バラージ家の策略
その後、ホートライドとレッタは執事に案内されて客人用の寝室に連れて行かれた。やはりレッタは不満そうではあったが、ホートライドの取り成しによって渋々と同行した。
カタンも執事も平民の彼女がこんなに豪華な場所に居られるのになぜあんなにも不満そうなのかが理解できない様子であった。しかし短い期間とは言えど、彼女と共に過ごしたイルシュには彼女の心情は十分に理解できた。
豪華であればあるほど、今、湖畔で待っているであろうアリアとの差に耐えられなくなる。自分ばかりが良い環境に居て、愛する親友が劣悪な環境にいる事に耐えられない。それがレッタという人間なのだ。
「私もあんなお姉様が欲しかったわ……。」
父親と共に書斎に向かう廊下でイルシュは小さく呟いた。
イルシュは五人兄弟の末娘である。兄二人と姉二人。
兄二人は陸戦部と魔戦部に勤め、姉は陸戦部と海戦部に勤めていて、それぞれに優秀な結果を残している。それに比べてイルシュは大して昇進する事もなく燻っている。もっともそれは本人のやる気の問題が大半であるが。
上の兄弟達は優秀であるが故に、何かにつけイルシュを馬鹿にする言動を取る。それでも奮起する気になれない自分の問題でもある事は重々承知なのだが、やる気の出ないものは出ないのだ。
ダメな自分もそれはそれとして受け入れてくれるレッタやアリア、タタカナル村の人々は彼女にとって心地よい場所であった。
だからこそ、彼女は帝国軍人でありながらタタカナル村に心を寄せているのだろう。
「これは好機だ。これを逃す手はないぞ。」
書斎に入って深々と椅子に座ったカタン大佐は葉巻を再び用意すると深く吸い込んだ。(さっき吸ったばっかじゃねえか……)とイルシュは思ったが、父の葉巻が多い時は興奮している時が多いと分かっていたから黙ったままソファにどすんと腰を下ろした。
「何を企んでるんだ?」
「お前、そのドラゴンと仲が良いんだろう?」
「まあ……。村で一人で会っても普通に話が出来るくらいには。」
厳格な父の妙に優しい笑みに若干の嫌悪感を感じつつも答える。それを仲が良いと言ってよいのかは微妙である。実際キルトランスもヴィラーチェもほとんどの村人とその程度の関係は持っているからだ。
だが父はそれを聞いて満足気に顎髭を撫でながら頷く。
「だったら今回のドラゴンの件をバラージ家の専任として処理出来る様に交渉出来るな。」
ようやく父親の考えている事がおぼろげではあるが見えてきた。
キルトランスを安全に帝都の中に入れる為には間違いなく軍の出動が必要になる。戒厳令を敷いて都民の動きをある程度統制しつつ、城への道は兵士で警備をするだろう。
それらをバラージ家の特権にすることによって手柄としてバラージ家の威光を上げようとしているのだろう。
気持ちは分かるが、そもそも名声にどうしても興味が持てないイルシュにとっては大したことではなかった。だがバラージ家当主がそう考えるのは当然の行為である事も理解はできたのでこれと言って異は唱えなかった。
「イルシュ、お前をドラゴン専任にして階級を上げるように申請する。」
「は?!なんで?」
思わず聞き返す。まさか自分が関係するとは思っていなかったからだ。
「まあ聞け。」
大きく紫煙を吐いてカタンは口元を歪めた。
「ドラゴンが城に来たら間違いなく戦いになる。聞いた話ではそのドラゴンは強大な魔力を持っているから、防衛を担っている御三家も無事では済まんだろう。」
御三家と言うのは帝都防衛を任されている皇帝陛下に対してある程度の親密さを持っている軍人貴族達の事である。
それぞれ、陸戦部参謀・海戦部元帥・魔戦部総帥と軍の高位を担っており、選りすぐりの精鋭を王城と都内の防衛に着かせる事によって軍人でありながら政治への干渉も可能なほどの地位に着いている。
「あいつらに損害を与えて力を弱める方法もありだとは思うが、それだと他の奴らとの闘争が後々面倒になりそうなので今回は止めておく。」
イルシュは内心(都民の損害はどうでもいいのかよ……)とは思ったが口には出さない。得てして軍人と言うのは一般国民を思考から除外しがちなのだ。もしキルトランスが帝都で暴れることがあれば、軍人よりも都民の被害の方が圧倒的に多くなるだろう。それを一顧だにしない父は根っからの軍人なのだろうと嫌悪した。
「そこでお前を大使に任命してもらう事によって、ドラゴンの警備をうちのバラージ家で行えるようにしよう。」
「ちょっと待て。なんで私がそんな面倒な事になるんだ。」
まさかの自分が矢面に立つ事になるとは思わなかったイルシュは異議を唱える。
「実際にドラゴンと普通に話せる帝国軍人は今のところお前しかいないのだろう?」
「いや、まあ……。」
言葉に詰まる。普通に話せると言うか、普通に話す機会があったのが自分だけだった話だ。あのドラゴン達であれば、敵意を持っている人間以外とは普通に会話が成り立つから、別に自分でなくても問題はないだろう。
「そんな事はさっきの村人の話を聞いていたら分かる。それをあえてお前だけという事にして交渉するんだよ。」
これが上の者の政治的な思考である。全ての事象は交渉と権力闘争の道具なのだ。もっとも幼少期からそれを目の当たりにしているイルシュにとって別段驚くことではなかったが。
「それに、お前は今、休職という名の謹慎中だ。」
「うっ……。」
それを言われると弱い。なにせ昨日、父に頭を下げて自分の不始末を執成してもらったばかりなのだから。
娘の窮する表情ににやりと笑うとカタンは大げさに紫煙を吐きだして言う。
「お前がやってくれれば、謹慎を解いてなおかつ昇進するほどの手柄になるのだがなあ……。」
言葉に詰まるイルシュ。やる気がないとは言え、謹慎という不名誉は兄弟に散々罵倒される材料になりうる。バラージ家内での自分の立場を守るためにも謹慎取り消しは魅力的な提案であった。
「……。……分かった。やるよ。」
様々な苦悩の結果、イルシュは諦めたように首を垂れた。
「そうかそうか。お前がやる気になってくれて私は嬉しいよ。」
そういう父親の表情を横目で見ながらイルシュはレッタやホートライドになんと言い訳をしようと考えている。
「なんなら帝都滞在中のドラゴンの居住を我が家にしても良いな。あの鼻持ちならない御三家に我が家を警備させてやるなんて考えただけでも笑いが止まらん。」
早くも捕らぬ狸の皮算用を始めた父親。
「ところでそのドラゴンは汚いのか?」
どうやら屋敷の中に入れる事を考えているようだ。
「少なくとも村じゃ風呂に入るのが日課なくらいには綺麗好きだと思うぜ。」
少々投げやりに答える。これからしばらく父親の策略に乗せられるしかない自分に不甲斐なさも感じつつ、それに抵抗する心意気もない自分に嫌気が挿しながらもイルシュは内心一息ついた。
前回長めで今回短め。なかなか切りのいい場所を見つけるのは難しいですね。




