④清掃員と踊る猫
毎朝6時更新です。
「……嘘だろ」
朝のルーティンである朝シャンをして、歯磨きをしている自分の姿を見て、僕は驚愕した。
顔は確かに僕なのに、身体が完全にブルース・リーだったのだ。
覚醒しきれていない脳細胞を総動員して導き出した答えは――【格闘術】の影響で、技を使うのに最適な肉体へと変化したのではないか、ということ。というか、それしか考えられない。
軽く残り物を食べて、通勤のためにズボンに足を通した僕は、そのあまりの感触の無さに愕然とした。
ウエストがガバガバだ。
拳が余裕で二つ入る。脂肪が削ぎ落とされ、筋肉が「最適化」された結果、腰回りが信じられないほど細くなっていた。
元々太っていたわけでもないのに、一晩でそんなに減るものなのか!?
歩こうとすると、ズボンが自重でスルスルと膝まで落ちてくる。
普通ならここでベルトを締めれば済む話だが、それができない。昔から腹部を締め付けられる感覚がどうしても苦手で、僕はベルトという道具を持っていないのだ。
仕方なく、手近にあった荷造り用のビニール紐をベルトループに通して結ぶ。情けないが、誰かに見せるわけじゃない。
仕事が終わったら、今の体型に合うズボンを買いに行こう。幸い、今日は模型店で予約していたキットの入荷日だ。そのついでに、服屋にも寄ればいい。
「……よし。なんとかなるだろ」
まだ乾ききらない髪をなでて気持ちを落ち着かせ、僕は職場へと向かった。
★
大型商業施設の従業員通路を歩いていると、すれ違うスタッフたちの視線が、心なしかいつもより突き刺さる気がする。
下を向き、なるべく目立たないように歩こうとするが、自分でも姿勢が変わったのがよく分かる。歩き方、背筋の伸び、出来事への警戒から無意識に周囲を見つめる眼光……【格闘術】による「最適化」は、内面的な動作まで変えてしまっているようだ。
「……お、おはよう、真壁くん」
清掃用具の倉庫前で、顔見知りの警備員に呼び止められた。
「あ、おはようございます」
「……君、なんか痩せたかな?」
「昨日も加藤さんに言われましたけど、最近測っていないので分からないです。……あ、もう仕事の時間なので」
素っ気ない態度だったかなと思いつつも、深入りされる前に会釈してその場を去る。
危ない。今の僕は、自分で思っている以上に「別人」に見えているのかもしれない。
その後、何度か休憩を挟むうちに、館内で僕の噂が広まっていることが小耳に入ってきた。
暴漢から飯村先輩を助けたらしい、とか、宇宙人に拉致されて別人になった、とか、今の整形技術は1日であんなに変わるのか、とか。
最初のやつはともかく、後半はかすってもいない。噂って本当にいい加減だな、と僕が呆れていると――
『【緊急クエスト:同僚からの「整形疑惑」を回避せよ!】報酬:3,000円 挑戦しますか? YES / NO』
「……余計なお世話だよ!」
僕は迷わずNOを選択した。
午前の作業が終わり、休憩室に向かうため、施設の中庭にある吹き抜けのステージ裏を歩いていた。
今日は平日だから、ステージは誰にも使用されていない。すると、またしても頭の中に声が響いた。
『【全裸で5分間ステージで踊れ!】報酬:20,000円、アイテム【絶倫薬Z】※気配操作禁止 挑戦しますか? YES / NO』
「全裸好きだなシステム! しかも気配操作禁止って、正気かよ!」
だが、僕はすぐにニヤリと笑った。
脳裏にイメージするのは、近所の路地裏で見かける野良猫だ。しなやかな肢体、鋭い瞳、そして全身を覆うフワフワの毛。
猫なら服を着ていないのが当たり前だ。全裸という条件も、人目に触れるというリスクも、これなら完全にクリアできる。
作戦が決まると、関係者通路へ移動してトイレに入る。
清掃道具を置き、窓を開けて【気配操作】でトイレの中に人がいないことを確認してから、「気配を消す」に切り替えて【変身】を発動した。
視界がぐんと低くなり、世界が広く見える。
窓を飛び越え、トコトコと肉球の音を鳴らしてメインステージに現れた一匹の猫に、吹き抜けを歩く客たちが気づいた。
「あ、見て! 猫がいるよ!」
「可愛い〜!」
僕は心の中で「見てろよ」と呟き、脳内でYESを選択した。
前脚を高く上げ、頭の中でアニソンを流し、それを猫なりにアレンジしたステップでリズムを刻み始める。
バク転を決め、脳内の音楽に合わせて情熱的に腰を振る猫。
「……あの猫、動きがヤバくない!?」
「めちゃくちゃ踊ってるんだけど!」
一斉に向けられるスマホのカメラ。だが、そこに写っているのは「ダンスの天才猫」だ。正体が真壁真だなんて、神様でも気づかないだろう。
5分間のキレッキレなダンスを終え、吹き抜けの広場は「天才ダンス猫」への拍手と歓声に包まれていた。
だが、僕のクエストはまだ終わっていない。……いや、これは僕自身の個人的なエクストラ・ミッションだ。
(……猫なら、何をしても許されるんだよな?)
僕はステージを飛び降りると、最前列でスマホを構えていたお姉さんの胸元へ向かって、弾丸のように跳躍した。
「わっ!? きゃあ、可愛い!」
狙い通り、柔らかい感触が全身を包み込む。
猫の姿をいいことに、僕はゴロゴロと喉を鳴らしながら、その「至高のクッション」を存分に堪能した。お姉さんは顔を赤らめながらも、僕の背中を優しく撫でてくれる。
(ふはは、最高だ! 絶倫薬Zもいいけど、こっちも最高の報酬だぜ!)
味を占めた僕は、次々にターゲットを変更していった。
「あ、私のところにも来た!」
「こら、暴れないで〜(笑)」
数人の女性の胸を「渡り鳥」のごとくハシゴし、その感触を肉球と全身にしっかりと刻み込んだところで、僕は警備員の足音を察知してサッと身を翻した。
「おい、あの猫を捕まえろ!」
追っ手を鮮やかにはぐらかし、スキルで周囲の気配を探ってから誰もいないトイレに戻る。
人間に戻った瞬間、スマホから小気味よい音が響いた。
『ペイペイ♪』
『追加ボーナス:本能に忠実な行動を評価。アイテム【マタタビ香水】を贈呈』
「……余計なもんまで貰っちゃったな。でも、猫で全裸……これ、クセになりそうだわ」
鼻の下を伸ばしながら、僕は緩んだビニール紐を締め直し、午後の仕事であるトイレ掃除へと戻っていった。
★
「……はぁ」
案内カウンターの中で、今日何度目かわからない溜息を吐いた。
頭の中にあるのは、今朝すれ違った真壁の姿だ。以前より何倍も鋭くなった眼光、そして自分を避けるような素っ気ない態度。
「どうしたのメグリン? 恋する乙女がそんな湿気った顔してると、自慢の美貌が台無しよ」
声をかけてきたのは、頼れる先輩であり、このエリアの受付主任を務める亜希だった。
「亜希さん……。朝、真壁くんに挨拶したんですけど、なんだか避けられちゃったみたいで。私、嫌われちゃったのかな……」
「嫌われる? あのエリートクリーナーが? ないない!」
亜希は笑い飛ばしながら、めぐみの肩をポンと叩いた。
「いい? 男ってのはね、急に自分に自信がついたり、逆に余裕がなくなったりすると、好きな女ほど直視できなくなる生き物なの。特にあの子、根は真面目でしょ? 今朝の彼、見た? あの背筋の伸び方。まるで別人のようなオーラだったじゃない」
「……はい。すごく、カッコよかったです」
「でしょ! 彼は今、脱皮の最中なのよ。そんな時にメグリンみたいな美人に正面から来られたら、そりゃドキマギして逃げたくもなるわよ。彼は絶対、恋愛経験の少ない『D(童貞)』なんだから!」
亜希の力強い断言に、めぐみの顔が少しだけ明るくなる。
「嫌われてるんじゃなくて……緊張してるだけ、でしょうか?」
「間違いなし! 待ってなさい、私が彼のスケジュール、こっそり調べてあげるから。……あ、これ内緒よ? 定時上がりに待ち伏せして、上目遣いで『送って?』って言えば一発なんだから。頑張りなさい、メグリン!」
亜希の力強い(そして少し職権乱用気味な)応援に、めぐみは「やってみます!」と小さく拳を握りしめるのだった。
(※後日、めぐみから事の顛末を聞いた亜希は、「とんでもないモンスターを世に放ってしまったかもしれない」と密かに反省したとかしないとか……)
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