一説。『永遠』
一説。『永遠』
その研究室では、いつも誰かの悲鳴が鳴り響き、誰かが死に、それが当たり前の出来事だった。
「……そうは言ってもだ、クリス。この様に死体が積み重なる程、我々は近づいているのだよ。」
この研究所の全てが、誰かの犠牲によって成り立っているものだった。
「それも全て、この崇高な理念と使命の為には必要な犠牲なんだよ。」
その崇高は理念と使命は、実のところ男の自己中心そのものだった。
「………だが『不老不死』さえ実現してしまえば、今度こそ、人類の抱える問題は全て些細な事になるのだから。」
男がそんなことを思ってもいない事は、みんな分かっていた。その上で、着いて行くしか無かった。
「……今更、後戻りをしようと?」
それでも、最後の最後まで男について行く者は一人も居なかった。
「愚かだ。とても。心底そう思うよクリス。」
「…だめだ、許されない。赦されないんだ。そんなことはもう絶対に出来ないんだ、クリス。分かっている癖に。」
それでも。
男は誰一人逃さず、最後まで。
自分すらも纏めて全部、その地獄に引き摺り込んだ。
「……それでも、言い始めたのは君じゃないか。」
──────────────
死体の山から、血肉と記憶を。
底の谷から這い上がる彼等の絶叫を。
尽きる事の無い渇きを総て呑み込んで。
私達は生まれ変わるのだ。
完璧な生物となるのだ。
私は………
……男は事が過ぎ去り、群として崩れた研究所に一人、冷たい床の上に胎児の様に丸まって寝転んでいた。
そして、意識が明瞭になってきた頃、妙に軽い身体を起き上がらせた。
「……目が覚めた。」
「いや、違う、眠ったんだろう。…はは。」
「私の名前は……なんだったか…。」
男は頭痛に苛まれながら、状況を認識し始めていた。記憶の混濁。研究の成果。そして自分自身が、その成果であると言う事も。
「……だが、肉体は兎も角、精神は未だ人間ではあるだろう。」
「自分がどの様な地位にいて…どの様な人間だったのか今の私には分からないが…とにかく人の形はしている。」
「…何故そんな事が断言出来るのかと言えば、そこに鏡があるからだ。」
独り言が多い。
そして男は、鏡に映る変わり果てた自分の姿を見て、息を呑んだ。
鏡に映る者は…闇の様な漆黒の長い髪と…ルビーの宝石の様な赤色の瞳を持つ…美しい少年だった。
何の装飾も無い真っ黒なワンピースだけを着ている小さな子供。それなのに何か不穏で不安で、それでいて、そこはかとなく、超越的な雰囲気を纏った少年だった。
「……綺麗だ。」
口からそう溢れてしまった。
その溢れた声ですら透き通っていて耳心地良く、驚いてしまった。
彼は…見惚れてしまっていた。
はっとした様に鏡から手を離した。
「はは……まるでナルシストじゃないか。」
そう自嘲して、少年は鏡から目を離した。
辛うじて電力が機能している研究所の中。
自分以外の生存者は居るのだろうか、そもそも、本当に此処に人が居たのかどうかも、まだ記憶から朧げだった。
「……記憶の混濁が激しいな、自らの名すらわからない程なのだから今更が過ぎる話だが。」
「まあ、一人では無い事はお察しだが。」
「……研究資料が残っていればいいが。」
古い病棟を連想させる区画の部屋の一つ。
内装は、見せかけだけの空を映す窓と子供部屋の様な飾り付けも施されているが、その殆どがボロボロに荒んでいる。
そこに立っているだけで、言いようの無い乱雑で寂しい思い出が、足元から冷たく、心臓まで押し寄せる。
そんな、明るくて昏い部屋だった。
この肉体の恩恵か、空気の感覚だけで此処が地下で、此処が僕の収容室であった事を知れた。
だがそれ以上に、この部屋の全てには「相互の理解」が無かったのだと思う。
「……。」
記憶の混濁。
私の記憶と僕の記憶。
其れ等がどうしようも無く入り混じり、強烈で鮮烈な記憶と経験、そして羨望がこの身体に詰め込まれて掻き混ぜられ、こうやって、また違う『子供』が生まれたのだろう。
「それなら、過去の名前も意味が無いのだから、振り返って見つめ直す必要も無いんだろう。」
そのように、少しずつ理解して行く。
「それよりも……まあ研究者は全滅だろうが、実験の痕跡程度は残っているだろうな。」
この部屋は恐らく、被検体や異常実体を封じ込める用途に使われていた部屋であった。
唯一の出入り口は、鋼鉄の様な特殊素材で出来た異常に頑丈な扉。
機械的な操作でしか開ける事の出来ない様に設計されている事が一目で分かる代物だった。
それに、小さな掌を触れた。
「どれ、パワーの程度も試してみよう。」
…扉は、何の障害にもならなかった。
まるで薄紙を破るかの様にその細腕は扉を片手でメリメリと取り去って見せる。
「…ふむ、良い仕事をしている。我ながら恐ろしい膂力だな。」
多少満足そうに、ひしゃげた扉をポイ捨てし。
「ふぅむ…少し物足りなくもあるが…単純な膂力がメインでは無いだろうからな。贅沢は言わない。」
肉体に神秘が駆け巡る感覚は、生命の躍動そのものであり、呼吸の度に活力が漲る。
耳をすませば、数え切れない程の悍ましい声が、絶叫が聴こえて来る。
この力がどれほどの数の犠牲によって造り上げられた身体か、理屈ではなく魂の底から感じる事が出来ていた。
「だがこの全能感は…何とも言えんな。危険だ。」
自惚れは死に直結する。私は王でも何でもないのだから、過剰な自信や慢心は悪であるだろう。
「…この私はまだ、完璧とは程遠いだろうから。」
そして外に出る前に、この研究所で情報収集をしておかなくてはならない。
世情も知らないこの身で安易に外の世に出るのは致命的が過ぎると言う事を…私は大半の記憶を掻き混ぜられても尚、芯の髄まで刻み込まれている様だった。
「まあ……そもそも、此処から脱出する事が出来るかどうかも未だ分からないが。」
「……『居る』んだよな、どう考えても。」
先程から感じていた振動が遠くなったり近くなったり。
其れは物理的に重い振動も有れば、概念的に重い圧力のモノも在った。
きっと、と言うより確実に、其れは私以外の研究結果であるだろう。
故に、この中でさえも油断が死を偶発させるだろう事は明らかではあった。
規模の大きい施設故にその全貌は明らかではないが…話の通じない連中が闊歩している事は確かだった。
「……さっさと行こう。」
少年は部屋を出て廊下を歩き始めた。
廊下もまた病棟の様な内装で、だが先程の部屋と違い装飾の類いは全く見受けられなかった。
何処と無く、こうなる前もそうだったのだろうと言う雰囲気を感じられた。
他者との繋がりがまるで感じられない空間。
初めから誰も此処には居なかったんじゃないかと思う。
そんな空間だった。
「この様な空間で感傷に浸るのは元からだったのだろうか。…なんとなく、違う様な気もするが。」
「記憶と経験、そして肉体に精神が引っ張られている事は理解しているけれど、実のところ…それを問題視する事は難しいんだよな、それは、今の僕が私であるからだろう。」
分かっていて、目を逸らした。
それが過去の自分を裏切る行為なのかもしれない事を理解していたのかどうかも、分かっていないのだから。
だがこの時は、それで良いと思ったんだ。
「……それは誰に対して?」
「……いや、いい。忘れよう。」
「何がどうなっても、引き返す事は出来ないだろう。」
廊下を彷徨い乍ら少年は気付いた。
研究所の機能は殆どが停止している様子だが、それでも空間拡張と歪みは未だ機能しているようだった。
「異常実体を外に出さない為の技術」と言えるそれによって造り出される空間の無作為性によって、五感に頼り切ることは出来ない様になっているのだろう。
「新しい部屋を見つけるだけでも、気が滅入る。」
「この空間を作った者は相当性格が悪いようだ。」
「まあこれ作ったの多分、僕だろうけど……」
研究所を彷徨い乍ら、何かないかと漁っていく。
結論から言うと、研究資料は遺っていなかった。
まるで「お前には何も渡さない」と言っているかの如く、全てが処分され尽くしていた。
「チッ……まあ良い、現物はあるんだ、実験結果そのものがな。」
「…そう思うだろう?君も。」
小さな物置き部屋の中、少年は振り向きもせずにそう言った。まるで最初からその子と一緒に歩いて来たかの様に、自然に。
「えぇっと……なんだったか……『アリア』。君の名前。合ってるかな?」
「………いつから、気づいてたの…?」
物陰から出て来た者は、白い小さな少女だった。
長い髪も瞳も肌も白い、不思議な雰囲気、まるで彼女の立っている場所だけが空白かの様な、そんなモノだった。
だが少年はそんなことを気にもしていない様に、小さく笑って答える
「いつからだって?はは、そんなの君が僕に気付いた時からだよ。」
「……そう。……名前、わたしの。覚えてるんだね」
少女もまた、何も気にしていないかの様に会話を広げた。
「あぁ、覚えているとも。君はこの場所でも特別な存在だったんだから、僕がこうなったとしても、君を忘れる確率は低いと分かっていただろう?」
「………変わったね、博士。」
「……博士…ね…。」
博士と呼ばれた少年は、少しの間、口を閉じて何かを考えている…と言うよりは、何かを思っている様子だった。
「そう呼ばれるの、嫌だった?」
「……いや、それで良い。丁度呼び名に困っていた所だったんだ。」
「嫌。あなたを博士って呼びたくない」
「な、君から言い出したんだぞ…!?」
「あなたは……『イザイア』。」
「止まんないな君は…!」
少年は多少困惑しながらも、それ以上は言わなかった。その名付けが中々良いと感じたのか、この少女と言い合いをしても意味が無いと悟ったのか。……まあ、その両方だろう。
「……イザイア……結構良いネーミングじゃないか。気に入ったよ、かなりね。」
少年イザイアがそう言うと、少女アリアはゆったりと手を差し伸べて握手を求めながら言う。
「よろしくイザイア。」
「……どう反応しても君は僕をイザイアと呼ぶんだろうけどね……まあ、よろしくアリア。」
イザイアはその手を握った。アリアの手は握っても握った感触がしないが、握手とはそう言うものでは無いと思い、そのまま握った。
「……でも、特に初対面と言う訳では無い…のかは分からないが、こんな握手までして宜しくする必要があるのかい?」
と、イザイアがふと思った疑問をそのままに問うと
「イザイアはわたしの事を知っているけれど、わたしはイザイアの事なんて知らないから。」
と、アリアは当然の如く当然の事を言った。
「それは…そうだね、そうだな、あぁ。」
「僕は確かに、君の知っている人では無かったんだったね。」
こうして、怪物になった少年と空白だった少女は必然的に出会い、共に行く事となった。
私の趣味です。好きにやる。私もコイツらも。




