学医学部で学び、帰国後、森鴎外の筆名でクニッゲ男爵の『人間交際術』を、『知恵袋』の題名で翻訳した。新聞連載され、本となって評判になった。
宮葉みぞれはシュバイツァー医師に勧められ、ベルデンリンク人の文化と考え方を知るために読んだ。意外とくだけた内容でユーモアもあり、論語的な教訓もある。なにより、「世俗にまみれた人間なんてこんなものさ」といった、身につまされる内容が面白い。人との付き合い方の本というより、処世術が正しい内容だった。たとえば、
「つねに平静でおだやかな表情をすること」
憎悪や激情に乱れた心ではなく、無辜の心からにじみ出る陽気でほがらかな人柄ほど、魅力的な人はいない。
「成功をみせびらかせてはいけない」
成功や富、才能を自慢する事はやめたほうがいい。人間とは、自分より優位に立つ人間を、妬まずにはいられないものだから、と。
などといった、人間の身勝手さ、エゴを知りつくした上で、こう振る舞うべきだよ、といったアドバイスがあり、心に響くものがある。きっと、作者は人間観察の達人なのだろうとみぞれは思った。が、実際のクニッゲ男爵を見ると、壮年の野心家のような貴族然とした男である。
「フランケンフェルド教授……本当にこんな継ぎはぎでつくった……莫迦でかい死体が動くのかい?」
「ふふふふ……何をいうか、クニッゲ男爵。今まで多くの死体が動くのを見てきたではないか……」
「確かにそうだが……しかし……こいつはでかすぎるじゃないか……無理だよ……とても動くとは思えない……」
「なにをいうか……私の理論は完璧だ。たとえ、継ぎはぎで大きくしたとしてもね……」
クニッゲ男爵が実験台の上に横たわる死体を見る。それは体の各部位が縫合された死体であり、身長は2.7メートルもあった。イゴールは教授の合図で発電機を動かした。モーターが動き、真空管とランプが光っていく。
「私は長年解剖学者として死体の研究をするうちに、死の謎について深く追求するようになった。『死』の定義は国や医学者、科学者によって違う。心肺停止、臓器の死、大脳の死、細胞の死……」
「我が国では心肺停止と脳死で判断するね……」
「私は生命の神秘について、ある仮説を思いつき、独自の追及をするようになった。デカルトの人体機械論をヒントに、腐敗する前の新鮮な死体を繋ぎ合わせ、機械のパーツとして再構築し、なんらかのエネルギーを与えれば新しい生命体が生まれるのではないのか……とね」
館の外では激しい雨が降ってきた。宮葉みぞれに複雑な思いがかけめぐる。解剖実習で優しい声をかけた教授はクララのいう通り、表の顔で、今の狂気に満ちた表情が、裏の顔なのだと……
「十数年前、科学研究誌に衝撃的なニュースが掲載された。死んだカエルが動いたという実験だ!」
「……そうだったねえ教授……あれは……当時、センセーショナルな騒ぎになったねえ……電気が生命を甦らせる、という……そうそう、ロムルス共和国の解剖学者ガルヴァーニ教授だ」
「その通り、ガルヴァーニ教授の生命電気説だ。私は興奮して彼の論文を読み、実際に教授のいる大学へ赴いた。先を越された悔しさやプライドよりも、科学者としての探究心・好奇心が勝ったのだ。ガルヴァー二教授の知遇を得て、死んだカエルの足が動く実験に立ち会い、脳死した処刑死体が電流の刺激で動くのを目撃した。当時の科学者たちは電気が生命を動かし、維持するエネルギーであり、生命力だという『動物電気』の発見に沸き立ち、電気が生命を与えるエネルギーであるという『ガルバニズム』説は中域どころか世界中に知られたものだった……」
「だが、ガルバニズムは後進の科学者たちによって否定された。私もガルヴァーニの論文を読み、実験を行った。動物や人間の死体は生き返らず、筋肉組織が電気の刺激で反応するだけにすぎなかったのだ」
「しかし、私は電気が新しい生命を生み出すきっかけになるのではという仮説を立てた……ただ死体に電流を与えただけでは駄目だ。心臓の代わりに、人工心臓を。血液の代わりに酸素とヘパリン、魔法薬などを加えた強化血液とアドレナリンを。脳死した大脳に活性化薬液を……他にも調整が必要だったのだ……」
クララとみぞれは思い出す。ボルガンの溶けた死体の中から出てきた黒い球体こそが人工心臓であったのだ。そして、血管に詰まったホルマリンの代わりに黒っぽい強化血液が入っていた。
「そして、実験と開発には多くの資金が必要だ。そんな私に救いの手がきた……きみ……『イルミナティ』の使者・クニッゲ男爵だ……」
扉の向こうでクララとみぞれが息を飲む。やはり、フランケンフェルドに資金提供をしていたのは『イルミナティ』であった。そして、著名な作家で詩人のクニッゲ男爵もイルミナティの幹部で、優秀な人材やスポンサーを集める勧誘者であったのだ。彼が秘密結社に入団してから大物団員を引き入れた。
驚くべきことに、ベルデンリンクの大物貴族ゴータ公爵、ブラウンシュヴァイク公爵、ダルベルク侯爵、有名な資本家、実業家たち、文豪のゲーテ、ヘルダーなどだ。ゲーテの『ファウスト』に登場する、主人公ファウストと契約を結ばせる悪魔メフィストフェレスとは、クニッゲがモデルなのでは……と疑ってしまいそうだ。
その間にも巨人の縫合死体に電気が流れ、巨躯がビクビクと振動する。フランケンフェルド教授が発電機のレバーを最大限にあげた。
「生命なき死体に、生命の火花を与えん……」
巨人の各部位に繋がれた電線がスパークし、闇の中に火花が飛ぶ。巨躯の全身がガクンと大きく震えた。そして、急な電流消費でバッテリーが落ちた。窓の外では雷鳴が轟き、暗闇となった実験室を照らす。死の静寂に包みこまれた。イゴールが角灯の灯りをつけた。
「教授……あれを……」
「おおおおおおっ!!」
巨人の死体の指が震え、ワナワナと動き出した。電流を流さなくても動き始めたのである。




