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どらごん☆めいど ――ドラゴンとメイド 帝都に行く――  作者: あてな
【第一章】ドラゴンと少女たち帝都に触れる
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イルシュ・バラージの憂鬱

 (……私はバラージ家でホントに良かったわ。)

 城門への道で改めて彼女はそう思った。

 軍学校に入る時は既に胸の発育はある程度目立つものであったが、軍学校であればバラージ家の影響で有象無象にいじられたり襲われたりはしなかったからだ。これがもしバラージ家の影響が及ばない市井(しせい)の学校であれば、間違いなく彼女の体は好奇の目で見られて、心ないし体に傷を負う事の一つや二つはあったかもしれない。

 もちろん、バラージ家よりも格上のお坊ちゃんに胸を揉まれたり、暇つぶしの腰掛に入学だけしている飛沫貴族の三女にさんざん馬鹿にされた時期もあったが、それでもごく一部で収まっていたのだからマシだと思うことにしていた。

 卒業後も彼女の身分と成績の優秀さもあって一曹に着任できた。信じられないが、彼女は軍学校時代は比較的成績優秀者だった。

 だがそのお蔭で変に絡まれる機会も少なかった。もしこれが二等兵から始まっていたかと思うと、血の気が引く思いであった。軍では上官の命令は絶対である。これは恐らく古今東西の全ての軍での絶対であろう。だがそれ故に性的な被害に遭う女性兵士が後を絶たない事も事実であった。彼女においてもそれは多聞に漏れず、それを利用して彼女を好きにしようとする男は山のように居たに違いない。

 今の諜報課で全く被害が無いとは言わないが、それでも少なくとも彼女の父親カタン・バラージ陸戦部大佐よりも下の階級の軍人が彼女に手を出すことは無い。それだけで彼女は自分のあまり馬の合わない父親にも最大限の感謝をするつもりにはなる。

 もちろん少将以上になればバラージ家の威光は効かないが、そもそもそんな高位の人に会う機会は稀であった。

 そんな事をふと思っていると、彼女の頭に一人の男の顔が浮かんだ。

 彼は初対面こそ胸を見た事は否めないが、それ以降は胸を凝視するような事はしなかったし、しっかりと目を見て話すように努めてくれていた。彼女にとってはそれだけでも好印象であった。

 「ホートライド……レッタお姉さま……。どうなっちゃったんだろうなぁ……。」

 この時の彼女はタタカナル村の事は何も知らなかった。もっともこの時点において帝国軍でタタカナルでの出来事を知っている者は誰一人いなかった。そして先ほど彼女が挨拶だけ交わした男のカバンの中に、ドラゴン討伐隊全滅の報が入っているとは思いもよらなかったのである。


 あの夜、彼女は帝国騎士団(パラディン)二人から背を向けて北に走り出すと、一路実家のある帝都へと馬を飛ばした。

 事前に来た指令書には「帰投しろ」とは書かれていたが、どこへとは書かれていなかった。もちろん本来であれば任地であるミナレバ駐屯地に戻るのが当然であった。

 だがイルシュは帝都に戻った。なぜなら彼女は諜報課を辞めるつもりだったからだ。元来、自分が諜報員に向いていない事をある程度自覚していたが、タタカナル村にいる間により強く感じてしまった。国内辺境地の諜報課という閑職はやる気のない彼女にとっては気楽な仕事ではあったが、やはり任務らしい任務が来てしまうと諜報員になりきれてない自分を再発見してしまったからだ。

 勝手な行動は上層部から怒られてなんらかの処罰を食らうだろう。でも恐らく父親よりも上の世界で問題になる程の事にはなるまい。そう思った。

 下級一兵士の敵前逃亡や行方不明など軍では日常茶飯事である。多くの場合それは内々に「処理」されて上層部に報告が上がることは無い。上司だってそんな査定に響くような事をいちいち報告したりしない。前線であれば「戦死」という事にしてしまうし、諜報課の場合は「敵兵に捕縛され自害。現在遺体の回収交渉中」程度の報告書で済まされてしまう。

 帰ったら父親に土下座して謝って、今後の対策をお願いしよう。彼女はそう考えながら馬を飛ばした。


 タタカナル村のみんなはどうなったかな?

 二つの月が沈み、空が白んできたときに彼女は少しだけ振り返って山脈の向こうにあるであろう村に思いを馳せた。

 今頃村は帝国軍の襲撃に合ってるだろうな……。

 騎士五人に五百人の軍勢。普通に村を全滅させるには十分すぎる戦力。表向きはドラゴン討伐であったが、帝国軍部の事だ。取引や箝口令(かんこうれい)が面倒な場合は村を全滅させるなんて判断は当然のようにするだろう。

 キルトランスやヴィラーチェが本気を出したらどのくらいの強さなのかをイルシュは知らない。だが五百人の軍勢と騎士五人の恐ろしさは知っている。

 二人のドラゴンは無事、もしくは逃げられるかもしれない。

 でも残された村の人たちは?

 酒臭いけど豪快な団長や、いちいち辛気臭くて口(うるさ)い副団長は?

 押しが弱いくせに実力を隠してる好青年は?

 こんな人が私の姉さんだったらな、と憧れたレッタは?

 いつも大人しくて控えめなくせにドラゴンと対等に話せるエアリアーナは?

 彼女の瞳から涙が溢れる。馬を全速力で走らせているために眼鏡はしまってあり彼女は裸眼であった。そしてその裸眼は赤く腫れている。

 (あーあ、やんなっちゃう。観察対象に情を入れるな、なんて諜報の初歩の初歩なのにさ。なんでそんな事も出来ないんだ、私は……。)


 そうして彼女は昨日の朝に帝都に着くと、真っ先に実家に駆け込み、あまり仲の良くない兄弟姉妹の中傷を聞き流しつつ父親の書斎に向かった。

 登城前であった父親は突然現れた、ここに居るはずのない娘の姿に驚きはしたが、それでも支度の手を止めてゆっくりと椅子に座った。支度を手伝っていた執事は事態を察すると静かに扉まで下がった。

 机を挟んでイルシュは正対すると、柄にもない直立不動から頭を深々と下げた。

 「お父様。諜報課……というか、軍を辞めたいです。」

 珍しく(こうべ)を垂れる我が娘を見れば、髪は乱れ全身に土が細かく飛んでいる。馬を飛ばして来たことはすぐに理解できていた。

 そしてカタンほどの身分になれば、さすがにミナレバ駐屯地にドラゴン討伐の命令が出ていた事は把握しており、駐屯地に娘が配置されている事も知っていた。だが、彼女がタタカナル村で偵察の任務をしていた事は把握していなかった。とは言え、諜報課の娘が討伐に駆り出されるはずがない事は分かっていたために、それほど心配はしていなかった。

 だが今、目の前に立っている娘を見れば、何らかの事態が起きた事は容易に想像ができた。

 親からすれば不安でしかないほどのやる気のない娘ではあったが、昔から口に出してやめたいと言う事はほとんどなかったからであった。

 カタンは黙って葉巻を取り出すと、ゆっくりと吸い口を切り、小粒の発火魔術道具を使ってゆっくりと火を着ける。その様子を少しだけ懐かしそうに見るのは娘の不安げな表情。

 「今日の午前の会議の予定は誰が出席だったか?」

 上質の紫煙を吐きながら呟くと、執事は淀みなく答える。

 「その面々だったら問題ないだろう。すまないが、会議には出られないと伝えてくれ。」

 その言葉にイルシュの表情から緊張が抜ける。執事は深々と頭を下げると滑るように部屋から出て行った。それは言伝(ことづて)のためだけではなく、娘と父親の久しぶりの時間を邪魔しない配慮でもあった。

 「ありがとう。お父様。」

 扉を閉めるのを確認すると小さくつぶやくイルシュ。二口目の葉巻をゆっくりと吸うと、少しだけ表情を和らげながら口を開くカタン。この二人、基本的に馬が合わないが、決して家族としての仲が悪いわけではないのだ。

 「話を聞かせてもらおうか。」


 上着を脱いでシャツの胸襟を開いてようやく一息ついたイルシュはソファにゆっくりと座ると、父親であり陸軍大佐であるカタンにゆっくりと話し始めた。


 一通りの説明をし終わるまでカタンはあまり口を挟まなかった。

 それでも上質の葉巻がたっぷり一本無くなるほどの時間をかけて事情を話し終えると、最後の一服を吸って残りをもみ消した。

 「なるほどな。お前の言い分と事情は分かった。」

 手を組み肘を机につけてカタンは言った。しばらくそのまま思案を続けていたが、ようやく目を開いて再び娘を見る。娘は黙って俯いたままであった。夜を徹して走り続けたのだから疲労困憊であろう。

 「とりあえず部屋に戻って休みなさい。後の事はこちらで何とかしよう。」

 「ありがとう……お父様……。」

 イルシュは力なく立ち上がりながらそう言うと、ふらふらと部屋を出て行こうとする。

 「軍を辞める辞めないは別にして、とりあえずの不始末の対処だけはしておく。」

 真面目な父親の事だからそう言うだろうと想定していたのか、イルシュは「ごめんなさい」と力なく笑うと後ろ手に扉を閉めて廊下へ消えて行った。

 カタンは立ち上がると窓から城の方を見た。娘の報告がすべて真実だとすれば、昨日の時点で討伐成功の報告が漏れ聞こえてもおかしくは無いはずだ。それが無いという事は、もしや討伐失敗だったのか。

 だが失敗なら失敗で何らかの動きはあってもおかしくは無い。いったいタタカナル村で何が起こったのか。

 これは立ち回り方によっては何らかの利益にできるかもしれないと思った大佐は少しだけ顎を撫でた。

 情報戦は速さが命である。これは午前中を休みにしておいて正解だったかもしれないと思う彼は再び机に座ると仕事を始めた。


 午後になり目を覚ましたイルシュは執事から父親の書いた、諜報課少佐宛の手紙を渡されて、それとは別に一枚の走り書きを渡された。それにはイルシュの今後の行動命令が書かれており、それを一読すると彼女はゆっくりと(かぶり)を振ってうなだれた。

 「めんどくさいなあ……。」

 「ですがお嬢様の撒いた種でございますので」「分かってるよ!」

 薄手の下着一枚で寝ていた彼女の体は扇情的ではあったが、目の(くま)は未だに濃く、眼も少し充血しており、お世辞にも色っぽいとは言えるものではない。もっともそんなものに気を取られていてはバラージ家の執事は務まらない。

 彼は粛々(しゅくしゅく)愚図(くず)る当主の娘を追い立てると、身だしなみを整えて手紙を持たせると諜報課へと送って行ったのであった。


 結果としては大佐からの詫び状と取り成しによって、イルシュの命令違反は不問とされた。

 もっとも戦時でもなければ、さほど重要な任務でもなかったため、そこまで責任追及されるほどの事ではなかったのだが、それでも略式軍法裁判相当の案件を不問とされたのだから、その恩はそれなりのものとなる。彼女の任務は最後の報告書の送付と村からの離脱の時点でほとんど終了しており、最後の帰投を「間違えた」だけなのだから。

 それでも罰則として多少の減俸と勤務停止を受け、彼女は事務手続きや始末書の作成などのために何度も諜報課に顔を出す羽目になったのであった。


 そして彼女が(くだん)の情報管理課の彼とすれ違ったのは、その時であった。

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