エピローグ 死が二人を分かつまで
あれからいくつもの季節が過ぎていった。
アーチー地方から逃れた後の私たちの人生は、平穏だったとは言い難い。逃げた先でも土地を追われ、戦いながらあちこちを転々と渡り歩いて回った。
お兄様はヴァルハラ王国との戦いの中で討ち死にし、今ではアメリア王国にスタンリー侯爵家は存在しない。
私は何度も立ち止まりそうになった。この残酷な世界に生まれ変わってしまったことを呪いもした。
……けれども長くは続かなかった。だって私の傍らには、いつもジェニーがいたから。
最初は私がジェニーの手を引いていた。けれども私が打ちひしがれて前へ進めない時は、ジェニーが手を引いてくれるようになった。
「ロザリーはいつも私も守ってくれる。でもね、私もロザリーを守りたいの。戦闘ではあまり強くないけど……別の方法でならロザリーを支えることができると思うの。ロザリーが歩けない時は私が代わりに歩くよ。だからロザリーは無理しないで。辛い時は私に任せて。私がロザリーを守ってあげるからね」
アーチー地方を出て、ロザリンドの名前を捨てた私はロザリー・キャロルと名乗るようになっていた。表向きはジェニーと姉妹ということにしているけど、実際は違う。
私たちはある時、身を寄せていた小さな村の教会で、理解ある牧師の下でささやかな結婚式を挙げた。
「ロザリー。あなたはこのユージェニーを、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も、死が二人を分かつまで愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい、誓います」
「ユージェニー。あなたはこのロザリーを、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も、死が二人を分かつまで愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい……誓います」
「それでは、誓いのキスを交わして下さい」
私たちはお互いのヴェールを広げて口付けを交わした。その日から私たちは婦婦として、いかなる時も支え合って生きてきた。
――そうして生きている内に、いつしかアメリアとヴァルハラの戦争も、今は遠い過去の話になっていた。
あの戦争はアメリア王国側の勝利で終わった。その後も小さな戦争がいくつかあったけれど、私たちはどの時も上手く立ち回ってなんとか生き延びた。
そしてもう逃げ回る必要のなくなった今、私たちは湖畔に家を構えて二人で暮らしている。
「ここにいたのね、ロザリー」
泉のほとりにあるベンチに座り、一人佇んで過去に思いを馳せていると、庭仕事を終えたジェニーがやって来た。
「ジェニー。庭いじりは終わったの?」
「ええ。ベリーがたくさん採れたから、後でパイを焼こうかしら。ロザリーはベリーパイが大好きだものね」
あれからいくつもの季節が通り過ぎて、私とジェニーも年齢を重ねた。けれど初めて出会った時から、私の気持ちはずっと変わらない。それどころかさまざまな辛苦を一緒に乗り越えた今の方が、私たちの絆と愛はより深くなっている。
……それでもこうして平和を手に入れて穏やかな日々を過ごしていると、取り留めのない考えが浮かぶこともある。
彼女は本来、乙女ゲーのヒロインだった。攻略対象キャラだったイケメンたちと幸せに生きる道だってあった筈だ。
「……ねえ、あなたは後悔していない?」
「後悔?」
「私と出会わなければ……いいえ、出会っても私と恋に落ちていなければ、あなたには他の生き方だってあった筈よ。素敵な男の人と結婚して、自分の子供を産んで……そういう普通の生き方だってあったのではないかしら」
「何を言うの。そんなことを言うのなら逆に聞くけど、ロザリーはそういう生き方がしたかったの?」
咎めるようなジェニーの口調に、私は首を振る。私だって、そういう生き方をしようと思えばできなかったわけじゃない。それでもしなかったのは、普通の幸せ以上にジェニーと生きる人生に価値を感じたからだ。
「いいえ。私は私自身の選択で、今の幸せを選んだのよ」
「私も同じ。ロザリーと一緒にいられること、いろんな苦労もあったけどずっと一緒にいられたこと、私は一度だって後悔したことはないわ」
「ジェニー……」
「この頃のあなたはすっかり弱気になったわね。でも……それも仕方がないかもしれないわね。だって、あまりにも多くのことがあったから……それにここの景色は、あのスタンリーの森によく似ているもの」
「そうね」
それこそが、私たちがこの地に留まろうとし決めた理由でもあった。もう記憶の中にしか存在しない森。私たちが最初の愛を育んだ場所。まだ何も知らず、平和で幸せだった遠い記憶……。
心休まる景色であるのは確かだけど、同時に郷愁も刺激される。私の心の中で起きていることを、きっとジェニーも察知していたのだろう。先日の夜、ある提案を差し出した。
「ねえロザリー。一昨日、相談したことだけど……」
「養子をもらって育ててみないかっていう、あれ?」
「ええ。……どうかな?」
「そうね」
あの戦争は多くの戦災孤児を生み出した。この村にも身寄りのない子供の世話をする孤児院があり、養親はいつでも歓迎されている。
私が物思いに耽ってばかりいるのは、今が平和で穏やかで――要するに時間が有り余っているせいだ。それを見抜いたジェニーは、二人で子供を育ててみようと提案した。
その話を切り出された時は面食らった。ひょっとしてジェニーは自分の子供が欲しかったんじゃないかと不安になった。でもそうじゃないと確信できた今、それもいいんじゃないかと思うようになっている。
「いいわね。子供、育ててみましょうか」
「本当!? 良かった! それじゃあ早速孤児院に手紙を書くから、今週末に見学に行きましょう!」
「ええ、そうしましょうか」
私はベンチから腰を上げ、郷愁の日々に別れを告げる。
これから始まるのは、きっと今までとは性質が違う、目まぐるしく忙しい日々。のんびりと過去を振り返っている暇はない。
私もジェニーも年齢を重ねたとはいえ、老け込むにはまだまだ早い。
「行きましょう、ロザリー」
「ええ、ジェニー」
私たちは手を取り合って歩いていく。
過去も、今も、そしてこれから先に続いていく未来の日々も。
いつも、いつまでも。死が二人を分かつまで――永遠に。




