後編
御前の間。
国王が上座に座る。
右手に宰相レオニス。
その前に、王妹セレスティアと公爵。
少し離れた場所にはユリウスがいた。
少年については、事前の聴取ですでに陰謀への関与がないことが確認されている。
それでも国王は、
<<王位継承第一位であり、この事件そのものの目的とされた少年には真実を聞かせる必要がある>>
と判断した。
レオニスが口を開く。
「最初に、国賓殿下の馬車について」
証拠を並べる。
車軸への細工。
実行した職人。
資金提供。
公爵家の管理口座。
「次に、歓迎花束による暗殺未遂」
偽造納品書。
本物の注文書。
王家専用飾り紐。
王妹付き侍従の出庫記録。
侍従の証言。
「二件の暗殺未遂は、王妹セレスティア殿下、公爵閣下、両名の指示によるものと判断します」
公爵は最後まで表情を変えなかった。
「判断、か」
「異論がおありなら伺います」
「ユリウスはいずれ王になる可能性が最も高い」
「現在は」
「何が違う」
公爵は静かに言う。
「三代前、我が家は王家から枝分かれした。王弟の血を引きながら、王冠から遠ざかった」
ユリウスを見る。
「この子が即位すれば、その血は再び王統へ戻る。本来あるべき場所へな」
「本来?」
レオニスの声音が冷える。
「王都で国賓を殺し、戦争を招き、無実の民を処刑台へ送って戻る場所を」
一歩だけ前へ出る。
「あなたは『本来あるべき場所』と呼ぶのですか」
公爵の表情が初めてわずかに険しくなる。
「王冠とは、それほど軽いものではない」
「同意します」
レオニスは即答した。
「だからこそ、人命を踏み台にしなければ届かない者には、触れる資格がない」
◇
「私は」
セレスティアが声を上げた。
これまで静かだった女の声が、初めて揺れる。
「私は、兄上より何が劣っていたの?」
国王が妹を見る。
「学問でも」
セレスティアは続ける。
「政治でも。外交でも。私は兄上に負けていなかった」
拳が握られる。
「それなのに」
目に初めて怒りが宿る。
「兄上は男だから王になれた」
沈黙。
「私は女だから、最初から候補にすら入らなかった」
誰も答えない。
「ただ女だった。それだけでしょう!」
御前の間に声が響く。
レオニスはしばらくセレスティアを見ていた。
「その制度が公平かどうかは」
静かに言う。
「議論されるべきでしょう」
セレスティアが目を見開く。
「……何?」
「あなたの抱いた疑問まで、私は否定しません」
兄より優秀だったかもしれない。
それでも女性という理由だけで王位を継げなかった。
その不満そのものまで罪ではない。
「ですが」
レオニスの声が冷える。
「制度が不公平であることと、あなたが人を殺してよいことは、まったく別の問題です」
「……」
「あなたが感じた不公平は本物だったのでしょう」
一拍。
「しかし、その代金を国賓の命で払わせる権利はない」
さらに。
「リリア・フェルンの人生で払わせる権利も」
セレスティアは何も言わなかった。
◇
やがてセレスティアが顔を上げる。
「あなたも同じでしょう」
「何がでしょう」
「花屋の娘」
レオニスの目がわずかに細くなる。
「あの娘一人のために、これほど国の機関を動かした」
「……」
「好きなのでしょう?」
御前の間に、わずかな空気の変化が走る。
公爵も国王も、レオニスを見る。
しかしレオニスは否定しなかった。
「ええ」
セレスティアの目が動く。
「私は彼女を救いたかった」
「なら同じよ」
「違います」
「どこが」
「私は」
レオニスは真っ直ぐセレスティアを見る。
「彼女を私の権力では救わなかった」
釈放命令は出していない。
証拠を消してもいない。
司法へ圧力もかけていない。
「証拠を調べました」
一枚の偽造納品書を持ち上げる。
「嘘を崩しました」
次に、本物の注文書。
「そして、彼女が無実だと証明した」
「きれいごとを」
「そうかもしれません」
レオニスは静かだった。
「ですが、あなたは御子息を愛していると言いながら、法を踏み越えた」
一拍。
「私は彼女を大切に思うからこそ、法を踏み越えなかった」
セレスティアの表情が止まる。
「それが」
レオニスは言った。
「私とあなたの違いです」
◇
「母上」
小さな声だった。
セレスティアが振り返る。
ユリウスが立っている。
「ユリウス」
「僕は」
少年の声は震えていた。
「王になりたいなんて、一度も言っていません」
「今は分からないだけよ」
セレスティアが一歩近づこうとする。
「あなたには王になる資格がある。血も、教育も。あなたなら」
「僕のためだったんですか?」
「ええ」
「本当に?」
セレスティアの足が止まる。
「もちろんよ」
「僕のために、外国の王弟を殺そうとしたんですか」
「王になるというのは、綺麗事では」
「僕のために」
ユリウスの声が少しだけ強くなる。
「花屋のお姉さんを死刑にしようとしたんですか?」
セレスティアは言葉を失う。
「そんな王冠」
少年が首を横に振った。
「僕はいりません」
「ユリウス」
「違う」
少年の目に涙が浮かぶ。
それでも逸らさない。
「母上が王になりたかったんでしょう?」
静まり返る。
「自分がなれなかったから」
ユリウスの声が震える。
「僕に王冠をかぶせて、その後ろに立ちたかった」
「違うわ」
初めて、セレスティアの声に焦りが滲む。
「私はあなたを」
「僕は」
少年が言う。
「母上の代わりだっただけですか」
その一言で。
セレスティアの表情が崩れた。
十二年前から積み重ねてきたもの。
公爵家との婚姻。
息子の誕生。
王位継承第一位。
国賓暗殺。
すべての中心に置いてきた息子から。
その王冠を拒絶された。
公爵も何も言わなかった。
国王が静かに立ち上がる。
「セレスティア」
妹を見る。
「お前が抱いてきた思いについては、いずれ私も考えなければならない」
王位継承制度について。
女性が最初から排除されている制度について。
「だが」
声が低くなる。
「今回の罪は、それとは別だ」
国賓暗殺未遂。
国家転覆を目的とした陰謀。
証拠偽造。
無実の民への冤罪。
「お前たちには、裁きを受けてもらう」
衛兵が進み出る。
セレスティアと公爵は拘束された。
ユリウスはその場に残る。
国王が少年へ手を伸ばした。
「お前は何もしていない」
ユリウスは俯く。
「ですが、父上と母上が」
「親の罪は、お前の罪ではない」
レオニスはその言葉を聞きながら、何も言わなかった。
その日のうちに、
リリア・フェルンの無実は正式に発表された。
◇
数日後。
夕暮れ。
《春告鳥》の鈴が鳴った。
リリアは花の水を替えていた手を止める。
戸口に立っていたのはレオニスだった。
宰相の正装ではない。
けれど、以前のような完全な変装でもない。
質のいい、濃紺の上着。
最初にこの店へ通い始めた頃とよく似た服だった。
リリアは少し考えて。
「いらっしゃいませ、宰相閣下」
レオニスの眉間に皺が寄る。
「……まだ続けるのですか」
リリアが笑う。
「いらっしゃいませ、レオさん」
それだけで。
レオニスの表情が少し柔らかくなった。
「今日は何にします?」
リリアが聞く前に。
「その前に」
レオニスが言った。
「謝らなければなりません」
「何を?」
「あなたを巻き込んだ」
リリアは黙る。
「私がこの店へ通っていたから、あなたは狙われた」
「そうですね」
あっさり言われて、レオニスが少し怯む。
「……すみません」
「怖かったですよ」
「はい」
「母なんて、釈放されてから三時間くらい泣いてました」
「申し訳ありません」
「でも」
リリアが花瓶を置く。
「じゃあ、これから来ないんですか?」
レオニスの顔が止まった。
「……それは」
「そういう意味でしょう?」
「いえ」
「じゃあいいじゃないですか」
「しかし」
「巻き込まれるのは嫌です」
「はい」
「でも」
リリアは少しだけ目を逸らす。
「レオさんが来なくなる方が、もっと嫌です」
レオニスが黙る。
長い沈黙。
「……そうですか」
「それだけ?」
「他に何と」
「本当に恋愛向いてませんね」
「……恋愛?」
「何でもないです」
◇
「そういえば」
リリアが花の茎を切りながら言った。
「ずっと聞きたかったんですけど」
「何でしょう」
「どうして花が好きなんです?」
レオニスは少しだけ黙る。
普段なら。
「特に理由はありません」
とでも答えただろう。
けれど今日は。
「私は五歳のとき、行方不明になりました」
リリアの手が止まった。
「……五歳?」
「はい」
そこから五年間。
身元の分からない子どもとして、遠い町の孤児院で暮らした。
侯爵家の嫡男ではない。
アルヴェール侯爵令息でもない。
「ただの、レオでした」
孤児院には小さな庭があった。
誰も世話をしなくなった花壇。
最初は雑草ばかりだった。
ある日、草を抜いた。
次の日、水をやった。
それを続けた。
春。
土の中から、知らない花が咲いた。
「誰かが昔植えたものだったのでしょう」
「綺麗でした?」
「……はい」
少しだけ。
本当に少しだけ。
レオニスの声が柔らかくなる。
「嬉しかった」
リリアは何も言わず聞いていた。
「花は分かりやすいのです」
「分かりやすい?」
「水をやれば育つ。放っておけば枯れる」
「人より?」
「かなり」
「それは否定できないかも」
少し笑う。
「十歳で侯爵家へ戻りました」
そこから。
レオではなくなった。
アルヴェール侯爵家嫡男。
礼儀。
政治。
学問。
剣。
社交。
五年分を取り戻すため、休む暇もなく学んだ。
「侯爵家へ戻ってから」
レオニスが言う。
「私をレオと呼ぶ人はいなくなりました」
リリアが顔を上げる。
だから。
最初に店へ来たとき。
名前を聞いて。
「レオです」
と答えた。
そしてリリアは何の疑問もなく、
「レオさん」
と呼んだ。
「……それで、ずっと来てたんですか?」
「それだけではありません」
「他にも?」
「花がありました」
「花と私、同列ですか?」
「そういう意味では」
レオニスが珍しく慌てる。
リリアが笑った。
「冗談です」
少しの沈黙。
そして。
「あなたの前では」
レオニスが言う。
「何者でもなくていいと思える」
侯爵でもない。
宰相でもない。
氷でもない。
「ただのレオでいられる」
リリアはしばらく彼を見ていた。
「レオさん」
「はい」
「その孤児院」
「はい」
「いつか、一緒に行きません?」
レオニスの目がわずかに大きくなる。
「花、まだ咲いてるかもしれないですよ」
「……そうですね」
少しだけ笑った。
「行ってみたい」
◇
夕暮れが濃くなってきた。
リリアがいつもの質問をする。
「今日は何にします?」
レオニスは店内を見る。
いつもなら。
売れ残りそうな花。
少し傷んだもの。
誰にも選ばれそうにない花。
けれど今日は。
「一番綺麗な花束をお願いします」
リリアが目を丸くする。
「本当に?」
「はい」
「熱でもあります?」
「ありません」
「珍しいですね」
リリアは花を見回す。
「誰かに贈るんですか?」
「はい」
「どなたに?」
レオニスが黙った。
外交交渉なら。
数十人の貴族を相手にしても言葉に詰まらない。
国王の御前でも。
敵対国の使節を前にしても。
これほど言葉を探すことはない。
「……あなたです」
「はい?」
「その花束は、あなたに」
リリアの手が止まる。
「私?」
「はい」
沈黙。
「なぜ?」
レオニスがさらに黙る。
リリアは少し待つ。
「レオさん?」
「……私は」
ようやく。
「あなたが好きです」
リリアが瞬きをする。
レオニスは続ける。
「宰相としてではありません」
少しだけ息を吸う。
「侯爵としてでもない」
そして。
「ただのレオとして、これからもあなたのそばにいたい」
リリアは黙った。
一秒。
二秒。
三秒。
「……それ、告白ですよね?」
「そのつもりですが」
「確認するあたりがレオさんですね」
「何か問題が?」
「あります」
レオニスの顔が固まる。
「一つ条件があります」
「何でしょう」
「これからは」
リリアが棚から一輪の花を取る。
傷ひとつない、綺麗に咲いた花。
「売れ残りそうな花だけじゃなくて、たまには元気な花も買ってください」
レオニスが花を見る。
「売れ残らないのであれば、私が買う合理的理由が」
「それです」
「何がです?」
「そういうところです」
リリアが笑う。
少しして。
レオニスも笑った。
「……善処します」
「それ、宰相の返事ですよ」
「では」
少し考える。
「努力します」
「よくできました」
リリアは花を選び始める。
「一番綺麗な花束、作りますね」
「お願いします」
「誰に贈るんでしたっけ?」
レオニスがリリアを見る。
今度は迷わなかった。
「あなたです」
◇
それからしばらくして。
宰相府では、小さな噂が流れるようになった。
氷の宰相が、最近少し変わった。
仕事ぶりは何も変わらない。
横領は許さない。
身分を笠に着る貴族にも容赦しない。
怠慢な官僚には冷たい。
国王ですら、
「少しくらい手加減してはどうだ」
と言うほどだ。
だから。
氷の宰相という呼び名も変わらない。
ただ。
週に何度か。
決まった時間になると、宰相は執務室を出る。
「閣下、本日の夕刻の予定は?」
副官が聞けば。
「私用だ」
それだけ。
向かうのは城下町の裏通り。
小さな花屋《春告鳥》。
そしてその店では。
「レオさん、その箱取ってください」
「これですか」
「違います。隣」
「こちら?」
「それです」
「最初からそう言ってください」
「普通分かりますって」
国王すらほとんど見たことがないほど穏やかな顔で、宰相が花屋の娘と言い合っているらしい。
店先には。
以前なら絶対に選ばなかった、傷ひとつない花まで時々なくなるようになったという。
氷の宰相が甘いのは。
どうやら、花屋の娘にだけらしかった。
<<完>>
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
氷の宰相も、花屋ではただのレオさん。
不器用な二人が最後まで辿り着けてよかったです。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
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