第8話 陽介5
翌日。
朝目覚めると、ニコニコ顔のサクラがご飯を作っていた。あんなにへろへろに酔っていたので、今朝は二日酔いで最悪な状況かと思っていたが、とうのサクラはけろっとしており、体調も抜群といった感じがする。
「お前、体調大丈夫なのか? 頭痛とか吐き気とか」
「全然大丈夫です。いつもと一緒で元気いっぱいです」
笑顔のサクラは、異様にテンションが高く、寝起きの俺にはついていく事が出来なかった。
「ところでサクラ、お前料理出来んのか?」
こちらに来てからまだ日は浅いが、料理を作っている姿を見るのはこれが初めてだった。天使が作る料理、なんだか不思議な気分だった。果たして地上と同じ料理なんだろうか。食えるんだろうか。正直、恐怖を感じずにはいられなかった。
「もちろん、出来ますよ。地上の料理の授業があるんですから」
俺は込み上げてくる不安を押し隠す事も出来ずに嫌そうな顔をしてしまった。
「それ……、食えるんだろうな」
「大丈夫で〜す」
台所を覗くと、料理といってもそんな大層な物を作っているわけでもなかった。味噌汁と卵焼きくらいなもんだ。これくらい誰にだって出来るだろう。
「どうですか?」
俺が卵焼きを一口口に入れた途端、間髪入れずにサクラからそう聞かれた。心配そうに眺めているサクラを見ると、どうやら料理を勉強はしているようだったが、誰かに食べさせるのは俺が初めてだという事なのだろう。実験台? 何となく嫌な言葉が頭の中を過った。
「あ? ああ、以外に……旨い」
サクラは心配そうな顔が花が開くようにぱあっと笑顔に変わって行った。実際サクラの作った料理は思っていたよりも美味しかった。恐らく、俺が作るそれよりも段違いに。
「よし、今日からお前をめし係に任命する」
「何ですか? それ」
「サクラにこれから料理を作って欲しいって事だよ。俺もなるべく手伝うようにするからさ」
はいと、嬉しそうに頷いた。サクラには、面倒臭いという感情はないんだろうか。俺なんかめし作んのも面倒臭い。たまに、めしを食うのも面倒臭くなって、めしを抜く事だってあるぐらいなのに。
その日の昼、俺とサクラは学食にいた。
「哲、昨日はありがとな」
声を掛けられて上を見上げると、そこには陽介が立っていた。いつもと特に変わる事のない表情をしてはいたが、何となくいつもよりも笑顔に張りがない気がする。
「上手くいったのか?」
「いや、それが言えなかったんだ。あいつ好きな奴がいるんだって。それ聞いたら、言えなくなっちゃって」
俺は、はあと大きな溜息をついた。陽介はここに来て、また彼女を諦めると言うのか。そんなくだらない話がどこにあるんだ。俺はイライラと陽介の表情を見る。いつもの笑顔はなれをひそめ、眉間に皺を寄せている。
「俺……、あの子すっごいタイプなんだよ。お前諦めんなら俺があの子口説いてもいいだろ? な? じゃ、俺午後講義休んで、N大にでも行って来るわ。代弁よろしくな」
俺は、そう言って立ち上がると学食を後にした。サクラは俺をびっくりとした顔で見ており、陽介は……俺は陽介を見る事もなくその場を後にしたのだ。
俺が言った事は全て嘘っぱちだ。誰がどう考えても、嘘だって分かるだろう、もしこれで陽介が俺を追いかけて来なかったら、本当に志保を口説いてもいいとさえ思っていた。
俺は陽介の行動にかけたのだ。あいつは絶対に俺を追いかけてくる。そうじゃなきゃ俺の友達とは言えないだろう。陽介は、そんな意気地なしの筈がないんだ。志保が誰を好きだろうと、今陽介が自分の気持ち伝えなかったら、きっとこの先あの二人がお互いを理解する事はないと俺はそう思っていた。だから、どうか追いかけて来てくれ。俺の下手くそな演技に付き合ってくれ。
ばたばたばたという足音と主に誰かが俺の肩を掴んだ。
「哲、下手くそだったぞ。ばればれだ。でも、面倒臭がりなお前が俺の為にやった事だもんな。俺、あいつの気持ち伝えるよ。駄目でも今伝えなきゃ一生伝えられないような気がするしな」
そういうと、陽介はジーンズの尻ポケットから携帯を取り出すと、素早く通話ボタンを押した。
「志保? 俺。話があるんだ、時間作れるか? ああ、分かった。じゃあ」
ふぅと息を吐いて陽介は俺を見てにこりと笑った。何かをふっ切ったように清々しい顔をしている。
「これから、行ってくる。そこの公園に今から来るんだ。もし、ふられたらやけ酒付き合ってくれよ」
「ああ、頑張れよ」
「頑張って来て下さい」
いつのまにか俺たちに追いついたのか、サクラが息を切らしながらそう言った。陽介はこくりと頷くと、右手を上げてその場を後にした。
陽介の後姿が見えなくなった頃、二人同時に言葉を発した。
「「尾行」」
俺がニヤリと笑ってサクラを見ると、サクラも可笑しそうに笑っていた。
「行くか」
「はい」
二人同時に早足で歩き始めた。俺様的な考えだが、頼まれた仕事は自分の目で最後まで見届けなきゃ終わった気がしねえ。競歩でもしているように早足で、陽介が行った方向に向かう。行先は分かっちゃいるが、話を聞き逃したくはない。俺達は急いだ。
公園に辿り着いた時、陽介と志保が対峙しているのが見えた。
背の低い木の陰に屈んで隠れ、何とか二人の会話が聞こえる位置まで辿り着いた。木があまりにも低いので、俺とサクラは殆どうつ伏せに寝転がっている状態だった。
「悪い、呼び出したりして」「大丈夫。私この近くにいたから」
「何かこっちに用でもあったのか?」「あ、うん。ちょっと……」
「もしかしてお前の好きな男ってうちの大学なのか?」「え……と、まあ」
俺たちからは二人の姿は見えない。顔を少しでも上げてしまえば、陽介からこの位置はすぐにばれてしまうのだ。
二人の会話だけで、判断するところ、志保は何かを隠しているようだ。うちの大学に好きな男がいるとは言うが、その歯切れの悪い返事からそれについて何か隠しているのだろう。
ふと、隣のサクラをちらりと見ると、これから何が始まるのかしらとわくわくした顔をしていやがる。そういう俺も実はこの状況が楽しくて仕方がなかった。悪いな、陽介。
「俺さ、正直に自分の気持ち言うわ。俺、志保の事好きなんだ」
そう言った後、公園内に静寂が訪れた。隣のサクラは、両手で口を押さえ、自分の声が外に出ないように必死のようだ。
「私も……」
え?と、陽介が小さく聞き返すような声が聞こえる。自分の置かれた状況が良く分かっていないようだった。
「私も陽介が好き……」
「え?」
再度陽介が問い返す、聞こえなかったというよりは予想外の答えに驚いて咄嗟に出た言葉ではないかと思われる。
「聞こえなかった? 私も陽介が好きって言ってるの」
「え? でも、お前好きな奴いるって…」
「そうだよ。中学の時にふられて、諦める為に他の人と付き合ってみたけど、全然駄目だった。あれから、誰の事も好きになれなかった。ずっと…、陽介だけが好きだった。無理だって諦めてたんだ。昨日会えて凄く嬉しかった。一度会ったら、また会いたくなって。だから、こっちまで来たの。偶然でもいいから会えないかなって」
志保が泣きだしたのか、鼻を啜る音が聞こえる。公園内には緊迫した空気が流れている。俺とサクラの間にも緊迫した空気が漂っていた。ここで、くしゃみでも出た日には大変な事である。
「ごめん。俺お前の事ふって、でも高校行って離れて初めて気付いたんだ自分の気持ち。もうその時には、他の奴と付き合ってたから。遅くなってごめんな」
志保の泣き声が次第に大きくなって行く。
しばらく、志保の泣き声だけが俺たちの耳に飛び込んでくるだけだった。
「おい、哲。いるんだろう? いい加減出て来いよ」
俺は、突然自分の名前を呼ばれ、ギクッとしたが、苦笑してその場に立ち上がった。
「やっぱバレてたか」
遅れてサクラも立ち上がる。低木を跨ぎ、二人がいる場所に近づいていった。
「勿論バレてるさ」
志保を見ると、びっくりして開いた口が塞がらないようだった。
「悪いな、驚かせて」
体についた土などを掃いながら俺は志保にそう言った。俺の言葉に初めて我に帰ったのか、自分の告白を聞かれた事に思い至ったのだろう途端に顔を赤く染めた。
「俺の為に、この二人があの合コンをセッティングしてくれたんだ。俺がいつまでたっても気持を伝えられずにいたから、助けてくれたんだ。この二人がいなかったら、俺未だに気持ち伝えられずにいたかもしれない」
陽介が、全く状況のつかめていない志保にそう説明した。
「図書館で私に声をかけた時も私の事を最初から知っていたの?」志保がサクラに問うと、サクラは頷いた。
「そうだったんだ。驚いちゃった。でも、二人が力を貸してくれなかったら、私達あのままだったら、一生お互いの気持ち気付かないまますれ違っていたかもしれないんだね。私は、二人に感謝します、やっと思いが通じた。長い片想いだったから。ありがとう」
そう言って志保は、驚きで一度は止まっていた涙が再度溢れ出て来て、ほろほろと泣きだした。
陽介が志保の頭を撫で、「泣くなよ」と今まで聞いた事もないような優しい声を投げかけている。
「んじゃ、邪魔ものは退散するぜ。陽、次の講義、代弁しとくからゆっくりして来ていいぞ」
ああ、悪いなと陽介が返事を返す。
「サクラちゃん、ありがとう。サクラちゃんは私達の恋のキューピッドね。これからも友達でいてくれる?」
「はい、勿論。電話もメールもします。陽介さんの彼女さんになったんだもの、またすぐに会えますよね?」
サクラと志保は向かい合って手を握り合って別れを惜しんだ。待っていたらいつまでたっても離れそうもないので、ほら行くぞと、半ば強引に二人の間を引き裂いた。そして、サクラの腕をむんずと掴むと無理やり引っ張って行った。
じゃあなと軽く手を上げて公園を出た。公園を出るとサクラの腕を放した。
「良かったですね」
ああと俺は頷いた。サクラは志保に『恋のキューピッド』と言われた事がとても嬉しかったようで、俺の隣でスキップをしていた。
まるで子供だな。しかもスキップ下手くそだしな。俺はそんなサクラを見てくくくっとわらった。
「どうして笑ってるんですか?」
「いや、別に」
サクラは不思議そうに俺の表情を見ていたが、それよりも陽介と志保の事が嬉しいのか満面に笑みをためてスキップをしていた。




