微かな振動
集合棟の共有パネルに夕刻近くのニュースが流れると、人々は作業着のまま足を止めた。リング連合政府の告知スライドが淡々と進み、最後に大きく表示されたのは来週の「PROJECT NOESIS 公開報告会」の日程だった。政府は公開討論を掲げ、研究代表と市民代表、外部監査として地球合邦政府の代表を呼ぶと伝えている。画面の下には企業のロゴが小さく並び、Helios、Novagen、Asterion、LatticeBio の名が見えた。権益が絡む場であることは容易に想像できた。
「ノーエシスか」ハロルドが肩越しに呟いた。
「政治の匂いがするぜ。腐った卵みたいな」
「透明性を見せるため、という意味合いだろう」
ミロは短く答え、手元の工具箱を閉めた。彼にとって公報はただの現象でしかない。だが、現場で働く者たちにも、政治の波は小さな影響を落とす。資材配給や検査頻度に微妙な変化が出ることがあるのだ。
PROJECT NOESISは名目上「環境・情報最適化プロジェクト」として説明されているが、実際にはCoreと呼ばれる中枢計算体に接近する研究群の統合枠組みだ。何度も語られるのは「到達条件」という言葉で、理論屋や企業はそれをめぐって対立している。企業側は実用化と先行権を、政府は安全性と社会的合意を主張する。外部の声は、いつもどちらに回るかで分裂する。
共有パネルに表示される匿名質問のフィードは、いつものように断片的だ。「市民の利益は守られるのか」「軍事転用は避けられるのか」——画面は選別されて流れ、熱の帯が一つできる。アリアは隣に立ち、じっと画面を見ている。彼女の指先は布袋の中の土にそっと触れていた。外層で暮らす者たちの多くは、表層の安定を好むが、Noesisのような未知の実験には不安を抱く。
午後、ミロたちは外殻の一部で定期点検を続けていた。配線トレイに沿ったセンサ群の再校正を行う最中、端末が小さなアラートを吐き出した。瞬断ログとしてはありふれたものに見えるが、ログの一部に含まれる変調の包絡が、標準雑音と明確に異なっていた。駆動周波数帯の底辺に、わずかな非定常成分が乗っている。
「ただの電磁雑音か?」
ハロルドが工具を置いて覗き込む。
「いや、周期的に増幅される特性がある。短時間で自己参照がかかっているように見える」
ミロは端末に簡易スペクトルを出させ、スクリーンに波形を映す。ノヴが背後から、冷静に解析の補助をした。
「短期的に自己相関が観測される。類似例としては、人工ビーコンか、低速のバースト通信があるが、ソースが見つからない」
ノヴの声は淡々としている。旧型AGIはそこかしこで管理の対象とされ、公式に承認された用途以外では使えないが、現場には古い端末と隙間が残る。ノヴはその隙間を埋める存在だった。解析が終わる前に、彼らは記録を上位ノードへと転送した。いつもの手続きだ。
だが、ミロはログの一部を自分の端末に密かにコピーした。ただ、そのデータ片は後で重要になるかもしれないと、彼はほんの少し、予感のようなものを抱いていた。
夕方に入ると、ISOB(Interstellar Observation Bureau)が公開データフィードに小さな注記を出した。遠隔観測網で「非定常的な外宇宙信号の痕跡を検出」とだけ記され、解析は継続とある。解説は簡潔で、即時的に市民を不安にさせるものではないと強調された。新聞のヘッドラインは控えめで、政府発表は冷静を保った。
集合棟のコミュニティルームでは、数人の住民がISOBの短いリリースを見て囁いていた。「あれはただの恒星雑音かもしれない」「でも解析結果を待つべきだ」——声は分かれ、討論の炎はすぐに消えた。アリアは黙っている。彼女の視線はどこか遠くを見ていた。
夜、ミロは自室に戻って保存しておいたログの断片を再生してみた。波形は小さな規則性を示し、ノイズと信号の境が曖昧な領域にある。彼はさらに短いウィンドウで重畳解析をかけ、パターンが時間とともに変調することを確認する。解釈は出ない。ただ、何らかの“制御的な振る舞い”が含まれている可能性は捨てきれない。ここで決定的な言葉を発する者はいない。
科学とは蓄積だ。蓄積は時間の中で意味を得る。
深夜、共有パネルにNoesisの公開討論の最終案内が再表示された。政府は透明性を強調するが、企業と研究機関の間での駆け引きは続く。ミロはその表示を見た後、ノヴに短く命じた。
「この断片、暫定でアーカイブしておけ。解析の進展があれば知らせてくれ」
「了解」ノヴが即答する。公式プロセスは、ISOB→CIC(Center for Integrative Cognition)→政府という順序で動くだろう。だがデータは経路の途中で加工される。それが現実だ。ミロはそのことを知っているからこそ、自分でログを保管したのだ。
公開報告会の告知は既に市民の間に種を播いた。誰がどうその種を育てるかは、まだ定まらない。だが確かなのは、小さなノイズが記録され、複数の手がそれを握ったことだった。それは種か、ただの砂粒か。
それとも───
ミロは端末を切り、寝台に入った。




